随筆/日記
公文書

'06.8.31  随筆

長距離梯子

 久しぶりにShot Bar ZOIDへ。1年以上行っていなかった。某所のようにもう行くまいと心に決めていたわけではなく、会社から徒歩5分かそこらなのだが、やはり「メイドさん体制」が苦手で…。平日なら彼女たちもバーテン装だし、たまにはマスターの顔でも見に行くかと行ってみれば、入り口に「プチメイドデー」と。入ると「お帰りなさいませー」と。しかもマスターいないし。携帯にメールしたら野暮用だと。モニターに流れる「バットマンビギンズ」を眺めながらメイドさん2人相手に他愛のない話をしばししていたら他のお客もぱらぱら来たので店を出た。

 新宿で降りたがまだ早い時間だったのでBAR BLACK LUNGに。ふる君がピンだった。火曜のおくちゃんがそろそろ辞めるのだったなぁとそんな話をしていたら、そういえばクリシュナの美樹ちゃんも今月一杯かと思い出す。しかし今夜はG街はやめておこう。妻に返すためにそこそこに現金を持っていた。こんな時に寄り道をしてはいけない。店を出ると真っ直ぐ西武新宿駅に向かう。

 で、なんのことはない地元のHに寄ってしまう。前を通ると自転車が何台も停まっており、これはと覗いてしまった。するとカウンターは埋まってるは、ソファー席も1つ埋まってるはで大盛況。いつもなら半分寝てるHさん(エアガンの整備でビールをご馳走になった、あの人)が1人なんてこともあるのに。確かに今夜は珍しくバイト嬢が2人入る予定ではあったがこんな極端に客が集まるものなのかと驚く。みんなに「ほら来たよー」と笑われる。しばらくするとMちゃんと新人の娘が続けて入店。目的を果たした気になって店を出た。いや、目的ではなかったんだが。

 翌日にこれを書いているが、Hの新しい女の子の名前が思い出せない。しかもBLACK LUNGに寄っていたことすら忘れかけていた。やれやれ。

読書 清水博子「街の座標」 集英社文庫
 若い頃の作品ということもあるのか入り組んだ文体と攻撃的な批評が鋭いとも痛いとも言える。以前文芸誌で短文を読んだことがある程度だったが"なに買い"なのかは分かる人のみ(笑)

'06.8.19  随筆

どの辺で呑んでいますか?

 酒呑み同士だと、どの辺で呑んでいますかと「ベース」を訊かれることがある。私の場合は「銀座」と答えることが多い。回数や使った額とは関係ない。まあ、そちらの方も自分なりには結構なものだが…。場所が場所だけに相手が過度に「それは豪勢な」という反応をすると、「いやショット呑みのスタンドバーですよ」などと何やら言い訳じみた説明をする。と書けば、当然行く店はひとつだけなのだが。

 見栄ではなく、どこか一つの街でしか呑めないとしたら選ぶのは銀座だろうなぁと思う。カウンターに背を持たれ掛けて、ビールをやりながら通りを行き交う人々を眺めているだけで充分楽しい。そういう街はあまりないし、そういう呑み方が出来るのは、私にはMODしか思い当たらない。

 「立ち呑み」が流行っていると言われて久しいが、その割に銀座であまり見掛けない気がするのは単に私の行動範囲の狭さ故なのかも知れない。なにせ銀座で呑むとなったらMODに行き、転戦するときは他の街に移ってしまうのだから。

 昨今の「立ち呑み」ブームは、飲食業のマーケ的には旧末広町(新宿3丁目)に端を発したものであろうが、あまりぞっとしない感じである。別に酒場で人様に"再生"されたくはない。勤め先が神田にあり、実のところその手の店は幾らでもあるがあまり入りたいとは思わない。マスコミはこぞって"サラリーマンの癒しの空間"みたいなのをでっち上げてくれているが、何が嬉しくて酒を呑む時までそんな満員列車みたいな所へ自ら入らなければならんのだ。とまあ、要するにひねくれ者なのだということであろうが。

