随筆/日記
公文書

'05.4.29  日記

連休前夜

 どうしようもなく残っていた事務処理は、3日連続撮影立ち会いの賜物。嫌々のらくらやっていたらあっという間に9時を回ってしまった。こんな時間からわざわざMODに行ってもしょうがない。新宿もな…。いろいろ考えた末に会社から徒歩数分のAlleyに寄ることにした。

 さすがに連休前夜、しかも給料日後初の週末9時過ぎの神田は大変なことになっている。Alleyも結構な賑わいとなっていた。ちょうど波の引けるタイミングだったようだが、すぐに寄せてくる次の波は見えていた。たらたら足元の貝なんか眺めていると、気付いたら波打ち際から十数メートルなんてことになりかねない。

 ふと「4日集合」の話を思い出す。そう、5月4日はN君のオモテMODでの初ピンの日である。"関係者"は開店5分前から押し掛ける計画である。ここに書くのを忘れていた。

 店の方に梅酒の話('05.4.15)読みましたと声を掛けられる。お名前伺い忘れにて失礼。下手なことは書けないな(笑)。

 空腹だったのだけど、どうも厨房へは田丸さんが入るようで、自分が頼んでそれはどうかなと気が引けて、ビールとウオツカトニック計3杯で退出。

 腹が減っていたのでまたも駅前の立ち食い蕎麦屋に。先日とは違う店。こんな店あったかな…。野菜いっぱいのエビのかき揚げは、ちょっと油の切れが悪かったけれどまあ良しとする。どうせ酔っぱらいなのだし。

 翌日は朝出発で山梨行き。深酒禁物であるし、適度なタイミングで切り上げないと。では締めは地元"H"で。結局行くのかとわざわざ突っ込む読者はここにはおいでではないだろう。

 GWの予定、そういえばちゃんと考えていなかった。決まっているのは山梨行きと銀座のミッフィー展。あとは芝の手入れをするつもりなんだが。

 結局それか。


'05.4.25  随筆

「56歳のオヤジ」

 隣り合わせた面識のない常連客。しきりに自分のことを「56歳のオヤジだから」と言う。56歳と聞いて意外に若いとも案外老けてるとも思わない。見たなりで、確かに56歳に見える。だからなぜそんな言い方をするのか不思議に思っていた。

 その疑問はすぐに解けた。それは決めの捨て台詞だったらしい。「56歳のオヤジのくせに付きまとわないでよ」と、37歳の"相手"に言われたらしい。「そんなこと37のオンナに言われたくないよねぇ」と言う。分かる様な分からない様な。

 例えばその年齢差なら私の場合、相手は19歳。19歳の女の子だったら何でも言いたい放題言うだろう。というか私は19歳の娘に付きまとったりはしないと思うが。まあ別にそんなことはどうでも良いや。

 一見19歳年下の女性と付き合うような人には見えない。シブいおじさまタイプでも、パワフルなオヤジタイプでもない。とりわけお洒落な訳でもないし、お金を持っていそうにも見えない。こうして見てみると、相手の女性というのもセクシーだったりオシャレだったりキャリアだったりという訳ではなさそうな気がしてくる。

 話してみると、クルマの趣味は凝っている。旧いアルファやジャガーなど。まあでも、大抵の女の子は興味もないだろう。ただ、その車種のバラつきを聞いてひょっとして浮気性かもとは思ったが。それから、多少はお金が自由になるのかもとは思った。

 わかったのは、バツイチであること(不倫じゃないのね)。そして最近19歳年下の彼女に振られたという事。それだけだ。「なぜ」とか「その人がそれをどう感じた」というのは分からない。勿論分からなくて良い話なんだが。

 56歳のバツイチの自分が19歳年下の恋人に振られるところを想像してみる。酔っぱらうとどうしようもないことばかり考えるものらしい。そして、酔っぱらうと、どうしようもない結果しか思い浮かばない。いや、酔っぱらっていなくともそれはどうしようもない気がするが。


'05.4.21  随筆

歩行社会人

 運転免許をお持ちの方なら「交通社会人」という言葉を一度は耳にしたことがあるだろう。ドライバーたるもの交通社会のルールとマナーを理解した人たらん、という訳であるが、実際にはそうである人ばかりでないのは社会全体と同じ事か。

 例えば、もっと狭義に「歩行社会人」があったとして、このマナーも地に落ちている。ヒトの歩き方にはクルマの様な法的制限はまずない。ぶつかったところで怪我でもさせない限りは賠償もなにもない。賠償どころか謝意を表す一言すらない場合も多い。ヒトが集中するところとなるとその無法ぶりは顕著である。下向きの矢印が数段置きに貼られている駅の階段をどういう神経で登ってこられるのか分からないが、それでぶつかっても素知らぬ顔。手すりで区分けされ「左側通行」とサインが掲げられた通路を逆走するヒトも多い。

 片側2車以上の道路をクルマで走っていて、うっかり右折車線に入ってしまうことは誰にでもあるだろう。そこそこ交通量があり簡単には戻れなさそうなこともある。余程急いでいるのでなければ、こういう場合流れに合わせて右折をしてしまうのがスマートだろう。その先で何度か曲がれば大抵は元に戻れるのだし。たまに、ウインカーを出して無理矢理に直進車線に戻ろうとして、挙げ句に踏ん切り悪く鼻先と尻で2車線を止めてしまっているクルマを見掛けたりする。ドライバーが図々しい心持ちであれ、だらしない考えであれ、結果は同じで見苦しいし迷惑であることに変わりはない。

 クルマの場合これは明らかにマナー違反なのだが、これが歩行者となると不思議な程に皆が無頓着になる。本当に不思議だ。日本人の6割以上が運転免許を持っているだなんて信じられなくなる。

 動線設計のいい加減な駅だとこれは頻繁で、いつもウンザリする。いやそもそも駅の動線設計などそう思うようになるものではなく、これはあるいは不可抗力であるかも知れない。

