随筆/日記
公文書

'04.12.25  日記

クリスマスデス

 クリスマス・イブはとりあえず、どこへ行ってもケーキを売っている。しかし私にとって今夜はケーキ屋なんかどうでも良い。9時近くになって花屋が開いているかが大問題だった。

 新宿で降りれば歌舞伎町では明け方まで花束は手に入る。しかし8時過ぎの週末の繁華街を歩く様な気力はない。イチかバチかで最寄り駅まで帰ると、花屋はまだまだ全開だった。

 花を買う時は予算/色/種類の順で決める。しかし増員バイトのような店員に何か作ってもらうのも何だしと、正社が作った
出来合いの物を眺め回す。売り子が勧める手頃な値段のカラーのアレンジメントがあったが、背の低さに驚いて手を出さなかった。丈の短いカラーなんて何かの冗談の様だ。結局ピンクのバラとかすみ草というオーソドックスな物に決めた。まあ悪くないじゃないかと帰路につき、途中香りを嗅いでみてしまったと思った。香りがしない。やはり安物か。いや、単に寒くて鼻が利かなくなっているだけかも知れない。

 家に着くとまず娘に見つかる。「わぁー、お花だー」と大袈裟に騒ぐので、これはお母さんのだよとなだめる。お母さんは大人だからサンタさんが来ないからね、代わりにお父さんがお花をあげるんだよと説明する。

 6歳の娘にとって関心事は「サンタはどこから入ってくるか?」だ。窓が開いていては泥棒まで入って来かねないと心配する。お父さんがサンタさんしか入れないように見張るからと言うと、間違ってサンタさんを"バンバン"しないでねと言われる。やれやれ。

 妻の苦肉の策は「部屋の鍵は閉めたけど、トイレの窓が開いてたかしら」である。ところが朝目が覚めた娘は、枕元にプレゼントがないと騒ぎ出して朝のトイレどころではないのである。


それはそうと今日は小官の生誕38年祭なんだが、祝辞が一つもないなあ。んー!?

'04.12.11  随筆

爪を切る

 よくデスクで爪を切っている上司がいた。それまでそういう人が身近にいなかったためか印象に残っている。会社で爪を切る人といえばその上司を思い出す。普通は逆だろうと思うが、不思議なことにあまり暇そうな行為という印象がない。その上司はどちらかといえば切れ者(というより曲者)ぽかったので、そういう印象になったのだろう。イメージとしては、スパイ映画の悪役がデスクで猫を撫でているとかライターを弄っているとか、そんな感じだ。

 もちろん会社で爪を切るのはあまり誉められた行為ではない。しかし止むに止まれず切ることが私には多い気がする。爪が長くなるとミスタイプが増える。女性の様に長いわけではないので指先がキートップを滑ってしまうのではない。キーを叩く度カチカチ音がして気が散るからといったところだ。いずれにしても効率が落ちること甚だしく、とりあえず爪を切るのだ。

 爪切りは、折り畳み式のヘンケル製が引き出しに入っている。亡父の出張土産だったか、昔付き合っていた女性からのプレゼントだったか、記憶にない。割に気に入っている物だけに、なぜそういうことを忘れるのだかと我ながら思う。

 会社で爪を切っていると、H嬢が「どうして男の人は会社で爪を切るんでしょう」と、大きい目を見開いて言い出したのでそそくさと切り終えて仕舞う。別に抗議しているのではなく、純粋に疑問に思っていたことなのらしい。確かに会社で爪を切る女性を見掛けたことはないが、同様に、眉を切り揃えるのも爪ヤスリをかけているのも見たことはない。

 そういえば、随分前にも会社で爪を切ったことが何度かあったのを思い出した。まだ独身の頃の話である。大抵は帰り間際に慌ただしく切った。よくよく考えると、女の子と逢う前に爪を切るのって結構エッチだなぁと思ったりする。


先日某所にてA嬢より「最近は色っぽいお話がないですね」と言われたので書いてみた。…意味違うか。

読書 重松 清「熱球」徳間文庫

'04.11.30  随筆

リ・サイクル

 土曜に部品を買い込んで、日曜には自転車を修理することにした。

 うちには3台の自転車がある。一番古いのは4年位車庫の端に放置しているギア付き軽快車だが、これが意外や主要部品は健在で、劣化しているであろうタイヤ周りとワイヤー、それから身体に直接触れる部分を交換して各所をグリスアップすれば使う気に位なるだろう。

 私は不器用なりに機械をいじるのは好きな方で、軽快車の分解なぞ大したことではないように思えたのであるが、なにせ根気がない。細かい隙間には蜂やクモの巣ができ、スポンジや古歯ブラシで刮ぎ落とす。それからスチールと真鍮の金ブラシとピカールを付けた布で磨く。作業用革手袋をつけていても指先を痛める。洗浄スチームとサンドブラスターがあれば、などと怠けた贅沢を言う。