 銀座はまず高いだろうという印象があるためか、外からまる見えのスタンドバーでもあまり気安くは客が入ってこない。そのためか最近MODは"見やすいメニュー"を表に出しているが、それであまり流行られても厭だなぁと複雑な心境である。



'06.8.14  随筆

お前って呼ばないで


ケツに刺青、みたいな。
それも落書き、みたいな。

於バスターミナル。行き往く人皆に笑われる。

61年前は酷いことになっていたドーム前の河原。正直私は降りたくなかったけどねー。
 私が女性を呼ぶ場合の二人称は大抵「きみ」である。年を喰って言い回しが爺むさくなったのではなくて、二十代からそうだった。勿論そう親しくない相手に使う言葉ではない。しかし家族に使う言葉でもなく家では妻にしか使わない。妻は家族だが血が繋がっていないから、親しい他人みたいなものだからだろうか。他の家人の呼び名は、母は「ハハ」(これはおかしいか)。妹達と娘は名前。

 ところが先日ふと気付いたのだが、8歳になる上の娘には時々「お前」と言っていることがある。大概が叱っている時に使うし、あまり響きの良い言葉ではないなと思いつつ使っていたが、先日娘本人から「お前って呼ばないで」と言われた。女の子は「お前」と呼ばれるのを厭がるものらしい。クラスの男の子からそう呼ばれて厭がっていたという話を確か妻から聞いていた。

 しかしどうも、ちゃん付けで呼ぶのは甘えた感じがするし、「きみ」と呼ぶのはしっくり来ない。大体「きみ」と呼ぶ相手は個が確立された1人の女性でないとおかしい。

 「お前」では確かに響きが乱暴であるし、いかにも目下相手の呼び方である。まあ語源自体は逆なのだが、それは「きさま」と同じで今は今である。いずれにしても自我のある自分の子供を呼ぶ言葉としては何もおかしいことはないと思うのだが。

 ある時考えたのは、この先娘が個の確立された1人の女性となった時に、私は彼女を「きみ」と呼ぶことがあるだろうかということだ。いつぞやドラマの中でそんなシーンがあったのでふとそんなことを考えた。しかしそれは気障と言うより嘘臭いではないか。血縁者はやはり名前で呼ぶのが適当だろう。

で、画像の方はその娘達や妻と行ってきた2泊3日の広島旅行。なぜ広島なんじゃ? というか妻、なぜ原爆資料館? なぜ広島-巨人戦観戦? それはともかく例によってまた「至らぬ父」で帰ってきましたよ。まったくやれやれですよ。ともあれ全ては「たまごっちジェット」と共に…。


逃げまどう妹を後目に、とにかく撫でる。可愛いか? 足元コロコロだらけでした。

コレも生き物。ガオーッ。

 


'06.8.1  随筆

ビール難民

 2、3杯目以降のビールに味の差なんてない。しかし、つまり、1杯目にだけは違いはあるのだ。平生は割に気にしていないのだが、夏場はそれを実感することが多いように思う。従ってこの時期、どこで飲み始めるかは頭悩ます所なのだが、その日は特に「アサヒ・スーパードライ」だけは厭だなぁと考えていた。そもそもが私はキリン党なのだが、たまたま前の週に"ドライ"を呑んだ時にことさらにまずく感じることがあったためである。

 だからその日1軒目には「Bar Black Lang」は避けることにした。サーバに件の銘柄のステッカーが貼ってあったからだ。そういえばいつだったか「なんか薄く感じるなぁ」と言ったことがあったが、なんのことはない元々好きでない銘柄だったのだ。

 ところがそうして寄ってみた「クリシュナ」も生は"ドライ"だった。馴染みの店だけに、顔出してビールの銘柄だけ訊いて帰るわけにもいかない。「ま、1杯」と寄っていった。しかし店には申し訳ないが、そしていつもは呑んでいるくせに何だが早々に次へ移った。

