随筆/日記
公文書

'09.4.28  随筆 

第3回東京ベアレン会

 雨の土曜日は大したこともせず終える。3時頃にはビールの栓を開けていたということもある。妻が取り寄せ品の納品タイミングを忘れていたらしく、一斉に届く大量のベアレンビールで玄関から勝手までが埋まりそうだったのだ。こうなったら消費に勤しまなければなるまい(という言い訳)。

 翌日は快晴。こんなにも晴れた日だが予定が立て込んでおり自転車で走りには行けず。昼にもんちゃんの誕生会(26日で7歳となりました)を挟み、そして夕方から夫婦で外出という予定であった。

 休日に電車で都心部へ出ることは希な私だがこの日は珍しく有楽町へ。それも妻のお供である。前出のビールメーカー「ベアレン醸造所」のイベントが有楽町のビール専門店「ブルドッグ」で行われるのだ。去年の4月の第2回にも参加している。

 受付を済ますなり奥にいたウェブ店長の嶌田さんと受注担当の菅原さんが妻に挨拶においでになる。君はどれだけ利用してるんだと心の中で思ってみたり。妻は空瓶返却一つにも何かしらメッセージを添えたり、メルマガを購入したりしている。おそらくは購入量以上に印象に残る顧客なのだろう。当日が娘の誕生日ということで菅原さんからは誕生日プレゼントまでいただいた。妻は妻で彼女の東京出張土産にと何やら手作りの品を用意していた。こちらの目にはまるで女子校みたいなやりとりである。

 この日「ブルドッグ」は全てのサーバがベアレン製品で埋まる。8種類全部をハーフパイントグラスで呑むと2リッターを超えるので適宜調整をとメッセージがあった。量の呑めない妻は合計で4杯相当程度だった。私は全種制覇はしなかったが、量は加減なく9杯。

 嶌田さん自身が不思議に(そして有り難く)思われるように、盛岡の地ビールベアレンはなぜ東京でこんなにも愛飲されるのか。勿論旨い。ちょっと高めだが。しかしこうして直接お会いする社員の方の人柄が、メーカーの姿勢として伝わっての結果なのだろうと思う。

株式会社ベアレン醸造所
ベアレン醸造所 私設応援団(kobaさん、お疲れ様です!)


我が家の玄関のホール裏。これは一部です。


緒戦。妻はシャオで嶌田さんや菅原さんと記念撮影なぞしていた。


抽選会で妻の当てた「私設応援団」公式栓抜き。私は「キューネ」のマスタードが当たった。



'09.4.23  随筆 

3年前の恋愛バトン

 本欄用の文章を打ち始めて、これは以前に書いたことがあるのではないかと思うことがある。

 サイトにはgoogle検索窓を付けており、html版のバックナンバー「公文書」はこれですぐ検索できる。オフラインの場合はDreamweaverでローカルサイト検索をする。本来の使い方ではないが意外に速くて便利ではある。

 4、5年前に書いたことなど大抵忘れているのだが、自分の書いた物にも関わらず、「これは意外と面白い」などと感心することがあり、我ながら可笑しく思う。

 ただ、面白い位なら良いのだが、それが事実だったか思い出せないなんていうのは困ったものである。「'05.1.31 随筆 猫舌」は、自分で読んでいてこんなことしたかなぁなどと思い出せない。まあ以前にも書いた通り「随筆」というからにはあくまで書き物であり、文中の「私」は私であって私でないという内田百けんの理屈に準えているのではあるが、自分の行動自体を思い出せないなんて困ったものである。

 調べ事をしていて、ネット検索で自分の書いた物に行き当たったりすると、とても不思議な感じがする。前段のケースでなくても、私は自分で自分の書いた物を読み返すことがあるのだが、読みながら、しかし他人はこんなところを今さら読まないよなぁと思う。ましてやブログでは読まないんじゃないか。自分自身、やりとりし始めの人のサイトは古いところから読んだりするが、ブログで、それも日記的な内容の物はまあまず読まない。

