随筆/日記
公文書

'09.8.26  日記

鶏と卵、どちらが美味しいか??

 以前予告していた掌編小説を公開用に体裁を整えていたのだが、なんか急につまらない話に思えてきて作業をやめてしまった。珍しく十数枚分書いたんだが。このリソースの無駄遣いが、珍しく1週間も更新をしていなかった事の一因か。

 ところで小説と言えば先日の欄外に書いたが小説原作の映画「ジャージの二人」(原作・長嶋有)をDVDで観た。その話を毎度の酒場で話したところ「小説原作の映画をご覧になりますよね。“本読み”は観ない人が多い気がしますが」と。

 確かに。言われてみれば私は小説原作の映画をよく観ている。観ない人は、勿論原作イメージが損なわれる物が多いから観ないということだろうが、私の場合は逆に原作(中身)も知らずに観ようという気になる映画を見つけられないということもあるかも。そもそも映画自体あまり観ないのだが。妻が割合に「観るなら読む」というタイプの人なので(映画ではないが「居眠り磐音 江戸双紙」や「獣の奏者 エリン」等々)、その影響が強いのかも知れない。

 例によって記憶は曖昧なので自サイトをググってみると下記の様な作品を観ていた。

「アルゼンチンババア」(原作・吉本ばなな)07.4@映画館 >まあ良し
「となり町戦争」(原作・三崎亜紀)'07.9@DVD >マジかよ、お前
「きみの友だち」(原作・重松清)'08.7@映画館 >あれッ!?

 特に「となり町戦争」は酷かったなぁ。「きみの友だち」は娘と観に行ったが、新人女優を盛り立てるような舞台挨拶と併せてしらけ具合倍増だった。

 ちなみに映画を先に見ていた物は下記。

「ティファニーで朝食を」(トルーマン・カポーティ著/村上春樹訳)'08.12
「陽気なギャングが地球を回す」(伊坂幸太郎)'09.6

 随分と趣が違うが(苦笑)。原作との違いが大きいのは「ティファニー〜」の方。

 本来はどちらの形態で出会うのが良いというものではないと思うのだが、実際には原作の方を気に入ることが多いなと思う次第。


読書 平 安寿子「センチメンタル・サバイバル」角川文庫

読み終えた。ん〜。誤解を恐れず書くなら女性誌の特集記事を対話形式にしたようなシーンが散見されて、読むのが辛い場合が多かった。それもそのはず筆者によれば「SEX AND THE CITY」形式のストーリーで、男性読者を視野には入れていないそうである。それはまあ、これを読みやすいと感じる男は珍しかろうな。ともあれ読んだ。ともあれかよ。


'09.8.15  日記

sendanrin.com [検索]
 「暑気払いでも」と言いはするが、自分からは実行しない私である。先日はお誘いいただき珍しく数人で呑んだ。それも珍しく同業者。元々は自転車趣味繋がりのちぇすさんから拡がった関係の人達であるが。

 席上出た話だが、会場に使った「神田 break」は、ネット検索すると栴檀林がトップに来るそうな。以前ZOIDのマスターも言っていた。なんだろう、キーワードが引っ掛かりやすい様にでもなっているのだろうか。大したアクセス数でもないのに。

 多分。

 そう、実は私はアクセス解析をほとんどやっていない。ブログ部分に至ってはカウンターすら付いていない。意外に無頓着なのである。アフィリエイトでもやっていれば話は別かも知れないがそもそもそれに興味がないしな。

 たまにだが、自分のサイトをネット検索してみたりすることはある。サイトを持っていたりプログを書いているような人は、大概やるのではないだろうか。

 引っ掛かるのが相互リンク先のリンクページだったりすることもある。しかし昔と違いリンクページを設けたサイト自体が少なくなっており、だから、数年更新をしていない懐かしの友のページであることも多い。

 最近多いのはどこぞの検索エンジンが拾ったキーワードをまとめたページだったりして、それも記事内容と全然関係ないようなワードで拾われたりしていると、無駄なことをして…と思ってしまう。

 今時はトラックバックやらがある。出始めは無断リンクみたいで厭だなぁと思ったものだが、最近はスパムTBが多くて切っているブログも多い。承諾/削除の判断をするのも煩わしいし、さもありなんだ。

 ところで極希に、記事内容やサイト全体のことを書いてくださっているのを見掛けることもあり、これは結構嬉しいものである。今日も、全く知らない方が“読めるブログは増えたのか?”の4選に選んでくださっているのを発見した。しかし2年も前の記事だったので(苦笑)礼を述べるタイミングも逸しており、リンクはしないのだが。

という訳でもないが「公文書」「出口、らしきもの」の構成を一部改訂。そんなことはともかく、そろそろ全体のデザインをちゃんと整理した方が良いんだがなぁ。それよりブログ部分に解析付きカウンターか…。


'09.8.13  日記

二度目の夏の盛岡〜ベアレンビールを呑む旅〜(後編)

とかく羊は群れたがる。しかし一緒に群れようと迂闊に近付くと“コロコロ”だらけ。クロックス履いた人が多く、こちらがヒヤヒヤだった(笑)。

アーチェリー。なんかフォーム怪しくないか? 昔やったんだがなぁ。そんで妻に自慢するつもりが、彼女も経験者なのだった。

4人乗り自転車。写真は私のリタイア後だが、ここぞとばかりに爆走。しかしこれで1人10分400円は高過ぎないかねぇ。楽しかったんでいいけど。
 何度も目が覚めて、1時頃には眠気がなくなっていた。狭いベッドの上、寝返りでもんちゃんを起こさないように気にしていたためか。いや、呑み足りないんだよ、きっと。という訳でフロアでホテルのベンダーにしちゃ安すぎるビールやらチューハイやらを買ってきて、TVをベッドの反対側に向けて音を絞ってニュースを見てから寝た。市内の至る所でベアレンビールを見掛けたが(駅のコンビニにも!)、残念ながらここにはなかった。

 2日目はまる1日を「小岩井牧場まきば園」で過ごす。時折小雨がぱらついたが、「午後にはもっと降るから今のうちに外で遊ぼう」という妻の言葉にあちこち歩き回る。追い立てられる様な過密スケジュールでアトラクションがある都下のアミューズメント施設と違いのんびりしていて良い。こんなで間が持つのかなと思っていたのにあっという間に夕方になってしまった。それにしても入場後に支払う物が多くて厭だなぁ。