 それにしてもJR神田駅がウンザリするのはヒトの問題でもあろうか。


'05.4.15  随筆

梅酒

 わざわざ銀座に出る気もせず新宿の喧噪も煩わしく思い、神田で1杯ということにしてBar Alleyに寄った。店内に入ると意外に明るくカウンターに客がいない。何か間違ったかと思ったが、いつもとは全然違う時間帯であったことを田丸さんに指摘され気付く。私は照明の落ちる9時より前に来たことがなかったのだ。

 それでもとりあえずいつもの様に飲み始めると、工藤さんに特別な酒を案内される。モルトの類には造詣も興味もない私なのだが、これがなんと梅酒だという。時期としては「今、梅酒?」と思ったのだが、サントリーの山崎蒸留所でしか手に入らない代物らしい。実は私は梅酒好きなのである。庭に梅の木がある家に育った酒呑み家系の者で梅酒に興味のない者もなかろうということである。ウイスキーの樽で漬けたという梅酒は独特の香りがした。梅酒の話はそれだけで終わらず、彼がお客さんから頂いたという果実酒瓶に入った梅酒も少々お相伴にあずかった。この梅酒も良い感じだった。しかし私は2つの梅酒を飲み較べながらも、昔うちにあった古い梅酒はどんな味だったか思い出そうとしていた。それも何か今呑んでいる梅酒に失礼な気がしたが、相手は酒だし許してくれるだろう。

 すっかりいつもの時間になって帰路につくが、とても腹が減っていることに気付く。そういえば珍しく何かつまもうかと思ってAlleyに寄ったのだということを、梅酒に夢中になって忘れていた。気付いたのが店を出てからだったので、仕方なく立ち食い蕎麦屋でザルとかき揚げを頼む。これは…焼酎が欲しいかも。しかし当たり前だが駅の立ち食い屋に焼酎なんかない。

 ところでAlleyには近々、新たに料理人の方が入りメニューも変わるようである。そうしたら、何もこんなところでこんなものを食べなくて良いのである。…いや、そもそも腹が減っていることを忘れちゃ駄目だけどね。


読書 重松 清「明日があるさ」 朝日文庫

「海辺のカフカ」読了。どうだろう私は普通に読めたし"神の子"よりは読みやすかったのだが。
ところで 先日の"シャーペン"嬢の生存を確認。芯が砕けて目の中に残っていたのを摘出したらしい。怖い怖い。


'05.4.13  日記

眼球

 多少呑み過ぎた頭で見た夢は意味ありげでいて訳の分からないものだ。「女をどこかに連れて行かなければならない」。「状況」は私にそう伝えていて、目が覚めてからもそれは覚えていたのだけれど、はて何の事やら全く分からない。

 娘は朝、妻が保育園に連れて行った。部下(組織上そういうことになる)のH嬢は地図が全く頭に入らない困った人なのだけれど、馴染みの得意先くらいは分かるので自力で打ち合わせに行ける。得意先の構内で行き会ったM嬢に「この間のお店、今度また連れて行ってくださいねぇ」などと言われるが、それは愛想なのか本気なのかは別として今夜のことではないらしい。

 なんだったのかねぇというのも忘れ、社用呑みの呑み直しで馴染みのAngelに寄ったがほとんど客がいない。カウンターには顔馴染みが一人いるだけだった。

 ところがどうも好調に呑んでいる風でもない。うつむき加減に目をしばたたかさせている。どうしたのと訊くと仕事中にシャーペンを目に刺したと言う。それも黒目だというのに呑んでいる。どうなってるんだと訊いてもよく分からないと言うから、ああちょっと失礼するよと携帯電話の撮影用ライトを点灯させて目を覗き込んだ。「ちょっと上向いてみて」なんて言いながらまぶたを押さえてよくよく見ると、黒目の中にツプリとした傷が明らかに見て取れる。

 あまり騒いでは本人の気持ちが悪くなるかも知れないと考えて「これは絶対診てもらった方がいいよ」と平静ぽく言いながら店のN田さんに電話帳を出して貰う。本人は携帯で調べる、なんて呑気なことを言っているが、これは多分電話帳くってる場合ではないなと思い始め、都の救急医療案内の番号に電話をした。どうも知ってる病院ぽいなと思ったら戦闘衛生兵の勤務先だった。

 結局、終電間近でもあったし、本人は何せ職場から歌舞伎町へ来てビールと焼酎を呑むくらいだから診察までは大丈夫だと思い、最寄り駅に急いだ。

 ああ、これだったのか。


'05.4.9  日記

花粉・シャツ・話題

 昨年アレルギー検査では反応は出なかったが、今年はどうも花粉の影響と思われる諸症状に見舞われている。特に目が痒い。公園まで娘のサイクリングに付き合うのはいいが、さてゴーグルはと探すと当然サバイバルゲーム用のゴツい物しかない。背に腹はと思えど、これで迷彩服ではモロである。…着替えればいいのか。

 そんな訳で先日はさすがに洗車をしたが、とにかく物凄い状態だった。身体にも悪いのだが、これで濡れたりすると塗装面を浸食するのでタチが悪い。

 唯一明るい話題は件のシャツが上がってきたこと。"パターン"オーダーなので何でも好きに作れるわけではないが、なかなかに好み通りに出来上がった。生地の色はもちろんボタンの色、襟・袖・ポケットの形、実のところ既製品ではあまり見当たらない。着心地も悪くないし、アイロンの滑りも良い。伊勢丹PBのシャツを1枚持っているが、着始めのしばらくはアイロンかけの際に入念に霧吹きをしなければならず閉口したが、そういうこともない。

 ところで、会社内で本欄が話題に上ることがよくある。それもどんなものだかということで、当面プライベートな話(らしく読めるもの)の一部はmixiにのみ書くことにした。入れる人はそちらへどうぞ。HNはそのままなので。