 ところが次の「幻影城」も瓶だが"ドライ"だった。よりによってわざわざチャージのある酒場で続けてそれはないだろうと思いつつ、何が悪いわけではなく、あえて言えば自分の運と記憶力が悪いのだから諦めるしかない。

 こんなことなら改札を出てすぐに「BERG」に寄れば良かった。改札脇だから呑み始めには最適なのに。

 3軒目は間違いのない店を選んだ。「BAR CROSS」は唯一のドラフトが「キリン・ハートランド」という変わり種である。ところがよりによってこんな日に限って品切れとなっていた。肩を落としながら私は瓶のハイネケンを啜ったのである。

 自分の通っている店のドラフトの銘柄くらい覚えておこう。まったく余計な金を使ってしまった。…いつも通りか?


読書 平 安寿子「パートタイム・パートナー」 光文社文庫  
 私は多分、平生の文面の印象と違い女性には優しくできない駄目男である。昔付き合っていた女性がなかなか自分の好みに格好を合わせてくれなかったのを気持ちが入ってないんだと非難してしまったことがある(自分勝手な男だ)。部下(当時20代後半)が自分のことを「女の子って」と言ったのに対して即答で「"子"じゃねぇだろ」と突っ込んだことはいまだに非難される(差別主義者だ)。ああ、だからデート屋なんてことはできるはずもないのだ。女の子には優しくしてくれる男が何より必要なのだから。平先生ごめんなさい。謝られてもなぁって感じだと思うけど。

読書 吉田修一「東京湾景」 新潮文庫
 Yonda?パンダが欲しくて買いました(爆)。冗談はともかく、どうなんじゃろ。ないないねだりの美緒はともかく、肉体で存在する男が出会い系にアクセスしたりするのだろうか。そもそも、マスコミで言うほど出会い系はポピュラーなのか? ネット野郎の私としても疑問に思う。枝葉末節だが。


'06.7.28  随筆

川の字

 うちは家族4人で並んで寝ているが、珍しく朝一番目に起きたりするとどんな順番で寝ていたか分からなくなることが一瞬ある。寝相が悪くて順番が変わっていることもあるが、妻かと思っていたのがよくよく見ると上の娘だったりすることもある。親子だから似てはいるが、9歳児と自分と1つ違いの女性を見間違えるのもどうかとは思う。そんなで横になったまま娘をじっと見ていると、不意に寝返りをうたれて腹に踵落としを喰らったりする。そんなのは寝返りとは言わないか。

 「何にしても、自分が世界で1番から3番目に好きな女が並んで寝ているのを見るのは幸せなものだよ」とわざわざ口にしてみたところ、例によって妻には鼻で笑われた。たまに文章だけでなく口でもくさいことを言ってみたりするのだ、私は。娘に言っても鼻で笑われるだろうか。朝の連ドラを見ていても男女が見つめ合うシーンなんかでは「ひゃーっ。きゃーっ」とか恥ずかしがったりする。まさか鼻では笑わないだろう。意味分からないということはあるかも知れないけれど。今度言ってみよう。

 とまあ、例によって文章で書くほど日々幸せ家族なわけではないのだが。それは置いておいて、先日ふと考えたのは、夫婦で同じ職場というのはどんな感じだろうという事だった。割に気心の知れた得意先が部署違いだが同じ会社に勤めている。子供はいないが私と同世代である。やりにくくないのかな。

 もっともよく考えたら、自分も妻とは同じ職場で知り合ったのだった。職場同じで恋愛関係の相手がいるというのは、当人も周りもやりにくいだろうなぁ。しかし結婚して10年越すと単純に恋愛関係というのとも違うからむしろ良いか。考えてみればそんなのその辺の商店なんかでは普通のことだしな。

 まめで働き者の妻からすればぐうたらな私とは、夫婦より仕事仲間になる方が厭だと言われる気もするが。


'06.7.2  随筆

歌舞伎町バー情報(但しかなりナロー)

