随筆/日記
公文書

'09.12.19  随筆 

酒場で挨拶

 馴染みの酒場のドアを開ける。カウンターには2人ほどの先客がおり、こちらをちらと振り返る。暗めの店内にバックバーの方から照らされた逆光では顔は見えず、顔見知りであってもなくても差し支えがない程度の会釈を返すのが常である。夜の街では大抵の物は詳細をそうはっきりとは見る必要がない。いつも色付き眼鏡を掛けているのはそういうことでもある。

 店内奥の方のカウンター端が私の定位置だが、ちょうどそこは空いている。向かい始めると、端から1つ開けて座っていた女性客が、端の席から自分の荷物を移すのが見えて、始めて知り合いだと判ったりする。有り難いことだが、そこが私の定席というのが皆に通じていたりして、少しこそばゆい感じを覚える。

 K嬢。中背細身の美女だが、元体育会系の編集者。そうは見えない。

 「久しぶり」と言うと、よく動く唇をへの字にして「えー」と言い、カウンターの中から店主が助け船でも出すかの様に「今週、いらしてますよ」と言う。

「もぅ、私のことばかり考えてないでください」。

 私は彼女のこういう物言いが好きではあるが、その時は一瞬、意味が分からなかった。要するに、会っていない時間を待ち遠しく過ごす程好きなんじゃないのという意味の冗談である。胸に手を当てようと右手を上げたら、オーダーと思われたか店主が顔を向けるので「フィディックで」と言う。

 「久しぶり」というのもまた、先の会釈の様な当たり障りのない挨拶である。まあそもそも私は万事忘れっぽいのではあるが。

 それもあって、相手が完全に知っている相手でない限り、挨拶には一拍置く。酒場での挨拶は最小限に留めよと山口瞳も書いている。

 たまに大分呑んで調子が上がっている時は陽気に挨拶なぞしてしまい、相手の微妙に困った様な表情に、実は知り合いではなかったかと焦ることがあったりもする。


読書 藤沢周「奇跡のようなこと」幻冬舎文庫

本当に久しぶりの藤沢周。文庫化の遅い人だっや。作品としては2000年と古く、『ダローガ』『箱崎ジャンクション』(共に2003)よりも前。主人公は新潟・内野の高校生なので自伝的小説だろうかと思いつつ、敢えて調べず読む。ギター、柔道、喧嘩、女。ソリッドに生きているかが気になるが、何かに囚われてしまいがちな17の高校生にとってのソリッドは、童貞を失う事ほどに意味があるのか。“ハート”ねぇ。

 


'09.12.8  随筆 

問題はそこか。

 苛々している時は人に話し掛けない。努めてそれが人に伝わらない様にする。でないとこちらにも返ってくるからである。

 従って、例えば電車内でイヤホンの音漏れを注意する場合でも、イラっときてとかカッとして注意するのは良くない。そういう時は我慢して黙っている。

 と、まあ、そんなだったら理想的だなぁ。

 実際は腹が立つから注意をする訳で。腹が立つのは、これは何度か書いている気もするが音量の大きさとは実は全然関係がない。自分の事情を無神経に持ち込める程に周りの人間を軽んじているという意思表明と同じ行為だから、腹が立つのである。

 見たところ新入社員の男性。濃紺の2釦スーツに(今、私好みの3釦は流行らないらしい)いかにもフレッシュな色合いのレジメンタルタイを締めたのが隣に立っている。そんな詳細をなぜ知るかと言えば、それはステレオイヤホンから漏れる音を訝しく思いそちらを見たからである。

 それでも一駅は待とう。真横に立った人間(それも同性)が耳の辺りを一瞥したのだから、薄らとくらい気が付いて、さりげなく音量を下げるとしたらそれは待ってやっても良いだろう。

 ところが一向に鞄だかポケットだかに入っているであろう本体に手を伸ばす風でない。

 仕方がないのでほぼ向き合う様な角度で顔を覗き込み(つまり彼は満員列車で前を詰めずに立ってもいる訳だ)、こちらが自分の耳を指すと、驚いて片耳のイヤホンを抜いた。これで私はかなり冷静になれた気がする。怪訝な表情でも見せようものなら臨戦態勢だ。