 先日某所の店長S嬢(隠す意味ないな)が自分のSNSの日記を読み返し、3年前の恋愛バトンを引っ張り出して自分でやっていた。「若いね。恥ずかしいね」とか。3年前の方を覗くのは少し悪趣味かと思い見てはいないのだが、しかし彼女の歳なら3年は長いかもしれない。私の歳では3年前に書いていることなんか、今とほとんど変わらない。

 書いた事を忘れて同じ事を書いているだけかも知れないが。


'09.4.17  随筆 

Standing Bar break (神田)

 上着のポケットに手を入れると、breakのチケットが2枚出てきた。「ああ、ここにもあった」と言いながらパスケースにしまっていると、「最近その券多いよね。どれだけ通ってるのかと思っちゃうよ」と妻に言われる。

 しばらく前にシャツのポケットに入れ放しにして1枚駄目にしていた。それから妻は洗濯機に入れる前に胸ポケットを気にしているそうだ。たまに洗面台に置いてあることがある。言い様からするとサービス券か何かと勘違いしているようだ。

「ああ、これチケットなんだよ。この店チケット制なんだ。500円サービス券出るほど金額使わないし」

「どっちにしても呑んでるでしょう」

 ええとまあ、ともあれ、最近通い始めた神田のスタンディングバー「break」はチケット制となっている。ドリンク、フード、全て1チケット(500円)。そして3,000円のシートで買うと1枚オマケの7枚組。随分リーズナブルな価格設定となっている。

 神田駅の東口を出てすぐの高架下には飲食店中心に店が犇めいているが、自分にとって具合の良い店というのはなかった。街の方もあまり相性の良い店は見つからず、神田というとAlleyか82だったが、82は枝里姉店長が秋葉原に移ってからほとんど寄っていなかった。それがいつの間にかワンコインで呑めるスタンドバーが高架下に出来ていたのである。

 価格の割にバックバーは充実しており、最近よく呑む様になったモルトの銘柄(グレンリベットやグレンフィディック)も置いている。しかもドラフトはハートランドである。それだけでも得難いのに、何とズブロッカとイエガーマイスターがフリーザーに入っている。

 ラフな印象の店だが意外に間合いの良い感じである。店長サキ嬢も一見ぽわんとして見えるが動きはてきぱきと卒がない。

 場所柄ひと通り食べてから寄る客が多く、早い時間は空いている。私のように初手から空酒というタイプにも都合の良い店である。


チケットはなぜか財布以外の場所にしまうことが多く、なくしてしまうことが多い。

これからの季節、ファサードはフルオープンになる。店の前にある樽の上にグラスを置いて呑むのも良い。
→ Standing Bar break
営業時間:17:00〜25:00
(金曜18:00〜26:00、土曜16:00〜23:00、日祝休)

読書 堀江敏幸「おぱらばん」新潮文庫

この人が詳細に解説を挟むフランスの作家・画家や地名の多くを知っていたとしたらもう少しスムースに読める気もするがそれは到底不可能だろう。それにしてもこれ程の密度の随筆を、一体どれ位のスパンで書き上げられるのだろう。


'09.4.3  随筆 

しかたのない飲酒

 歳を喰うと、周りの人間に気を遣われるようになる。日本の社会は基本的にそう出来ている。だから、気を遣われているなと感じることと、歳を取ったなというのは同義である気がする。

 いつものバーに入ると、薄暗い店内には数人の客がカウンターにいるのだけれど、バックバーの灯りで顔は見えない。でも相手のリアクションで何となく知った相手ではあるのだろうと、適当な言葉を掛けて“定位置”の辺りに向かう。すると果たしてその場所は空いているのである。店内奥の、カウンターの左端が私の定位置である。

「そこが空いていても座りにくいんですよ。Sさん来るかと思ってさ」。

 いや待てよ、そう言ったHさんは同い歳だった。全然歳のせいじゃないじゃないか。

 ところで、井上荒野の小説を読んでふと気がついたのだが(そしてそれは作品そのものとは全く関係ないのだが)、自分が酒ばかり呑んでいるのは、それが「しかたのない」ことだからなのではないか。