 しばらく酒場の話を書いていないが勿論行っていないわけではない。というか相変わらず呑んでばかりである。今回は最近よく顔を出している歌舞伎町の2軒のバーについて。あまり綺麗ではない薄暗い裏路地にあり21時を過ぎると客引きやホストだらけである。G街の店よりある意味入りにくい。住所はあえて書かない。ちなみにこの2店実は隣り合わせにある。

■BAR CROSS
 本欄で何度も出ていて店名は明かさなかったTさんことtooruさんの店。歌舞伎町裏路地のボロビル3階にあり階下が裏DVD屋というのは後段のBLACK LUNGと全く同じなのに、客層がまるで異なる。というかそもそもこの店と同じ客層の店を見たことがない。経験豊富で酒もよく知っているtooruさんは一見フランクな感じだが、万人に優しいわけではない。それがここの客層を維持しているとも言える。

 ちなみに彼と私の好み故だがドラフトはなんとハートランドである。ズブロッカもイエーガーもある天国。3本の水槽と、たまに彼が連れてくる愛犬「白玉」も私のお気に入り。

営業時間 20:00〜朝
チャージなし 1杯500円〜1,000円程度

白玉
白玉。スピッツと柴の混血とか。小さい時は丸くて本当に白玉だった。

■BAR BLACK LUNG
 "硫黄島帰り"のオーナー・ふる君と"刺青ミュージシャン"の店長・おさむ君というキャラの全然違う2人の店。場所の割にはまともなお客が多い。

 珍しくつまみの話を書くが、ピザを頼むと目の前で生地を伸ばすところから始める。「こういう店で(出来合いの物を)ただ出すんじゃ面白くないじゃないですか」というのは賛成だ。大して時間も掛からない。呑む時食べない私だがつい頼んだりもする。

 ちなみに私が通っているからでもないが大瓶のズブロッカがフリーザーに入っている。紅茶のリキュールがお馴染みのティフィンでない珍しいのを置いているのも○。

営業時間 18:00〜朝
チャージなし 1杯500円〜1,000円

階段
無謀にも自転車で行った時の画像。周辺は"行儀の良くない通り"なので店の入り口まで運びこんだ。


■Dining Bar Alley
 ところで最後に場所は変わって神田。しばらく休んでいた田丸さんが復帰した。いろいろ布陣も変わり、ウェブサイトも変わったので改めてご紹介。詳細はホームページを。


神田駅・大手町駅近く 地中海料理とカクテルのおいしいバー

読書 平 安寿子「素晴らしい一日」 文春文庫

実は表紙買いに近かったのだが思いのほか面白かった。彼女の作品にはしばしば"駄目な男"が登場するが、それらが「駄目なりに」ではなく「駄目故に」素敵に描かれている。あとがきで著者自身がユーモア小説と書いていたが、なるほどと思った。

 


'06.6.25  随筆

AB間に於ける遠藤さん像の検証

 午前中の電車に乗ると、隣り合わせた同世代くらいの女性2人が割合大きな声で話し始めた。あまりに途切れなく続くので、そのうちこの2人は一体何をそんなに話し続けているのだろうと思うようになった。

 しばらく話し声ではなく内容の方に気を向けていると、これが本当にとりとめもなく続くのだ。しかも一方がずっと話していたかと思うと突然全然噛み合わない返事を返したり、話すことの意義自体を疑問に思うようになる。あまりに迷走するので聞いているこちらが混乱しそうになってくる。私はメモパッドを鞄から取り出して、話の流れを整理しながら書き留め始めた。

A遠藤さん(何かの集まりの責任者?)
 A→ある日駅前であったときの応対について。細かい描写あり。オチなし。
 B→服装の趣味について。誰だか、お笑いタレントに似ている? 思い出せず。
 A↓あるお笑いタレントの出ているCMについて。 ↓
 B↓別のCMに出ている女優の結婚相手について。 ↓
 A遠藤さんはHというお笑いタレントに少し似ているらしい。