「凄く音が漏れていますよ」

「あッ、すみません」

 慌てて音量を落とし、再度「すみませんでした」と言ってイヤホンを着け直した。

 周りに対する姿勢の表れ方が問題なのであって、無頓着であれ悪意からであれそこを直すのであれば文句はない。

 まあ、相変わらず音は漏れているのだが。

 もう少し上等なイヤホンを買いなよとまで言ったらお節介になる。


'09.12.4  随筆 

ウイスキーとナッツ

 このところ続けてウイスキー用のナッツを買って帰っている。「なんか羽振りが良いね」と妻から言われたので余程なのか。ボーナスはまだだし、羽振りが良いなら銀座松屋辺りで買ってくるが、仕入は信濃屋である。

 居間にはナッツを入れる缶が置いてあるが、指を突っ込んで良く分からないナッツに当たるのが厭で、マカダミアとカシューナッツで埋め尽くすのである。カロリー高そうと家人は言うが、そんなの気にして酒なんぞ呑まんよ。

 でも確かに高そう。カシューナッツなんか爪楊枝をゆっくり刺していくと油が滲み出てくるし、そのままライターで炙ると火が点いて燃える位である(何やってるんだか)。

 もっとも、外で呑むときは専ら空酒で、乾き物すらあまり摂らない。学生の頃は「ワンドリンクワンフードでお願いします」だなんてよく言われたが、今そういう店ははやらないのか、行ってる店が違うのか。「食うくらいならその分呑む」と言って断られたことがあった。料理人保護のためかと文句の一つも言いたかったし、大体私は呑むと言ったら呑むのである。1杯をだらだら呑んだりはしないのだが。

 ところで最近信濃屋が並行輸入のグレンフィディックを扱っておりBBLで呑むのもそれなのだが、容量だけでなく度数もやや増しという、何やらお徳用みたいなフィディックなのである。家用につい買ってしまう。

 問題は、そうすると同じ物を店で呑むというのも何やら気が進まなくなるということにある。何を頼んだものやら悩んでしまうということにある。

 リベット、モーレンジ、CC、う〜ん、ジェムソン。近い物はやめよう、近い物は。何か利き酒をしている様な気になって気が散る。

 一番の問題は、そんなことをしていると会計で驚くことになることにある。素直にズブロッカにしておけばよいのに。

 良い加減になって帰ると、件の缶に母がスーパーで買ったミックスナッツを足していた。おいおい勘弁してくれよ。


左が並行品。価格は大差はなく、容量当たりでは格安。度数換算だともっと格安、とか書くと意地汚い(苦笑)。
瓶の色が違うのは、正規品の方は既に空だからである。

ウイスキーにはチョコも合う様だが、これは「メサージュ・ド・ローズ」のシーズン限定品。ここの薔薇の花型チョコは、風味の異なる3〜5層のカップ状に分かれる作りが目新しい。H嬢に教えて貰い、これは結婚記念日の贈り物用に買った。値段もそういう値段です。


'09.11.19  随筆 

レギンス女子

 レギンスが流行している。TVでそう言っていたとかではなくて、街中を行く女性を見れば流行っているのは誰にでも分かる程である。別に私が女性の脚ばかり眺めている訳ではない。それどころか小5の娘すら現に履いている。

 いやあれは「スパッツ」か。もっともそれは呼称の問題で、「スパッツ」と「レギンス」はモノとしては同一であるが、お洒落なタイプに対して最近「レギンス」を別称として用いて差別化を図っているということらしい。

 ちなみに「タイツ」と違うのは、形状が足首から先が出ている点で、これに土踏まずに掛かるストラップ状の部分が付けば「トレンカ」と言うそうだ。「トレンカ」なんか完全にスポーツジャージのボトムスだけどなぁ。

 ところでこれ、素材や質感は異なるが、足首から上の見た目はストッキングと大差ない。しかし履く方は完全にアウターウェア扱いの人もいて、とんでもなく短いスカートと合わせていることがあり、こちらが驚いてしまうことがある。

 また、素材の強度としてはさして耐久性のある物でもないようで、実のところ摩れて透けている場合が少なからずある。たまには鏡でご自分の後ろ姿を確認されることをお薦めする。お節介だがセクシーではなくみっともないので、せっかくお洒落で履いていても勿体ない。

