随筆/日記
公文書

'06.4.23  随筆

書いた物を見せる

 ブログ流行りの昨今であるが、結局は「知り合い相手の日記公開」となってしまうので書きにくいという話をよく聞く。バーのマスターでも文学部出身の才女でも悩みは同じ様であるが、つまりは「実の自分の、実の日記」を公開しているからなのだろう。実際私がブログ自体を怪訝に思っているのはそこのところで、我が身を切り売りする対価がウエブ上にあるとも思えない。

 以前も紹介したが随筆の巨匠・内田百けんが「蜻蛉玉」で書いている。「私というのは文章上の私であって現実の私ではない」。表現者というのはそういうものだろうし、自分も表現者たらんと思うのでそれに倣っている。まあ要するに嘘つきな訳だが、嘘とてそれなりのやり方を心得ていなければ表現として成り立たない。もっとも成り立っているかどうかは読む方の判断に任すしかない。

 そういう前振りで良いのかどうか分からないが、3.24付けの本欄で触れた書き下ろしの短編を公開したので興味のある方はどうぞ。例によって"大人向けのすかした恋愛物"なので当サイトの趣味の話がらみをご期待の方にはお応えできないのでご了承を。また原稿用紙約10枚分はwebで読むのにはちょっと長いかも知れない。

 本欄の記事で書いた通りこの短編は元々仕事がらみで書いたもので、社内含め概ね公の関係の相手に知られる種類の物である。自分ははなから物書きだという位のつもりで書いているから相手がどう思おうと構わないのだが、見る方にしてみれば違和感位はあるかも知れない。珍しくプリントで人に見せたりもした。

 そのプリントを机上に置きっ放しにしていて妻に読まれたらしく、「女を待って呑んでる話なんか書いて」と罵られた気がするのだが、その時は半分寝ていたので幸か不幸かほとんど覚えていない。あるいは夢だったのかも知れない。

 そのうち応募先の企業サイトで公開されるらしいが、本稿は応募した物に加筆してありタイトルも異なる。

 それから一月後、私はその駅ビルで一人で呑んでいる。たまたま品川での打ち合わせでその日の仕事が終了して、あの時の話を思い出したからだ。結局その後“今度”なんぞは訪れず、彼女からの連絡がある訳でもない。

 しかしどうしたものだろうか。いい歳の大人が、来るあてのないオンナを待つ様にしながらぐたぐだ呑んでいる。ちっともスタイリッシュではないのだ。しかし、この感覚の懐かしさは悪くない感じだ。

「行儀良く」より

■応募規定など
 「私と(施設名)とNY」という3つのキーワードを盛り込んだエッセイ・小説。4,000字以内。募集から締め切りまで約3週間。この施設のコンセプトにはNY風を踏襲することの他に、インナー向けに「男・女・酒・ジャズ」というものがあり、本作はそこのところを強調して書いた。そういう意味では関係者だと自ら言っている様なものである。

 で、件の作品は賞品を獲得した様である。私としては当然のことだが。勿論受け取れないので妹に進呈する次第。某高級ホテルのペア宿泊券。但し平日泊のみ。どっちにしても使えん。


読書 井上荒野「ユルイコイ」 光文社文庫

'06.4.18  随筆

あくび

 日に日に暖かくなり、春を実感する毎日である。しかし「春眠暁を覚えず」ではないが、気を抜いているとうっかりあくびをしそうになる。さすがに大口開けてということはないのだが、これが意外に街中でそういう人を見掛け驚くことが多い。人前で大口を開けているのはみっともないことではないのかしらん。

 特に不用意な大あくびを見掛けるのは年齢問わず圧倒的に女性という気がする。それだけ私が女性ばかりを見て歩いているということなのじゃないかという突っ込みもあろうが(熟年でもか?)、それはさておきこういう場面で読者諸兄はどうされているだろうか?

 その手の女性の大あくびには、私はなぜか真っ正面で出会して目が合ってしまうということが多い。そういう時は、目の合ったすまし顔のまま閉じた自分の口に手を当ててみる。それを見てはっとして恥ずかしそうに横を向くのがまともな反応と思うのだが、意外や多いのは顔を顰めてそっぽを向く女性である。しかもあくびをしたままなんである。何見てんのよ、てな感じだ。厭な女だネ。

 こういうのは電車内で堂々と化粧をしていたりする手合いだ。化粧でもあくびでも、公共の場にいきなり自分勝手に自分の日常をドスンと持ち込める神経はどうかしているとしか思えない。「出物腫れ物」の類なら恥ずかしそうにしていれば良い。勿論化粧が不可抗力のわけがないが。

 ところで中には目が合うと、はっと口をつぐむとすぐに顎を引いて体制を立て直し、口角をにやりと上げて上目遣いで睨み返してくるのがいる。こういうのは何とも上手の大人の女という感じがする。全くやられたという感じだ。そういう場合はボクなんかはさすがに目を逸らしてしまいます。ごめんなさい。

 今回は何やら締まらないオチで失礼。

'06.4.14  随筆

メイド喫茶

 馴染みのMODで呑んでいると、バーテンのI君によく「今日はメイド喫茶ですか」などと言われたりする。全く失礼な話だが、これも私が"オタクおじさん"然としておらず身綺麗でぱりっとした紳士であるそのギャップが面白いからこその発言であろうと解釈し、笑って聞き流している。

 要するに以前、行きつけのバーがメイドバーになってしまったのを面白がってあちこちで話した弊害である。それでもまだ知り合いのやっている、それもバーだから行ったのであって、そもそも喫茶店なぞはメイドだろうが何だろうがわざわざ行く場所でもあるまい。私にとっては、アポイントの時間がずれた得意先を待つ時間を潰すために入り、オープンテラスの目立つところでわざわざiBookを開いて書き物をしたり、それに飽きると道行く女性の脚でも眺めるために入る場所である。

 なんだ、それでメイドの脚も見ているのでしょうと聞こえてきそうだが、あれはそもそも脚なぞ出しているのか? 実は行ったことはないので知らない。

 ところで、役がかって傅く(かしずく)店員やその成りを面白がって世間は取り上げるが、勘違いをしてはいけない。あそこはゲームや漫画の話をするために行く場所である。趣味の社交場であり、そのための舞台設定なんである。そうでなければあのアホらしい作りは意味が分からない。門外漢が面白半分に覗く場所ではないのだ。

 私なんぞが行ったところで話のはの字もできやしないと考えていたのだが、実はそもそもが話も出来ない所だとカウンターで並んだ某氏が言う。どういうことかと訊くと、いや話もできない客がただ黙って店員を眺めに行く場所ですよと言うのである。店も店で、解凍しきれず芯の冷たい冷凍ピラフがそのまま出てきて、それでも黙っているんだと言う。

 それならキャバクラへ行った方が良いやと彼が言い出し、すっかり話が落ちてきたので店を出た。


I君は自称「銀座一感じ悪いバーテン」だが、それは常連客との間の洒落である。ネット頼りにMODへ来た客に「言うほど感じ悪くないじゃないですか」という主旨のことを言われた様である。本欄で書いた覚えもなく、うちの記事ではないと思うのだが、栴檀林の読者は「ネットで」などと言わず「栴檀林で」と言う様に。