 今の形式に強く不満を感じている訳ではないけれど、どこかのタイミングで栴檀林の形式を変えたいと考えている。例えば「小隊司令部発」だけblogにするとか。しかしアサヒネットのblogは未だ試験運用のまま。フリーので良いと言えば良いのだが…。

 年度末を越えてやや気持ちに余裕が出てきたが、こういう時の方がむしろ何もしないものなんだよな…。



今日知ったことだが、とうとうカンヤさんの「インドア野郎!」が閉鎖となった。
お疲れさまでした。
 
読書 村上春樹「海辺のカフカ」(下) 新潮文庫

'05.4.3  随筆

パターンメイド・シャツ

 シャツを仕立てることにした。

 と言っても半ば止むに止まれずである。求める色の既製品が全く見当たらなかったのだ。これからの季節、ほとんど全ての色はパステルカラーの類に置き換えられてしまう。ダークグリーンのシャツはどこも置いていないのだ。既製品はまだしもオーダーシャツでも生地が見つからない。

 ところが先日、妻が百貨店「I」のオーダーにダークグリーンの生地を見つけたという。「I」は以前妻が勤めていたということもあり頻繁に利用しているため"特別優待割引"になっている。「シャツ作るならIでね」。

 そんな訳で新宿「I」に寄ったが、4階オーダーシャツ売場にはダークグリーンの生地がない。1着2万円超のブランドでも同様である。おろおろするのは年輩の店員さんの方だった。それに気を遣ってしまう様な態度の自分に腹が立ちさえして、「いや、妻の見間違えだったのでしょう」とその場を立ち去った。何かスッキリしない。

 ところがその階から降りていき、1階のフロアを悔し紛れに回ると、既製品シャツ売場の一角に生地の山を発見。しかも1点だけダークグリーンがある。

 そこはまさしくオーダーシャツの受付カウンターだった。生地のカタログを見せて貰うと、より自分の好みに合ったカーキがかったダークグリーンの生地もあった。結局私はそこでシャツを2枚仕立てた。担当してくれた女性に言った。

「4階でオーダーシャツの売場はIさんではここだけですかと訪ねたら、そうですと言われたんですが」

 すると彼女は「こちらはパターンメイドの売場ですので、それでそう申し上げたのではないかと思います」と恐縮して言った。

 客にとってはシャツを仕立てることに変わりはないだろう。それにわざわざ訊かれたら、ついでにパターンメイド売場の案内もするのが普通じゃないか? 両売場には何か軋轢でも? 紳士服部と紳士洋品部の違いとか? 

 それともこれは伊勢丹だけのことだろうか。


'05.3.31  随筆

25mプールと神田Bar Alley

 Bar Alleyは神田にある。前にも書いたように人に紹介して貰った酒場で、MODのN君の紹介だ。

 神田の開拓は半ば諦めていたこともあり、これは拾いものだと思った。雰囲気はなかなかに良いし、ちゃんとしている割にかなりリーズナブルだ。何せワンコインバーであるし。ドリンクもフードも全て500円だ。

 チーフバーテンの田丸さんはN君と同じく日比谷Bar出身だ。日比谷に女性バーテンが出始めた頃の人だが、それはちょうど私が日比谷に通わなくなった時期であり、私は彼女のことを全く知らなかった。さっぱりとしていて姿勢が良い。長いバーカウンターの端から端までを、細かく客を気遣いながら往復する。勉強熱心で(あるいは酒好きで)海外にまで酒を飲みに行ったりもしている。

 神田駅の周辺は直線の路地に囲まれていながらも、微妙に斜めに交差していたりして、近いと思う場所も意外に遠いことが多い。職場とは駅を挟んで反対側というだけだが、実際には結構歩く。そういうこともあってそうしょっちゅう顔を出しているわけではない。

 土地柄練れた中年男性客が多い。しかし立て構えは洒落ており店内は静か。「オヤジの呑み屋」という雰囲気はあまりない。たまに女性の一人客が一人で酒を呑みながら本を読んでいたりする。

 前は名の知れた蕎麦屋だかが入っていたという敷地は、間口の割にやけに奥に長く、カウンターも長い。25mプールが作れるんじゃないかと思う。ただし1コースだけだが。

 「25mプール1往復分の心地良さ」と書いて分かったような分からないような。いい加減なキャッチフレーズしか浮かばないのは私が疲れているだけで、店のせいではない。Bar Alleyが開いている時間の内には帰りたいなぁ。しかし神田で12時閉店というのは行儀良く帰れる丁度良い時間だ。


酔う前からピンぼけで失礼(笑)。ここも入口に樽がある。


結構ちゃんとしたサイト。店の運営会社が「デジタルネットワーク」という名前なので妙に納得(笑)。


 ところで、本項ではしばしば名前の出る銀座のバーMODであるが、記事の住所などを参考に店を訪れる方がたまにいらっしゃるそうだ。同店は、他の紹介した店のいくつかとは違いウェブサイトを持たないということもあり、店の外観と共に住所や連絡先を明記している。うちが参考にされるのは、そういうサイトがうちだけということもあるだろうし、実際ウェブ検索でも上位のためだろう。I君に「ある種の宣伝効果があるんだからビール1杯でも」とたかってみたが、あっさり拒絶されてしまった。そうだ、その前にツケを払わないと…。

 ちなみに店主Kだけ何かの折りに名前を書いたが、他がイニシャルなのは自前で名前を公開していないからというだけで他意はない。

忌々しくも備忘録。うちの世帯の浴室の電球が切れた。読んでますか? ミサワホーム関係者の方。なんなんだよ。

'05.3.26  随筆

グランドフィナーレ

 もうひと月ほど経ってしまったが、「グランドフィナーレ」を読んだ。芥川賞受賞作掲載号の「文藝春秋」を買ったのである。直木賞の角田光代は何冊か読んでいるが阿部 和重は読んだことがないので、わざわざ単行本買うのもなと思ったのだ。ここに大雑把な筋だけ載せておいてもあまり意味はないか。各位の興味の範囲で収集された情報で本稿を読んでいただければよい。同作品を「是非読んで下さい」とは私は書けないし。