 しかし、どの傷みも不思議なことに致命的なところには至っていない。作りの良い国産のためだろうか。以前傷んで廃棄した安物の軽快車は酷かった。もっとも、大抵の自転車は空気圧に気を付けて乗り、雨ざらしにせず保管すれば、そうそう傷むものではないのだが。

 ちなみに買い込んだ部品はこれだけで7千円少々。何の機械にせよ完成品よりパーツ売りの方が割高なものではあるが、似た形式の安売りが新車で1万そこそこというご時世に、工賃を考えたら相当な割高感である。趣味でやってやろう位の余裕がなければリサイクルもへったくれもない。

 それに趣味ならまだ良いが、これがいくら安価であれ売るということになったら、手抜き無く綺麗にしなければならない。よくシルバー人材センターで放置自転車の再生をやっていたりするが、どんなものだろう。素人に手際よくこなせる作業ではないし物凄く大変なんじゃないだろうか。

 ところでこの自転車、昔バースディだかに妻に贈った物だったのである。だから必死になって直す、という訳でもない。もしそうだとしたら売り物のリサイクルより大変であろう。


ちなみに実はこの週末では完成をしなかった。車輪周りの組み上げと大まかな錆落としが終わっただけである。次週パーツ喚装からグリスアップまで、乞うご期待。という気力続くのだろうか…。

車庫の屋根から前輪がはみ出てる…

砂利に埋まっている車輪…

外のビニルが劣化で剥げ、スリーブが錆びたワイヤー。

ちょっと握りたくない黒カビグリップ。元は茶色。

買い込んできたパーツ群。工具だがタイヤレバーもなかったので買った。

全バラ一歩手前。ペダルとフロントフォーク周りはいじらないことにした。

'04.11.22  日記

文集、週末

画像の方は今週の買い物特集。と言っても家人の物だが。


赤く光る目。母と妹が衝動買いしたモルモット。某所にゃ捨てるほどいるっちゅうに。


赤く光るライト。妻が楽天で格安品を見つけたと言うプレゼントのケース。467円也。早速1/18の2002を入れる。

これはその…おい、これって…、やれやれ。母かと思ったら妻購入。

 娘達の通う保育園は公認のためにそれなりの入園基準があり、預けざるを得ない状況でないと預かって貰えない。従って全ての保護者は、片親であれ両親であれ概ねフルタイムで働いている人である。にもかかわらずなのか、だからこそなのか、親の行事参加率はむしろ高い。

 上の娘は来春卒園する。卒園に当たっては諸々の行事があるわけだが、保護者全員は何かしらの係に就く。こういう係に男親がいるのも保育園ならではらしい。うちは行事への両親参加率が高いので、2人共係に就くことになった。さすがに両親が係に就くうちはそれ程多くはない。それにしても、総務・経理の妻が会計係で、広告制作の私が卒園文集係とは適材適所過ぎる。

 万事につけ切羽詰まらないと出来ない私なのだが、こればかりはそういうわけにもなかなかいかない。文集係は8人いるが、進行から係の割り振り、打ち合わせの設定と連絡・予定調整はまとめ役の私の役目である。勿論面倒臭いのである。趣味のサイト制作は気分任せ。仕事の制作物は月予算合わせという私なんかに務まるのかいな。

 本を作ると言っても、趣味では自分の思うままに、仕事では得意の好みに合わせて作れば良いのだが、卒園文集はどこに焦点を合わせればいいかがまずわからない。係の嗜好だけでも様々でまとまらない。あまり気を遣っていても進まないので、ある程度は強引に職能全開でまとめてしまう。ありがちな飾り罫も脈絡のないカットもいらんのだ。えいやっ。かくして週末に打ち合わせ。やっと終わってほっとしている次第。

 ちなみに連絡所で訊かれる前に書いておくけど、ここにも無闇にセクシーなおかあさんはいませんから。あしからず。

 余談ついでだが、日頃の行事で綺麗な人だなぁ位に思っているおかあさんでも、間近で話していると意外に自分の奥さんと肌の感じ(笑)が似ていて、妙に安心したりする。隣の芝生もそれほど青くはないわけだ。<おいおい


久しぶり(多分1年ぶりかな)の全面ワックス洗車。急に気になり樹脂パーツを外して作業。サイドモールは針金の様に形が付く樹脂であるのを発見。前にも外したことあるんだがな。

