'10.4.26 随筆 |
いつものではない通勤列車
やけに空いた列車に乗る。いつも乗る時間帯ではないから、その空き様がいつも通りなのかも知れないが分からない。
ドアから2歩程の所に立つ。空いているとは言っても座席は埋まっているし、これ位が丁度良い間合いという気がする。
鞄を棚に載せ、文庫本を左手に吊革に手を掛ける。鎖骨は折れたままで、まだ、左手で掴まるのは心許ないのだ。本来なら文庫は右手に持たないとページが繰りにくい。
本を広げる前に、斜め前の座席にちょっとした違和感を覚えて視線を落とす。年齢以上に野暮ったい服装をした中年女と老婆。髪型も少しおかしい。田舎から来たというにしても何か変だな。しかしその違和感の正体はすぐに分かる。
顔を上げた中年女は、真っ直ぐ前を見て韓国語で話し始める。確かに顔もそんな感じだ。こういうのは西洋人には判らんのだろうなと思う。
それにしても長い独り言だな。頭がおかしいのか? 女が顔を向けている先を目だけ振って見てみると、同じ歳位の男が座っている。この男に話し掛けていたのか。20年前の釣り用ウェアみたいのを着て、大きなリュックを背負ったまま座っている。
その後、女は抑揚のない韓国語でずっと喋り続けた。
気持ち悪いな。
韓国語が、じゃない。分からない言葉で延々話し続ける中年女が、だ。
時々隣の老婆に話を振り、二三言葉を交わしたかと思うと、また前を前を見て話を続ける。
通勤列車内の通路を挟んで喋り続けるのが韓国の習慣なのか? そんな訳はないだろうな。それにそういう人は日本人にだって沢山いるし、マレーシアだってベネズエラだって似たようなものだろう。どうでも良いが。
西武新宿線ではなく、韓国の通勤列車やベネズエラの高山列車に乗っている自分を想像してみようとしたが、井荻通過中にそれを想像するのは難しい。いや、どこであれ同じ事か。 |
'10.4.24 随筆 |
「石田頼子の事ばかり考えてしまって胸が苦しいんです」
「はぁ、参ったな」と思う。
こういう気持ちを抑制する薬があるという記事を先月辺りにネットで読んだが、あれは何という名前だったかな。問題は、どうやって処方して貰うかだ。
「石田頼子の事ばかり考えてしまって胸が苦しいんです」
それでは駄目だな。ちょっとアプローチを変えてみるか。
「石田頼子の事を想うと胸が一杯で、仕事が手に付かず業務に支障をきたし困っているんです」
仕事が手に付かないって程のことはないな。いやしかし、仕事の予定は忘れている。
鞄からパッドを取り出してスリープを解く。しかしスケジューラが会社のサーバに全然繋がらず、今日の予定が表示されない。どうにも間が悪いな。
しかし例え薬が処方されたとして、気持ちを抑制してしまうと、それはそれでまた困ったことになる。
彼女に「自分のことを一番に想ってくれる人でないと私、駄目なの」と言われた。抑制してしまっては一番でなくなってしまうかも知れない。
そもそもが、自分が一番想える相手なら自分で分かるだろうが、相手が自分を思う気持ちが一番かどうかなんてどうやって計るというんだろう。彼女は解けない命題を自分自身に出している訳だ。
かと言って、こちらが「好きだ」という気持ちをプレゼンし続けるのも考え物だ。あっという間に「好きだ」のデフレが起きて、結局こちらは不要でしかも採用されないプレゼンを延々と繰り返す羽目に陥る。これは、こちらにとって不毛なだけでなく、プレゼンを受ける側にとって不幸なことだろう。
そう言えば明日もプレゼンが1件あったのではなかったか。スケジューラがオンラインになると同時に、上司から進行具合の報告を問うメールが届いた。考えていることをそのまま打って送る。
「石田頼子の事を想うと胸が一杯で、仕事が手に付かず業務に支障をきたし困っているんです」
上司からはすぐに返信が来た。
「仕事のメールでは、呼び捨てにせずちゃんと役職名で呼んでくださいネ!」 |
'10.4.23 随筆 |
書き物について/ペンネーム変更の逡巡/掌編の予告