 気取って自分を作ってみても酔ってしまえば、大して洗練されてもいない、クレバーなわけでもない、誰かに強い感銘を与える言葉を選べるわけでもない、傍にいるだけで安らかな気持ちにしてあげられるわけでもない、そういう自分であることを自ら気付かされることになる。そういうのと向き合うということである。

 勿論、呑んでいなくたって、そういう様に作った自分を維持できる人間などそういる訳ではない。呑めば簡単に作った物が役に立たなくなるという意味である。「しかたのない」自分が出てしまうという意味である。

 どちらかと言えば、それ程酒が弱い方でもないのだが、しかし最近は寝てしまうことが多くなった。歳のせいだろうか。すぐに酒に呑まれる。「呑まれる人はお酒は呑まないでください」と妻にはよく言われる。

 言うまでもなく気を遣ってのことではない。


読書 井上荒野「誰よりも美しい妻」新潮文庫

確かに怠惰と言えば怠惰な話だな。この話のポイントは表題通り、主人公園子が「誰よりも美しい」ことにあるのではないだろうか。そうでなければ女性に無頓着な音楽家の夫や、その周辺の女達との関係は怠惰ではなくなる気がする。そう考えていたら筆者本人が後書きにそういう様なことを書いていた(苦笑)。


'09.3.23  随筆 

もうすぐ春ですよ

 ランチタイムをとうに過ぎた時間に適当なラーメン屋に入った。また帰りは遅くなりそうなので何か食っておこうと取りあえず入ったのだが、あまり食欲はない。

 疎らにいた3人程の客が出て、最後に私が出る時に、店の親父になぜか飴を手渡された。「甘い物は疲れが取れますから」。余程疲れて見えたらしい。というか、もう少し旨い油そばなら食べられたんだがな、親父。まあいいや。

 さてとうとう3月後半だが、年度内納品必須の「束のある印刷制作物」の入稿がまだ10本以上も残っているので気が抜けない。同業者諸氏はどんな状態かわかるかと思う。例年ならもう片付いているタイミングだが今年は大変なことになっている。

 この不況下でとは言われるが、その不況のために知らぬ内に協力会社の工場が“生産調整”に入っており、納期10日間の物が3週間も遅れられてしまった。やれないならやれないって言えよと思いつつ、今抱えている案件を自分がやれるのか不安になってくる。

 そんな訳で、まあ呑みの方も過ぎてしまったり。私の場合荒れたりはしないが、知り合いと出会したり、呼び出されてつい過ぎてしまったり、変な店に飛び込んでしまったり、とにかくまあ呑んでいる。だから週末は大抵1日潰れ。

 その上に季節柄庭に手を入れたりもしなければならないということもあり、あまり走りに出られていない。3月は1日と15日の2回。しかし今週末の29日はちょっとした自転車関係のイベントがあるのでRC20の整備もしないと。とても楽しみなのだけど、そもそもこんな体調で行けるのか疑問。

 そうこうする内、学童クラブ父母会関係のいろんな話がメールされて来る。4月からは次女が世話になるわけだが、どうも運営が難航しているらしい。障害がなければないで維持にも手間が掛かるジレンマ。

 今週更新しないかも知れない、ということの前振りな訳だが(苦笑)


2/8 またもフェンスを塗っているがこれは隣家との境ではなく…


2/8 こんな場所用なので取付は強固に。

3/8 枝垂梅の満開。ところが実は今年、梅は全く咲かなかった。

3/8 非耕地用、芝地用の除草剤と、実を食べない木用、実を食べる木用の除虫剤。その前に肥料撒けって?