'06.4.10  随筆



 その日はなぜだか酔いが脚に来て、電車に乗るなり空いている席に座った。別に眠くはないし、他にやることもないので鞄のポケットから読みかけの文庫本を取り出して読み始める。

 2駅ほど行ってからだろうか、目の前に若い2人連れが立った。2人とも今風の「だらしないくせに攻撃的な妙なファッション」をしていた。差別されたり迫害されたりが日常の行き場のない感情が渦巻くような環境の外国の子供達がする様な格好だ。私がナチの軍服を着るのと寸分何も違わない子供っぽいコスプレだ。陳腐なんだよ。

 そのうち女が子供の様に疲れた座りたいと男に何度か耳打ちする。案の定というか、男は目の前にいる私の靴を爪先でずりずりと押してきた。

「すみません。足、押さないでください」

 私は静かに穏やかに言ったが、それは逆効果だったのかも知れない。

「はぁ?」

 ニヤニヤそれでいて威圧するような半分巻き舌の様な…コスプレな口調だ。その声に近くの何人かがうつむくのが見えたが、私は背筋を正し間髪入れずに言葉を返した。

「ふざけるな。私の言葉を聞き漏らすな。もう一度聞くのか」

 意識的にそっぽを向いた客を除く1/3程の乗客がこちらを見た。

「お前の返事が聞こえん。口に出して言え。もう一度この私に聞くのかとお前に訊いている」

 男の顔が真っ赤になった。怒りのためでないことは明らかだ。目がこちらを見ていない。次の駅で列車が止まると、無言で女の手を引き飛び降りていった。「馬鹿かお前は」と形式上言った。

 2人をホーム下に蹴り落とすために、閉まりかけたドアを押し開けて自分が降りていく気がしたが、勿論何も起こらない。私は常識的な普通のビジネスマンだからだ。

 という話はもちろん半分作った話で4/1の更新で使おうと思っていたのが忘れていた。実際の私は「お前いま、はあ?って言ったか?」と大声で訊き返す程度のものであるから。…まあ他はそのままなんだけど。


'06.4.3  随筆

リキュール

 建て替える前の家には、古い物が長くそのままになっていたが、父が若い頃に使っていたバーセットもその一つであった。中にはガラスのシェーカーや使いかけのリキュールとかが入っていた。このリキュール、最初に発見したのは私が中学生だった頃という記憶で、その時一口呑んでいるはずなのだが具体的な味の方は覚えていない。中学生に酒の味を記憶できる訳もないから当然なのだが、あまり旨いものでなかったという記憶である。色は紫だったのでバイオレットリキュールだったのだろう。なんでそんなものとも思ったが、当時の流行だったのだろうし、当然使い切るほどには呑めなかったということなのだろう。

 そんな話を思い出したのは、つい先日うちのストッカーから昔買ったリキュールが出てきたからだ。クレームドカカオのホワイトとノチェロ。子供の菓子の山にこんなものが隠れているとは気付かなかった。

 リキュールも色々あるがクレームドカカオを単体で呑むという話は聞かない。これは私の好きな「アフターミッドナイト」を作るために買ってあったものだ。銀座のMODでは、ある時からこれのブラウンしか置かなくなってしまい、「アフターミッドナイト」を頼むと本来の淡いライトグリーンではなくオリーブドラブの様な色になってしまう。これは別に「迷彩色」と命名した。MODに行かれる機会があればバーテンのI君に「ウオツカベースの"迷彩色"を」と頼んでみては。サービスに戦車の話でもしてくれるかも知れない。

 一方のノチェロはクルミのリキュール。単体でもイケる。栓が本物のクルミとコルクでできている。同種の他社製品と違って香りが嘘臭くない。

 これらを買った当時は、隣の市にアパートを借りて夫婦で住んでいた。甘いリキュールを2人で呑んでいたという次第である。となると、もう10年程前の酒ということになる。

 ノチェロをロックで呑んでみる。酒の方は相変わらず甘くて香りが良い。
  ノチェロとクレームドカカオのホワイト


読書 井上荒野「もう切るわ」 光文社文庫

タイトル買い。解説を角田光代が書いているが、その事をどこかでとやかく書いていた人がいた気がするが記憶違いか?


'06.3.31  随筆

妄想

 不治の病に罹っている妄想に囚われ厭な汗をかいて起きる。隣で寝る娘達の寝息と体温で自分の現実を確認する。何か呑んで寝るかと考えたが、基本的に寝付きは良い方なのでそのまままた寝る。

 ところがそれ以来、先の妄想が消えない。何かをしていて、もうお終いなのだという感覚が残っていることがある。

 だからと言って“物語”の様に、急に生きることに懸命になったりするわけでもない。多分本当にそうなったとしても、急に変わったりはしない気もする。

 よく言う「酒に溺れる」なんてのもないだろう。いや、それだけはない。大体が今以上に酒を呑むということが物理的に難しいのではないか。クルマに乗る予定のない休前日なんか午前中から夜中まで呑んでいることもある。もっとも最近は自転車があるので晴れていればあまり呑んでいない。呑んでいたら自転車は漕げない。

 自分が不治の病としたら妻とは別れた方が良いだろうか。いやいや籍を入れたまま保険金を渡した方が良いだろう。籍と受取人は関係ないか。それに離婚してこの二世帯住宅に母妹と3人というのは厭だな。いっそ自分が出ていくか。あまり迷惑は掛けたくないが、迷惑かどうかがそもそも分からない。病の種類にもよるがSTDのAIDSとかだったら厭だろうな。思い当たることは全くないんだが。でも変な病気だったらいずれにしても厭だろうな。でもどの程度厭なのかがこれまた分からない。やれやれ。

 着地点のないシミュレーションがぐるぐる頭の中で回りぐったりしてしまう。その内に、考えることでそれが現実に近づいてしまわないだろうかという二次的な不安が沸き起こる。さすがに厭になってきて、取りあえず呑む。

 そんなこんながひと月続いたが、ある日気が付いたら全く気にならなくなっていた。まるで憑き物が落ちたみたいに。多分誰にも迷惑は掛けていないのだが、厭な数週間だった。


'06.3.29  随筆

特効薬はナシ

 先週金曜は翌朝の帰宅。仕事関係で三軒茶屋で呑んだ後に転戦して例によってG街を徘徊。途中、幻影城が閉まっているのを見て初めて「もうそんな時間か」と驚いた次第。

 BPM(プラスチックモデル)に顔を出すと当然驚かれる。いつもは開店時間直後の客である。ここに寄ると帰る時はなぜか大抵気分が良くなっている。これだけバー通いをすれば、諸々の組み合わせによってあまり芳しくない気持ちで店を出ることもあるが、ここでは最近それがなく、つい寄ってしまう。

 ともかく朝。何か家人に文句を言われた気がするのだが、全然覚えていない。皆がスイミングスクールに出掛けたのを自転車で追いかけた。着くなり妻に「酒臭い」と厭な顔をされる。起きない上に寝ぼけた私に追い払われて娘が落ち込んでいたのだと聞き、機嫌を取ろうとするが、その時はもうケロリとしていた。

 少しでも酒が抜けるかと思い帰路遠回りして走る。ただ走るのではなく、出せるだけのスピードを出す。好天であったり、新しい道路が開通したりで近所の道は混んでいたが、自転車には関係ない。