ここ暫く、よく書き物をしている。時同じくして何かを書いているという知人が複数いたりするが、何を書いているかは知らない。彼女達は私の様にへらへらとネット公開したりしないし、私は私でネット上の創作は書くけど読まない方だからいずれにしても知り様がないが。
ところで、過日の連載期間、本欄のPVは1日150〜260でいつもと変わらなかった。1週間あると読まない人は読まないだろうなと考えていたのだが、落ちたのはいつも通り日曜だけ。1週間ガンや自転車だったらもっと落ちる様な気もする。
それはともかく、話の筋が筋だけに、顔の見える相手に読まれると思うといろいろ考えはするのだが、そこはそれ、本人は物書きのつもりなのでちゃんと乗り越えないと。
しかし結局期間中のコメント欄への書き込みはなかった。そんな話を馴染みのBBLですると、「それはそうですよ。小説の感想なんてそう簡単に書けませんよ」と言われる。確かに途中途中で「次回が楽しみです」だなんてコメントを受ける内容ではなかったしな。唯一予告の時に冒頭の知人から「愉しみにしています」とメッセージを貰った位。
リアクションに悩むのは、直接会っている人からの一言である。そして意外にこれが多かった。一番困ったのが、地元の駅前で朝にクルマで子供を送りに来ていた父親仲間に「毎日読んでますよー!」と言われた時。「えーッ、読んでるのーッ!?」てな位しか言えんわな。すんません。でもありがとう。
ところで私のハンドルネームは、私の書く話とかなりミスマッチであると思う。作風からすればもっと普通の日本人名が合っている気がするが、そういう名前を使ったことがあまりないのでにわかには決め難い。20年前に漫画を描いていた時のPNでも復活させようかと考えもしたが…、それも合わない。
ところで、ちょっとは軽く楽しめるお話も載せとこうかなという事で、明日、本欄にて。今回は単発で。
掌編「石田頼子の事ばかり考えてしまって胸が苦しいんです」 |
'10.4.21 日記 |
そういう時には、傍にいないこと。
'10.4.18 日記 |
庭でビール
厭な感じの焦りにも似た感覚に呵まれつつ、ここ暫くの日々を送っている。片眼側の痙攣が治まらないし、食欲のなさも相変わらずでコーヒーの飲み過ぎが原因ではなかった模様。救いもあるにはあるのだが。とりあえず呑むか(それはいつも通りだろ)。どんな大袈裟な話を書いているのだか。
自転車に乗れないからなぁ。というオチではないのだが、鎖骨が依然として繋がらないのも事実。もういい加減良いだろうなどとママチャリには乗ったりするが、逆に、これは前傾で自転車に乗るのは無理だなと実感するだけのこと。30km/h程度でもブレーキングしたらこちらの“フレーム”が折れてしまうかも。さらに、さすがにこれだけ乗っていないと、実は興味が薄れてくる。ローラー台は買っておくべきだったか。
学童クラブ父母会市内連絡会の活動も佳境。目前の総会に向けて議案書を作成・印刷するのだが、60P超で約1300部を仕上げないとならない。仕事でやっていることと何も変わらない気もするが、今年は頭も手も上手く回らない。これから新年度を迎えるというのにモチベーションも底を打ちそうな感じである。新年度、副会長になるんだけどね。
仕事・職場でもある種のターニングポイントを迎えつつあるのだが、それはここに書いても仕方ないことなので略。ウエイト自体は略にしきれないのだが。こんな陽気の日曜の午後だが、部下は出社して作業中。重ね重ね申し訳なく思いつつ、庭でビールを呑みながら心中エールを送ってみたり。
ビールだけ呑んでる分には呑んでる内には入らないと書いていたのは、フィッツジェラルドだったか、村上春樹だったか、あるいは村上春樹の訳したフィッツジェラルドだったか…。この陽気でモルトというのもミスマッチだしなぁ。もっと寒くなきゃ絵にならないんだよ。勿論、絵になったからって旨いとは限らないんだけどね。 |

実際には「子供の滑り台をテーブルに、発泡性リキュール」である。ちーっとも絵になってないんだな。 |
'10.4.13 随筆 |
半分残してるよ。
昨日とは打って変わった陽気となり、陽射しもたっぷりで暖かいためか、昼時が近付くと俄に人通りが多くなってきた。