 2泊目はペンション。風呂トイレ別でビールの自販機もないが(苦笑)、1人1台のベッドに各自のびのび。と思っていたら夜中に「ゴトッ」。もんちゃんが落ちて目を覚ました。なにせ家では4本川の字(表現としておかしいが)なのでベッドは苦手なのだ。

 最終日はベアレン醸造所見学。今回は嶌田さんに醸造所内を案内していただけた。夏休みと言っても平日なので通常稼動のはずだが、2年前同様にフル稼動している工場という感じがなく、旧くて今は使っていない設備もあったりしてそれが何ともベアレンぽかった。

 駅前でレンタカーを返して帰路。各地で台風による大雨の被害が出ている中、岩手から東京へ向かう。時折横切る河川という河川は皆濁流となっていた。戯れに見た携帯電話のGPSではあっという間に「範囲外」へ流されて、新幹線は速いのだなと感心したりする。ポケモン新幹線は運行不明で予約も出来ず感心しないが(というか親にとっては迷惑)。

2泊目。ペンションのベッド。隣がリネン室の廊下で良かった。


100年前の物をベースに戦後改修された物を輸入して使っている醸造釜。このアングルでは通常見られないのだった。釜の中も見せていただいた。

倉庫は各種の麦やら瓶やらで一杯。多くは欧州物だが、最近はカナダ産も使っているとか。袋に抱きついたみるは「いい匂い〜」。

限定ビールの余ったラベル。どれもうちで見たことがあるのだった…。

醸造釜の掃除にはケルヒャーが使われている模様(どこ見てんだか)。


余談。この旅行中PBも持っていかないしオンラインは極力すまいと思えど電車内など暇で繋いでしまう。結局ブログのスパムコメント掃除のために携帯の「PCサイトビューワー」まで起動するはめに。ちなみに3日間で、ブログのスパムコメントは5件。自ドメインへのスパムメールが580件。管理している父母会アドレスへは62件あった。


読書 伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」文春文庫

暫く読んでいなかったが、本欄バックナンバーを見返すと伊藤たかみは3年前に集中的に読んでいた。以前は村上春樹風と評していたが、本作は長嶋有風な気がしたり等と書くのは失礼か。「そこに他者がいることを穏やかに肯定する、優しい余韻」(津村記久子の解説文より)が確かに心地良い。もう少し厭な奴もしくはそういう要素があった方が締まる気もするが、それは好みの問題かも知れない。



'09.8.11  日記

二度目の夏の盛岡〜ベアレンビールを呑む旅〜(前編)

 旅行が苦手な私は、夏休みが近付くと呑気に「今年はどうしようかね」などと口にするわけだが、妻は毎年幾つかのプランを提示してくれる。そして今年の休みは8日からの2泊3日で、2年ぶりに盛岡へ行くこととなった。

 2年前の盛岡はNHK朝ドラ「どんど晴れ」に盛り上がっていた。今年はさんさ祭りもとうに終わった時期ではあるが、もとより我が家にとっての盛岡とは、「ベアレン醸造所」の地に他ならない。

 盛岡市内の材木町には春〜秋の毎週土曜日に開催される「材木町よ市」がある。ここに「ベアレン醸造所」直営店の「ビアパブ ベアレン」があり、毎回出店しているそうだ。土曜日の15時から18時過ぎまで、今の時期は限定品の「小麦ビール」や「ラードラー」(レモネードのカクテルビール)などが出されており、この機会にという訳である。特に常温保存の利かないラードラーはこういうイベントでしか口にできないし、土曜日の夜に盛岡にいられる機会というのが、うちの場合は通常ない。

 今回、材木町で夕刻にビールを呑むために、宿泊を歩いて帰れる盛岡駅に近い市街地とした。「ビジネスホテルしかない」という妻の言ほどではないにしてもやや無味乾燥なホテルに、それも家族4人が2部屋に分かれての宿泊となった。しかし泊まってみればそれはそれで楽しい体験となった。

 よ市を求めて材木町を探すと、何のことはないホテルから北上川沿いに数百メートル行った場所だった。これ目的で東京から訪れる程の派手な催しではないが、地域の名産品などを中心に出店が立ち並ぶ。妻は旅行者であることも忘れて巨大な冬瓜やナスに少し気を惹かれたりしていた。

 そして夕げを過ごした「ビアパブ ベアレン」は、河岸を望むロケーションも料理の数々も素晴らしい店で、多くの客で賑わっていた。

 言葉としての「地ビール」は普及しているが、地元に根付いた「地ビール」を実感するのはこういう機会でもなければ難しいかもれない。

(次回後編は、小岩井牧場とベアレン醸造所見学)

「モリオカ」はロシア語風か? 夏休み前編
ベアレン醸造所直営レストラン「ビアパブ ベアレン」

「ラードラー」はこの店先のテントで販売。夕刻には品切れだった。この手のイベントでは珍しく、デポジット制のリユースカップを使用していた。

ビアパブベアレン

残念ながら時折小雨が降っていた。

北上川の流れを望みながら。

読書 能町みね子「オカマだけどOLやってます。完全版」文春文庫

今はライターとなっているという筆者は、そうなるだけあって文も絵も悪くない。しかしそれより普通のOL生活の方がスリリングだった様で、それが可笑しい。可笑しげに綴られていて素敵である。ちなみに新幹線内で読破。
ところで、細かい分類はさておき、オカマということで言えば私には知り合いが何人かいる。みな美人だが、よくよく考えてみたら色っぽい話になったことがない。単に私が彼女たちの好みのタイプではないのかもしれないし、話題が「ワルサーPPKの戦前型と戦後型の違い」とかではそうなり様もないということかもしれない。本書と関係ない話だが。

 



'09.8.7  日記

本屋で涼む

 駅ビルの仕事が多いと言っても、当たり前だが外を歩くことぐらいはある。いつも掛けているカラーグラスでは全然足りない程に陽射しが強い。白っぽいタイル装の歩道は、照り返しと立ち上がる熱気でうんざりするほど暑い。あまりに暑いので、通り沿いの大型書店に逃げ込んだ。