 帰宅後は例によって庭をいじる。梅はあらかた散り、枝垂れ梅も風が吹くと雨を降らすように花弁を散らす。辛夷はまだ4分咲き。花も気になるが、芝生も気になる。やっと芽が出始めたところで、このタイミングで目土を掛けてやらないとならない。

 翌日、妻と娘達が都心に出掛けた留守に、芝の目土撒きと花壇の囲い直しをする。花壇は本来は母の領域なのだが、薄い煉瓦の敷居だったので芝が潜って花壇にまで拡がってしまっていた。掘り起こしてブロックを10cm以上埋める。

 1平方m程芝を剥がすと、表面からは分からないドクダミや蔓草の根が芝の間を縫って走っていた。これでは手で抜くなんて無理だろう。手入れを怠っていた部分なので自業自得ではあるが。

 特効薬でもあればというのは物ぐさの言い訳で、自分でなんとかしなければならないのは分かっているのだが。
 
庭
花壇。
芝
泥を払った芝。余計な根が…。

'06.3.24  随筆

懸賞小説

 しばらく更新の間が空いている言い訳でもないが、ここのところ若干長めの文章を書いている。

 仕事上の必要で書いているので詳しくは今ここに書けないが、提示されたキーワードを3つ入れた4,000字以内の文章を3週間程で書かなければならない。エッセイでも小説でも良いというのだが、4,000字もあってエッセイもないだろうから小説にした。字数は半分でも良いだろうと主催者側も言っているようだが、ものを書くのを趣味としている人間としては8割は書かないと気が済まない。そもそも小論文の試験ならそうでなくては落ちるだろう。

 懸賞応募ダミーであるから気を入れても自分に何か実入りがある訳でもない。何せ関係者であるし。かと言ってせっかく書くのだ。それなりにはしないと。

 そろそろ書き上がるので、プリントしたものを持ってバーで推敲していた。場所は毎度の「裏MOD」。

 どんなですか見せて下さいと店主の神谷が言うので渡す。素人の書いた(半分そんなつもりはないのだが)4,000字をおつきあいで読むというのは普通の人には無理だし、誰かに読ませてと言われても適当な理由で婉曲的に断るのだが、彼は最近企業サイトでエッセイを書いているということもあって、身近で書いているノンプロの文章を本気で読みたいと言っているのだと考えた。

 「書き慣れた人の文章は違いますね」と言われた。酒場の店主だ半分は世辞だろうが、同じことを前にも言われたので何割かは本気にしても良いだろう。

 本欄のペースから、2週間に800字を3本というのが普段の生活をしている私のものを書くペースなのだろう。これと併行して3週間で4,000字というのは無理な話なので、パーツは書き溜めた似たようなシチュエーションのものから流用した。さすがに若干トーンの違いがあったが、均すとそう気にならない。

 応募規定には当然「未発表の作品」とあるので当面ここには載せられないが、4月後半には掲載の予定。その際はおつきあいいただければ。
 

日経BP「充実空間」LPに針を落とす瞬間(とき)


読書 角田光代「愛がなんだ」 角川文庫

角田光代はいつもしょうもない男性ばかり描くなぁと以前本欄で書いたが、今回は珍しくしょうもない女性。ただし主人公なので、落ちどころはある。

読書 吉行淳之介「ダンディな食卓」 グルメ文庫

初めて知る文庫なのだが、本当に料理そのものの話だけだったら途中で投げようと思いつつ買う。勿論吉行淳之介でそんな訳はないのだが。


'06.3.16  随筆

靴を買う その他の感情

 伊勢丹で靴を買う。なぜわざわざ伊勢丹かというと、以前買ったPB商品が足にしっくり来ていて、同じ木型の物なら間違いないと思ったからだ。ちゃんとした理由だ。

 いま穿いている黒い奴が一足、多分もう駄目なのだ。今シーズンはいろんな物が続けて駄目になっていく。誂えの緑色のシャツ2着と、丸井で買って意外にお気に入りだった黒いシャツ。昔得意先の百貨店で誂えた緑のスーツもそろそろだ。身に着ける物だけに身の回りが急に崩れ始める錯覚を覚える。妻が「前厄だよ」と言っていた。その妻とも言い争ったりする事があると、ほらやっぱり崩れているのかなどと思ったり、健康にも不安があったり、苛立ちがカードのポイントのように静かに貯まっていく。多分偶然重なっているだけなのだが。

 閉店が近くなった伊勢丹に向かいながら何かが足りない気がして、しかしそれが“飴”だと気付き苦笑する。憮然として大股に歩くダブルスーツの色眼鏡男が何の前触れもなく口の端を歪めて苦笑いする。そんな絵面を客観的に想像してみて、これもまた可笑しい。

 この時間に伊勢丹に行く時には大抵飴を舐めている。なぜかというと改札脇のビアスタンドで一杯やってから行くからだ。しかし今日は呑んでいない。だから飴を舐める必要がない。

 冒頭に帰って、なぜわざわざ伊勢丹かなのだか。私の様な子持ち四十男は日常百貨店で買い物をするものだろうか。しないだろう。

 先日、子供へのプレゼントを玩具売り場で買った。ディスカウント店の商品で充分な歳じゃないかとも思う。しかしそういう場所に行ったりするのが面倒臭い。妻はネットで最安値を探し回り、本当に信じられない値段で手に入れてきたりする。私の経済的感覚は全然駄目なのだと彼女はいつも言う。

 いや、金やステイタスの問題ではない。わざわざ百貨店じゃないだろう。単におっさん臭いんだよと自分で思う。「外商で買える身分ならいいんだけどね」と言うと、友人に“暖かく”笑われた。
 


「殺された子供達に卒業証書」というのは何だろうか。美談なのか? 「風化させたくない」なら殺されてしまったために永遠に卒業出来なかったと残す方が理に適っている気もするが、それぞれの心のことなので所詮外野の戯れ言にて失礼。

'06.3.9  随筆

イベリコ豚のサラミと南極の氷

 久しぶりに"裏"MODに寄る。珍しく何かつまみたい気分だったので、初めてサラミを頼んでみた。

 サラミと聞いてビニールを剥がして噛むと白い脂がぷりゅっと出てくるだけのアレを思い起こしてしまう辺りに私の食に関する感覚の貧困さが表れるが、もちろん全然違う物だ。ん〜…旨い。厚くて食べでもある。新宿BERGの東金屋製サラミは逸品だが、これも良いなぁ。ま、ご存知のように私は食オンチなのであまりあてにならないコメントと流してくださって結構だが。それにしてもこれで500円は安い。

 そうこうするうちに、南極帰りのMが店に来るという話を聞く。Mは南極観測船に乗っている。随分前に本欄で南極の氷の話を書いたが、あれは彼女が持って帰って来る物である。

 「ネットオークションで南極の氷を買う」というのが何のCMだったか思い出せない。本物が出ることなどあるのだろうか。

「よく洗わないと足跡だらけだよ」

 Mに言われてカウンターの中で神谷が氷を洗うのを、サラミをつまんでビールを呑みながら眺める。次は何を呑もうか。当然ロックスタイルの物、だが。いつもの様にウオツカでは氷の中の気泡がよく見えない。"色付き"というとイェーガー辺りどうだろうか。既に携帯で撮る気になっている。