このところ、自転車にも乗れておらず代謝が落ちているのか、以前に比べると腹が減らない。加えて、恋煩いでもあるまいに胸の苦しい時があるなどと思っていたら、なんのことはないレギュラーコーヒーの飲み過ぎか、胃が気持ち悪いのだった。ともあれ、食欲の有無に関わらず昼食は昼食時に。そうでないといろいろのタイミングが狂ってくる。
近くに神田のオフィス街とは思えない様な小洒落た感じの店が最近出来た。人を誘ってみるが都合は合わず。そう高い店ではないのだが、お洒落な店に1人で昼食を摂りに行くのは間抜けな感じがする。酒場ならひょいひょい行くのに矛盾している。
時間がなければ立ち食いで済ますのだが、時間があり、得意先の商業エリア内でもないとなると、私は食べる物が全く決まらない。案の定、何も考えず外に出て、その辺をぐるぐる歩く羽目になった。
それにしても陽射しが眩しく感じる。勤務時間中ではあるが、オフタイム用の色付き眼鏡に掛け替えて外出すべきだったか。黒シャツ・オールバックで眉間にしわ寄せて歩いているが、何のことはない、眩しいのと昼食が決まらないだけ。訝しく思ってかこちらを見ていた女性と目が合ったので口角を上げてみると、ぷいとされる。
以前、夜に立ち寄ったことのあるバー然とした店に入る。結局酒場かよ。ランチタイムは4種類のパスタ。自分らしくもなく、ナポリタンでない物を頼んだ。春野菜の何とかパスタだそうな。ドリンクを足しての900円は、気のないランチにしては高い。
綺麗な盛りつけをフォークの先で少しずつ崩しながら食べ始める。麺は生パスタか? 意外に旨いが、食べ物の味にはあまり感動しない質なのでもくもくと食べる。
陽気が良くても、今日はあまり浮き立った気分になれない気がしていたが、そういう日に限ってまだ半分残っている。
私にしては、現実の時間の流れに最も近い更新。これでこそブロガーだろう(笑)。 |
'10.4.12 随筆 |
毎日更新・連載掌編小説「3周のキスと零れ落ちた髪」-あとがき

あとがき 前見て歩け。
仕事繋がりのライター女史が、twitterで「物書き」ということに関して「“自称物書き”は自分の周りに何人もいます」と発言していた。当時、自己紹介に「アマ物書き」と書いていた私は、何か自分のことを書かれたようで少し複雑な気分になったものだった。実際物書きというのはプルーフのされ具合次第だろうし、そもそもそれで食っていること自体は、実は物書きとしてのプルーフとは限らない。しかし、つまり翻って自分はどうなんだよと。そう考えざるをえなくなった。
そこへ、暫く公開を躊躇っていた掌編を公開しようと思い立つきっかけがあり、本欄読者諸氏(ブログでその書き様はミスマッチだろうが)には全く寝耳に水のことだろうが、今回の1週間毎日更新の掌編小説連載と相成った。
元は2本の話を別の物として書き始めていたのだが、続けて読むと以前書いた「コンビニへ」/「言い訳」の組み合わせの様になっていた。あの時と違って今回は書いた時期も同じだし、それぞれの登場人物も充分交差しうる設定と距離感なので、これは1本の話としてまとめてみるのも面白いかなと考えた。ただし、完全にではなく、あえて「そうとも取れる」位置関係にした方が、すれ違いの話としては洒落ている様に思った。
面倒だったのは、どちらも本欄の連載のために書いていたので1話800字となっていた事。1話完結で互い違いに話が進む様にしないとならないし、両方合わせて7回で納めないと長過ぎる。
あくまで余談だが、ラストの「クレムドゥコール」なる物は特定ブランドの基礎化粧品だが、メジャーではなく、これがなければ日常生活に支障を来す物でもない。つまり、これはそういう事なんだという意味なのだが、まあ枝葉末節である。
セックスに対するドライさの対比はテーマ通りだが、女が次の方向を見出して歩み出すのに対し、男が何とも内向きなのは、実は書き進むうちにそうなった。でもこれが自然だろうねぇ。

まとめて読み返そうかという奇特な方は、こちらを…。  |
'10.4.11 随筆 |
毎日更新・連載掌編小説「3周のキスと零れ落ちた髪」-7
'10.4.10 随筆 |