 最近はご時世か公共施設の多くは冷房の効きが緩やかである。市立図書館なんかエアコンの故障かと思ったりする。そこへいくと都心の大型書店はばっちり冷えている。いや、別に良い話ではないんだが。

 店内の書棚を見上げるとNDCのナンバーがしっかり打ってある。日本十進分類法。図書館資料の分類法だ。しかし司書でもない人間がこれを目安に本を探すことはないだろうにと思いながら通路を歩く。

 本屋に入って全てのコーナーを覗く人はいない。いたら出版社か同業者だろう。私は7割方文庫コーナーに行く。あとは雑誌コーナーでスポーツ(勿論自転車)、趣味(銃)、文芸誌。漫画コーナーを覗くことはあまりなくなったな。たまにコンピュータの専門書を覗いてみるけれど、そういえば文芸単行本は全然見ない。何せ本は文庫でしか読まないから。

 気に入った作家が出来て、続けて読むときでも単行本はほぼ読まない。だから意外な作品を飛ばしてしまっていることもあるらしい。

 久しぶりに単行本の棚を覗く。NDCだと910(日本文学)か。店の規模の割には棚が小さい。その上分類も今ひとつはっきりせず、「男性作家」「女性作家」と来て次が「闘病記」だった。さすが神田。しかしこれでは単行本も揃っているとは思えず参考にはなりそうもない。

 見知った作家の読んだことのない既刊が並んでおり、ちょっと変な感じがした。作家からしてみれば文庫しか知らない私の方が変なのだろうけど。何かで作家と顔を合わしても「作品はよく拝見しています」と言えない。

明日から10日まで夏期休暇。盛岡までベアレンビール呑みに行ってきます。ほとんどオンラインできないので宜しくどうぞ。


読書 門倉貴史「セックス格差社会」宝島SUGOI文庫

タイトルが新書みたいだが文庫。しかも下世話だが、内容は収入格差から少子化など経済のことを書いている。辻褄合わせの様に解説文が下品で笑えた。


読書 三浦しをん「まほろ駅前多田便利軒」文春文庫

再読。やはり面白いなこれ。続編あればいいのにと思っていたら、外伝がいくつかある(文庫にはなっていない)と解説に書いてあった。外伝なんて言うとまさにライトノベルぽいが、これがライトノベルならそれも良いか。というかライトノベル自体は読んだことないが。

 


'09.7.13  随筆

腕時計

 私は腕時計をしない。もう10年以上していないのではないか。

 特にポリシーあってというよりは、時間を知るには携帯電話があれば充分ということがある。いちいち何かから取り出すのではなくベルトにクリップで留めているため、懐中時計の様な具合に見られるので不便はない。機能のダブる物はいくつも持ちたくない。

 また、実のところ私はあまりお洒落ではないのかも知れない。お洒落小物という事で言えば、タイピンやアームバンドといった物を使ってはいるが、さほど凝った物ではなく、使っている人が少ないから珍しいだけのアクセサリーである。そう言えば生意気盛りの若い頃には胸にポケットチーフも差していたな。今の私にとってはタイや袖を留めるといった機能すらない腕時計は不要な小物に分類されるのだと言える。

 また小物好きだが持ち歩くの自体は好きではない。なぜなら忘れてしまうのである。鞄の中に入れたままの便利な(はずの)物は、引っ張り出せばいくつもあるはずだが咄嗟には思い出せない。それは軽くて短いシャーペンであったりUSB-microSD変換アダプタであったりする。それでも鞄の中にあるのはそういうサイズだからであり、腕時計は普通鞄の中には入れておかない。

 いつぞやも書いた気がするが同年代の知人には「社会人たる者は空でも鞄は持て、腕時計はとにかく填めろ」というポリシーを持つのがいて部下にも言っているらしい。それがまっとうな会社員の考えなのだろう。私は、物を沢山持つから鞄は持たざるを得ないし、「とにかく」で填め続けるには腕時計は鬱陶し過ぎる。

 半ば納戸の様な私の書斎には、歴史の遺物の様に過去の持ち物が眠っている。昔は身に着けていた腕時計も幾つかあった。改めて引っ張り出すと安物ばかりの様だが、こんな扱いになっているのだからそれで良かったのだろう。

 仏壇には父が愛用していた腕時計が置かれているが、私の場合は何になるのだろうか。


仏壇の敷物の上で仏具の様な輝きを放つオメガ。


'09.7.3  随筆 

禁煙と、煙草屋のお母さん

 とうとう、煙草を吸ってしまった!

 と騒ぐふりして、はて、私は禁煙でもしていただろうか。いや、単に吸い忘れていただけだった。止めるつもりで吸わなかったわけではないから、いつから吸っていないかが分からない。禁煙だったら「禁煙○ヶ月」などと謳いたいではないか。

 大体“黒い肺”なんて名前の酒場に通っていて禁煙も何もと思いながら店主と話す。

 「実際、吸っていないからと言って特に良いこともないんだよね。別段飯が旨くなった訳でもないし、運動能力が向上したという実感もないし」

 「寝付きや寝覚めが良くないですか?」

 寝付きは元々良い方だが、そういえば最近寝覚めも良い気がする。しかしそんな効能聞いたことなかったな。喫煙者のくせによく知っているなと思いながら、時々断食とかする男なので、禁煙も時々しているのかも知れない。

 ところで、私の吸っている銘柄は、歌舞伎町であっても意外に扱っている店は少ない。歌舞伎町では決まってコマ劇の寿司屋「浜銀」横の煙草屋で買う。コマ劇自体は半年以上前に閉鎖になっているというのに、なぜかこの煙草屋と「浜銀」は閉まらない。コマ劇の事務所機能自体が残っているからではないかという話だが、他の全ての店はとっくに退去している。

 店には大抵「浜銀」のお母さんか、若旦那である次男が入っている。ホストを避けながら通りを歩いてくると、テレビに見入っていなければ20m手前辺りで目が合う。私がカウンターの前に着く時には既に「ダビドフ・ワン」が一つ、出ている。この数年、ここで挨拶や世間話はしても、煙草の銘柄を口にした記憶はない。