 こんな風なことを書き留めていると、やや痩せている方の女性(A)がこちらを見る。「何してるんですか!?」ぐらい言われると思っていたが、こちらが顔を上げると目を背け、もう一方の女性に何か耳打ちをした。至近距離なのにまるで聞き取れず声すら出ていない様でもあった。何かの暗号通信か。しかしそれでコミュニケーションが取れるなら、なぜ今まであんな馬鹿みたいな声で話し続けていたのかがわからない。ふと気付くと2人は5mくらい先まで移動してしまった。

 「こんな下らない話をよくあんなに続けられるなぁと思って書き留めていたんですよ」くらい言ってやれば良かったかも知れないが、実際の所は批判ではなく興味のために書き留めていたのだからそれはいいか。

読書 吉田修一「日曜日たち」 講談社文庫

5つの短編に横糸の様に幼い兄弟の存在が通っているが、結ばれているのとは違う。まさか最後で結ばれるのかと思ったが、それはなかった。ところで本作になにか軽い違和感を感じたのだが最近一人称の小説ばかり読んでいたせいだと気が付いた。

 


'06.6.15  随筆

ウェブサイト三昧?

 今年度、"父母連"の役員になった。市内各校の親の代表を集めた組織だ。PTAと違うのは小学校ではなく学童クラブの父母会であることか。仕事などのために放課後子供を預けている親の集まりであるから、平日の午前中に集まるなどということはないし、打ち合わせも比較的効率的に進められる。

 くじ引き選挙ではなく立候補したのは、娘2人でこの後計5年間は世話になるのだから、周りに知った顔がいるうちにやるかというつもりだからである。去年の騒動(夏休み期間の集中工事で学童クラブの子供の安全確保を要求する活動をした)で割合親しい人も出来たし。と言っても何も中枢の運営に携わるわけではない。平日ほとんど地元にいないのだから物理的にその手の仕事はできないのである。

 そういう訳でその組織のサイト再構築とMLの管理担当を志望した。それ以外のものになってしまうと面倒なので、会長(前年度からの留任が決まっていた)に改選以前からサイト改良の提案書を出したりしてポスト確保の根回しまでしていた。

 なんてことをやっているうちに、勤務先でリクルート対策を主にウェブサイトを立ち上げることになった。デザインの会社だからデザインはデザイナーがやるのだが、ウェブ用のローカライズというか、その辺は全て私の仕事になる。紙もののデザイナーだから寸法も含めてウェブ向きな作りは無理だし、結局一つひとつのパーツ(ロールオーバー時のボタンとか)は私がやらねばならなかった。仕上がりが遅いとボーナスに響くとボスに脅されたので、CSSなど一切使わずHTMLで分割画像をテーブルにはめるという旧い作り方で1週間ほどでアップした。10P程度のボリュームだからHTMLのコピペで充分と考えたのだが、実は英語ページも必要で、倍の分量となった。

 公私共にウェブサイト三昧となってしまっている。…いや、元々か。別にいいんだけど。

読書 姫野カオルコ「すべての女は痩せすぎである」 集英社文庫

そうだ。痩せた女なんか魅力的でも何でもない。と言うまでもなく、世の男性の嗜好はそうなんだと。じゃあ何で痩せるのか? 何で男性にとってプライオリティの低い肌の綺麗さに拘るのか? それはまあ、構わないんだろきっと。


'06.6.11  随筆

朝寝坊

 朝、目を覚ましたが、今日は仕事も休みだしまだ寝ていようかと考える。横になったまま隣を見ると、上の娘はまた変な方向に頭を向けて寝ていた。寝相があまり良くない上に寝起きも良くない。まあ休みなのだからゆっくり寝ていればいいさと妙にやさしい気持ちになる。