毎日更新・連載掌編小説「3周のキスと零れ落ちた髪」-6
'10.4.9 随筆 |
毎日更新・連載掌編小説「3周のキスと零れ落ちた髪」-5
 今週の読書 中村うさぎ「セックス放浪記」新潮文庫
この掌編を載せていて、読んでいたのがこれという(苦笑)。当然読んでから書いた訳ではないが。ところで「(好きな)相手に欲情されたい」という欲求は、まさしく女性のものだと思う。私は、自分が平凡なおっさんである事を忘れたとしても、自分に女性が欲情するという構図を全く想像できない。あれ? じゃあ女性は何に欲情するんだ? こんなこと書いている様では全然駄目だね。やれやれ。 |
'10.4.8 随筆 |
毎日更新・連載掌編小説「3周のキスと零れ落ちた髪」-4
'10.4.7 随筆 |
毎日更新・連載掌編小説「3周のキスと零れ落ちた髪」-3
'10.4.6 随筆 |
毎日更新・連載掌編小説「3周のキスと零れ落ちた髪」-2
'10.4.5 随筆 |
毎日更新・連載掌編小説「3周のキスと零れ落ちた髪」-1
'10.4.1 随筆 |
酒場と年度末明け
酒場に通う人というのには、概ねパターンがある。呑む酒の種類銘柄は言うまでもなく、出没する時間帯も決まっている事が多い様に思う。
酒場の時間というのは、私は3つに大別できると思う。早い時間と、遅い時間、そして酷い時間である。
早い時間というのは、開店から8時辺りまで。この時間に呑めるというのは、定時上がりであるのは言うまでもなく、直帰であることも多い。新宿や銀座に近い得意先であればベストだが、そうでない場合も、それはそれで楽しい。というのも、この時間帯は開発に適しているからである。勿論、開店と同時では店も調子が出ていなかったり、下手をすると準備が万全でないこともあったりするだろう。しかしそうでなければ、余裕のある応対を得られたり、何より印象に残しやすかったりする。そして、外してしまった場合もやり直しが利く。
それより遅い時間の8時から終電までは酒場にとってのゴールデンタイムだ。躊躇なく人恋しい時に酒場へ繰り出すには丁度良いし、逆に一人になりたい時にも丁度良い。自分にとって間合いの取れている酒場では、構ってもくれ、放っておいてくれもする。
そして大概の店でコアになるのが、終電以降の、まともな勤め人が呑んでいてはいけない様な時間。店によっては見知った顔が多い。まあこの時間に一見客で溢れる店というのは、気持ち悪いし居心地も悪かろうと思う。私も、終電以降に初めての店に入ることは滅多にない。
ちなみに、何事にも例外はあり、どの時間帯でも見掛ける人というのがあったりする。まあ、他人の話ではなく、それは私自身の事なのだが。
年度末には素面で酷い時間にBBLに現れる事が多い。タクシーで歌舞伎町に辿り着き、ひと心地付けて帰るのである。今年は差ほどでもないですねと店主に指摘を受けたが、それで今年の景気が云々と考えるより、そうか随分通っているものなぁと、まず思う辺りがどうにも。 |
 今週の読書 吉行淳之介「吉行淳之介自身による吉行淳之介 なんのせいか」
ランダムハウス講談社文庫
今日4月1日は吉行淳之介が生まれた日である。但しそれは戸籍上のことであって、実は父エイスケの嘘の届出であったという。嘘を洒落と見られる人間は洒落た者であると思うが、私自身は洒落者でも誠実でもなく、下らない嘘を日々垂れて生きており、残念な気持ちになることしばしばである。 |
'10.3.23 随筆 |
いくら何でも
'10.3.18 随筆 |
地デジ
先日、とうとう我が家のテレビが地上デジタルになった。テレビ自体は、寿命のため年末に買い換えていたが、ケーブルTVの契約はアナログのままでいた。画面が大きくなった分画像が粗く見えたが、充分用は足りていた。するとJ-COMの方から取り敢えず機械(STB:セットトップボックス)を取り替えたいので地デジに切り替えてさせて欲しいという連絡があった。その場合も期限まではアナログは見られるが、テレビを対応機に買い換えているので何の不都合もない。また、「コンパクト」と称する簡易型サービスの契約なら現状と同額で良いという話だった。そうそう、そういうので良いんだよ。大して興味もないのだから。