 私は作品を読むより前に、なぜか石原慎太郎の酷評の方を耳にしてしまっていたが、同じ選考委員の評の中では村上龍のものがとても腑に落ちる。もっとも批判ばかりであるのに支持しているのが不思議だが。

 同氏が書いている様に、書くべきテーマがあり書かれているのだろう(しかし、では他の作品はどんな程度だったんだろう…)。が、しかし、リアルじゃないのだ。結婚して娘のいるロリコンはいるだろうし、現に件の凶悪犯はそうであった。しかしそういう人間はドラッグの臭いがするクラブに出入りしたりするだろうか? そんなところに知人を持つだろうか。

 私自身がそうであるように、私の友人にはいわゆるおたくが多い。情欲の嗜好まではよく知らないが、少女性愛嗜好の者はどうやらいないようではある。従ってリアルにその像を把握は出来ていないと言えるのだが、どう考えてもこの作品でそういう人物が描かれている様には感じないのだ。

 冒頭に出てくるくどくて甘ったるい"少女性愛嗜好"的な主人公のモノローグはそれらしいが、私にはどうもナボコフに準(なぞら)えてそれっぽく書いているだけと感じられてしまう。実際に少女性愛嗜好者はこんな思考をするだろうか? あまりリアルに感じない。

 少女性愛嗜好者の嗜好は、そんなに感傷的なものではなく、もっと即物的だと私は確信しているが、どうだ、違うのか? 美化してはいかんと思うが。


読書 村上春樹「海辺のカフカ」(上) 新潮文庫

とうとう読み始めた。最後まで読めるのか?(笑)


'05.3.21  日記

新しい季節を迎えるにはそれなりの準備が必要らしい。

 春分の日(の振り替え)。娘の卒園式も週末に終わった。卒園文集も無事収まり安堵。ここ数ヶ月間最大のプレッシャーだったのだ。でも春は遠い。このまま迎えられないのだ。仕事の話だが年度末納品の制作物が何一つ収まっていない。内容としては別に年度内でなくたっていいのに。かくして来週も連日の突貫工事である。厭だなぁ。

 ところで今年は寒かったためか例年と庭木の様子が違う。白梅が最初に咲いたのは順番通りだが、しばらく後が続かず、気が付くと梅が満開。暖かい日の深夜に帰宅して辺りに梅の花の香りが漂っていて気が付いた。この時点で枝垂れ梅が七分咲きで、辛夷(こぶし。昨年まで白木蓮だと思い込んでいた)に至っては蕾のほころびはほとんど見られなかった。

 ちなみに「公文書」で本欄「小隊司令部発」のバックナンバーを調べると、去年枝垂れ梅が七分咲きだったのは3月3日辺りのことだった。梅は3月8日の前々週には咲いていたらしい。

 この春小学校に上がる娘の勉強机が来週に届く。妻は掃除に大忙しだが、私は昼からビールを呑みながらこんな文章を打っている次第である。

 洗車でもするかな。駐車スペースの緑色のクルマ3台は、すっかり黄緑色になっている。


手前の枝垂れ梅はまだ蕾が目立つ。奥の辛夷はまだ花らしき物が見当たらず。


冬に大きな枝を払った梅も元気に満開。手前のE46の色がくすんでいるのは…

つまらない 備忘録。このひと月ほどの間に玄関内側と、階段下側と、2階廊下一番手前の照明が切れる。後者2件は以前点検交換したクリプトン球。ミサワホームがいい加減なのかコイズミの製品が不良品なのかは不明。いずれにしてもうちのせいじゃないだろ。

'05.3.19  随筆

優しくない人に見えるらしい

「掲示板が荒れることってない?」

 一瞬何を訊かれたのかわからなかったが、それは自分が管理しているBBSの話だった。普通は女性と呑んでいて持ち出される話題ではないという気もする。

「うちはほとんどないね。知らない人が書き込むこと自体あまりないし」

 トップページのアクセスは日に約200。著名人でもない個人がやっていて、いわゆる情報系でもないサイトの割にはそう少ない方でもないとは思うが、「連絡所」と称しているBBSに書き込むのは概ね知った人だけで、しかも8割方は実際の面識もある。BBSの説明ページでは、全くの一見の方には自己紹介から始めていただく旨をお願いしてあり、匿名飛び入りは原則お断りとなっている。そもそも話題がマニアックだったり内輪向けだったりするので一見でなくとも書き込みにくいのではないかというのが彼女の意見だった。BBSというのは参加人数が増えれば盛り上がるというものではないと思うし、そういう運営をするつもりもない。だから現状が自分にとっては丁度良い。

 彼女は趣味のコミュニティで出会(でくわ)すトラブルに辟易しているそうだった。私も知り合いのBBSではトラブルに出会すことがよくある。先日の話ではないが、何せ日本語力が低下しているのにコミュニケーションを文章でとっているのだから無理もない。

 ところで「はじめまして質問」というのがどうにも不毛に思う。BBSを単なる質問箱か何かと捉えている様な質問や、ネット初心者向け"教科書"通りの「話のきっかけとしての大して必要のない質問」のことだ。今はもうマニアだから教え好きという時代ではないと思うが。そんなのはどこにも辿り着かない。管理者側としては、結局はつまらないところに帰着する気がするし、実際そこから何か拡がった記憶がない。

 まあ、それをトラブルとまでは言わないが。


'05.3.9  随筆

春の限定メニュー

 その"春の限定メニュー"は旬の素材を使ったりした「この時期」しか食べられない特別メニューで、その手の雑誌でも有名なイタリア料理ブームの先駆者やフランス料理界の巨匠のシェフがプロデュースした店で供される。