'04.11.19  随筆

膝を撫でる女

 電車の中で、熟年男女の前に立った。黒い、レースの多い服の女はどうも水商売に見えるのだが、隣り合わせた男は客だろうか。並んで電車に乗っているのはミスマッチだが。ともあれ気になるのは、その女が喋る度に男の膝を撫でることだった。場末のスナックのボックス席ではなく終電間際の山手線である。場違いな女の挙動に対する違和感より、こんな風に男と話す女それ自体の違和感を大きく感じたのは、いややはりそこが場末のスナックのボックス席ではなかったからだろう。

 私は、どんなに親しい女性でも膝を撫でられながら話をしたことなどない。そもそも堅気の女性はそんなことをしないと思うが、水商売の女性でもプライベートではしない人はしない。

 そんなことを考えながら、よくよく思い出してみるに、初対面の女性と話しながら膝を撫でられたことはあった。とても不思議な感じがした。初めは何やら気でもあるのかいなと思うわけだが、話す内、すぐに彼女はその手の仕事に就いていることが分かる。さて困った。その手の女性に"たかられ"たら、綺麗に回避する連度が私にはない。不覚である。だいぶ呑んでいる様ではあるが、幾ら位になるんだろうか。いやしかしそんなにすんなり払うことになるものだろうか。私はタイプとしてはそういう方ではないのだが。そんな下らないことで頭を悩ませていると、彼女には程なく迎えの連れが現れ、会計を済ませて出ていった。

 逆の構図では、たまに女性の肩に手を回して話している男性を見掛けることがある。大抵は深夜の酒場であり、これも公衆の面前ではどんなもんだかと違和感を覚える。違和感を覚えるわけだから、自分はしない。

 親密な2人のコミュニケーションを端でとやかく言うのは野暮であるが、犬猫じゃあるまいしそれなりの姿勢は保っていただきたいものではある。こちらはつまらないことに一喜一憂する小心者なのであるからして。


読書 DUNCAN LONG「The RUGER .22 AUTOMATIC PISTOL」A PALADIN PRESS BOOK

15年程死蔵していた洋書。英語はわからない私だが興味深い内容なので読み進められる。専門用語だらけのため英語が分かるだけでは1Pも読み進められないが。→表紙


'04.11.15  随筆

山登り

 先日、上の子供の親子遠足に参加してきた。場所は高尾山。小さい頃に登ったはずなのだが、現地に着いても何も思い出せない。勘違いだったのかもと考え始めたのは険しい道に入ってからである。

 妻も参加したのだが、さすがに下の子(2歳)は保育園に預けて来た。小さい子を連れて来た家族もあったが、お父さんがいかにもスポーツマン風であったりして、とにかく私にはとてもではないが子供をおぶって山なぞ登れない。自分で登ってくれるはずの上の子ですら「抱っこ」などと言ってくる。「お友達に抱っこして貰ってる子はいないでしょ」と諭して歩かせるが、上の子は6歳で25kg超である。

 山の登り方も子供の性格が表れ、先頭の先生と手を繋いでいたかと思うと、友達と斜面の草を引っこ抜いて立ち止まり、いつの間にか最後尾でうだうだしながら「抱っこ」とか言っていて、気が付くとまた先頭にいる。そんなのにいちいち付いていられないし、妻は他のおかあさんと話し込んでいるから、私は多くの道程を一人黙々と歩く。

 狭い登山道を並んで歩いてふさいでしまう子などがいると注意をするが、自分の子ほどきつくは言えない。しかしあらためて考えると、保育園児の娘に対して自分は結構きつい叱り方をしてしまっていることが多いのに気が付く。親兄弟や妻や友人相手に、私はあまりきつい言い方をすることはないのに、どういう訳か娘には命令調のきつい言い方をしてしまうことが多い。一歩引いて見ると、ちょっとそれはないんじゃないかなと思うこともある。なぜなんだろうか。父が幼い私にどう接していたかを思い出そうとしたが記憶にない。

 ところで、保育園の父母の集まりというと、どのクラスにも大抵一人くらいは若くて無闇にセクシーな格好をしたおかあさんがいたりするものだが、山登りではさすがに見掛けない。いや、何を見てるんだか。

 とにかく黙々と歩くのだった。


'04.11.5  随筆

駄目出し

 私が通っている酒場は、ほとんどが自分で見つけた店である。「見つける」というのは、決してムック本やらの類で探すのではなく、実際に街をぶらぶらしながら1軒1軒試し歩くのである。効率が悪く失敗もあるが、自分としては雑誌に載った人の意見に左右されるよりはましと思うので、このやり方を変えていない。なに風俗店でなし万札の1枚もあれば恥をかかずに帰れるものだ。それに、慣れてきたせいか、高そうな店には入らないせいか、最近は5千円もあれば鞘当てには充分である。