しかしそれ故に全然情報を集めておらず、J-COMの営業やサービスの方々には随分と初歩的な質問をしてしまった。今のHD/VHSデッキでは録画した物をダビングできないというのが全く認識の無い事だったが、TVと一緒に対応デッキも買っていたので、それも事なきを得た。
リモコンも増え、ボタンの数では全体で倍近くなった。メーカーもバラバラなので操作体系も違うのが煩わしい。確かに画像は綺麗だが、だから何だという気持ちになる。
ところで、設置は家人の立ち会いでは不安だったので、私のいる日曜の午後にして貰った。確認の電話の後、予定時間帯の一番早い時間に作業員が来た。20代前半で、耳にピアスの大穴が開いてはいるが、顔つき物腰身なりいずれもきちんとした感じの良い青年だった。作業前に興味深げに居間の自転車を見ていたので、「家族には邪魔と言われるんだけどね」と話を振ってみると「格好良いですね。緑でまとめられてるんですね」と返して来た。やはり自転車乗りだった。J-COMの同僚間でもスポーツ自転車が流行っているのだそうだ。話し込みたいところではあったが、作業がどれ位掛かるものかも分からないので、そこは我慢して程ほどで引き上げたのだった。
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 今週の読書 村松友視著「淳之介流−やわらかい約束」河出文庫
例えば多くある“村上春樹本”の類は読んだことがないが、作家が書いていれば(と言っても村松友視は読んだことがないが)違うだろうと思ったものの、やはり私にとってはそう面白く感じるものではないなと。 |
'10.3.16 随筆 |
三月鎖骨借金酒場
そろそろ骨が繋がった様に思うのだが、医者にはっきりした事が聞けず固定帯を外せないでいる。自分で脱着できる簡易型は、固定が緩くて結局はあまり使わなくなった。一方で、がっしりした方の固定帯は、肩が動く様になるとゆるゆるとではあるが自分で外せる様になる。妻に手伝って貰うまでもなくなり、怪我人に親身な妻はいつの間にかいつもの妻に戻ってしまった。不便でなければそれで良しということでもないな、などと思う。
そう言えば、自分が復帰する前に修理するつもりでいた自転車に、まるで手を付けていない。それにしては随分と急いで部品を揃えてしまったものだ。お陰で今月は収支が激しく狂ってしまい、後半は酒場通い所ではなくなりそうだ。
昔の作家の本ばかり読んでいると、借金というのが日常の事の様に錯覚してしまいそうになるのだけれど、言うまでもなく現実の困窮に何も楽しいことはない(少なくとも文学的な意味以外で)。
うちには和箪笥が確か四竿はあったが、今時何かのあてになる類の物でなし。中身も大昔の祖母の持ち物と倹約家の妻が少しずつ趣味で集めた物が大半で、質草になる様な物ではない。
質屋の暖簾を潜ったことなどないのだが、今風に言えば「ヤフオクにでも掛ける様な物」があるかと言うと思い浮かばない。ご存知私には蒐集している物はいくつもあるのだが、実は今までに処分らしい処分というのをしたことがない。ご同輩に訊いてみると、やはり効率はとても悪いのだと言う。売るとなれば綺麗にしておきたいし、不調も直しておきたい。そして勿論、弄ればそれだけ手放し難くなるのである。
こういう時に限って仕事は忙しく、まっすぐ帰るのも辛い。家に帰れば呑む酒はいくらでもあるでしょうにと妻には言われるが、私は既に怪我人ですらないのだから、せいぜいが酒場辺りでしか優しくして貰えないのである。
…いや、別に酒場でも別に優しくされたりはしていないか。
|
'10.3.1 随筆 |
酒づくし日曜
'10.2.26 随筆 |
オムレツと猫
上の娘がいつまでも寝ないので、「暖かくして早く寝なさい」と掛け布団を被せ、四辺を内側に丸め込んで電気を消した。自分が寝る段になり部屋に入ると、果たしてそのままの姿勢で寝ていた。横向きで丸まっているので四角ではなく、半月形に近いまるでオムレツの様な形だ。オムレツ状にくるまれているので表情は見えないが、スースーと音を出しながら安らかに眠っている。何か変な感じなので指で軽くつついてみるが、特に反応無し。単なる子供のくるまった布団である。