3/20 満開の白木蓮。しかし翌週の強風で、茶色になる前に1/3散ってしまった。

読書 角田光代「しあわせのねだん」新潮文庫

エッセイとしてのレベルを自分の書いていることと比して考えるのがそもそも間違いなのだろうが、この方の生活パターンは村上春樹型だということがよく分かりましたとさ。


'09.3.18  随筆 

卒園式を返せ

 卒園式がやっと終わった。やれやれ。まだ残務はあるが、これで“保育園・卒園の会”幹事の苦役から解放される。

 私がこの手の役員をどちらかと言うと好んで買って出る事が多い事は本欄でもよく書いているが、この役だけはどうにもこうにも厭で仕方がなかった。

 まず、下の娘が小学校に上がれば“学童クラブ保護者会・市内連絡会”役員に復帰する予定なので、今年は休んでおきたかったということが一つ。それから、卒園関係なので一番ウエイトが高まるのは3月になるが、3月は例年私の仕事のピーク時なのである。

 ところが誰も会自体をやる気がなく、初回の議事進行役の私が幹事を引き受けざるを得なかった。

 始動しても他力本願。そのくせこちらの省力化した手順(係を各リーダーの裁量に任せたり、通常連絡をMLにしたり)を批難する。やる事が決まっていないのに幹事に予算案を出させようとするので、使い切るための予算じゃないからまずやる事を決めようと言っても通じない。一部の“高揚派”が有志と称して立ち上げた話が拡がり過ぎて変な方向に行きかけたのでなだめようとすると、今度は幹事だからと言って他の人と立場は同じだからそんなことを強引に決める権限はないと騒ぎ出す。それ以前の問題として会議をしても私語で聞いてないとか、そもそも言葉が通じない。「モチベーション」や「プライオリティ」ってそんなに難しいビジネス用語か? というか大体が両親が社会に出て働いてるから子供を保育園に通わせているのだろう。家から出たことのないお嬢様奥様と話してんじゃないんだぜ?

 そんなだから私の中で卒園式は全然盛り上がらなかった。周りが感極まったりはしゃいだりするほど醒めて白ける感じがした。2人目とはいえ卒園がどうでも良い訳じゃないし、上の子と合わせれば8年は子供を通わせた保育園なのだから思い入れもない訳じゃない。何ともつまらないことで台無しにさせられた思いで一杯である。


'09.3.15  随筆

酒場の女性
 酒場で誰かに紹介をされるという機会は多くないが、先日は珍しい紹介のされ方をした。いつものバーに顔見知りの女性が後輩格と思しき男の子達を連れてきていた時のこと。

「こちらSさん。ここで一番紳士の常連さん。あなたもSさんの様な呑み方をする大人になりなさい」

 私はもの凄く珍しい事態に遭遇しているらしかった。

 それにしても紳士の酒呑みってどんなだろう。杯を重ねてもさして乱れず、人に多くは干渉せず、か。最近うっかり朝まで呑んでいることが多く、妻には心底愛想を尽かされた感じの私だが、無責任に紳士呼ばわりされる密かな喜び位は許されても良いだろう。

 もちろん酒場は愉快なことばかりではない。他の店での話だがこれも極めて珍しい体験をした。質の悪い酔っぱらいの女性に出会した。これだけ酒場に通っていれば酔っぱらいの女性には頻繁にお目に掛かるが、フェミニストである私(誰だファシストとか言っている奴は)でも耐えかねて水を掛けてやろうかと思ったほど酷かった。

 彼女は以前に2度ばかり見掛けたことがある程度だが、充分嫌な感じだった。どこぞのモデルエージェントか何かの勤務らしいが、訊かれてもいないのに所属している女優だかの写真を得意げに見せて回り、何かというと金の話をしたりする。

 その日は酩酊状態で来店。顔見知りと思しき50代位の身なりの良い男性に、誰それに会わせろというビジネス話を持ちかけ始めた。ところがそれをかわされると突然怒り出し、こんな口だけの男なんか大嫌いだと騒ぎ出した。しまいにはやんわり取りなしに入った店長にまで食って掛かり、持っている店のチケットを換金しろだの以前誰だかにやった絵だか何だかを回収すると騒ぎまくる始末。もし面識なんかあったりしたらどんな絡まれ方をしたか分からない。