 以前、呑み歩きの先輩に「自分は臆病で一人で初めての酒場には入れない。勇気があるね」と言われたが、基本的に大抵一人なのだから、誰かに連れて行って貰う場面自体がない。それに人に連れて行って貰ったら、感想を好き勝手に書けないではないか。

 しかし知っている店について人の評価を聞くというのは結構面白い。たまにはしまったと思うこともあるが。

 いつぞや神田でましそうなダイニングバーを見つけた話を書き、ZOIDのマスターに店の場所などをお教えしたところ、後日店を閉めた後の深夜に寄ってみたそうである。どうでしたと訊くと、営業時間内のはずなのにBGMが止まっていて客席で店の子達が飯を食べていたそうである。残念な気持ちで帰ったそうで、大変悪いことをしたと思った。その後私はこの店には行っていない。

 つい最近、そこに比較的近い神田駅の東京寄りにあるバー"J"(イニシャルがほとんど店名そのままだが…)でこの店の話をしたところ、そこのマスターも似たような体験をしたことがあるそうだった。ちなみにそんな話をするほどだからJに通っているのかというとそうではない。かなりまともな店だと思っていたのに、何と丸氷の使い回しをするという(!!)信じられない行為に遭遇してしまい、かなりがっかりした気分で店を後にして、その後は近づかないことにしている。


'04.10.30  随筆

初めての店

 最近、地元にビアバーが出来たというので覗きに行った。ビールの品揃えは大した物だったが、なにぶん郊外の住宅地であり、万事のんびりとしたものだった。酒場が一見の一人客を放ったらかすというのは、私にとってはどうかと思う接客姿勢なのだが、この話をすると、意外と周りの反応が賛否様々で興味深い。

 誤解のないように書いておくと、私は酒場で見知らぬ人と話すのは苦手である。一人で放って置いて欲しいことも山とある。しかし、だからと言ってグラスを空けてから煙草を3本吸っても店の人間が声を掛けて来ないのでは、歓迎されていないのでは位思っても仕方ないだろう。

 そういえば、ここのところそういう不発が続いている気もする。勤め先の周りにも気の利いたバーは見当たらない。たまに"開発"をしても外すことが多い。

 Sは、店名自体はベタだが看板の書体が良くて入ると、店内は名前通りの古臭いスナック風で、熟年のくせに応対がマニュアルぽい(そして色っぽくも小綺麗でもない)雇われママが同世代の酔客相手に幼稚な猥談を延々していて閉口した。

 Rは建て構え・内装共に洒落ており申し分ないが、店主がこちらを一瞥もせずに常連客と映画や内輪の話に耽る様な店だった。

 先日入ったJも注文と勘定だけのやりとりだったが、常連の先客が2組あり、手が回らなかっただけなのだろうと思うことにした。

 いずれの場合も自分より若い客はおらず、神田は30代後半で一人バーに入る街ではないのではないのか、などと考えてしまう。

 でも実のところは、初めの1件を除いて私のタイミングが悪いだけなのかもしれない。初めての店は、開店直後の先客のいない時訪れるのがベストと決まっている。賑わう9時過ぎに一人で入っても、タイミングが上手く合うことは難しい。

 ではタイミングを改めて再訪するかというと、それは別である。一度断られた上に気があるかどうかもわからない女には再度声を掛けないものでしょう。


読書 重松 清「幼な子われらに生まれ」幻冬舎文庫

'04.10.22  随筆

冷凍ケーキ

 得意先のSCに新しいケーキの店が出店した。不勉強な私にとっては例によって聞いたことのない名前なので、とりあえずウェブで調べてみる。そこはとある大手洋菓子メーカーのアンテナショップで、冷凍ケーキを専門に扱う店なのだそうだ。業務用のケーキ類は冷凍されている。あまり美味しいイメージはないのだが、美味しい物もあるのかも知れない。何より保存が利くから安くできるであろう魅力は大きい。そうだ、ケーキは美味しければ高くても良いってもんじゃない。

 でも、私が冷凍ケーキから連想するものは、あまりポジティブではない。冷凍ケーキと聞くと、私は薄暗い公立病院の地下食堂を思い出す。薄汚れた採光窓から入る僅かな陽の光とカウンター脇に積み上げられた業務用の段ボール。メニューに載っている食べ物は、ピラフとサンドイッチと、そしてケーキ。

 家からクルマで10分ほどの所に公立病院がある。10年ちょっと前にしばらくそこへ通っていた。8年程の闘病生活の後亡くなった父が幾つか転院した、最期の病院がそこだったからだ。その頃私は失業しており、母ほどではないが病院にはよく通った。S病院は古い大病院で、ご多分に漏れず至る所が迷路のようになっていた。目的の部屋まで細い通路の角を何度も曲がる。父の車椅子を押していると、タイヤがリノリウムの床に擦れてキュッキュと神経質な音を立て、それが変な響き方をして、どこかに吸い込まれていった。