 単純な疑問だが、そもそも普通はそういうものを食べてみたくなるものなのだろうか? よく分からない。

 もとより食にはまるで興味のない私なので、どんな背景があってもそれが直接の訪店目的にはならないのではあるが。駅ビルやSCの広告制作を担当することが多いくせに、正直な話私にはその辺の感覚が全くない。あるいはこれは職務上克服しなければならない欠点なのかもしれない。

 ともあれ期間限定メニュー、怪訝である。食べて気に入ったとしても次来た時には絶対食べられないと決まっているのだ。そんな物をなに好き好んでわざわざ食べなければならないのか理解に苦しむ。行きずりで一夜限りなんだからしちゃって良いよね、とか言われてるようなものだ。だから良いのか? …ちょっと違うか。いや、違わない気がする。

 食欲を他の欲に置き換えて論ずるのは、文章上は面白げであっても実のところあまり腑に落ちる話はなかったりして、それは自分の書いたものでも同じかも知れない。しかしそれでも、おいしいものが食べたいとか変わったものが食べたいと声高に主張するのは、私にはあまりスマートなことに思えないし、それから広義にセクシーではなくて厭だ。

 ちなみにその手のメニューに乗ってくるのは圧倒的に女性の方である。コンセプチュアルなものや扇情的なものに惹かれるのはまだ良い方で、栄養がどうとかオーガニックがどうとか言い出すのはえてして大して旨くもない"食べ方"だという様に思うのだがどうだろう。


読書 江國香織「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」集英社文庫

久しぶりにぶらりと書店に。村上春樹の「海辺のカフカ」の文庫が出ており店頭だけでなく圧倒的全面展開で店内完全制圧。これはしばらく買わなくても買いっぱぐれはしないだろう(笑)。という訳で本書と角田光代を買った。本当は江國香織は以前に1冊読んで「これは自分はもう読まなくて良いかな」と思ったのだが、なんだかタイトルに惹かれて買ってしまった。このタイトルはいいなぁ。心に染みる感じ(…)。でもまだ読んでいない。


'05.3.1  随筆

スカイボール

 父は酒のノベルティを集めるのが好きだった様で家の建て替えの時に結構な量が出てきたが、ほとんどは捨ててしまった。幾つかは残して使ったりしている。私のタンブラーにはトリスのロゴが入っている。注ぐのはウイスキーではなくウオツカなのだが。スミノフの銅製マグもその残っているノベルティの一つだ。

 モスコミュール用のあれね、と普通は思うだろう。ところが側面には「SMIRNOFF SKYBALL」と刻まれており、底面にはスカイボールのレシピが載っている。スカイボールとは要するにウオツカトニックなのだが、添えるのは「スライスした」レモンである。

 モスコミュールが銅製マグを使うエピソードは有名なのでご存知の方も多いだろう。このカクテルは、ハリウッドのサンセット大通りにあった英国風レストラン「コックンブル」の経営者ジャック・モーガンが、ピムス(英国のリキュール)ベースのカクテル用に大量に仕入れて余したジンジャービアを捌くために考案した。その際に銅製マグの製造工場で働く女友達がマグの使用を提案したための組み合わせであったそうだ。これをヒューブライン社の営業担当ジャック・マーチンがスミノフのPRに利用して広まったという。現在はジンジャーエールが用いられているが本来はジンジャービアなのである。

 さてそうなると手元にある銅製マグは何でスカイボールなのか。実はこれに関して私は誤ったエピソードを憶えていて、スミノフのPR用カクテルは元々はモスコミュールではなくスカイボールだったと思い込んでいた。しかしそれではジンジャービアを余すという話が合わなくなるし、そもそもモスコミュールが出来たのは1946年だが、この銅製マグがそれ以前製の物には到底見えない。結局は分からず仕舞いである。

 「そういえば違うな」と気付いたのは、件のマグを先日ウラMODに寄贈した時である。現物をご覧の上、何か情報があればご教示を。


'05.2.27  随筆

艶っぽい話

 なぜだか艶っぽい話が載ると、BBSやらメールやら反応が多い。何にせよ反応をいただけるのはありがたいことだが、面識のある人からのコメントについ照れが出てしまうのはご容赦いただきたい。

 「つくりものの爪」について、書き始めは漫画向きと思ったという主旨のことを書いたものだから、漫画にしてほしいというご意見もいただいたが、書き進むうちにはすっかり掌編向きに変わっており、ここから漫画に起こすのは無理なので悪しからず。というかそもそも絵は描けるのか? 何せ7年も描いていないのだからまるで自信なし。フロアガイドのサムネイルなら年中描いているのだが。

 奥さんは見ていないのかと問われたが、それは見られるかも知れない。しかし彼女も作家の妻なのだから(過剰な誇張表現)その辺の間合いについてはちゃんと取ってくれるだろう。日記ではないのだから私と私の書く物は全く別物である。ましてや創作物は創作に決まっている。

 ところで、私の書くこの手の話は大抵すかしている。台詞回しなんかかなり。そして絶対、私にはこんな風には振る舞えない。そもそも現実の私はといえば、必要なタイミングで必要なことも言えないし、かと思えば言わんでも良いことばかり言って自己嫌悪に陥ることしばしばである。「別物」なんである。ドラマチックに盛り上げるでも人柄で包み込むでもない。そんな人にはスタイリッシュな恋愛なぞできない。職場のH嬢曰く、別れる時もすんなり当事者が気付かないくらいにスムーズに別れそうに見えるのだそうだが、当人の記憶にすら残らぬ訳はないからそんな事実は全くない。

 しかし周りを見る限りは感心するほどスタイリッシュな人は見当たらず、むしろ自分同様になんでそんなになってしまうかなと思うほど不器用な人ばかりの気がする。いや…現実のスタイリッシュな恋愛(もしそんなものがあるとすれば、だが)は、傍目には恋愛とすら映らないものかという気がする。