 いずれの場合も共通するのは、呑んだ酒がどこに収まったか良く分からない夜だったということだが、勿論後段のケースは今後ご免被りたい。

週末は“お返しデー”だったが、これは妻へ。得意先のテナントのシーズン商品で飴細工の薔薇だが、10cm各位のアクリルボックスにこれで1,800円ならブーケより洒落ていて安いと思ったのだが、よくよく考えると生花より始末が悪いかも(苦笑)。

件の神田のバー(の壁面)。mixiのコミュはあるが、サイトは準備中とのこと。

'09.3.10  随筆 

近況報告(嘘)

 知り合いのブログを久しぶりに開くと、冒頭の一文が「早くも二月」。もうとっくに3月だよと思いつつ、これ前にも読んだなとタイムスタンプを見れば、去年の2月だった。いくら何でも更新しなさ過ぎだよ。近況についてはほぼ毎日会うから知っているのだが。

 まあ、頻繁に更新しているからと言って、近況がちゃんと報告されているとも限らない。私の近況が知りたくて当ブログを覗く人もそんなにいないだろうが、自転車の近況も知りたかないですよと言われたり。

 ともあれ、このところ結構仕事が忙しい。毎日1つ片付ける度に2つ発生したりする。この不況の時に結構ですなと同業者に厭味とも取れることを言われたり。

 そろそろ仕事の立て込んできた部下に、特急料金付きの仕事を頼む。特急料金分私が儲かれば良いのにと言うが、私だって取ってきた仕事分リニアに稼ぎが上がる訳でもねぇよとしょうもないことを言ってみたりする。そういえば、住宅のCMで「家が楽しいからって早く帰ると残業代稼げないんじゃないの?」なんて中年タレントが言うやつがあるが、残業代なんて10年以上貰っちゃいないけどな。大体、「残業代稼ぐ」って何だよ。余計なリソース換金すんな。

 忙しいときに限ってPCって壊れたりするんだよ、と一般論でも口にすると実際になったりするので黙っている。もっとも今壊れてるのはもっと違う重要なものなんだがその話はまた改めて。体の方は、相変わらずの大酒呑みにも関わらず問題なし。問題あるのは生活態度の方か。

 待てよ、体の調子も悪いな。どうも今年は花粉症になっている模様。目が痒い。自転車で少し走るとかなり困ったことになる。せっかく自転車通勤できそうな好天が続いているのに。ゴーグルでもするか。サバイバルゲーム用のしか持っていないが。

 そんなこんなでやさぐれ気味の3月もまだ序盤か。


'09.3.5  随筆 

美人薄命

 手垢が付き過ぎて形骸化した四字熟語は多いが、「美人薄命」はその典型ではないだろうか。大体が使うシチュエーションが陳腐だ。せいぜい芸能人の急逝に取って付けた様に用いられる程度という気がする。

 ある夜いつものバーで、何の流れでかこの四字熟語の話になった。さてこれの語源は何だろうかと。

「昔から、儚げなタイプの女性が美しいと見られてたってことじゃない」
「美しいままに死んだ方が良いって意味では?」
「えーっ、非道い〜!」
「美人だといろんなトラブルに巻き込まれる確率が高まるって話じゃないかな」と私。

 その場で正解が出るわけでもなし、その話はそれまで。そして忘れかけた頃に思い立って調べてみた次第。

 この四字熟語は、北宋の詩人・蘇軾の「薄命佳人詩」が原典と言われる。その一節に「自古佳人多薄命(いにしえより佳人は薄命であることが多い)」とある。

 ただしこの詩で佳人(美人)は尼僧のことを指しており、前段に「無限間愁総未知(この世の限りない愁いも、全て知らずにいる)」とあり、最後は「閉門春尽楊花落(門を閉じたまま春は尽きて楊花も落ちる)」となっている。