 でも自分はそんなに沢山寝なくても良いか。起きて何をするかなと考えていると、ふと、今日が休日でも何でもないことを思い出す。身体を起こすと妻はいない。耳を澄まして階下の気配を探ると、水の流れる音がする。しかしそれは洗濯機の自動水栓の音の様だった。

 しばらく考えたが、なぜ自分が今日を休日と思ったのか理由が分からない。翌日休みという設定の夢でも見ていたのだろうか。とすると、多分解放感のある楽しい夢であった様にも思うのだが、残念なことに全く思い出せない。断片だけでも記憶に残っていればと思い出そうとするが、勿論そういう時は何も思い出すことはできないものだ。

 それでは昨夜の過ごし方に、その夢に続くものがあったのだろうかと考えてみる。いつものバー。いつもの店主。顔見知りの客が数名。背の高い男、陽気で悪い人じゃないんだが、ちょっと苦手なんだよな。放って置いてくれれば良いのに、大概向こうから話し掛けてくる。いやまてよ、昨夜はこちらから話し掛けたのだっけ。いや、単に最初の一杯で「お疲れです」とやっただけだった。

 女の子2人は賑やかだったな。自分としては基準すれすれの賑やかさだったが、まあいい。奥に座った方の娘はちょっと可愛いかったな。色白で頬がぷっくりしていて、でも何か寝相が悪そうだった。しかし何で寝相のことなんか考えたのだろう。全然エロティックなイメージではないのだが…。

 と、ここで自分がまた寝息を立てていることに気付く。頬のぷっくりした上の娘はそのままの位置に寝ていた。廊下から足音が聞こえ、ドアを開けた妻が「何でまだ寝てるのよ、2人とも!」と言った。

読書 中村文則「銃」 新潮文庫

特に銃好きでもない人の銃の描写というのが気になって買ってみた。芥川賞作家で、帯に「瑞々しい感性、しかも圧倒的な力量!」とあったが、冒頭4ページですっかり読む気を削がれてしまいとても困った。専業者として断言するが、「!」の付いたコピーは信用しない方が良い。


'06.6.5  随筆

忘れがちな乳歯

 子供にとって歯の生え替わりはちょっとしたイベントで、上の娘も初めの数本はビニール製のケースか何かに入れて居間に飾ったりしていた。もっとも私の娘であるから大抵はすぐに置いたことを忘れているようで、場所が変わっても気が付かないでいた。その歯には虫歯の治療痕があり親としては苦々しく思うし、それにそう見てくれの綺麗なものでもないのでそのうちどこかにしまおうと思うのだが、こちらもいつの間にか忘れてそのままにしてしまうのだった。

 「下の歯は屋根裏に。上の歯は縁の下に」と言われる。子供の頃は理由など考えず嬉々として抜けた歯をどこぞに投げに行ったものだ。そうすると健康な歯に生え替わるからという話は、大きくなってから聞いたせいかあまり切実な感じがせずわざわざそんなことをしなくてもと思っていた。

 私は幼稚園に上がる頃から小学校4年まで団地住まいだった。団地には屋根裏も縁の下もない。ただ、土台部分に通気口があったので、上の歯はそこへ投げ入れた。コンクリの土台からそれこそ歯が生えたみたいにがっしりとした鉄格子が出ており、中から時折流れてくる薄ら冷たい空気は黴臭く覗き込むと中は真っ暗で少し怖かった。もしここへ間違って大切な物を落としてしまったらどうなるんだろう。取り出す方法はあるのだろうか。大体この中はどうなっているのだろう。同じ棟の子供達がみんなここへ歯を投げ入れて中は歯だらけになっているんじゃないかと想像してまた怖くなった。

 夏休みに泊まりに行く祖父母の家は半洋風の古い家で、縁の下はなかったが床下にも屋根の下にも通気口が空いていた。祖父母と一緒にここへ歯を投げ入れた想い出は何となく嬉しいイベントだったが、なにせ小さい頃のことなので細かいことは覚えていない。