娘の保育園の卒園アルバムをレイアウト中。作って貰うのには慣れているが(それが仕事だし)、自分で作るのは…。ていうか使えないくせにQX3.3なんぞ引っ張り出すからさ…。

'05.2.24  随筆

読み返す

 久しぶりに本多勝一「日本語の作文技術」を読みとても不安になった。自分は「正しい文章」「読みやすい文章」を書いているだろうか。過去の文章を全て校正し直したくなり、とりあえず「公文書」を読み返してみた。

 人に文章を書いて貰う仕事をしていると言っても、きちんとした文章を意識して製品に出来ているかというと心許ない。広告は芸術・文学ではなく、かと言って新聞記事の様に整理された情報を提供している訳ではないし、論文の様なロジックもない。ロジカルで整理された芸術的広告文を常に書かれている方がもしいらしても、それは極一部の例外と思う。

 それはさておき自分の文章である。「公文書」には気になる回も多くあるものの、手を入れ始めるとキリがない。しかも読めば読むほど正否が分からなくなってしまう。更に表記統一すら完全でない部分もある。[日記]と[告知]以外のテーマに字数制限を設けてからは特に読み返すことが多くなったが、読み返せばそれだけ良くなるかというとそういう訳でもない。

 文法上のことも勿論だが、「無神経な文章」になっていないかという点には特に気を付けたい。紋切型の鈍感な文章や、筆者自身が笑ってしまって読者をしらけさせる文章のことである。ふざけた文体で、読んで楽しくなる文章というのには滅多にお目に掛からない。他人のことではなく自分の文章もそうなのである。

 「公文書」の冒頭に、基本的には読み物となる様心掛けて書くことにしていると書いている。そうでなければ、ものを書き続けて公開する意味などないという考えでいる。

 それでも公開後しばらくしてから読み返すと、これはなかなかと思うこともあれば、これではちょっとと思ってしまうこともある。「公文書」はまだましで、古い記事にはさらに難ありのものがあったりして更にキリがない。まだまだである。


'05.2.9  随筆

ウラ/オモテ

 いつの間にかオープンから2ヶ月も経ってしまったが、銀座のMODに2号店が出来た。と言っても「2号店」とは誰も言わない。「ウラMOD」もしくは単に「ウラ」とだけ言う。場所は銀座6丁目の外堀通りに面したビルの"隙間"を入った、その名の通り「ウラ」路地である。私が初めて行った時は、たまたま案内の地図を持っていなかったということもあってなかなか辿り着けなかった。しかしあれでは地図があってもちょっと分からないのではないかと思う。

 「オモテMOD」との最大の違いは、椅子があるということである。いわば「ウラ」のレーゾンデートルであり、それだけにちょっと凝った作りになっている。カウンター前のスツールは収納式で、床から伸びる脚に偏心して座面が取り付けられている。座るときは座面だけを手前にくるりと回す。店主・神谷曰く「10年間、お待たせしました」の"夢の"座れるMODだが、いざ出来てみると不思議な感じがする。常連客は皆さんそうなのか、座面をしまったまま立って呑んでおいでの方も多い。

 ビールとウオツカしか呑まない私なので、酒の種類が多くても眺める酒瓶が増えただけで勿体ないのだが、ビールと言えばこれが変わっている。ドラフトはエールタイプ1種類。よく見るサーバとは違い、井戸のようにポンプで汲み出して注ぐタイプ。"井戸ビール"と呼んでいるがせめて"ポンプビール"位にして欲しいと言われる。ちなみに何で銘柄で呼ばないんだと訊くと「よなよなリアルエール」という名前なのだそうだ。確かにそれではちょっと格好がつかない。味は申し分ないのに。つまみは、これまたほとんど食べない私ではあるが、ちょっと凝った旨い物を用意している。

 とにかく分かりにくい裏路地にあるが、店の前には「オモテ」でもトレードマークである樽が看板代わりに置かれているので、近くまで行けばすぐ分かるだろう。


RETREAT BAR MOD
中央区銀座6-4-16花椿ビル1F TEL.03-3571-1922
OPEN 18:00〜2:00 日・祝休 CHARGE \500
"井戸ビール" 1/2paint \600、1paint \1,100

西銀座駐車場入り口脇の路地を入る。


入口脇のカウンター幅が狭くなっているのは、流しがあるからではなく、ターンテーブルのため。


"井戸ビール"。注がれて、泡が落ち着いてから口を付けるものだが、せっかちな私はついすぐ手に取ってしまう。

'05.2.4  日記

マヨネーズを配る女

 サンプリングという言葉自体は最近の物だが、要するに試供品配布のことである。単体で行われていることも多いが、イベントのかさ増しに便利なので、自分も企画書に付加することがある。単に期間中エリア内で試供品を配って貰うだけでも充分賑やかしになるし、自前の販促キットを持ち込んで貰うこともできる。うまくすれば名の知れた企業に協賛の名目をいただき、いくつかのツールを増やすことも出来る。

 ただ、自分自身はほとんど全てのサンプリングに興味はない。サンプリングだけではなく、街頭配布物全般に概ね興味が湧かない。大抵は自分に不要な物だからだ。ティッシュもいらない。デザインのサンプルとしても、サラ金やパチスロ屋や風俗のサル知恵販促物に学ぶところなぞない。と言っても割り切ったプロなのではなく偏屈故なのではあるが。

 ところが今朝は、つい受け取ってしまった。揃いのブルゾンを着込んだキャンペーンガールの一団がいて、メーカーらしいがアメや煙草ではない。「マヨネーズ」という言葉を聞いて驚く。そして、
なぜ朝の神田駅前で「マヨネーズ」を配っているのかと疑問を抱いた瞬間に受け取ってしまっていた。サンプリングだし、弁当用のパックかミニチュアかと思いきや、掌にはどしりとした感触。フルサイズの市販品でこそないものの、そのまま二周り縮小した程度の大きなボトルである。170mlある。でか過ぎないか? 手にして驚いてしまった。