 自分自身には関係ないと思っていたが、いや待てよ、自転車用の「レーパン」があった。で、よくよく点検すると尻は問題ないが股間の生地が薄くなりつつあった。そうか、スポーツウェアの方が消耗激しいものなぁ。気を付けないと。

 ちなみに“我々”にとって「レギンス」と言えば右の画像のような物である。どんな我々かと言うと、ミリタリーマニアである。元より語源はゲートル等の脛当て・脚絆の類で間違いないそうで、それがなぜ今さら女性用お洒落アイテムの名称に用いられるのかが不思議と言えば不思議である。


長さによる呼称の違い
A タイツ/パンティストッキング
B ニーハイソックス/ストッキング
C スパッツorレギンス
D トレンカ
わざわざ自分でイラストを起こしているという物好きぶり。


レギンスと言えばこれなのだが…。それにしてもなぜ汚れたままなんだ?

'09.11.11  随筆 

はっきりしない

 ホームに上がると列車が止まっていた。と言っても暫く止まっていた感じで、ああ、また遅れているのかとうんざりした気分になる。しかし他に選択肢もないので取り敢えず乗ると、乗客は皆おかしな位置に立っており、従って私は「すみません」らしき言葉を発しながら奥に入っていった。

 「停車位置確認のため12分遅れ」というのは何だか全く意味が分からない。「ご案内」は車椅子の誘導だし、「線路に降りたお客様の救助」は遺体の回収だが、停車位置云々とは何の隠語だろうか。聞いたことがない。

 いずれにしてもうんざりする程混むことは明白なのだが、窓に映る車内の状態には意外とまだまだ余裕があった。

 突然目の前の客がぶつかってきた。何の前触れもなかったので、まさか降りようとしているなんて気づきゃしない。舌打ちは間に合ったが無神経に車内の客を押し分けて降りていく奴の背中には何の効力もない。自分に対する言い訳の様な舌打ちほど間の悪いものもない。

 まあ目の前が空いたことだし、ここに座るくらいの代償はあっても良いだろうと思ったが、すぐ隣に歳のよく分からない女性が立っていたので念のため「座ります?」と声を掛けるも全く無反応。仕方ないので自分が座って女を見上げると、その中年女の鬱陶しいボリュームのある髪の間からはヘッドホンのコードが伸びており、目は窓上広告に向いていた。

 座る時に無意識に口の中で「(聞いて)ねぇのかよ」と言ったらしく、隣の若い女が僅かに身体を引いたのもまた気に食わない。

 早く降りてどこかの酒場に飛び込んでビールを煽りたい気分で一杯になる。まだ動き出してもいないのに。

 車内放送では原因説明がはっきりしない。やっと着いた新宿駅のインフォメーションで「こちらで分かるなら教えていただきたいが」と訊くと、ちゃんと把握していた。ホームの異音で停止し、その原因を調べたのだそうだ。

 …やはりはっきりしない。

これは随筆で、あれは小説な訳(笑)。


'09.11.8  随筆 

つぶやき

 これは良いなと思う本を読んでいると、あっという間に読み終えるか、なかなか読み進まないかのどちらかになる。

 後者の意味は伝わりにくいだろうか。読んでいる内に何かを書きたくなって、しばしば読書が中断してしまうのだ。別段その人の文体や書いている内容に引きずられる訳でもなく、ただ、読んでいると何か書くことを思い付いてしまう。

 今読んでいる本が後者なのか、あるいは単に空き時間が多いのか。どうもこのところ本欄の文章がストック気味になっている(だから時系列としては実はバラバラ)。毎日更新しても読んで貰えないだろうし、何か勿体ない気がして最低1日は間を開ける。貧乏性なのか?

 あと、同じジャンルがなるべく続かない様にしているが、2日の自転車ジャンル更新で記事中リンクを張った方々の所に事後報告を書き込んでおり、こちらを参照いただいた際あまりに違う話では恐縮なので、自転車以外は当たり障りのない話題にしようかと考えた。もっとも4日の記事は当たり障りがあったようだが(苦笑)。そうでもないのか。

 そんな中で始めたtwitter。元々私は否定的だったのだが、参加してみると昔のチャットを思い出して、ああいう感覚ならこれもありかなと思ってみたりしている。このところ「連絡所」(当サイトのBBS)もすっかり寂れてしまったのでこういう刺激もあった方が良いかもしれない。ただ、システムが結局は外人さんというところが、どうも…。