 ある日、一通りの用事が済んでもすぐ帰る気にならなかった私と母は、食堂でコーヒーでも飲んでいこうという事になった。ついでにケーキでも食べようかと母が言うので2人で違う物を頼んだのだが、それがどちらも解凍されきれておらず、妙にしゃりしゃりしていた。

 母の顔をぼんやりと見ながら、何か随分と遠い所に来てしまったなという思いで半解凍のケーキを食べた。

 冷凍ケーキは、やはり薄暗い公立病院の地下食堂を思い出す。


'04.10.12  随筆

住宅地

 今までの私の勤務先は全て都心にある。銀座の3丁目に1丁目、御茶ノ水、そして神田。いずれも自宅からは電車を乗り継ぎ1時間超である。周りはオフィスビルばかりであり、職住近接という感覚からほど遠く、仕事をする場所イコール生活そのものからも遠い場所という感覚がある。

 一方、自宅の回りは農家や自宅兼用の商店ばかりというわけでもないが、少なくともオフィス街はない。生まれ育った町であり、そういうことでは近所の商店に対する"誰々の家"という感覚が残っているという気もする。しかしよくよく考えてみれば、ほとんどの商店は、店主からしてどこかからの通勤者だ。中学時代の幼なじみの洋品店も、父親の代にとっくに隣町からの通いになっている。しかしまあ、そういうのは主な表通りだけで、大半は誰かが暮らしている建物である。

 逆に、勤務先の周辺に誰か住んでいるのかというと、これはほとんどないようである。マンションもあまりない。ただ、会社を出るのが8時過ぎたりすると、駅とは反対方向へコンビニの袋をぶら下げて歩いていく若い人とすれ違ったりもする。住んでいる人がいるのだと知る瞬間である。よく何かを食べながら歩いている女性も見掛ける。いやあるいはいつも同じ人を見掛けているのかも知れない。余談だが、御茶ノ水の時はそれがコンビニ袋を下げたアベックだった。夫婦者が多いのではない。裏が湯島のホテル街だったのである。

 最近よく通っている地元のパブでは、客の9割方が地元で職住近接で働いている人である。仕事を終えて家に帰り、それから呑みに来ている。自分の場合はあり得ない。スタイルもテンションもそういう方には向かない。というか家族が厭がるか。


'04.10.8  随筆

メルヘン話

 彼が何やら憤慨しているので、どうしたんだと訊いたらS嬢の話になった。私も何度か会ったことがある。そのS嬢と2人で呑みに行ったのだと言う。そりゃ良かったじゃないかと社交辞令で言うと、途中からそうでもなかったんだと言う。

 口説き損じて気まずい思いでもしたのかと面白半分に訊ねると、その逆で口説く以前に彼女に失望したのだそう だ。まったく今風の女の子だと分かってがっかりしたよ。大体、自分でエッチが好きと言い、セフレまでいるという女には萎える、と言って溜息をついた。そこまで訊いて私は何だよそれ、良い話じゃないかと反論した。どこかに可愛くてグラマーでエッチの好きな女の子がいる。良い話じゃないか。しかもそれを明かしてくれたんだろう? 何だよお前ひょっとして口説かれたんじゃないかと、からかうというより嫉妬の思いで責める様に言った。よしてくれよ、そんな気にならないんだよなぞと言うので、そんなならなぜ2人きりで呑みになんか行くんだよ、と言って、今度はこっちが溜息をついた。

 もう一回書くが、彼女は可愛くてグラマーで、しかも人なつこい嫌味のない性格で、同じ立場だったらじゃあ私とどうだい位言っているだろう。多分。

 でも彼女の明かした秘密は私に明かされたものではない。従ってこの話は私にとっての現実ではない。どこかに可愛くてグラマーでエッチの好きな女の子がいる。素敵な話じゃないか。粗末にするものじゃないよ。ただしそれは自分とは関わりのない場所の関わりのない話であり、だから要するにメルヘンみたいなものなんである。どこか遠い国で、大きな河に橋が架かりました。人々は幸せに暮らしました。そんな感じでもある。粗末にしてはいけない。