 イェーガーが氷の表面を撫でると「パチパチ」と音が出始める。2万年前の空気が詰まった気泡が弾ける。

「これも恒例になって、あまり珍しくなくなっちゃったよねぇ」とM。

 そうかい? 私は久しぶりで楽しい気分だが。1杯では勿体ないので同じグラスでお代わりをする。溶けるのはあっと言うまだ。

 先客奢りの1杯目を呑み終えたMは次のオーダーを考えている。私は帰り支度をしながら「早く決めてくれよ。それ、氷代がわりに奢るから」とせかす。Mがオーダーを言うと、「じゃあそれも」と払い、何かとても得をした気持ちになって店を出た。

切り詰め前 切り詰め後

「ソウル訪問記」は特別ページ設置。4日連続更新だったので読み損ねた方はこちらへ。
小隊司令部ソウル訪問記

'06.3.6  随筆

ソウル訪問記 その4〜「東大門市場/関門」

小隊司令部ソウル訪問記
■東大門市場
 ここでトイガンを買うことが私にとってこの旅行の主目的である。皆が買い物するのを外れて一人手探りで捜し回るつもりでいたのだが、他の人はここに大した目的がないということでガイドを占有させて貰えることになった。私の目的地は普通の観光客が行くブロックではないのでガイドも知らない場所だったそうだが、彼女は初めての場所を結構面白がっていた風であった。

 下準備が手薄な上に韓国でどんなトイガンが出ているかを事前に把握することは難しく、実際には行き当たりばったりで臨むことになってしまった。と言ってもこういう場合に買う物はグロックとP99と決まっているのだが。

 ところで目的の一つ、アカデミーのルガーP08は生産終了の上に在庫も回収されたという話だった。現品を知らない同行者達は「強力過ぎるとかで規制されたんじゃ」とか言っていたがそんな訳はない。しかし他社製品のコピーでもないし、せいぜいがパッケージに刷られたTV番組が終了したとかそんなこところじゃないだろうか。

 購入したトイガンのレポートは改めてコンテンツを作成するのでお待ちいただきたい。

■関門
 いよいよ出国。土産話の整理をするかのようにこの数日の出来事を話しながらも、私の意識は最後の関門に集中していた。出国の荷物検査である。トイガンが手荷物に出来ないことはKさんのレポートで知っていたので固い旅行鞄を買っていた。ポリカ/ABSの外装で、これならテープぐるぐる巻きも箱が潰れたりもないだろう。旅行社カウンター近くでは白人客が荷物検査を受けていた。「私は引っ掛かりますから先に行ってください」と同行者達に宣言して列に並ぶ。ところがチケット発券を受けると預ける荷物はチェック無しでさっとコンベアに載せられてしまった。

 「えー?」である。着いてからちゃんと荷物を受け取れるのだろうかと機内でずっと不安だったが、成田では手続きを済ませて外に出るとスーツケースは既にコンベアから降ろされた後だった。なにもなし、である。いいのか? 成田経由シアトル行きNWよ。

 という訳で初韓国訪問は無事終了。前後の業務のつじつま合わせは面倒だったし週末を1回まるまる潰したのは辛かったが、更新4回分以上の元は充分取れた3泊4日であった。
アカデミー専門卸店
アカデミー専門店。同社製品はこの問屋でないと買えないのだそうだ。
在庫
奥まった棚に集められたトイガン。
東大門1
狭い路地がクルマで埋まっている。どうやって動かしているのかは謎。
東大門2
手前の黄色い看板の店が最初の店。店内突き当たりがトイガンの棚。
収穫物
予告編代わりに収穫物の山を。これ全てで約W3.8万。約4.8千円ということになる。

'06.3.5  随筆

ソウル訪問記 その3〜「食い物の旅/南大門市場」

小隊司令部ソウル訪問記

■食い物の旅
 「サムゲタンを食ってゆっくり過ごす」というのがボスの掲げた今回の社員旅行の主旨であり、無理矢理観光名所を回ったりはしなかった。私にとっては初の韓国であり、旅行に興味がないと言ってもそれなりに楽しんで来られた気はする。もっとも話のネタにと行ったアカスリは、ガイドが言う「天国に行く様な気持ち良さ」には程遠いもので無駄遣いだったが。

金さん とにかく夜は屋台ということで11時過ぎに数人で探していると男に日本語で話し掛けられた。自分たちの探している屋台は区画整理のため今はないのだと言われる。案の定「遊びはどうか?」と来たがそういう集まりではないのだと断る。それでも代わりの屋台に案内してくれ、そこはそう悪い所でもなかったのであるいはまともな"夜のガイド"だったのかも知れない。タコやら肉やらウナギの類やらをバチバチハサミで切りながら焼く。ビールはOBというのはマシだが他の物はライトビールみたいにスカスカだった。しかしJINROは日本とは物が違ってストロワヤの様な甘さがあって旨かった。

 ところで「ボンシンタン(犬肉鍋)が食べられる店」情報は現地では得られなかった。いつぞやの騒ぎ以来、条例か何かで観光客に出してはいけないことになっていた様だ。食に頓着のない私であるが欧米主体の食文化干渉には抵抗を感じ、そういう意味合いでは食ってみたかった。いや嘘です。食べられなくて良かったかも。ちなみにうちのボスはロッテデパートの地下で売っていないかわざわざ訊ねて店員から露骨で大袈裟な否定をされていた。

■南大門市場
 細かい土産物はここで買えば良いと考えて最後の自由行動で行ったのだが、期待外れだった。日曜だったので大きな店は閉まっていたということもあるかも知れない。日本でも露天で物を買うことなど希なのだから溶け込める訳もない。話題のブランド紛い物もあったが興味はなく素通り。価格も何やら全般に高い。レートは長いこと円×10だったのが今は×8になっていることもあり、安い物が一杯という印象はない。観光客向けの店が高めというのは韓国でも同じということか。ロッテでW7000のチョコが南大門でW8000というケースもあった。

 

韓国のスタバ
どこにでもあるスタバ。
韓国昼飯小皿
これにご飯とアサリのスープ。
韓国の骨付きカルビ
骨付きカルビ。
KGBウオツカ
ファミマもありまして。 ウオツカレモンが「KGB」だと。
次回最終回も明日更新。「東大門市場/関門」編

'06.3.4  随筆

ソウル訪問記 その2〜「クルマ/愛国」

小隊司令部ソウル訪問記

■クルマ
 高速道路を走るバスの中から見る分には韓国は日本と何ら変わらなかった。クルマが右を走っているだけである。ナンバープレートのサイズも日本とあまり変わらないが、横を走るトラックのボディに書かれた矢印で結ばれた二つの言葉はまったく読めないので、そのトラックがどこからどこへ行くのかさっぱり分からない。もっとも読めたとしても分からないことに変わりはないが。

 街中、驚くほど韓国製のクルマが多い。無彩色の中・大型セダンが6割方を占める。[高学歴志向=リスク回避型=目立たずそれでいて高級そうなクルマ]という図式を思い浮かべるのは意地が悪いかも知れないが、ベンツやジャガー風の韓国車を見ていると自然とそう考えてしまう。ちょっと前の日本も同じであるが。