 ある日酒場で煙草を切らしたので買いに来ると、なんと財布を忘れていた。するとお母さんに笑われながら「お金は次で良いよ」と言われた。

 ご近所でもない大繁華街の煙草屋で煙草がツケなんて話は、まあ大抵珍しがられる。


コマ閉鎖直後の煙草屋。あの頃は「在りし日の姿」のつもりで感傷的に撮ったのだが、半年経ってもまだやっているのだった。

'09.7.1  随筆 

文学的逡巡

 「逡巡」ってどういう字だっけ。ま、いいや、打てば変換されるから。

 じゃなくて、悩み躊躇っていたのである。ふらりと書店に寄ると続けて読んでいる作家の文庫が一気に数冊出ていた。その本屋はJR系駅ビルのテナントなので(そればっか)Suicaで買うとして、4冊いっぺんに文庫を買うのは何か贅沢というより馬鹿っぽい気すらする。

 結局、そろそろ飽きてきた「自伝的な」重松清はまたの機会にして、井上荒野と角田光代の短編集と、堀江敏幸のエッセイ(いつになく良さそう)の計3冊を買った。あまり変わらないじゃないか。

 ところで井上荒野が集英社文庫なのだが、キャンペーンで「ナツイチオリジナルストラップ」なるものが当たるとのことで、三角くじのような箱から小袋をひとつ選んだ。袋の裏面には、食べ物ではないとか、幼児が誤って飲み込む危険があるとか、半島の政治バランスに微妙に作用するとか、そういう愚にもつかぬ事が6ポイント位の文字で打たれており(どれかは嘘)、その下にくじのような事が書かれていた。

 「今日のラッキーパーソンはAB型の人。ユニークな発想をもつAB型の人と書店に行ってみよう。ドキドキする出会いがあるかも!?」

 うわー、ホントに? …じゃなくて、自分がAB型なんだが。なんかドキドキする出会いがあったか? あ、読みたい本が多くて「逡巡」したってのがソレかい。つまらん。

 帰路に立ち寄ったビアスタンドのドラフトが2サイズに変わっており、大きい方がパイントグラスになっていた、というのがソレなのかも。…それもな。

 結局例によって、道行く女性を眺めながら駄文をポチポチ打っている次第であるが、このところまた単文を書き溜めたので、連続掌編小説なんてまたやる予定。前回反応がなかったんだよねと言ったら「あれは…」と言われる言葉を制し、いやそれは実のところ構わないことだったと思ったり思わなかったり。


ノベルティのストラップで、これをぶら下げたいと思う様な物は滅多にない。緑色なら何でも良い訳ではない。ていうか携帯にストラップ付ける習慣自体ないしな。

'09.6.29  随筆

煩わしい陽射し

 この時期、電車内や駅で少しアンバランスな格好の人をしばしば見掛け始める。普通のスーツ姿でサングラスを掛けている。それもロールシャッハテストの“羽根を広げた蛾か何か”みたいなデザインの物である。行楽地やスキー場辺りなら溶け込むのだろうが、朝の山手線ではかなり浮く。確かに普段使いのサングラスがあるという人もそう多くないのだろう。

 晴れ渡る夏の高原で豊かに水を讃えた湖面の光というのも眩しいだろうが、街中にはギラギラと光を反射する物が多い。全面ガラスのビルに反射する光というのも角度が角度だけに唐突で鬱陶しい。

 通勤時、乗る時間はバラバラだが、乗換駅ではプラットホームの決まった場所から乗る。その場所の正面の看板から、今年度に入った辺りだったと思うが広告が取り払われた。全寮制の学校の広告だったと思うが、毎日正面に立ちながらも何という名前だったか思い出せない。それはともかく、不況のせいだろうかこの枠がいつまでも埋まらない。JRは大抵そういう場合、多少広告料の優遇でもするのか系列のホテルなどの広告を掲出するか、その枠を管理する系列の広告代理店自身が自社の企業広告を仮に出したりしている。しかしこのスペースはどうしたことかもう数ヶ月真っ白なままだ。

 比喩として「真っ白」なのではなく、本当に白いシートで全面カバーされている。朝のプラットホームで、真っ正面に足下から見上げる高さの辺りまで真っ白い壁があるとどうだろう。これはかなり眩しい。

 通常、仕事中以外は緑のカラーグラスを掛けているのだが、さすがにこれでは足りない。もっと濃い色の物というと、顔の側面まで回り込む自転車用か、細いラインの遊び用くらい。つまりどちらも普段使いではないのだ。

 また、それらも掛け替えで持つとなると、直行や直帰の際には都合3本も眼鏡を持ち歩くことになる。それはさすがに煩わしい。



こうして見ると普段用眼鏡の色は大して濃くないな。


'09.6.26  随筆

忘れっぽいナポリタン

 私は忘れっぽい。そして忘れるということに関しては公平だ。大局的なことも些細なことも、忘れてはならないこともどうでも良いことも、分け隔てなく忘れる。

 ところで、学生の頃に当時付き合いのあった女性に別れ際半ばなじられるかの様に「あなたの夢は建築のデザインに携わることだったよね」と言われたことがあった。この時ばかりは、忘れっぽいのが自分なのか彼女なのか判断できず、ぽかんとした。その後私は経済学部を出て広告制作会社に入ったが、理系を断念したのは高校2年の夏だったはずだし、少なくとも建築を目指そうと考えた記憶はなく、そもそもそんな話を彼女にしただろうか。彼女は私をアドルフ・ヒトラーか何かと勘違いしていないかと思った。

 閑話休題。そんな忘れっぽさのためか、この2週間ばかり、煙草を吸うのを忘れていた。元々酒場でしか吸わないし、酒場に置いていない銘柄を愛飲しているというためもあろうが、気付いたらそれ位経っていた。禁煙のつもりもないせいか、特に健康になったり食べ物が美味しくなったりしている実感はない。食べ物と言ってもどうせナポリタンばかり食べているからでしょうという声も聞こえてきそうだが余計なお世話だ。

 ところでそのナポリタンも、どこかで旨い店を見つけても忘れてしまうことがある。大概が場末の喫茶店や洋食屋であるから、「○○町にある、ホラ…」と人に振っても通じない。そういう意味では「ナポリタン×ナポリタン」の様なサイトは大変助かる。