 勿論、ネタとして受け取ったのである。いや、マヨネーズは好きなんだけどね。


JCOMのどこだかのチャンネルで「風の歌を聴け」をやっていた。うわぁ、久しぶりに観たかったんだ。ほら、「トニー滝谷」がなぜだか(なぜだか、ね)盛り上がってるじゃない。しかしATG臭い映画だな。鼠のクルマ、チンクエチェントだったんだ。真行寺君枝、若い。少女だ。

'05.2.2  随筆

靴磨き・清掃作業・萌えアニキャラ

 得意先のSCで靴磨きのブースを設ける予定だと聞く。ハンチング被った小汚い小僧の格好とかして貰うとNY気分出ますねと軽口を叩いたら、逆に小綺麗な制服姿の女性と会話を楽しみながら靴を磨いて貰う趣向だそうだ。制服の前ボタンを1つ外すか2つ外すかがちょっと決まらなかったというから、何ですかセクシー系のサービスなんですかとこれも軽口。大手のホテルで実績があるというのでそんなに変な業者ではない訳だが、そんな風に靴を磨かれてもなぁと個人的には抵抗を感じる。靴の手入れも満足に出来ていない身としてはそんな風にして磨いて貰うのは恥ずかしいし、靴を磨く方にそんなに小綺麗にされても困る。

 ところでこれはまた別の施設の話だが、最近リニューアルに伴って新しい清掃業者が入るようになった。この業者、全て若い作業員で構成されている。さすがに男性トイレに若い女性作業員は入って来ないものの、清掃作業員と言えば"掃除のおじさんおばさん"という感覚があり、これがまた違和感を覚えるのである。実際何か困ることがあるのかというとそんな訳ではないのだが。しかし、ふてぶてしいおばさんの手際が悪くても「掃除のおばさんだしな」で気にならないのに、小綺麗な女の子があたふたしていると「もうちょっとちゃんとやりなよ」なぞと思ってしまうのはちょっと変だろうか。

 最近、ある得意の窓口担当が若い女性に変わった。これが"色白丸ぽちゃ笑い上戸ですぐ顔の赤くなる童顔の眼鏡っ娘"という、まるでアニメキャラなのである(爆)。一度打ち合わせに同席したH嬢には「好みのタイプだからってデレデレしてッ」とか言われる始末でやりにくいことこの上ない。

 勿論身近に素敵でセクシーな好みのタイプの女性が全然いなかったら、てんでつまらないのである。抵抗がありやりにくい位が丁度良いなんていうのは矛盾してはいるけれど、矛盾のないこと自体がてんでつまらないものなのである。


読書 本多勝一「日本語の作文技術」朝日文庫

蔵書再読。あらためてネットを眺めると、概ね絶賛され、一部では否定的な意見も見られた。私が初めてこれを読んだのは意外に最近のことで確か4年位前だったと思う。そこそこためにはなったのだが何にせよ人の話を鵜呑みにしてはいかんと思うが、そういう事ではないのだろうか。


'05.1.31  随筆

猫舌

 昼を大分過ぎており、時間もないので蕎麦でも喰おうと同僚が言った。大して親しくもない相手と顔つき合わせてものを食べるのは、例え立ち食い蕎麦でもあまり気が進まないのだが、腹が減り時間もないのは自分も同じだったので同意した。

 蕎麦屋と言っても立ち食いではなかったが、まあそれに準じる様な店であり、彼と入るのには適当な店だった。一緒に食事をしたくない相手と付き合いで入るちゃんとした店ほど勿体ない無意味なものはないからだ。

 彼の注文が先に届いた。吸いかけの煙草を乱暴に消すと彼はテーブルに七味を探し、それを何度も振りかけた。そんなにかけては辛くなるし、味もよく分からなくなると思うのだが。それ以前に食事前になんで煙草なんか吸うのだろう。私も煙草は吸うが、彼の嗜好はよくわからない。お先とひとこと言うと、彼は勢い良く蕎麦を啜り始めた。

 自分の椀が運ばれてきたが、結構熱そうだったので氷の入った冷やを半分ほど注いだ。彼は一瞬食べるのを止めて、怪訝そうに「なに、猫舌?」と言い、顔を覗き込んできた。こういう仕草も癇に障るが、目つきがまた小馬鹿にしたような目つきで厭だった。私は、目が合うか合わないか位の辺りに視線を落として、平淡な喋り方でゆっくり返事をした。

 「子供の頃に薬品の事故で口の中を怪我しましてね、今でも熱いものに極端に敏感なんですよ。痕はほとんどないんだけど、まあ口の中だから誰にもわからないでしょうしね。あ、味はちゃんとわかるんですよ。まあ味音痴かもしれませんけどね」。

 彼はばつの悪い表情をして、そうか、とだけ言って前を向き直した。さっきの様には蕎麦を啜らなかった。

 ちなみに事故の話は嘘である。私はとにかく元々猫舌なのである。


"同僚"がいるということは何年か前の話。ちなみに今回の主題は「"食前の喫煙+味を見ずに七味を振る"と"冷ますために冷やを注ぐ"どちらが行儀が悪いか?」ではない。必ず誰か(特定の)が突っ込むと思うので念のため(笑)。

'05.1.20  随筆

最近の(私の)動向

 先週、久しぶりに渋谷で呑んだ。「渋谷」と口にすると周りにいる大概の人が一様に顔をしかめ「渋谷? なんでまた」と言う。自分も同世代の人が渋谷で呑んだなどと言ったら同じリアクションをする様な気がする。しかし待ち合わす相手が一番出て来やすい繁華街が渋谷なのだから仕方ない。恵比寿や代官山位までは移動するのが正しいのかも知れないが、まあいろいろ事情もあるのだ。