下の娘を見ると敷き布団から半身転げ出ており、積み上げられた洗濯物に突っ込んでいる。暗い部屋の中、爪先で洗濯物を掻き分けて歩こうとすると、その一部は娘の足だった。自分も眠くて面倒くさいので洗濯物ごと上に布団を掛ける。後で妻に文句を言われそうな気もしたが、どうせ妻が上がってくる時にはまた違う格好で寝ているだろう。
部屋の一番奥に戻り、PowerBookのUSBポートにライトを差して書き物をしてみたが、寝転がっているとどのようにしても左鎖骨に負担が掛かる体勢となってしまうので、諦めて寝ることにする。
医者に言われた様な、枕で左肩を持ち上げる体勢は不自然で維持できない。左の胸を張る様な、肩を後ろに下げる様な姿勢というと、よく考えたらいつもの様にうつぶせで寝れば良いだけなんじゃないかと思い付く。試してみれば良い感じである。そこから寝るまでには何の苦労もなく、あっと言う間に寝てしまう。
前日が“猫の日”だとかで猫の画像を見ることが多かったせいだろうか、猫の沢山出てくる夢を見た。と言ってもファンタジーなものではなく死骸の猫ばかり。朝、家を出ると、前の通りが近所の野良猫の無惨な死骸だらけ。半分は見知った猫だった。まさかこの中を子供達が登校したのかと唖然として、心配でならなかった。
話はそれだけで終わり。例によって夜中に目が覚めて、トイレに立ち、水を飲んで、また寝た。 |
 今週の読書 蓮見圭一「水曜の朝、午前三時」新潮文庫(再読)
正直、若い時の自分を、こうも客観的に思い出せるものかね? 私はほれ、何かしら書き(描き)残しているから、思い出しは出来るけれど。客観的に批判したりはできないね。 |
'10.2.15 日記 |
バレンタインデーとかチョコレートとか
日曜は、なぜか娘の友達が続けて訪ねてくる日だった。「これ、ミルちゃんに…」と持ってくるのは手作り“風”チョコである。そんなキャラクターだったかなぁと訝しむまでもなく、これは「トモチョコ」とかいう友達同士で交換するやつなんだそうである。
何をやってるんだかと思うのは、別段私がバレンタインデーというイベントのシステムを肯定しているからではなく、何もわざわざ自ら新たな虚礼を作ることもなかろうにという意味合いである。まあ本人達が楽しければ良いのだが。
このところろくに酒も呑めない私は、コーヒー呑んで菓子食ってばかりいる。太るね、確実に。その割には実はそれ程関心や探求心がある訳でもない。得意先は今風の人気店をテナントで集める商業施設だったりするのだが、菓子屋の情報は専ら妻と部下の話の聞きかじりである。それでも、ある意味半分仕事くらいのつもりで高級菓子を買うことはそれなりにある。人にあげる物を買うだけでも違う。
部下の仕事が立て込んでいる時期に、「一休みの時にでも」と得意先のテナントでチョコでも買って行くかと見て回った。しかし以前から買ってみたいと思っていた店の商品は、最小単位で1,500円以上。軽い激励で部下に贈る様な価格ではない。違う店の、イタリア製でパッケージも価格も可愛いやつにした。
ところがそのチョコを机に置いて暫くするとH嬢がニヤニヤしながら包み紙を拡げて持ってきた。
「ある意味ちょっとセクハラかも〜」
そこには英語と伊語で“抱きしめて”という様なことが書いてあった。そういうシリーズであることは後で分かった。表書きに欲しかったねこれは。
最近はモルトウイスキーを飲りながらチョコを囓ったりするのだが、肝心の主役が休場中である。最近ノンアルコールビールを何本も空けて「実は炭酸水でも良いんじゃないの?」と妻に言われる始末だが、もう何だったらノンアルコールモルトウイスキーでも買ってきてくれ。
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'10.2.12 日記 |
眠り
'10.2.7 随筆 |
不便な1週間と鎖骨固定帯
'10.1.29 随筆 |
大人だったら電気羊の夢を見るか?