 ちなみに何がきっかけだったかというと、レギュラー仕事でお付き合いのあるライターさんとのメールで「Twitterやってますか?」と訊かれた事だった。5年以上のお付き合いだが直にお会いしたのは2度だけ。NY在住で、隔月の情報誌に現地レポをお願いしている。物書きが本業だけにブログはやらないそうだ。

 ちなみに生活時間帯がすれ違うからか、互いにつぶやきも噛み合っていない模様である(苦笑)。


'09.11.4  随筆 

質問

 「私は何を書けば良いんでしょうか?」という様な質問だったと思う。

 何せ随分昔の話で、テレビでチラとだけ見たことだから、回答したのが誰だったか全く覚えていない。その時売れていた女流漫画家をゲストに迎えたNHKの子供番組で、ありがちな質問コーナーの中での会場にいた少女からの質問だった。自分は漫画を描きたいのだけれど話が思い浮かばない、という説明の後の質問だった。

 漫画家は微笑み、しかしそれはにこやかなのではなく苦笑混じりの、でもそれが子供には伝わらないように抑えたそういう微妙な苦笑で、答えた。

 「それについては私も毎日悩んでいます。漫画家になったら本当に悩まなければならないから、今は悩まないで自由に描けば良いと思うわ」

 模範解答である。しかも子供の質問には何も答えていない。さすがだ。「描きたいことがないのなら描かなくたって良いのに」と私は勝手に置き換えて聞いていた。

 ある日立ち寄った書店にて。棚には「ブログの作り方」の類の本が並んでおり、私は専らSEO対策だの何だのの情報に興味を持って手に取ったのだが(しかし買う程の興味でなく)、何の気無しに手に取った本は主に内容を指南するものだった。

 曰くニュース記事を引っ張って付けるコメントの書き方や、アフィリエイトの商品に上手く繋がる文章の書き方だとか、そんな話が並んでいた。作るならそこに気をつけて記事を書いた方が確かに良いだろう。でも「良い」って「何に」良いんだろうか。

 「仕事でやるのなら本当に悩まなければならないから、今は悩まないで自由に書けば良いと思う」。問われてもいないし有名人でもないのに、微妙な微笑みで私は心中そうつぶやくのである。

 誤解無きよう書いておくが人様のブログ批判ではない。自分に対する戒めである。私は人が読みたいと思うような文章を書けているだろうか。

 本欄の話だけではなく、その様に考えることは多いのだが、さて。

そんな本文を上げるタイミングでtwitter参戦。機能もルールも模索中(苦笑)。しかし、電車内でタイムライン読んでると本読む時間がなくなり、電車通勤の意味がない。アカウントは@sendanrin


'09.10.30  随筆 

葬式

 先日、柏のおじさんが亡くなった。

 慣例で「おじさん」と言ってはいるが、おじ(伯父/叔父)に当たる人は私にはいない。母は「お兄さん」と称しているが同様である。正確には父方の祖母の甥であるから、何と呼べば良いのか。

 祖父は9人兄弟なのに全ての親族が死に絶えており、そして父は一人っ子である。祖母の兄の子がそのおじさんだが、いまだ付き合いのある(というか生存している)父方の親族はその兄弟だけなのである。

 斎場はおじさんの自宅近くだったが、柏は意外に近かった。物心付いてから訪れた記憶はない。通夜から泊まりで手伝いに入っていた母が帰路疲れているだろうとクルマを出したが、1時間少々で着いた。

 とにかく参列者の年齢が高い葬儀だった。私より下なのはおじさんの孫である2人の大学生だけで、私がかつて姉の様に接していた祖母の姪の長女(多分10歳程上)以外はおしなべて60代以上である。おばさん達には「仕事もあるのにお疲れ様」と言われたが、私はこんな機会でしか顔を出せないことを詫びた。

 柏のおじさんと言うと、よく覚えているのは祖父母の馴れ初めの話だ。祖父の葬儀の時にその話を聞いた。おじさんの父(祖母の兄)は祖父の上司で、上司から持ちかけられた縁談だったそうだ。

 その事を話そうかと思っていたが、遠い焼き場には同行しないため私にゆっくり話す時間はなく、結局帰路の車中で母に話した。母は、お兄さんはその話をお父さん(私の父)にしたかったんじゃないかしらねと言う。祖父の亡くなる2年前に父は亡くなっていた。おじさんは父と歳も近く、一人っ子の父にとっては兄の様な存在だったらしい。