 そんな罰当たりはメルヘン帰りに玉手箱にでも"当たって"しまえと憎まれ口をきく。それが現実になったのか、彼はその晩酔い潰れてしまった。

 呑み直してから、私は自分の橋を渡って家に帰った。


読書 村上春樹「国境の南、太陽の西」講談社文庫
"発掘シリーズ"も年代順にと思ったのだが、不思議にそういう気にならない。なぜだろう。

'04.9.24  随筆

話題

 今、私の身の回りはとても異常な状態であると言える。どういうことかと言うと、社内の人間が皆この栴檀林を知っているのである。まあ社内と言っても4人だが。

 実際の話、ほとんど毎日顔をつきあわす人間のウェブサイトで日記やらを読んで何が面白いのかと思うが、これはどうも逆らしい。知っている人間だから、普段口にしない考えが読めて面白いそうなのだ。そうかなぁ。そもそもそこが私にはよくわからない。文章上の私と実在の私は違うものだし、だいいち私の裡を知ったところで仕事上の付き合いで何かのプラスになる訳でもない。最初の人にURLを教えたきっかけが何だったかは忘れてしまったが。まあそんなことでここを閉じるのは無意味なので考えた事はないし、ウェブだろうが同人誌だろうが表現という趣味では仕方のない宿命みたいなものだとも思う。

 それでは実生活で何かやりにくくなる事は全くないかというと、そういう訳ではない。何か雑談をする際に、それが本欄に書いたことかどうか考えねばならないのだ。話していて「ああ、それ…」と言われて、いけねと思うことがある。

 それに随筆なのだから一から十まで事実だけ書いている訳ではないし、時系列もアレンジしていたりする。そのエピソードの事実の部分だけを話したりすると、書いたものとは異なる話だったりするのだ。そんな訳でわざと極端な話を書いてみたり、嘘っぽいディティールにしてみたりするが、それも書きにくくならない範囲でのことで、前段の不都合を解消するには至らない。

 これが社内の人間でなく酒場でもあったりする。嬉しいことに本欄を読んで下さるだけでなく、三月分位を覚えてくれていたりすることもある。ここでも私はいろんな都合を繰り合わせながら話すことになる。

 山口瞳が、酒場で同情されたり意見されたりして困惑する話を幾つか書いているが、いや勿論それに較べれば全く大した話ではないのだが。確かに時代は違うのだけれど。


'04.9.20  日記

運動会、梨園と都営プール、サイト更新とゴミ捨て場修理

 連休初日は保育園の運動会。親のリレー今年は転ばずにチーム優勝。暑さのせいかデジカメの起動は遅くなっていくし、ビデオはバッテリーの減りが速い。変な焼け方をして一日終了。

 2日目は上の娘と都営の屋内プールへ。途中、近所の梨園に親戚の法事のための梨を注文に行く。例の近所の酒場で知り合ったHさんのところだが、色々面倒を見ていただいた上に、お土産に栗を貰う。プールで泳ぐのは多分5年ぶり位か。前に泳いだ記憶自体がない。

 3日目はサイト更新。リンクするつもりで忘れてしまっていたケンチさんのところにリンク。ついでにリンク不備を修正。ついでにリンクに関係する注意書きを追加。ついでに不備なタグを数カ所修正。ついでにgoogle検索窓が壊れているのを発見したので試行錯誤で修正。ついでに…きりがないし飽きたので止める。

 そしてDIY。と言っても近隣のゴミ捨て場の囲いの修理である。ゴミ捨て場前の家の人が作った物なのだが、なぜだかこのひと月壊れたのがそのままになっていた。「なぜだか」と言うか、誰かが壊したのを憤慨して放ったらかしているらしいのだが。実際道に出っ張っているので、私もクルマで轢いたことが2度ばかりある。今回はやっていないが。修理を申し出ても自分がやったみたいで厭だなぁと思っていたが、そもそもそのゴミ捨て場を利用する近隣6世帯で工作が出来るのはウチとそこだけ。つまらん意地を張っていても意味がない。「今、工具出して工作していたんですが、ゴミ捨て場、いつも使わせて貰っているだけでは何ですからついでにいじっちゃっていいですか?」なんて言ってさっさと直す。クルマで轢くと、割れずに結合部が外れる様な構造に組む。黴びていて汚いので余っていたペンキで塗る。例によって緑色だが。そこが余計か。


'04.9.18  随筆

ミックスナッツ

 呑む時には何も食べない私なのだが、たまに何か一つ欲しいなと思うこと位はある。もっともその場合でも頼むのはミックスナッツ程度だったりする。どこの店にも大抵あるのでメニューを見なくても良い。

 ところで一つお願いがある。どなたか私にミックスナッツの正しい食べ方を指南してくださらないだろうか。お願いしておきながら、しかしこれは無理な話だと思う。言ってみれば「女性の口説き方を教えてくれ」と言っている様なものだ。いろんな女性がいるし、口説く方だって自分と同じ人間ではない。店によって日によって、ミックスナッツほど内容の違うものもないからだ。