「眠っている時に、子供には沢山出て、大人には少ししか出ないものがあります。さて何でしょう?」という問いが、娘の小学校の保健だよりに載っていた。
正解は「成長ホルモン」なのだが、「わかった、夢だ!!」と答えた子供がいたそうだ。「正解ではありませんが正解と言ってしまいそうでした」と書かれていた。
その気持ちには同意するが、勿論大人だって寝ている間にはそれなりに夢を見る。夢に対する感受性が低くなっていると言えば言えるが、それは見ている分量とは関係がない。サンプルが多い分、類型化されることによって意識に占めるウエイトが低くなるということは言えるだろう。ともあれ子供からすればあまり見ていない様に思えるのだろうな。
大人は自分の見た夢の話をしたりしないから。と書いてから、このところ身の回りでは自分の見た夢の話を書いている知人が数人いたことを思い出す。twitter効果だろうか。
そういえば、今まで自分の見た夢について本欄で書いたことがあっただろうか。例によって記憶にはないので外部記憶装置(サイトのサーバだが)にアクセスしてみる。自分の記録をgoogle検索か。
結果は自分自身驚くもので、見た夢の内容に言及している記述は、なんと3つだけだった。十余年4、5日毎に書き続けていて3つ。しかも本欄記事の規定文字数800字まるまる使って書いているのは1回だけだった。
これでは「大人だって夢を見る」と私が書いても説得力がない。
実際には見ているのだが、夢というのは書き留めでもしておかなければなぜだかすぐに忘れてしまう。何かのカウンセリングを受けている訳でもなし、いちいちそんなことをしてはいられない。
それに実のところ、基本的には夢の内容なぞ人様に伝えるようなものではないと考えているし、また、それを面白く書く自信もないのである。
「人に言えない夢ばかり見てるんでしょう」って? だから、それは人に言えない。 |
'10.1.16 随筆 bicycle |
自転車…61/98
知り合いが自ブログに掛かってくる検索ワードを“気にしている”体のつぶやきをよく見掛ける。実は私も気にしている。というか、アクセス解析の検索ワードを見るのは結構楽しい。
1週間で98種あった検索ワードのジャンル分けは以下の通り。
自転車…61 銃器…10 Mac…4 その他…23
この数値からもすっかり自転車ブログとなっていることがわかるが(そうか?)、「ストライダの偽物」について調べている方が13件もあった。買ってもいない自転車の話なので何の参考にもならないだろう。申し訳ない。謝ることではないか。
次に多いのが「ダホン ボードウォーク」関係で8件。完全に改造記事を求めての検索もコンスタントにあり、ボードウォーク改造情報の需要は高いらしい。まあ数回書いているわけだが参考になっているのだろうか。固定ステムのダホンは、とにかく乗りにくいということなのかも知れない。
そういえば後ろ向きステムはありだろうかという質問を某SNSで投げたことがあったが、先日ふと気付いたのだがパチダホンことチャンピーiがそもそもそういう位置関係になっていた。答えは身近にあり、またしても灯台もと暗しか。
「レオパード」は7件。意外に多い。フレンド商会人気高いのか? 私が書いているのは25年前のモデルについてだが、レオパード自体は同じブランド名の仕様違いで今も作られているオーダー車である。
自転車以外のワードを眺めてみると…特定の酒場の名前が5件(笑)。なぜだか上位になりやすいのだ。別に宣伝にはならないだろうが、とりあえず悪いことは書いていない店ばかりなので良しとしよう。まあ嫌いな店のことはそもそも書かないけど。