 そうだな。私が聞くより父が聞くべき話だったろう、とハンドルを握りながら思った。

 馴れ初め話は少し面白い話なのだが、ここに書くのが適当か迷い、紙面も足りないのでまたの機会でもあれば。

調べたところ、柏のおじさんは「従伯父(じゅうはくふ)」となるそうだ。何だかわからんな。


'09.10.21  随筆 

冗談

 「お仕事は何をされているんですか?」と訊かれたので、「見たままですよ。区役所の出納係です」と答えた。

 彼は何かとても困惑した表情となり、一瞬私の後ろにいる店長の方に視線を振る。ちらと彼女を見てみると、これも軽く引き痙った様な笑みを浮かべている。

 どうやら私はとてもつまらない冗談を口にしてしまったらしかった。

 本当のことを言うとほっとした表情になり、それなら実は自分も近い業種ですよという話になった。いつも自分で書いているじゃないか。「酒場で偶然隣り合わせた奴の冗談に付き合うほどつまらないものはない」って。そのまんまやってしまった。やれやれ。

 かように私にも酒場の失敗談は山とある。大概は読んでもつまらない物なので書かないだけだ。逆に言えば、人に話して楽しくなる様な失敗というのがなかなかできない。

 語り草で誰にでも話せる愉快な失敗をする人とそうでない人との間には、何か決定的な違いの様なものがあると思う。その意味に於いて、私はなんとつまらない男であることかと、常々思っている。

 MTB乗りの知り合いが、MTBに向いているかどうかは「転んで笑えるかどうかだよ」と言っていたが、確かに私はMTB向きではないかも知れない。落車したらまず舌打ちだろうしな。例えばそういう違いだろう。

 私が呑んで冒す失敗というのは、大概が人に話したところでしょうがない様な、いわば起承転結のない思い付きの例え話の様だという気がする。家人によれば、まあ実際にそういう話をすることがままあるそうだ。それに最近は寝てしまうことがあり、それでは本当に起承転結がない。しかし前者については外で指摘されたことはないのだが、外だから誰も口にしないのではないかと言われる。どうですか皆さん、私はそんな話ばかりしていますか。

 例えば春の熊と抱き合って坂を転げる様な話なら心和む気もする。分かりにくいつまらない冗談だって? 私もそう思う。


読書 石田衣良他著「オトナの片思い」ハルキ文庫

石田衣良・栗田有起・伊藤たかみ・山田あかね・三崎亜記・大島真寿美・大崎知仁・橋本紡・井上荒野・佐藤正午・角田光代の11人によるアンソロジー。半分が読んだことのある作家なので買ってみた。上手いけど趣味じゃないとか、趣味だけどイマイチだとか、いろいろ。1作と言ったら井上荒野「他人の島」かな。石田「フィンガーボウル」は嘘臭い。角田「わか葉の恋」は、ちょっと暫くいいや。それはともかく、恋をすると同棲するもんなの? 私にはわかんないや。したことないんで。


過日、立て続けに2人から「出口、らしきもの」についてのコメントを戴いた。そういえば記録兼自己紹介と言っても20年も前に描いた漫画を載せたままにするのもなんだなと思って削った。
と、twitterの様に欄外に書いてみたり。[はみだし栴檀林]とかタイトル付けるか。<歳ばれますヨ

'09.10.15  随筆 

つい、声を掛けて

 珍しく仕事仲間と、得意先近くでの打ち合わせの後にカウンターバーで軽く呑んだ時のこと。

 店を出ると、いきなり前の会社の人間に出会した。もう5年以上前に勤めていた会社であるが、後ろ足で砂掛けて辞めたという経緯もあり、あまり良い感じはせず。いやそれは相手が、か。まあ大きい会社なので皆にそう捉えられているかどうかもわからない。後ろ足でだなんて思っているのは実は私の方だけで、後で向こうからの妨害や反撃がなかったところからしてどうでも良かったのかも知れない。しかしその時持ってきた得意先には今の会社では今もそれなり食わせて貰っているのだからわからないものだ。