 しかし他方では「B級グルメとかのブログってさ、自分の足じゃなくてどこかの情報元にして行くから、結局レポートされてる店も、レポートの内容自体も似通ってんだよね」との意見も聞かれる(ナポ〜は別)。隣席のBグル師(?)M嶋さん談だが。

 栴檀林の記事はレポートにすらなっていないじゃないか、というご意見もあろうが、聞いても多分すぐに忘れるだろう。

 

以前批判的に書いた「日本橋ベラミ」だが実はしばらく通っている。黒胡椒は言えば入れないで作ってくれる(最近は言わなくても顔見て除く)し、カレースパはルーが旨い上に無料で途中追加できる。

品川駅ナカ「品川ダイナー」にアルデンテは無縁。生パスタだからね。昼は大盛無料。皿がワンプレート料理用なのでデカいから判りにくいが結構な量。溶けて薄ら絡まったチーズが良し。800円

神田にも駅ナカあり(?)。「エリゼ」に寄ってみた。立地も雰囲気もそれらしいのに麺にコシがあって白ける(どういう基準だか)。靴脱いで脚組んだオヤジ率高く座る場所に注意。650円

件のサイトにケチャップで炒める沖縄ソバを出す店が紹介されていた。活動エリア内の銀座だが夜のみの店なので断念。代わりに新宿「やんばる」で沖縄焼きソバ。スパムが良い。しかし量多いよコレ。

'09.6.16  随筆 

たまご酒

 卵のリキュールについて。

 あらためて考えると随分前に書いた記憶があったが、調べてみると前も前、'99年6月の話だった。

 昔の出張先で買うのが楽しみだった瓶詰めの卵酒の話から、「アドボカート」や「フライドエッグ」といった卵のリキュールの話まで書いていた。しかし今読み返すと半端な情報やあやふやな記憶で書かれている部分があり、10年前の文章とはいえ少し残念な気持ちになる。

 商品名を間違っているのはまだしもとして、自分の出張先を誤って覚えていた。原発の仕事で訪れていたのは福井ではなく福島だったはずだ。福井に行ったのは県の歴史漫画本制作の時で、それも片田舎ではなく県庁所在地の福井市だった。どちらも10年経った今やっと訂正した。

 ところで、なぜ今頃そんな古い記事を引っ張り出しているかというと、その文中で触れられていた瓶詰めの卵酒に東京駅で出会したからだ。

 多少ラベルのデザインは変わった様だったが、牛乳瓶の様なボトルのフォルムはそのままだった。そして「開封後は5日以内にお召し上がり下さい」の注意書き。これだこれだ。産地は改めて見ると福島県ではなく隣の宮城県だということが分かった。仙台藩御用酒屋「勝山」伝統の酒。純米酒に卵・上白糖を使い、保存料や添加物を一切加えず作り上げられた物である。

 保冷剤でくるみ、寄り道の際(ん?)は店の冷蔵庫に入れて貰い、ほくほく顔で帰宅した。

 ところが家人は誰も関心を示さない。妻なぞは「それ前も聞いた」とつれない。「前」って10年前だろ。そもそも卵酒自体に興味がない。梨や葡萄の味が着けられたマッコリなんか飲んでいるくせに卵酒に関心がないなんて信じられない。妻は、風邪を引いても卵酒を飲まない文化圏の人間なのだ。

 結局ほとんど1人で呑んだ。そして、1人で1本呑む様な酒ではないのであった。


お茶を飲むもんちゃん相手にたまご酒の話をするお父さんであった。


'08.6.11  随筆 

食中毒ぐたぐだ記

 これはあくまでも記録のための記述である。何の記録かと言うと「ひょっとして後厄か?」という記録だ。

 先日の“銀座行き”の日に「戻す程」具合が悪かったと書いたが、実は食中毒に罹っていた。朝食の炒飯が原因らしく家族4人共に戻していた。ただ私だけが妻への遠慮のため戻し方が足りなかったらしく、長引いて翌日休んでしまった。

  よく会社を休む男である。ボーナス査定の話の時になんだかんだと会社側に文句を垂れた男の就業態度ではないのかも知れないが、なにせ食中毒なので勘弁していただこう。初日は一応出社したし。役立たずだったが。

 1日目は帰宅すると、場合が場合なので私の分まで妻が薬を貰ってきており、それを飲んで少しは楽になった。しかし翌日会社を休んで医者にも行かず寝てますというのも決まりが悪かったので地元の内科医に行った。後で妻に「無駄に薬代払って」と言われてしまった。公費というのもこうして無駄遣いされていくのかも知れない(違うって)。もっとも、症状が長引いている私は若干処方が違っていた。

 医者から帰ると後は1日、寝ているか、仕事のやり取りをメールでやっているか、待っている間にサイトを更新したり。しかし基本的に薄らと気持ち悪いので横になっていた。

 2階の寝室の窓から見えるのは空と木だけで寝ているのには最適だが(だから寝室なのだが)、実は回線が来ていない。仕方なく居間に降りて横になる。それにしても長閑だなぁと庭を眺めていると、近所の黒猫がのそのそとベランダにやって来た。“指ピストル”を構えられ「緊張感なさ過ぎだろお前」と部屋着で横になっているおっさんに言われる筋はないか。

 そして翌々日である今日も、実のところ薄らと吐き気が残っている。それにしても呑み過ぎでもないのに吐くだなんてどれ位ぶりだろうか。そして驚くべき事実に気付いたのだが、なんとこの2日間一滴も酒を呑んでいないのだった。…当たり前か。


'09.6.1  日記  mac&other

故障

 また故障した。

 いや、今回はもうPowerBookの話ではなくて。それは改めてしつこく書くが(笑)。

 つか結局また修理5万円コースになった。Appleよ、いい加減にしてくれよな。毎年こんなにぶんだくるならただにしておけ。搾取し過ぎなんだよ米帝の奴隷制度主義者め。奴ら側で改善されたことはAppleStoreの対応がややマシになった程度。それも「わかりません」が「できません」に変わった位。小学生か。帝国主義的マネーゲーム野郎共の三流手慰み創作物はしょせんこんな物だということで。音楽プレーヤーや電話で詐欺の範囲広げてるだけじゃねぇかよ。