 カシューナッツとかピスタチオとか、好きな物から摘んでいくと、最後はピーナッツだらけになってしまったりする。気まぐれにジャイアントコーンを食べたりもするが、ガリゴリとやっているうちにすぐウンザリしてくる。あるいは私の食べ方は邪道で、"その道の人"からすれば子供がメロンパンの皮をむいて食べるが如きの行儀の悪さなのかも知れないと考えることがある。おもむろにガッと一掴みにして口に放り込むのが行儀なのかも知れない。私にはおよそワイルドに思えてためらってしまうのだが。しかし世間で必要とされるマナーの大半を私は知らない。

 その日寄った店は久しぶりで2度目だった。初めてミックスナッツを頼むと、カシューナッツもピスタチオもほとんど見当たらない。ガックリした気分で小皿に指を突っ込むと、ミックスナッツでは見慣れない、白い大振りなナッツに出会す。ミックスナッツでマカダミアに当たるのは初めてのことで、思わずニヤついてしまった。好きなんである。ポリポリポリポリ。結局3つもあった。

 少し気分の沈んだ日だったが、なんとなく持ち直せた気になった。たまにミックスナッツを頼むのも悪くない。


読書 村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」中公文庫
書架発掘…

'04.9.9  随筆

妻の日記

 ここのところ書き物が捗り、本欄はしばらく4回分くらいのストックを抱えて更新している。別に仕事が暇なわけでもさぼっているつもりでもないので、やはり忙しかったり考えることが何かあったりした方が創作には良いのかもしれない。ストックというのは、たまに挟む[日記]を除いての話だから毎回キッチリ800字を守っている。それが物書き志向者の意地ではある。裡の話だけど。

 日記と言えば、日記系やブログの知人友人がこれだけいながら、私はあまり日記的な文章を書くということには興味が向かない。下に見ているわけでもない。何より証拠に、私にはこの日記にだけは敵わないという日記がある。

  それが妻の日記である。

 妻がウェブで日記を公開しているわけではない。かといって、何も妻の日記を盗み読みしているわけでもない。日記というのは、保育園の連絡簿のことである。

 娘の保育園では、確か4歳児クラスまでは毎日子供の様子を親と保育士がやりとりする。これはほとんど全て妻が書いている。たまに私が書くこともあるのだが、それは大抵全然体を成していない。子供に触れている時間の差もあるにはあるだろうが、妻の観察力には全く及ばないのである。

日ようびは家の近くの商店街のお祭りに出かけました(父、姉と)。I先生とAちゃんに会ったそうです。おみこしと太鼓が出ていたようで、帰ってからも「ドンドン」と言いながら踊っていました。小さな(子供用の)ソファを逆さにし、太鼓に見立て、バチでたたく振りもしていました。楽しかったんでしょうね。

 私は、「ドンドン」と尻を振り踊る娘は覚えていてもそれだけなんである。「楽しかったんでしょうね」などというコメントはおよそ付けられない。情けない。

 本欄を読んで「お子様がお好きなんですね」というコメントを頂くことがある。とても、有り難いが、しかしあれは小手先の文章に過ぎない。私はいつもそう思っている。


'04.9.7  随筆

咳払い

 咳払いで人を退かせられるほど偉い人なんてこの社会にはいないし、偉い人は咳払いで人を退かしたりはしない。だから、例えば電車で立っていて、歩いてきた誰かが咳払いをしても私は退かない。

 しかし勿論、偉くないからではない。退かされる理由がないからだ。私は通り道のど真ん中だとか、わざわざ人の邪魔になる位置には立たないように気を付けているから、ほとんどの場合は私に一方的に非があったりはしない。避けなければぶつかるのは分かっているから、ぶつかっても良いような角度に向き直したりはする。たまたま顔の見える位置から相手が来た場合は「あー、失礼」くらい言って退く。「あー」がポイントで、「済みません」なんて言わないし、無言で道を譲ったりもしない。電車よりも、大きな本屋にはなぜかその類の人が多い気もするが、なぜだろう。自分が偉いと思っている人が多いのかも知れない。

 しかし実際には咳払いで人を退かそうとする人は至る所にウンザリするほど沢山いて、そして私はよく人にぶつかっている。そういう人の理屈は、人が来たら気を利かせて道を空けるべきだということなのだろうか。しかしそうやって人を退かそうという人は、決して礼の意志を表したりしない。礼を失している人に礼で報いる必要はないと思うし、実際うっかり譲ってしまった後は、気分悪く思うような相手であることが多い。

 ちなみに本欄では何度も書いているが、私は偏狭な人間なんである。自虐的に、
スムーズな人間関係を持てたということだけでは幸せな気持ちになれないのである。ちーとも人間が出来ていない。