 気にしている様に書いているがどうでも良いんだけどね、本当は。広告屋というのは、人に心底憎まれたり恨まれたりする類の商売ではないから、多少のことはどうでも良い。ましてや人様の命を預かるわけでなし、そういう意味では気楽な商売だ。それでいてこれ以外あり得ないから私はこの仕事をやっているのだけれど。

 それにしてもあれだな、私の記憶はちょっと問題ありかもしれない。向うは開口一番「あっ、Sさん!」と言っていたのに(さん付けとは人格者だなお前ら)、私はこれを書き始めた今に至っても2人の名前を思い出せない。いや、自分との関係と顔は覚えていたのだが、名前がな。やっぱりどうでも良いらしい。

 過日に読んでいた本で、作中昔付き合っていた相手のことを思い出せないという男が出てきたが、小説などでは良くある話だがそんなものだろうか。しかしよくよく考えると…いや、詳細は省きます。すみません。

 街中で顔見知りを見掛けると、私はうっかり声を掛けてしまうことが多い。人懐っこい性格ではないんだが(誰も思ってないか)。声を掛けてから「あッ、全然親しくない人だった」なんて思い出したりすることもある。

 いずれにしても大概、名前は思い出さないんだが。やれやれ。


'09.10.7  随筆 

月に5本
 久しぶりにbar BRAKEへ立ち寄る。パスケースにチケットが残っていた。

 ご無沙汰だったのは、このところ直帰や歯医者通いが続いたので適当な時間に神田にいなかったからだが、要するに暇な時期にはあまりあちこち呑みに行かないのだ。最近酒場で私と会った皆さんは何か幻でも見たのでしょう。

 例によってカウンターの奥の方で呑んでいると、他の客が冗談交じりに自分の銘柄の煙草がないことを嘆いているのが聞こえた。そう言えばとストックのカゴを見ると「ダビドフ・ワン」と目が合う。気取って書いているのではなく、まさしく「目が合う」感じだった。

 カウンターに視線を戻そうとすると今度はS嬢と目が合う。

「あるんですよ(ニコリ)」
「日に5本だったのが、最近は月に5本だからなぁ」
「じゃあ止められるじゃないですか」

 喫煙者・非喫煙者に関わらず、煙草の本数が少ないのを聞くとなぜか皆一様に同じ事を言う。これが珈琲ならそうは言われない。セックスだったらどうか? それは寡聞にして聞かない。

 「嗜んでも嗜まなくても良い物」なら「嗜まなくて良い」のではなく「嗜んでも嗜まなくても良い」のだと言い出すと、まあ既に煙草の話をしている訳ではなくなっているのだが。

「選択肢があるというのが文化の豊かさだと思わんか?」

 と、もっともらしい台詞が浮かんだが、またしても漫画からの引用だったので口に出すのは止めた。本式に出汁を採った味噌汁もインスタントの味噌汁も選べるというのが、醸された文化の豊かさだと確かに思うよ。

 ズブロッカを頼んだら「大人の男はモルトを飲るもんだろ」と言われたらどうするか。灰皿投げつけるね。何を呑もうと勝手じゃねぇか。

 もっとも、文化を維持するには金子(きんす)が必要ということで。不惑を過ぎても学ぶことは多い。あるいは忘れているだけか。

 何の話だって? あまり酒場に行ってないって話だよ。

パスケースに入れておくと、なくしたり洗ったりしなくて済む。財布だとむしろなくす。

読書 吉田篤弘「つむじ風食堂の夜」ちくま文庫

流し読みして買う。文体などは割に好きなのだが、なんか「いつも着ている服よりルーズフィットな着心地がむしろ違和感」な感じ。新刊が出ていたので、もう1冊読んでみてもいいけど。う〜ん。何の書評にもなってないな。


'09.10.2  随筆 

取りあえず、にこやか。
 面識のない風俗嬢のブログに行き当たった。知り合いのリンクづてに辿り着いたのだが経緯は失念。

 彼女の口癖は「取りあえずやっとく?」だそうだ。言われてみたい気も…いや、取りあえず断るか。

 同じ取りあえずでも誰かに「取りあえず飲ってく?」と言われたら乗るだろうか? そもそも誰が私にそんなこと言うんだ。呑みたきゃ1人で呑みに行くさ。だからまあ、問い掛けではなく自分自身で「取りあえず寄ってく」はある。