 と、まあ、昨年10月と全く同じ箇所の故障でPowerBookが修理センター送りになった後は気が荒んでおり文体も荒れてますがご容赦を。まあこれ位書かせていただいても罰は当たらんでしょう。結局書いてるか。

 さて、気持ちだけでなく身体も荒れ気味の5月だった。月頭に自転車自損事故で顎を3針縫ったが、この週末は腰部捻挫だった。

 日曜は娘達の通う小学校の学校公開日初日。平日勤務の親にとっては唯一の公開日である。中休みの時間に中庭で下の娘に見つかると、友達と2人で背中に飛び乗ってきた。そのまま背負うことはできたが、飛び降り損ねて頭を打ちそうになった子供を抱えながら背中から倒れ、腰を変に捻ってしまったのだった。前屈みにすらなれず、これでは通勤も無理だということで会社も休むことになってしまった。 なんだかねぇ。

 月頭に突然の休み。とは言え身体は不自由だし今にも降り出しそうな天気で全く何もできず。覚悟していた仕事の連絡すら2件程度。その上、今日休むとは言っていなかったのに、何を勘違いしたか下の娘は学童に寄らず帰ってきてしまった。

 おやつ。宿題。テレビ。人形遊び。まぁたまには良いか。


'09.5.30  日記 

カテゴリー

 3月にサーバを移転されたみいこさん(元? つぴぃさん)のブログだが、先日カテゴリーを分別して“増築”された。基本は自転車でのFC東京(Jリーグ)観戦記で、大カテゴリーとしてはFC東京/自転車の2つだったが、読者が完全に二分されているため、ブログ自体をカテゴリー別にされたという。

 人様のブログの移転がネタではお粗末なのだが、この話は私にとっても切実な問題である。

 本欄を何度かご覧いただいている皆さんはご存知の通り、当ブログも多カテゴリーとなっている。たまたま書くことがバラバラなのではなくて、元々サイト「栴檀林小隊 前線司令部」自体がそういう作りなのである、とまで書くと言い訳臭いか。

 カテゴリーは、[日記][告知]を別として、[随筆][自転車][銃][家][マック][クルマ]の6つ。自然消滅の[クルマ]以外はウェブサイトとしてのトップページもあるがブログとしては同じ場所にある。

 専門的なネタは興味がないと読めないとたまに言われるし、自分で書いていても解らんだろうなぁと思うこともある。

 もっとも、コメントをしてくださる方を見る限りは閲覧はあまりカテゴリー別にはなっていないらしい。ブログを始めてからはアクセス解析どころかカウンター設置すらしていないズボラぶりなので数字では出ていないので、実際がどうかは分からないが。

 ちなみにブログの作りの基本の話だけど、サイドバーのカテゴリーをクリックすれば、そのカテゴリーだけが表示されるのでご活用を…。

 最近カテゴライズをもっと細かくした方が読みやすいかなと考えているのだけれど、さすがにバックナンバー全部を再カテゴライズできるほどヒマでもマメでもないしなぁと悩み中。


ほぼ初めて、テキストエディタの手打ちHTMLで更新。やればできるか。ソースを読める方はお分かりと思うが、本欄は通常のブログと違いDWでテーブルとか作ってるので手打ちは苦しい。DWが修理中のPowerBookにしか入ってないのだ。早く直せー。

'09.5.29  随筆 

「誰かに似た」4/4回

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'09.5.28  随筆 

「誰かに似た」3/4回

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'09.5.27  随筆 

「誰かに似た」2/4回

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'09.5.26  随筆 

「誰かに似た」1/4回

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'09.5.25  告知  随筆

「誰かに似た」予告



 今週は趣味ネタはお休み。自転車でお付き合いいただいている皆さんにガン仲間の皆さん、ごめんなさい。ごめんという程のこともないか。

 本欄は今週一杯、毎日更新全4回の連載掌編欄となる次第。

 創作物はいつもなら抜粋だけ載せて、創作コンテンツ「出口、らしきもの」に誘導するのだけど、今回は本文を連載形式で載せる。その上に本欄のワクである「原稿用紙2枚分」を守る。う〜ん、何への挑戦なんだ。新聞小説のつもりか。そのくせ全7回ではない辺りが、いかにも思いつきぽい。そこが「ごめん」だろう。

 さて予告本文。

 いつも通る知らない道を抜ける内に、いつの間にか、いつかと似た相手と、いつかのうんざりした気分で話をしている。掛け違ったからってもう一度シャツを着直すには、もう遅い時間なんじゃないのか。

 という訳で、酒場の与太話の様な、酒場が舞台の与太話。1週間のことなので、気が向いたらお付き合いを。

 では今夜の更新から。

続く


'09.5.23  随筆 

給付金

 先日「給付金、もう振り込まれた?」と総務部長に訊かれるも、「さてどうなんでしょう」などと間の抜けた答えしかできなかった。全て妻に託したので、その後の手続きがどうなっているか把握していないのだ。まあどうせ私が手にしたら、余計な玩具か自転車の部品になるくらいならまだしも、全部呑んでしまうということもありうるからな。泡銭だからと言ってそう粗末にしてはいけない(つか税金だよ税金)。

 なんて事を考えていたら、ヨドバシのポイントの使用期限が迫ってますよとメールが届く。どうせ乾電池位しか買えん額だろうと思ったら定額給付金並みに1万円分超。これは凄いなと思い、妻に「ヨドバシで1万円使って良いよ」とメールした。それならば今週末のミルの誕生日にDSのソフトでも買ってやれば? という話になった。

 ちなみにこのポイントはウェブ上の物で、店頭でのポイントカード使用には「共通化」という手続きを取らないとならない。発送タイミングに何かあって肝心の誕生日に間に合わないと意味がないので、確実な店頭で買いたいのだ。しかしいざその手続きをやってみると、カードとウェブで登録している住所が違っており、そこをまず変更してからでないとできないという。面倒くさいなぁとむくれながら、ふと、じゃあカードの方にはどれだけポイントが貯まってるんだと訊ねると、約4千円分。ソフト買えるじゃないか。

 そんな訳で店頭ではカードのポイントをさっさとソフトに換え、ウェブのポイントには少し足して、店頭にはない取り寄せ商品である自転車のメットに換える事にした(結局、な)。