 その他気付いたのは、都市部であるのにクルマは割合薄汚れている物が多かったこと。日本が綺麗過ぎるのかも知れないが。それと高速でも道がやや悪かった気がする。しかしインフラ、マナー、いずれも中国のようにあからさまに酷いわけではなかった。

■愛国
 2日目まで付いていたガイドはベテランだが過分に愛国者だった。いや五十を超えているであろう年齢からすれば典型的韓国人なのかも知れない。特に2日目の「国立博物館」を案内して貰ったときは"最終的には韓国がナンバーワン"というロジックが繰り返されて辟易した。まあ日帝何年とか言い出さなかっただけ良かったか。例によって私の防寒具は軍用品だったが、国旗が付けっ放しだったために(イケナイネ)「なぜ日本人がドイツの軍服を着ている?」と訊かれた。「日本で売っているからですよ」と答えて笑いを取れたから良いようなものの、いつもの様に「日の丸だったら洒落にならんでしょう」なぞと言おうものなら面倒な話になっていたかも知れない。同様にサッカーフリークスのボスの前でワールドカップの話題が出ずに済んだのも幸運である。

 海外"研修"旅行に於いて大変恐縮ではあるが私は事前の準備も学習も出来ておらず、したがって韓国の歴史を陳列する場所には不釣り合いな存在であった。それはともかく、博物館は出来たばかりということを差し引いても人で溢れており、特に印象に残ったのは見学に熱心な子供ばかりだったということだ。土産物屋で博物館に関係ない玩具をねだりだだをこねる様な子供はおらず、逆に展示物を次から次に携帯で撮りまくっていた姿が印象的だった。日本の子供が聖徳太子の杓や東郷元帥の双眼鏡にこうまで興味を示したりするだろうか。どうでも良いが韓国の博物館は撮影フリーが普通なのか。

 

韓国通勤ラッシュ
朝のラッシュ。
大輪VF??
コレVFじゃなくてVTなのでは? メーカーもホンダではなくデーリム(大輪自動車)。元々ホンダのOEMメーカーだったのが"独立"したのだそうだ。
大輪3輪VF???
なんと3輪。あまりの商用車臭さに「トライク」とは呼べない感じ。上の二輪VFよりサスがお粗末。というかVじゃないよな、そのエンジン。(大きい画像にリンク)
パイプ仕掛けのスクーター
スクーターにこのキャリア…。朝っぱらからこんなものにぎょっとして足を止めてしまう観光客もいないか。
次回も明日更新。「食い物の旅/南大門市場」編
読書 渡辺 葉「やっぱり、ニューヨーク暮らし。」 集英社文庫
なぜ突然こんな本を読んでいるかというと…答えはひと月後に。

'06.3.3  随筆

ソウル訪問記 その1〜「旅行/モバイル」

小隊司令部ソウル訪問記

■旅行
 久しぶりの海外旅行で韓国・ソウルへ行った。社員として行く社員旅行とあり誰かの面倒を見なければならない訳でもないので気楽なものである。

 そうは言っても出不精の私にとって海外旅行は面倒に感じることこの上ない。加えて出発日近くに遅い帰宅が続いたこともあり前日まで用意らしい用意は何も出来なかった。3泊4日となれば鞄くらい必要かと思い前日にやっと買った様な次第である。

■モバイル
 オンライン中毒の私だが家族旅行にはiBookを持たずに行く。今回の社員旅行もモバイル環境は止めておいた。周りがどうこうではなく、電源やら回線やらの確保に掛かる出費や苦労を乗り越えることに情熱が湧かなかったからである。

 困りそうなのは何かを記すという事についてだったが、デジカメと手帳で凌ぐことにした。デジカメは妹がカシオの小型を持っているが充電池の予備がないので、乾電池駆動も出来る自分のFinePix S602を担いでいくことにした。手帳は手近な物がなかったので得意の近くの丸善で間に合わせで買ったが、なかなか良い感じで気に入った。

 モバイルを断念して唯一後悔した事がある。帰国直後知ったのだが、滅多に会えない知り合いが実は偶然に同じ日程でソウルに来ていたのだ。韓国トイガンの師・Kさんである。オンライン出来ればあるいはお会いできたかも知れない。

次回は明日更新。「クルマ/愛国」編

ソウル駅
ソウル駅舎。今は使われていない。街中で見つからなかった浮浪者もここまでくれば散見された。

烏骨鶏のサムゲタン
烏骨鶏のサムゲタン。旨さより珍しい物を食った実感の方が印象深いかも。
ソウル市内のセキュリティ
セキュリティに敏感なのは都市部だからか。セコムがかなり進出。一部の歩道上のキヨスクにまでもセキュリティが導入。オレンジの警告灯が見られる。
昌徳宮(チャンドックン)の芙蓉亭(プヨンジョン)
昌徳宮(チャンドックン)の芙蓉亭(プヨンジョン)。「チャングムの誓い」の撮影にも使われているとか?

読書 村上春樹「蛍・納谷を焼く・その他の短編」(再読) 新潮文庫
機内用に。何年ぶりの再読か。

'06.2.24  随筆

春はエンジン

 朝。電車内も外の陽気相応に暖かく、私は手前でうつむいて寝ている人の頭上を、その人以外に聞こえるように「上、失礼します」と声を掛けて10cmほど窓を下げた。車内に騒音と共に風が吹き込んでくる。ややあって横の女性が咳払いをしたが、私はそういう暗号通信のプロトコルには対応していないので無視。そもそもカシミアのショールなんぞ巻いている陽気じゃありませんよオバサン。というか斜め後ろでさっきから口に手を当てず咳き込んでいる御仁のことは気にならないのだろうか。西武線は余程の状態にならないとベンチレーターを動かさないのに。

 外からはすぐに空気の感じが伝わってくる。住宅地には住宅地の、畑には畑の空気。気温が上がると臭いも伝わりやすくなるのだろう。

 ただ、そういうのを楽しむことを目的としては外出したりはしない。クルマ人間の私が自転車を始めたなどと言うと、「健康的だし周りの風景を楽しみながら移動できて良い」という類のことを言われたりするが、健康はともかく風景は余録である。自転車を漕いでいる時の私はエンジンの気持ちになっていたりするのであって、よそ見をしている場合ではない。

 それにクルマなら交通法規に沿っていれば基本的に間違いはないが、歩道・公園の類は"交通無法状態"である。それらの危険を察知しかいくぐりながら走るのは、デススターに突っ込むミレニアムファルコンか、ザクに囲まれたガンダムの心持ちである(何だよその例え)。私は何かあって止まる時も周りを見てから端に寄せる。ふらふら走る自転車の多くはいきなり曲がったり止まったりするが、あの無神経ぶりは信じられない。前回の続きになりそうなのでやめておくか。

 もっとも、私はスーパーの食品売場でも同じ挙動なもので、家人には訝しがられるわけだが。気持ちは道の端に寄せて止まるクルマでも、見た目は突入したSWATみたいになっているだろうし。


ところで今日から月曜までスタンドアローンとなる。「モバイルを捨てよ街へ出よう」というわけではなく諸々不備のまま突入する韓国行きである。したがってレスその他しばらく御免ということで。