 そんなことを考えながら歩いていたので、店に入るなり「取りあえず寄ってみた」と言ってしまう。とは言え実はあまり体調が芳しくない。だからこそ「取りあえず」だとも言える。「体調が芳しくないが、取りあえず寄ってみた」とか「財布の中身が心許ないが、取りあえず寄ってみた」とか。そんな感じである。それならそもそも酒場になぞ行かなければ良いのではあるが。

 「すぐ出るけど、取りあえず寄ってみた」というのもある。そういう時は店に鞄などを預けてG街とか、あるいはもっとアレなところとか行ったりする。いつも預かってくれてありがとう。誌面にて失礼ですが御礼申し上げます。鞄、重いし、PC入ってるし、持ってない方がキャッチに声掛けられにくいしね。酒場で鞄を預かるだなんてどれ程通ってるんだという話だが。

 ところでデフォルトが顰め面の私だが、盛り場ではそれはむしろ隙を見せている気がする。なので盛り場を歩く時は、とりあえず口角を上げる。キャッチに動線ブロックされてもにやにやして目を合わすだけで諦めてくれることが多いし、その方がスマートだろう。歌舞伎町某所の顔見知り諸兄も、そういえばにやにや顔が多い気もする。

 しかしそれでも、通常時はどうしても顰め面の私である。そもそも「にこやかな自分」というのはどうにもしっくりこない。だから終始にこやかな人に会うととても感心してしまう。

 私もビールを呑んでいる間はにこやかなんだが。
取りあえずカット的に某所前。

読書 井上荒野「学園のパーシモン」文春文庫

閉鎖的なミッション系共学校が舞台。園長先生の危篤話が怠惰なスパイラルを変化させる。“学園物”かと思えど、そこはちゃんと井上荒野だった。しかしこれは何かの例え話か? ラストシーンが映画的。


'09.9.26  随筆 

飲み合わせが悪い
 少し鼻詰まり気味になり、調子が悪いと思ったので早々に寝ることにした。卵酒が面倒だったので、ドリンク剤とウイスキー。あまり健康になれるイメージのない組み合わせだ。

 そのせいか、あまり良い感じではない夢を沢山見てしまい目が覚める。水を飲みに階下に降りると、深夜まで洗濯をしていた妻に変な酒の呑み方をするからだと咎められ、余計に目が冴えて結局呑み直した。

 うちの真向かいには、二十年ほど前に不動産屋が自分のために建てた家に次の持ち主が住んでいるが、その前はバラックの様な長屋が建っていた。なぜあんな建物が残っていたのか不思議なくらいである。しかも住んでいる人間がいた。確か三畳程の部屋が四部屋あり、奥の部屋に夫婦者が住んでいた。妻の方は心を病んでいた様で、夕方に叫び声が聞こえたりした記憶があるが、しかしそれはイメージでバイアスが掛かっている様な気もする。浮浪者然とした格好の夫の方はたまに見掛けたのだが、結局妻の方をこの目で見たことはなかった。それにしても、神経質な祖父がよくあんな環境でずっと住んでいたものだと思う。

 長屋の隣は白塗りの古い木造二階建てアパート。一階で“学習塾”が開かれていたが、この塾をやっていた男がブロックで作った二畳ほどの蓮池があり、この一帯の蚊はここから飛んでくるのだと思われていた。

 家の前は4m私道で、街道に出るまでの数百mの間に一軒、やはり古い木造アパートがあった。通りに面した一部屋は、家財はあるのにいつ見ても人の気配がなく、それが少し不気味だった。いま、駐車場になっている辺りだったろうか。記憶に定かではない。

 そのアパートで人が死んでいるのではないかと、近所のおばさんに話し掛けられるというのが、覚えている今回の夢の断片である。たかが夢の話を書くのに状況説明が長い。そのくせストーリー自体は何ということもなく、何もなく終わる話だった。

 それだけに、どうにも不快な余韻が残った。


床にグラスを置いて酒を呑まない様に、とよく注意される。
自分の記憶を航空写真で検証してみた。右の最新(と言っても多分3年前)はgoogleから。古い物('84年)は国交省の「国土情報ウェブマッピングシステム」から。同システムの次の記録('89年)では長屋とアパートはなくなっていた。白線の囲みが小隊司令部敷地。よく見たらこの一角、全部建て替えか増改築されている。25年も前だから当たり前か。