 その家の跡地に今の私の家が建っている。そういえば解体する時は歯のことなどすっかり忘れていた。探せばどこかにあっただろうに。


読書 長嶋 有「猛スピードで母は」 文春文庫

本欄に「できれば表紙の画像を載せて、書評もちゃんと書いて欲しい」とオーダーがあった。H嬢からなんだが。画像も面倒臭いが、書評は読み始めも読み終わりも合わせての「今週」なのであり、紹介する時点で中身をほとんど把握していない場合もあるので…。そんな訳でいつまで続くか分かりませんが。


'06.5.18  随筆

いらっしゃいませ

 「いらっしゃいませ」くらいちゃんとした日本語で言って欲しいよな。といっても何も私はチェーンの定食屋で働くパートの中国人の平坦で早口な「いらしゃいませぇ」に文句を言っているのではない。中国政府は嫌いだがパートの中国人が嫌いなわけではない。いや、厳密に言うとあまり好きなわけでもないが。

 彼女たちは今や日本の飲食産業に必要不可欠な労働力なのだ。あれだけいるんだから必要なんだよな、多分。よく行くSCに入っているテナントなんか、中華もイタリアンもしゃぶしゃぶもみんな中国人だもんな。それにしても日本人の店員はどこ行っちゃったんだろう。少子化か? 2007年問題か? 人手が足りなくなるくらいの飲食店ラッシュか?

 おっといたいた目の前に。そう、入ってくるなり意味不明の言葉を頭の上でがなっていたのが日本人店員だ。日本人なんだから「いらっしゃいませ」くらいちゃんとした日本語で言って欲しい。別にしりあがり寿の漫画みたいに「いゃーっせ」とか言ってるわけではない。何だか分からず怪訝に思っていると、これはインドネシア語の「いらっしゃいませ」なんだそうな。話し掛けて確かめたわけではない。メニューの初めに書いてあるのだ。こういうメニューの作り方もある種のCS向上か。んなわきゃねぇか。共産圏にはCSってあるのか?

 そう言えばチェーン定食屋のパート、よく見たら南方の顔をしていたんだった。植民地の国だからCSは…おっと。自分なんか植民地産みたいな物喰っててよく言うよな。定食屋で頼んだのはチキン南蛮定食。妙に甘酸っぱいタレとフリッターみたいな衣。肉なんか鶏だか何だかわからんし。でもいちいちそんなの気にしていたら何も喰えないだろう。口にするもの全てが不味くなる。ある意味不幸だ。

 そんな訳で今日のランチは挨拶のよく分からない店で名前のよく分からない物を喰う。そして原材料や接客のことはともかくして、不味かった。駄目じゃん。


読書 海月ルイ「プルミン」文春文庫

 タイトルを見て妙ちくりんな架空生物の話か何かかと思ったら、架空の乳酸飲料の名称で、毒入りのこれを飲んで小1の子供が死ぬところから始まるミステリーだった。

 ミステリー作家の卵を知人に持ちながらミステリーは全く読まない私だが、これはどうも違う気がして買ってしまった。背景にPTA内での親達の心の闇が描かれているなどというカバー裏の紹介文にも引っ掛かったのだと思う。

 結果として面白くてあっという間に読んでしまった。しかし少々早過ぎる。いつも読んでいる本とは密度が異なるのかも知れない。まあ面白かったけど。

 まず作者名に惹かれたんだろと思うあなたは随分と当サイトを贔屓にして下さっている方であろう。


'06.5.10  随筆

辛みソース

 テーブルに唐辛子の漬かったオリーブオイルが出た。こういうのを買おうと思うと意外にないんですよねと言ってみた。別にどうでも良い話なのだが、誰かが何かを喋らないとまだまだ場の馴染んでいない雰囲気だったのだ。実際に自分で探してみたこともあった。しかし品川の高級スーパーでやっと見つけた輸入品は、なにやら酸化した油のような香りがして思っていた物と違うのだと話した。