 渋谷で遊んでいたのなんてもう遠い昔で、15年以上も前になる。知っている店なんてもうないだろう。元々人と一緒に呑む店なんて知らない上に、勘も働かない場所なので相手任せである。同世代とは言え女性相手に体面が悪い気もするが、そういう事を気にする間柄の相手ではなかったので、とにかく後を付いていく。しかして連れて行かれた店がなかなか良かった。中高年しか入らないような西洋料理屋なのだが、ちょうど牡蛎が食べたかったし、この季節の名物という鹿肉にも惹かれた。珍しく腹が減っていたのだ。置いているワインも程々の物で良い。一番驚くのは、そんな店がよりにもよってセンター街のど真ん中にあることだった。まだ捨てたものでもないのかもしれない。

 そういえばここしばらく酒場の話を書いていないが、勿論どこへも行っていない訳ではない。鬼門・神田の開発も進んだ。とは言ってもMODのN君の紹介なのだが。ここが結構良かった。ちょっと見つけづらい場所にあるのだが、それがまた良い。紹介者がいる旨を明かす前に、店員のちょっとした手違いでオーダーの出るのが遅れたりしたのだが、その後のフォローの一言もわざとらしくなく良い感じだった。具体的な店の話はまた改めて。

 酒場の話で何か肝心の話を書いていないと思ったら、昨年末、銀座のMODに2号店・通称「裏MOD」が出来たことを書いていなかった。10周年を迎えてとうとう2号店。それも座れる店である。こちらも詳しい話はまたいずれ。


読書 「群像2月号」講談社

例によって雑誌でも文芸誌は読書ということで(笑)。さて本誌に関係ないが芥川賞作品について。読んだことがない作家なのでなんともアレだけど、テーマがニュースにリニア過ぎて何とも読みづらい気が。某作家都知事の批評が適当かどうかは別として。でも私は舞城の「阿修羅ガール」を不快に思うタチなので(作家の問題か)、さて。とりあえず早く読んでみたい。直木賞の角田光代はよく読んでいるので、とてもめでたい気持ちになった。


'05.1.15  随筆

文章で話しているか?

 良い奴だけど話し方はあまり好感を与えないなぁという友人が、あなたの周りにいないだろうか。でも彼を嫌いかというとそうでもなく、話は合うし、何となく上手くいくのだ。友人とは別に電話だけでつきあうものじゃないのだし。

 ところが同じ友人でも、ペンフレンド(死語かな)だと事情は異なる。文章だけで全てのコミュニケーションを成り立たせないとならないからだ。"上手くやれる文章"を書かないといけない。

 現状ネット上のコミュニケーションは、このペンフレンド状態なんじゃなかろうかと思う。

 これも死語だが「マルチメディア」なんて言葉が昔あって、複合的な方法でコミュニケーションは拡がるはずだった。ところがその先兵であるインターネットが普及してみてどうだろう。音だの絵だのは確かに簡単に扱えるようにはなったけれど、コミュニケーションはむしろ文字により強く依存するようになったのではないだろうか。

 先日、国立国語研究所が日本人の読み書き能力など国語力を調査する方針を固めたそうである。国際的調査で日本の若者の読解力低下が明らかになったためだが、文章コミュニケーションの増えている昨今に不安になる話だ。

 確かにネット上で「この人の文章は酷いなぁ」と感じる文章には多く出会す。しかしそれはネットだからこそわからない"相手がまだまだ子供であるケース"ではないかと漠然と私は思っていたが、そういう訳でもなさそうだ。

 国語の授業で「文章から筆者の意図を読み取らす」というのを無意味だと唱える輩が多い。彼らは一度ろくでもないBBSで意見交換をしてみれば良い。文章読解力は芸術を紐解くためにあるのではない。あるべき文法を確認し、きちんとコミュニケーションをとるためのものなのだ。主語述語を意識して文章を作れ。句読点を正しく打て。誤字脱字をするな。そんなことを指摘されなければならない者は、まだ子供ですみませんと謙虚に振る舞うべきなのである。


'05.1.5  随筆

ATM

 ATMを操作していて機械臭さを感じるのは、機械の喋り方自体に原因があると思う。声の質よりも、私はそちらの方が気になる。彼らは一つの用件を話し終える前に次の用件を話し始めるのだ。人間には、多分そんなやつはいない。「明細とカードをお取り下さい」と言い終えぬ内に「現金をお取り下さい」と言い始める。人間だったら間が空くか、「あ」とか「えー」くらい挟んで慌てた口調で言うところだろうが、いたって平淡に続けて言うので、尚更に、普通にはしない喋り方の必然が感じられない。自分の仕事であるアナウンスをとにかく発してしまおうという姿勢が機械臭い。

 しかしまあ、人間の店員でも機械臭く感じさせる人はいる。動作や言葉の意味を全く考えず繰り返されるとそういう印象を受ける。どう見てもビールでしかないものを「ビールです」と持ってくるウエイターなぞはその類だ。もっと酷いのになると「ビールになります」と言う。これだけ世間で言われていることなのに平然と繰り返されると、ああ、誰かソフトウェアアップデートしてあげなよと思ってしまう。もっともこの手の人はウイルス耐性はなさそうだから、誤って変な接客を覚えてしまいそうではある。

 冒頭の話に戻るが、そうは言ってもだから機械は駄目だと私は言っているのではない。「人間だったらどうかな」と考えて作れば、自然と息継ぎの間くらい取るように設計するだろうからだ。しかしそれはコストとのご相談となる。そこでふと思うのは、そうなると人間による人間味のある対応というのも労力というコストとのご相談ということになるのか、ということなのだ。

 そういえば私は面倒なことを説明するとき異様に早口になってしまう。相手に「面倒臭いなぁって思って説明してるでしょう」とか言われることもある。相手の反応を見ながら情報を供給するのが効率悪いという気持ちがあるのか。…いや、せっかちはコスト意識とは関係ないとは思うのだが。


読書 角田光代「夜かかる虹」講談社文庫