他には「カラスの子供」とか「コロッケそば」なんて間の抜けた様なものや「中学生 レギンス 画像」などというなんともしょうもないものもあった。お役に立てず、すみません(だから謝ることでは…)。
通して記事を読まれる方は、ブログではない方が通し読みしやすいかも。
本欄をまとめたコンテンツが別にあるのでそちらをどうぞ。
「ダホン ボードウォーク」:アーカイブ「公文書」>自転車>'09.1〜4 …4/5の記事で納車
「レオパード」:アーカイブ「公文書」>自転車>'09.9〜12 …9/22の記事から登場 |
 今週の読書 平安寿子「あなたにもできる悪いこと」講談社文庫
これ原作でTVドラマって丁度良いな。頭の中でキャスティング遊びをする。問題は、主人公のインチキセールスマン檜垣を詐欺師に仕立てた女、里奈。「愛嬌のない食えない不細工」というのは難しいか。でもここが美女では決まらないんだよなと思うが、いやそういう芸能人は意外にいるものだろう。私が知らないだけで。 |
'10.1.16 随筆 |
コース料理
'10.1.6 随筆 |
カラスと、子供達の朝
新年早々カラスに襲われた。
調整中の自転車で近所を走り、もう少しで家に帰り着こうかという所で、後頭部に何かがぶつかって来た。こちらは自転車で走っているのだし、誰かが後ろから叩いてくるということも考えられないなどと思っていると、すぐに頭上で羽ばたく音がして前方にカラスが舞った。
思わず「なんだコラッ」と怒鳴ってしまったがカラスには通じない。しかし、視界にいる内は睨み続けた。向こうも、わざわざ近い軒を3ヶ所ほど渡りながらこちらをチラチラ見ていた。「ざまぁ」と思っているのか「しまった。獲物違いだ」と思っているのか、カラスの表情は読めない。
こちらからカラスにちょっかいを出したことなど記憶にないが、尻のポケットに差したスパナが光って惹かれたか。あるいは年末年始のゴミ収集の休みで腹を空かして気が立っていたか。まさか前日に収集場所のゴミ箱を、カラスに悪戯されない様に私が補修したのを逆恨みでもしたか。
そんなことがあったので、翌朝学童に登所するため家を出た下の娘がいつもの様に「カラス怖い」と言うのにも「もう1年生なんだから」とは返せず、結局クラブ室まで送り届ける事にした。
ところでその後、出勤途中の山手線に乗っている時のことだが、池袋辺りで座れたので書き物をしていると、1m程先に小さな男の子が立った。1年生くらいである。これから銀座に買い物でも行きそうな格好の母親に手を引かれ目白で降りる制服の子供達とは明らかに異なり、普段着に今にも泣きそうな顔で首からは携帯電話をぶら下げている。暫く見ていても周りは全くの無反応。思わず声を掛け、座らせて、降りる駅を訊いた。果たして日暮里で降りると言ったのにアナウンスに全く気がつかない。「次、日暮里だよ。降りるんじゃないの?」と声を掛けるとか細い声で「うん…」と言って降りていった。
何か変な感じの朝だった。 |
 今週の読書 村上春樹「もし僕らの言葉がウイスキーであったなら」新潮文庫
そう言えばこの本は読んでいなかったので。その上、年末読み終えていたのに本欄に書き忘れていた。影響されて1週間ほどアイラ系を呑んでみたりもしたが、やっぱり自分はスペイサイドが良いや。
 今週の読書 藤原智美「暴走老人!」文春文庫
芥川賞作家のノンフィクションというのが意外だったが、私が知らなかっただけで著作としてはそちらの方が多い。若年者の凶悪犯罪は実はいつの時代にもあるが、ゴミ屋敷やキレやすい老人などに見られる「新老人」こそが現代社会に拡がる問題であることを指摘している。
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'10.1.3 日記 |
明けました。