 少しでも金があったら借金とか返しとくのが正しいんだろうが、金と言っても現金ではないしな。BBLのツケも、ヨドバシのゴールドポイントで払えたらな。…ヘリのミニラジコンには換えられたけどね(うっかり換えるところだった)。酒場で四駆やミニラジコン流行らせてどうすんだという声も。


'09.5.18  随筆 

抜糸

 抜糸を完了した。

 口の周り全体の怪我であるために当初は全く髭を剃れなかったが、かさぶたのある所は取れ次第剃っていき、結局糸の飛び出ている顎だけ髭を剃れずに残していた。

 縫う様な怪我は、そういえば暫くしていなかったため、「抜糸」というのがどんなものだったか忘れていた。「抜く時痛いよ」と脅す人もいたが、ただパチンと切るだけで終わりだった様な記憶である。結局3回パチンとして終わりで、大した痛みはなかった。

 前回より少しだけ年嵩の行った女医さんに「お髭があるから傷が目立ちませんね」と言われる。「いや、糸を切りそうだから剃れなかったんです」と私。答えながら、やけに整った目鼻立ちなのでじっと見つめてしまい、意味もなく気恥ずかしくなる。

 それにしても普通は剃れるものだろうか。皆器用なものだな。顎の下の方の傷であるため、普通に鏡を覗き込んでもちゃんと見えないのだ。しまった。つまり抜糸の時は上を向き加減にして切って貰うのだが、鼻毛くらい切っておけば良かった。と、過日のBBLでの馬鹿話を思い出す。

 BBLと言えば、週末、抜糸前だというのに大酒をかっ喰らってしまい(そして電話で知り合いを呼び出し、酒場でしょうもないいたずらをし、帰路の道程を全く覚えておらず、定期入れをなくした)、傷が完治しているかやや不安があったが、とりあえずはくっついている様だった。しかし傷口が完治するのには3ヶ月は掛かるのだそうな。そしてその間、傷口の赤い部分を日に当てすぎるとシミになって残るのだとか。そう気にすることもなかろうとは思いながら、いやしかし健康にも悪いのだろうなと考える。

 そうでなくとも、もう既に日中の陽射しはかなりのものになっているし、日も長くなった。今日は抜糸の緊張でもあるまいが4時半には目が覚めていた。

 とりあえず今日は早く寝よう。


'09.5.14  随筆 

想い出のナポリタン

 今月末に定期健康診断を控えつつ、風呂上がりにふと我が体躯を眺めるに、昨年より腹が出ている様に思われる。今年はメタボ基準に引っ掛かるんじゃないか? 自転車は相変わらず乗っているんだがなぁ。とりあえずしばらく外でラーメン喰うのは止めておこう。それで代わりがナポリタンじゃ大差ない気もするのだが。

 社会人となって初めの会社が当時銀座3丁目の古い雑居ビルに入っていた。その地下に「再会」という喫茶店があったのだが、ここのナポリタンが忘れられない。店自体はビル同様に古くて小汚い。店内は始終競馬中継が流れていたり、社会人の先輩としてあまり見習いたくない様なおっさん達が、グテーっとしていたり週刊誌のページをつまらなさそうに繰っていたり、そういう店だったが、喫茶店ナポリというのはそもそもそういう店の方が旨い物なんだ。不思議な話。

 もそもそした中太麺はセオリー通りだが、ここのナポリの特徴は、具がイカだということ。別に海鮮ナポリタンとかそういうふざけた物ではない。単にハムやベーコンではなくてそこがイカという。何だったんだろうな、あの選択は。粉チーズは薄ら甘い明治製だった。

 店主は典型的なやる気なさげな雇われ店主。あんたそんな接客ってありかよとしょっちゅう思いながら見ていた。通っている内に愛想は良くなり、あまり不快な感じもしなくなったものだが、いい加減なのは変わらなかった。

 大概は1人で利用していたが、一度だけ保険外交員の人と一緒に入ったことがあり、ナポリタンを奢って貰った。なにせ当時付き合っていた女性の母親だったのだ。分かれてからも保険を止めたりはしなかったが、「前の彼は、すぐ止めたら損をするのに別れるとすぐに止めちゃった。S君は偉いね」と言われたのを覚えている。しかししばらくするとその人自身が辞めてしまい、私も保険会社を変えたのだった。損をしたのか、何が損なのかはよく分からない。

 「再会」のナポリタンというとそのことを思い出す。

思い出話はそこそこに、“活動報告”は各キャプションを参照されたい(笑)。


日本橋小網町「桃乳舎」
再訪。大盛にフライエッグを頼む。どこで見たのだったか勝手にスカッチエッグみたいなメニューを思い描いていたが、単なる目玉焼きだった。文句はないのだが、もう少し柔らかく、そして油っぽくても良いかなと思ってみたり。古典にケチ付ける様で恐縮だが(苦笑)。

大手町「リトル小岩井」
とうとう初訪。ロメスパ聖地の一つである。これこそロメスパだ、と思うのだが、小さいテーブルに同席で寿司詰めというスタイルがどうにも…。これならカウンターに向かって立って喰う方が絶対良い。味はケチの付けようもなし。なぜか皆、通のナポ喰い師に見える。

神田紺屋町「ビーバー」
神田と言えば「ビーバー」とばかりにeatnapo師からもお薦めいただいたが、会社のすぐ近くなもので、実は元々よく利用している。座る場所は椅子のクッションが残っているかどうかで決めた方が良い。たまに木枠にビニルシートみたいのがある。

読書 重松清「うちのパパが言うことには」角川文庫

'01年〜'04年にあちこちで書かれた単文をまとめて'05年4月に単行本化したものを、昨年5月に文庫化していて、それを買い忘れていた。請負仕事の短文ばかりだから仕方ないけど、ちょっと話を小綺麗にまとめすぎていて鼻につく物が多いんだよなぁ。1誌での連載エッセイとかだったらもっとざくっと書けるのだろうが、でもこの人はあまりざくっとエッセイを書いたりしないタイプの作家だと思うので同じ事か。