「私に言わせりゃ、それくらい自分で作るもんだと思うけどね」

 A女史が言い放ち、私はとりあえず「へえ作られるんですか。コツとかあるんですか」と訊いてみる。プログラムされた様な応答だ。

「別に。ただ漬けるだけよ。簡単。手間が掛かるものじゃないよ」

 周りの同席者達は一様に頷く。

 まあそうだろうな。でも、実際の所、私は調味料なんぞにそんな手間をかけるつもりはさらさらないのだ。買って済むならそれで良いか位の気持ちである。相手がそういう物言いをする人なのはその場にいる人間全てに分かっていたことだし、そもそも彼女は得意先であるから、私の生活に於ける調味料のプライオリティの低さなぞ伝える必要はない。そんなことを考えている内に彼女の言葉は別の誰かが受け取っていた。

 それに、確かにそういう基準は人それぞれで、特に私の様な「趣味人」には人様をとやかく言う資格はない。甥っ子の玩具の部品がもげたら、リューターで穴を開け金属線で補強してエポキシ接着剤を流し込んで取り付けたりするのだから。

 私はとりあえず流れ始めた雑談風景を眺めながらパスタに件のソースをかけた。いつだったかどこかのイタリア料理屋に置いてあったソースと同様の物だった。「ああ、これだよこれ。これが普通に売っていれば文句はないのにねぇ」と、ふと独り言を言っていた。「作ってまで欲しいとは思わんけどね」とまでは口にしない。そういうのを“天に唾する”と言うのだと思い当たったからだ。


読書 角田光代「真昼の花」 新潮文庫


'06.5.5  日記

"多摩猫屋敷"初体験

 人混みが嫌いでキャラクターに興味のない私であるが、このGWにとうとう多摩センターにある"多摩猫屋敷"を初体験することとなった。と言っても家族は何度も行っており送り迎えでは私も近くまで行ったことはあるのだが、今回は家族揃って電車で行った。

 さて多摩センターと言えば重松清である(笑)。ああこれが斜陽して行くかつてのマンモス新興住宅地か。などと無責任な先入観で駅前を眺めると全然そんな感じはなく沢山の人手で賑わっていた。

 その人の流れの先にあるもの…と思っていたら"猫屋敷"の入り口は意外にガラガラ。混雑のためアトラクションの待ち時間が長くなる旨を告知するボードが掲げられていたが本当だろうかと訝しく思いながらすんなり入場。浦安と比べてはいけないらしい。

 しかし実のところ、人気のショーで席を取ったりパレードの場所を確保するのは大変なことだった。特にステージやパレードは狭い館内の特定位置を確保するため30分以上そこにいないとならない。それを知らないとオープンスペースなのにまるっきり何も見られないのだ。それにしても、それらをいちいち手際良く場所確保していく私の妻の段取り良さは一体何なのだろう。

 そんな訳で9時頃の入場から19時頃の出場まで、3つのショーと2つのステージにパレードと乗り物その他諸々。初"猫屋敷"としては上出来な体験だったようである。

 屋内で圧迫感があるのではないかとか、浦安よりちゃちなのではないかという先入観が私にはあったのだがそうでもなかった。浦安のような乗り物主体ではなく、小劇場の集合体のような構成で差別化は図れていたし、スペースの狭さは差ほど気にならなかった。ショーもぬいぐるみはむしろ飾りで、主体はちゃんとしたダンサーと雑伎団風の曲芸で、キャラクターに興味のない大人でも楽しめるようになっており、その辺は浦安と違う様に思った。

 いや、また行きたいわけではないんだけどね。

参考
サンリオピューロランド 公式サイト
お父さんのためのピューロランド講座(略称:おとぴゆ)


誰も外に並んでいませんが。

ぬいぐるみはともかく…

ダンサーは綺麗で踊りも上手い。

ネイルアート。ちっちゃい爪相手にがんばってます。