読書 原田 宗典「吾輩ハ作者デアル」 集英社文庫

'06.2.21  随筆

交通無神経

 両脇に木の生い茂る見通しの悪い市道のカーブ、横断歩道も何もない所を年寄りが渡ろうとしているのが見えた。軽くクラクションを鳴らすが一瞥もくれず渡り始める。仕方ないからこちらは止まるのだが、後続車が追い越しでもかけてきたら"一発"である。

 年寄りは身体の機能が衰えているのだから周りが労(いたわ)らないといけないという主旨で、その衰えをシミュレーション体験するイベントをたまにテレビで見掛ける。手足が重くなるプロテクターの類をはめ、曇りガラス状のゴーグルをかけて耳栓をする。そういえば同種の物を身に着けたことがあったなと思ったが、あれは「妊婦の不自由さを体験しよう」キットだった。何にしてもこれでは普通には動けんよなと実感はする。

 しかし思うのだが、例えば周りを見ずに車道を横断するのはそういう身体の衰えのため仕方なくそうしている年寄りばかりか? いや年齢は関係ないのではないか。関係なく交通の法規や常識を無視しているのではないか。そして冒頭の年寄りは、単にそういう人が歳を取って、相変わらず危ない真似をしているだけではないのかと私は考えてしまう。

 運転者を見ると二つのタイプに大別できる。周りに関係なくゆっくり走るのだが、信号や車線・停止線を守らない人と、それらは守るがスピードを出す人。私は明らかに後者だが、スピードも信号も両方守るという人は少ない。

 わざわざ車道と歩道が分けられているのだから、クルマにはクルマのルールがあって然るべきと思うのだが、前者の人は自宅の居間の如く見通しの悪いカーブでものそのそ道を横断したりする。

 勿論年寄りを労る事を否定しているのではない。交通で無神経なのに歳は関係なかろうということである。歳は無神経や横暴を黙認する免罪符ではないだろう。


読書 重松 清「娘に語るお父さんの歴史」 ちくまプリマー新書 

まだ読了していないのだが自分にとっての世代論とは何かを思わず問う。重松氏との年齢差は3歳.しかし私にとっての万博は筑波であり、太陽の塔ではなくコスモ星丸なのであった。なぜこんなに違うのだろう。βのデッキで撮る星丸のCGはいつでも再生可能であり、当然私は筑波には行かず万博の年を過ごした。就職年で言われるようなバブルの恩恵には浴さなかったが(1浪1留だからね)、では何と題してよい年代なのかは答えに窮する。


'06.2.17  随筆

ハキハキ

 半端に遅い時間に品川の得意先で仕事が終わった。真っ直ぐ帰る気はしなかったが途中で降りるのも厭だなと思いながら港南口の広場前に立つ。最近通う様になった神田の82 ale houseが品川に支店を出したのを思い出して、ちょっと覗いてみるかと考えた。地図はうろ覚えであったがすぐに店は見つけられた。

 始めての店に入るには不適当な混んでいそうな時間だったが、なにせイングリッシュパブであるし神田より広いという話だったから、まあ端の方で軽く1杯呑んで帰ればいいか位に考えた。

 いつもの調子で「ドラフト、ハーフで」と頼むと、「ドラフトは、キリンの生とハウスエールと、リアルエールがございまして…」と説明が始まってしまった。確かにどれもドラフトだ。神田では私は習慣でキリンの生をドラフトと呼んでいたが、あれは店員が私を覚えているから通じていたのかも知れない。「ああ、すみません。キリンの生で」と説明を遮る。イングリッシュパブで「キリンの生」と言葉にするのに抵抗がないわけでもない。つまみを勧められたが「呑みながら考えます」と断った。

 他にすることもなく店内を観察するとカウンターの中に神田の店員を見つけた。ここのオープンは神田でその娘から聞いたのだった。向こうも顔くらい覚えているだろうから会釈くらいするかと思いしばらく彼女を見ていたら、こちらに気付くと5m先から「来て下さったんですかーっ」と嬉しそうに叫んで歩み寄ってきた。それ程親しい訳でもないのに歓待されて照れてしまうが、別の店からわざわざ訪ねてくる客もいないのだろう。店長を引っ張って来て紹介までされてしまった。ビールをハーフで2、3杯。せいぜい1000円程度の客なのに申し訳ない気がした。

 メニューは微妙に神田と異なるとか。「両方出る身だと面倒だね」と言うと「そうなんですよぉ」とは言うが、明るくハキハキと言うものだから全然困っている風には見えない。


'06.2.10  随筆

"本の話"と言っても…

 本を沢山読んでいる方だと言われる。と言っても言動に教養が滲み出ているとかではなくて、単に本欄の下段に載っている「今週の読書」が頻繁に更新されるからなのだそうだが。それでその話がどんなところに着地するかというと、新潮文庫の愛読者向けノベルティが欲しいと職場のH嬢が言うのでカバーの端の応募用マークを切り取ってあげた、という話である。さして面白い話でもないな。

 余程読みたい本は別だが、基本的に本は文庫でしか買わない。電車の中で読みづらいし、そもそも持ち歩くのが辛い。革製にしては頑丈な鞄を買ったつもりだが、重さで歪みが出てきている。最も重いのは勿論iBookなのだが、本の重さも馬鹿にならない。雑誌なんかも結構重い。読み捨ての雑誌はあまり買わないので必ず持って帰るから帰路辛くなっている事も多い。

 ところで、ある得意先の幾つかある会議室の一つは先代社長の名を冠してS図書館と呼ばれたりする。なぜかというとその狭い会議室には巨大なスチール製の本棚がどんと置かれ、当時社長が読み終えた本を並べて社員に「開放」していたのである。当時の貸出率は結構高かった。それは読むよな。サラリーマンなんだからさ。感想をわざわざメールでやりとりなんかする若手社員もいたそうな。

 それだけでも充分吐き気…もとい目眩がするのだが(同じ意味か)、その蔵書、殆どがビジネス書である。『キレる前に斬れ』とか『へそより上にもイチモツを』とかそういう本だな。そんな書名はないか(笑)。馬鹿にし過ぎだ、失礼。ビジネス書だってピュアな心で読めば結構良いことが書いてあることもあるよ。無責任に言ってるだけだが。

 「ブレーキレバーのセッティング」なんて役に立つ。全然ビジネス書の話じゃないけど。自転車に関してはウェブで情報探すのにほとほと疲れ果ててメンテナンスの解説本を買ってしまった。やはり大切なことは本買わなきゃ駄目。ムックだけど。

 で、今日も鞄が重いという訳だ。


読書 長嶋 有「タンノイのエジンバラ」 文春文庫

'06.2.4   随筆

会釈

 得意先の建物を歩いていると、見知った顔と幾度と無くすれ違う。出入りの長いところであっても客先には変わらず、こちらには多少なりとも不安な心持ちもあり話し掛けたい気持ちになる。とは言え、多くは互いに顔を知っているという程度の間だから、特に話すこともない。