 しかしそんな人間だから咳払いで退かせて良いかというとそんなことはないと思うのだ。いや、そもそも退かないけれど。


読書 川上弘美「蛇を踏む」文春文庫

'04.9.5  日記

枝切り、引っ越し、お裾分け

 あ、今回は普通の日記ということで。

 ジャンル区分が[日記]になっているのは誰も意識してないかもしれないが、前にも書いたけど[日記]と[告知]以外は、この小隊司令部発は800字(720〜800字)で書いている。大抵の環境ではほとんどスクロール無しで見られるし、あまり文章を読む気がなくても800字程度ならつきあってもらえそうだからなのだが。ちなみに9月から小隊司令部発のフォーマットを変えた。

 で、まあ、そういうことはともかく、今日は隣の貸家周辺の枝払いをした。午前中から始めて午後に雨が降り出すまでの数時間。前半は気が付いたら2時間経っていたという程に集中していた。迷彩服と虫除けで武装。ところがそれ以前にやはり体力が圧倒的に足りず、途中地べたに座り込んで戻しそうになってしまった。信じられないほど汗まみれになったし、指を痛めたし、明後日には筋肉痛に襲われるのだろう。高所恐怖症のくせに木に登ったりもした。別に広大な土地という訳ではないのだが、ゴルフ場や雑木林に隣接しており種種雑多な植物に囲まれている。例によって植物の種類はよく分からない。大小4種類の道具を持ち込んだが、一番使えなさそうだった高枝切りバサミ用のアタッチメントノコギリが大活躍した。

 その後知人の引っ越しの手伝い。荷物、ほとんどナシ。しかし荷物以外の物をいろいろ持ち帰る引っ越しに気持ちも落ち込む。一杯どうだと言うと、仕事に帰るという。やれやれ、少しは休めよ。

 地元は秋祭りの予定が、雷連発で強めの雨。例の馴染みの店も出店する予定だったので気になる。10時過ぎ、珍しく切れた酒を買いに外に出ると、その店の行灯が灯っていたので覗く。丁度打ち上げが終わった後だという。ママがちょっと待ってと言うので何だろうと待つと、缶ビールを1本くれる。何も手伝っていないのに申し訳がない。

 で、そのビールを呑みながらの更新という次第。


'04.9.1  随筆

深夜放送

 月に2度ばかりは、タクシー帰りとなることもある。仕事が片づかないこともあるが、呑み過ぎてということもある。いずれにしてもなんとなく領収書を貰ってしまったりするのだが、後者の場合は自営の知り合いにあげてしまう。もっとも、「またかい」と言われるのも何なので、毎回というわけではない。

 最近乗るタクシーは、たまたまなのか、なぜだかラジオをかけていない事が多い。以前はデフォルトの様にNHKの深夜放送がかかっていた。普通のAM放送のはずが、アナウンサーの喋り方がかなり特徴的で、海外で聴く短波放送の様な音に聞こえる。車窓に映るのはただの青梅街道のはずが、なにかとても遠いところへ来てしまった感覚に陥る。

 私が中学生の頃はラジオの深夜放送全盛時代であった。"パックインミュージック"や"オールナイトニッポン"の時代だった。学校が嫌いだった私は、翌日に学校へは行かないことを心に決め、タミヤの1/35独軍自走砲の車輪を塗装しながらTBSの深夜放送を聴いたりした。明け方も近くなると長距離運転手向けの番組に代わり、掛かる曲も雰囲気も独特の物になる。あまりシュミではないはずなのに、なぜか聴いてしまった。いつもの自分の部屋にいるはずなのに、どこか知らない場所を走っているかの様に思えた。もっとも、知らない場所は知らない場所であり、イメージするのは専ら映画「トラック野郎」か何かの1シーンだったりした。タクシーの深夜放送を聴くと、あの頃を思い出す。

 そのしばらく後にも、よく深夜放送を聴いていた時期があった。始まったばかりのころのJ-WAVEの深夜放送を、一人で街道を飛ばしながらよく聴いていた。オープニングのメロディがやたらと憂鬱で、選曲もナレーションも憂鬱で、なんか無闇に悲しくなってくる番組だった記憶がある。どこへ走っていけばいいのかわからなかった。

 それはまあ、音楽のせいではなかったのだろうが。


 しばらく寄っていなかった某店の店員Mに歌舞伎町の街角で出会す。互いに見知った顔で挨拶を交わさないのも不自然なので、目の前を通り過ぎた彼に声をかけるも、受け答えがいちいちカンに障る。以前よく他の客の陰口を叩いていた男なので、これは自分も加えられてるかと感じる。店主は嫌いじゃないんだが…、これは焼酎バーの方には一生行かねぇかもしれんなと。どうにかならんのか、あの店員は。(本記事にするには下らな過ぎるので欄外扱い)

読書 片岡義男「缶ビールのロマンス」角川文庫
またも書架発掘シリーズ(笑)。読み進めん…