'09.5.13  随筆 

どこ見て走ってんだか

 私の主な得意先は駅ビルに入っているか、駅ビルそのものである事が多い。駅ビルには大抵酒を飲める店が入っている。そこは、駅ビルは関係ないか。

 早めに用事が済んでしまったりすると、あるいは早めに用事を済ませてしまって、そこで一杯やることも多い。

 そういう店は大抵昼はカフェで、待ち合わせに使いやすい人の流量が多い位置にある。流量分店に人が入るというわけでもないので、特にバータイムの出だしは、その流れる人をつまみに呑んだりもする。

 ファッションビルの類などだと、その流れはほとんど若い女性だったりする。文庫を開いたり、ノートのキーを叩きながら道行く女性を眺めるなんていうのは、もういい歳のおっさんだから許していただこうじゃないか。

 時々スポーツカーみたいのがいて、ステロタイプに口笛でも吹きたくなる。勿論いい歳のおっさんなのでそんなことはしないが。ブリティッシュライトウエイトスポーツやイタリアンカフェレーサーとか、おっというようなのも走っていれば、退屈なスポーツ仕様風国産2リッターセダン、みたいのも多かったり。しかし実は原色のアメリカンオープンカーみたいな分かりやすいのが自分は好みなんじゃないかなと思ったり。

 彼、女の好みは結構俗っぽいのよ、と女友達に言われる男の話は村上春樹の初期の…何だったっけ。女の好みは結構風俗っぽいのよ、とか言われたらしまいだけど(笑)。どっちにしてもそんな女友達は私にはいません。

 そんなことを書いていたら、男友達から「美女に見とれて事故ったとか?」とメールが届く。そんな余禄があった話ならば、それはそれで構わんのだがなぁ。

 その事故で口の周りに傷を負ったので、髭が剃れない。無精髭でますますガラ悪いですよと言われる次第で、そんなおっさんに見られていては世の女性方も心地好くはないでしょうから、しばらくはその手の酒場では読書と物書きに専念しようかと考えております。

追記)いや、そういえば確かにすれ違った美女に挨拶をした直後に事故ったのではあった。しかも「ナゴ」というのが同行氏の“鳴き声とすれば黒猫に横切られたという訳で話が出来過ぎ。とか自分にしかわからない駄洒落でにやけてみたり。阿呆か。


'09.5.12  随筆 

通院

 月曜日の午前中、家からは少し離れた場所にある病院へ行く。大概は地元の掛かり付けか、さもなくば勤め先の近くに通院するので、なにか調子の狂う感じがする。

 朝のラッシュ時からはややずれた時間帯に病院の最寄り駅まで行きバスに乗るのだが、バスに乗っているのは老人が多く、次に学生らしき若者。少なくとも私くらいの歳でスーツ姿の者は見当たらない。たまたまそういう路線なのだろうか。どうにも不釣り合いな感じがする。そういえば前にもそんなことを書いたなと思い出すが、あの時も病気で変な時間に街中を歩いたのだったか。

 それにしてもバスは慣れない。平生全く乗っていないので無理もないが、いつもなら自転車なりクルマなりで走り抜けるのと同じ市街地をのろのろと移動していると、えらく不便な乗り物のように感じてしまう。

 いつもより随分と高い位置からあちこち眺めながら移動するというのは、それはそれで結構面白い。しかしバス通り沿いにある家は迷惑だろうな。バスから庭の中が丸見えではないか。なにかとても悪趣味な感じがして、そのうちなるべく前を見るようになる。

 車内の老人達を見渡して、定年後は自分もこんな感じでどこかに出掛けたりするのだろうかと想像してみる。しかし母からして移動は自分で運転するクルマであるし、自分にしても妻にしても年老いてバスで移動するという姿は、上手く想像できない。

 あまりに調子の狂うことをしているからか、どうにも変なことばかりを考える。文庫本を取り出して読み始めるが、ものの5分ほどで気持ち悪くなってきた。そう、私はバスに酔うのだった。やれやれ。病院へ行くのに具合を悪くしてどうするんだ。

 午後一番には新規の仕事の説明打ち合わせ(プレゼンとも言う)があるのだった。それまでに精神的社会復帰を果たせるであろうか。

 平日の午前中、何もない市街地を老人達とバスに揺られて移動しながら、相変わらず私はしょうもないことばかり考えていた。


'09.5.5  日記

5/2東京都多摩市、5/3山梨県都留市

 「暦通りのGWです」と言うと、相手によっては厭味になったり逆に同情されたりしたものだが、今年辺りは複雑で、沢山休む人にむしろ羨ましがられたりする。

 ともあれ連休初日の2日(土)は家族で恒例の“多摩猫屋敷”。なぜ恒例かというと、ここは誕生日の子供にちょっとしたサービスがあり、これは誕生日の前後1ヶ月ずつが有効期限で、4月生まれと5月生まれのうちの子達にとってはGWがちょうど期限の重なる時期なのである。さすがの“猫屋敷”もこの時期は混むのだが、今年は例年になく空いていた。もっとも我が家にとっての変化は、小5のミルが「お誕生カード」を首からぶら下げて館内を歩き回るのを嫌がるようになったということだが。

 翌3日(日)は義母の実家がある山梨へ。曾祖母が健在なので機会がある毎に訪問する。ミルに言わすと「山梨ではお父さんは座って人の話聞いてるだけ」とのこと。義母は5人兄弟。実家に2家族が孫連れで来るだけで20人近くになる。一人っ子と2人姉妹を両親に持つ私は、立ち居振る舞いどころか未だに全員の名前も覚えきっていない(無理だよ)。

 それはともかく訪問が大概連休時期になってしまうのが辛い。「1000円渋滞」が流行語となりそうなこのGWに、ETCナシで武蔵野〜山梨往復をした。料金所の渋滞は大したことはない。中央道を国立府中〜大月まで走ったが、通常とは違う場所が混んでいた。70km位の距離なら自転車で楽勝で走れるんだがなぁと妄想しつつ中央道をクリープ現象でずるずるのたくる。

 その上バッテリーがお釈迦になるというおまけ付きだった。連休初日に妻がキーの差しっ放しで完全に上げてしまっており、幸い家まで何とか辿り着いたが、皆を下ろした後位置を変えようとしてキーを回せど「ギギュウ」と音を発したきりとなった。完全放電で充電不能になっていた。

 ここで自身も多少へばっているのだが、後半天気も悪くなるとのことで、翌日は1日貰い自転車での遠出ということにした。