 日頃良く顔を合わす人には会釈で済ませてしまう。ビジネスマナー上正しいのかよくわからないが、"丁寧な会釈"で済まさせて貰う。それ程会わない人には「お世話になっております」と「お疲れさまです」が半々混ざったような"音"を出す。随分前にしりあがり寿が漫画に書いていたアレだ。音に即して表記すると「おしぇゃーあっす」くらいか。日本人的である。気持ちとしてはそういう"音"を出しつつ「お世話になっております」と「お疲れさまです」を"思念通信"しているのであるが、それが相手に届いているかは極めて心許ない。プロトコルが違うのだろう。

 自分は元気よく挨拶のできる子供ではなかった。よく覚えてもいないが、そうであったわけがない。なのに、いや、だから自分の子供には「返事や挨拶ははっきり口に出しなさい」と言ってしまう。そうしないと絶対自分が損をするのだから。

 随分前の勤め先のトップが、とにかく挨拶をしっかりする人だった。人となりにはあまり敬意を払えない所もあったが、例えば雑居ビルのエレベータを降りる時でも周りに「お先に失礼します」と言う。知らぬ相手に「お先」も何もない気がするが、自分が言われると厭な気はしない。混んだ列車から降りる際に声を掛ける様なものである。エレベータでも奥の方から無言でさささと降りる人がいると厭な感じがする。

 酒場を出る時、顔見知りに「お先で」と声を掛けることはあるがこれはちょっと違うか。大抵それは浮かれ気味の時で、後で会釈程度にすれば良かったなどと思ったりもする。


読書 吉行淳之介 著 荻原魚雷 編「吉行淳之介エッセイ・コレクション4 トーク」ちくま文庫

'06.2.2   随筆

開拓

 しばらく酒場の話を書いていなかったので、たまには開拓の報告でも。銀座=MODというのは相変わらずだが、神田と新宿はこの半年で通い方が変わってきた。

 神田でちょっとだけ呑むことが多い。会社の近くで呑んで後は真っ直ぐ家に帰ってしまおうという気分の時が増えた。だから腰を落ち着けて呑む訳ではなく2杯程度で帰る。

 1軒は相変わらずBar Alley。フードが充実したり高い酒も置くようになったりと変わってきているが、店の感じ自体は相変わらずハードもソフトも準ワンコインバーには見えない。私の呑む酒も変わらない。ドラフトと、ウオツカにイェガーマイスターのロック(500円)が定番。

 もう1軒は82ALE HOUSEというイングリッシュパブ。安いし旨いし使い勝手が良い。ドラフトハーフ(350円)から始めてぽちぽち呑む。今度品川にも出店したそうだ。何度も行っているのにHUBの系列というのはサイトを見て知った。

 歌舞伎町はほとんど寄らない。T氏のバー(結局未だ店名を書いていない)が24時開店になってしまったことも大きい。終電を諦めた時だけ顔を出す。

 G街はクリシュナに行くことが多い。開くのが20時なのでG街に早目に着いてしまった時の時間調整にちょうど良くて通い始めたが、実は随分前に2度ばかり覗いたことがあった。この店は「女性二人で共同経営」という紹介のしかたをよくされていて、それについてはちょっとシュミに合わなさそうという印象を持ってしまっていたのだが、実際に呑んでいるとそういうことは気にならない。店名と店内装飾がインド・中近東趣味で私の嗜好とは異なるが、お店の人の対応・物腰は普通にちゃんとした酒場である。実は店の人達と共通の知り合いがいたり(しかもそれが前段のT氏なのだが)という事もあったが、とにかく店自体の居心地が良い。私のような一人客にはちょうど良い距離感の店である。

 全体にさっさと呑んでさっさと帰るのを目標にシフトしていくつもりで…(誰に宣言してるのだ?)。


'06.1.31  随筆

オーダースーツのドキドキ

 久しぶりにスーツを作ることにした。いま手持ちの冬物は3着だが、来年には1着"脱落"しそうなのでこの冬の内に作っておかないとならない。

 オーダースーツに限らずこの時期はどこも在庫一掃。120番手のイタリア製高級生地が仕立て上がり2.5万円程度(通常の半額以下)である。と言ってもあまり選択の幅はなく妥協は必要になる。しかし既製品のバーゲンでサイズすら合わないものを手にするよりは何倍もましだろう。黒を捜したが、ほんのちょっとだが紺がかっている物になった。裏地とボタンをダークグリーンに。型は昨年夏に作った黒と同じにシングル3ツボタン、サイドベンツ、スラントポケット。

 念のため採寸ということになった。「いや、変わってませんよ」なんて言えない。ファイルされている寸法は一昨年の物と聞き不安になる。ファイルの数値でウエストをメジャーで締める。83…ちょっときついかもしれない。84。う〜ん。85はさすがに緩い気がする。最近買ったコートがサープラス物(というか独軍山岳部隊用)で、身長170cmでウエスト90cmが標準になっていてさすがにそこまではと思ったが、微妙と言えば微妙か。いや5cmの差は大きいよな。

 ウエストに連動するはずのヒップは増えていなかった。胸囲は運動していないと意外に落ちていたりするんですよと言われたが、落ちていなかった。これは重い鞄のお陰か?

 混んでいるとかで上がりは来月の20日。ほとんど1ヶ月は長いな(注文日は25日)。まあ贅沢は言えないか。

 しばしば服を買うのを忘れている。買う時はそれなりにうるさいくせに、もっと簡単に"補充"されないかなぁとか思ったりする。見かねてなのか単に買い物好きなのか、シャツやらネクタイは妻が買っていてくれたりするのだが、自分が買った服すら時々忘れてしまうので、ちゃんとシュミに合った物なのに着もしないで忘れてしまうことがある。そういうことでは怒らないので有り難い妻だと思っている。


画像の方は、スーツ同様傷みつつある鞄の補修。縁のほつれを切り揃えてレザーマニキュアを塗布したのだが、多分今これをやらないと面倒な状態になる。仕上がりがいまいちなのは腕のせいか工程を飛ばしているのか…。

'06.1.25  随筆

紙コップコーヒー

 「私も、紙コップのコーヒー似おうちょる?」

 朝の連ドラのワンシーン。大阪でキャリアウーマンをする主人公を訪ねて田舎から来た叔母のひとことである。プラスチックの口が付いた紙コップというのは、やはりあれかな象徴的なんだろうかと改めて考える。

 自分はあれが鬱陶しくて仕方がない。あんな物が付いていたらなかなか冷めないではないか。あれは猫舌の敵である。私はすぐに外してしまう。しかも捨てる時は分別させられる。初めから紙で成形しろと言いたい。

 保温だけでなく持ち歩きにも便利ということで、これを持ち歩いている人も多く見かける。普通に持って歩けば良いものを、必ずと言って良い程胸の高さに掲げて歩いている。安全確認ということなら自分の視界に入れているのだからそれだけで良いはずが、大抵コップを見つめて歩いている。おかげで人にぶつかりそうになっている。"高温液体入りリアクティブバンパー"てな具合で危ないことこの上ない。さすがの私の鞄も飛散するコーヒーが相手では分が悪いので、こういう御仁には近付かないように歩く。私でも人を避けて歩くことはあるのだ。

 紙コップ入りのレギュラーコーヒーは、まずマクドナルドによって広められた。やがてコーヒーお代わり自由のファミレスによってレギュラーコーヒーが普及し、安いコーヒー専門店が増えた。いや、そういう順番だったか? 本当は飲み物としてはあまり興味がなくて、コーヒーと言えばポッカやダイドーの缶コーヒーの方がしっくりくる。

 ちょっと大きめの得意先とか行くと打ち合わせに紙コップコーヒーが出てくる。訪ねるのはこちらでもお客さまはあちらなのだが、出して下さる。オフィスベンダーのコーヒーである。紙コップコーヒーと言うとなんかこっちのイメージが強い。

 あとはあれだな。病院の待ち合い室。

 紙コップコーヒーなんて、ちっとも格好良くないよ。


文体は相変わらずだが、ここのところどうも苛々しがち。いかんね。

読書 重松 清「ニッポンの課長」 講談社文庫

'06.1.23  日記

まだ本調子ではなく

 先週は週末まで1軒も酒場に行かなかった。具合が悪く行けなかったのであり意志の問題ではないが。ちなみに内3日間は家で呑んでもいない。雪が降るんじゃないか思ったら本当に降った。

 そう言えば年末年始に体調が良くなかったためもあり12月半ばに買った煙草がまだ一箱空いていない(一カートンではなく一箱)。我ながらやめてもいいんじゃないかと思ったりしている。

 体調には関係ないがクルマにも乗っていない。埃まみれになっていたので洗ったという話は9日の記事の通り。せっかく綺麗にしたからという訳でもないが先日はクルマで出かけた。病院へ行った足のまま会社へ行った。ちなみに病人は運転をしてはいけない。銀座から品川へ行くのに間違えて首都高に乗ってしまって焦った。

 会社を休んで一日寝てたりしたのだが、頭痛がぶり返すのが厭でそれほどには本を読まなかった気がする。ある日久しぶりに本屋に寄ると好きな3作家の文庫が出ており取り合えず2冊買う。具合が悪いのに藤沢周を読んだら余計具合が悪くなった。

 週末雪が降ってしまったので自転車には乗れなくなった。居間に上げた自転車を前にして買い込んだネジやらジグやらを手にしばらくいろいろ夢想。

 不動産屋と打ち合わせ。貸家の改修費用は愛車の下取り価格とほぼ同額と判明。なんかなぁ。もう手放しちゃおうかなぁ。自動車税払う前に。


首を傾げる雪うさぎ
。昼には塀の下へ…

うちのりり(モルモット)。似てる…。


読書 藤沢 周「さだめ」 河出文庫
重松 清「その日のまえに」 文藝春秋
二ノ宮知子「のだめカンタービレ」1、2 講談社コミックスキス
バラバラだな(苦笑)。「のだめ〜」は妹のか妻のかもわからん。

'06.1.15  随筆

無神経な若い女性らしい気配りの行き届いた店

 都心の小洒落た洋食の店を紹介する番組という、要するに通販とか健康食品の紹介とかその手と同種のどうでも良い番組が流れっ放しになっていた。他にすることもなく離れたこたつでビールを呑んでいた私はリモコンを探すのも面倒だったのでそのままにしていた。

 元商社員の(今「脱サラ」とは言わないのだな)若い女性が「プロデュース」した店とかで、流行っているらしい。ナレーションが「女性らしい気配りの行き届いた」という言葉を使ったのを耳にして、思わず舌を出した。手垢の付いたこの言葉、私には「女性らしい気配り」がどんなものだかよく分からないし、「気配りが行き届」くのは女性の方だというロジックは納得がいかない。

 混んだ電車内で跳ね上げたマフラーで人の鼻先を叩くのも、ランチタイムのレストランで席を立つなりコートに袖を通して隣のテーブルのグラスを倒しそうになるのも圧倒的に女性が多い様に思うが、あの神経の回らなさ加減は、彼女の仕事中ではないからか?

 何の話だったか「若い女ほど無神経な生き物はないよ」と訳知り顔の酔っぱらいがバーカウンターの並びで言っていた。なぜかおやじはみんな頷いていたな。私もおやじだがわざわざ頷くほどには厭な思いをしたことを思い出せなかったので無視していたら、「ほらSさんは優しい」と当の若い女に言われた。別に味方をした訳じゃないし、そんなことは口にせず流した方が良い。

 女の子にわざわざズボンを穿かせたりするあの気持ち悪い"教育者"連中は、本来こういうところで噛み付くべきではないかな。「"女性らしい気配り"は性差別です」とか言って。でもその前に、それがどんなものだか私に説明して欲しい。彼らに説明できれば良いが。

 とても気の回る素晴らしい女性を何人か知っているが、それが性のためだと言われると、違うだろうパーソナリティなんじゃないかと突っ込みたくなる。

 何にせよ言われる当人には何の罪もないのだが。


このひと月、2人入れ替わりで週末毎に子供の病気で病院に。休日診療や夜間診療の大きな病院の雰囲気というのは何とも独特だな…。

'06.1.6  日記

不出来な年始め

 目が覚めたが何時か分からない。じっとしていると階下で物音がするので妻が娘達の弁当をこさえているのは分かるが、辺りは真っ暗である。比較的近いところに転がっている時計を手繰り寄せると、もう6時半を回っていた。娘は2人とも静かに寝息を立てている。しかし2人とも反対側を向いており寝顔は見えない。そろそろ起きないとなぁと20分ほど悩む。

 仕事始めから何やらどんよりとした天気で始まる。妻はこれから晴れるのだと言うが、そうすぐには晴れ上がりそうにも見えない。昨夜悩まされた頭痛が治まっていて良かった。曇天と頭痛なんて合い過ぎている。
 妻は下の娘を連れてクルマで先に出る。上の娘は学童クラブまで私が連れて行く。まだ小学校は始まっていないのだ。通学路に子供の姿はほとんどない。大人は登校とは逆の方向に足早に歩いていく。学童クラブのみの時は小学校より始まるのが遅いが、私が家を出る時間には合っているので一緒に出る。

 一連の不快な事件の対策として我らが小平市が設けたのは「早く迎えに来い」というお達しだけだった。学童クラブの運営も、施設も、職員の待遇も、まるで改善無し。馬鹿じゃなかろうか。そして月5,500円。少子化は小平市にとって全くどうでもいい問題らしい。税金払いたくないなぁ。とりあえず煙草は会社の近くで買おう。…いや地元でダビドフ・ワンは見掛けないのだが。

 出社早々にダミ声の男が電話を掛けてきて「あけましておめでとうございます」と苦しそうに言う。うちのボスだった。風邪でダウンらしい。こちらも出社後頭痛がぶり返していたので好都合(何が?)。

 いつぞや書いたがあまり計画的でもない営業にとって年始の挨拶回りは良い口実だ。いつもは顔を出さないところで無駄話(もとい情報収集)しても夕刻には一巡したのだが、得意先での打ち合わせが18時設定だったので帰れず。

 20時過ぎ解放。オモテMODに寄ったが頭痛が治まらずホットバタードラムを1杯だけ飲って帰る。

 何とも不出来な年始めである。やれやれ。


読書 村上春樹「東京奇譚集」 新潮社

何だかの神様の仕業みたいな出来事、自分も経験がある気がするが思い出せない。「忘れっぽいことは問題じゃない。忘れることが問題」なんだよな。