 つまり詩自体は「誰にも愛でられず散る美しい花の悲運を憂う」という詩であり、従って自説の「美人は多難」は本来の意味のむしろ逆であるし、皆に愛され惜しまれつつ逝く美女に使うというのも本来の意味上は違うという気もする。辞書上の意味としては間違いにはならないが。

 ちなみに「薄命」は短命の意味ではなく、運命に恵まれないことという。なら「薄運/不運」が適当ではないかと思うのは、同じ漢字を使いながらも意味が違うので、心情的なことだけで分かり合える気でいると痛い目に遭うという、日中関係のジレンマを忘れている。

 ところで、何かしらの芯がない外見のみの美人というものは、無闇に周りからちやほやされてスポイルされることが多いように思う。その意味では「美人多難」であり「佳人薄命」と言える。

参考 中国旅游ノート「薄命佳人」ほか


読書 藤堂志津子「情夫」幻冬舎文庫

私は最近女性作家ばかり読んでいる気がするが、これは同世代の女性向きという気がする。共感の有無とかそういうのと違う次元で、あまり面白くなかった。


読書 井上荒野「ズームーデイズ」小学館文庫

井上荒野にしては出始めからげんなりする部分があり、私小説的に過ぎるところやいちいち回顧調な書き様にもげんなりし、結果としてあまり宜しくない感じだった。


'09.1.30  随筆

高田馬場と、娘の友達のお母さん

 いつも買い漏らしそうになる雑誌を買っていないことを思い出し、帰路、乗換駅の高田馬場で降りる。

 ところが駅前に本屋と思しき店が見当たらない。学生街が近いんじゃないのか? というかターミナル駅に本屋がない文化ってどうなんだ? それとも私が余程方向音痴で、実は目の前にあるのか?

 失意のまま酒場を目指すかと思えど(なぜ?)時間が早くて知っている店はどこもまだ開いていない。仕方がないので目に止まったhubに寄る。これがまた失敗。hubと言えば歌舞伎町辺りでしか入ったことはなく、後は系列の82の客層のイメージがあって、ここが学生街に近いことを忘れていた。作りがイングリッシュパブなだけで客層は居酒屋である。CODだがカウンターには行列が出来、サワーのジョッキが並んでいるのである。何なんだよ。仕方がないのでギネスをハーフパイントだけ呑んで店を出ることにした。

 ところで、目の前に並んだのが自分と近い背丈のボリュームのあるブロンドの女の子。でもチラと見ると幼い顔立ち。まるでディズニーチャンネルのホームコメディに出てくる女の子みたい。というか、自分より娘に近い歳なんだなと思ったり。

 結局雑誌は地元で買うことにした。駅前の、スーパーの2階にある大型書店を目指す。ちょっと早い時間なので知り合いにでも会ったら厭だなと思っていたが、これがまあ、会うわ会うわ。ただ、いずれも働く主婦なんである。でなければ早いと言っても私の帰宅するような時間に外にはいない。娘の学童クラブ時代の同級生のお母さんや市の父母会役員だった人。要するに一緒に働いた人。そのせいか「ちょっと見掛けたことのある○○ちゃんのお父さん」という感じではなく、お母さん仲間の様に手を振ってくる。さすがに私まで手を振り返すわけではないが。

 平日の私の容姿をご存じの方は想像してみて欲しい。ちょっと笑える絵面ではないだろうか。

訂正)記事アップの翌朝、早速「駅前にあった様な」とご指摘があり調べると、BIGBOX真正面のビル3フロアが大型書店だった。漫画本屋と思ってました。失礼しました(苦笑)。


読書 三浦しをん「まほろ駅前多田便利軒」文春文庫

生真面目と変態風2人の男という設定が“それらし過ぎ”て、特に行天のリアリティのなさ具合が厭だなと感じたが、まあそれはともかくこれは結構悪くない。直木賞受賞作だが文庫化遅い気も。


'09.1.24  随筆

読了文庫本蓄積症候群

 いつも鞄の中には文庫本を1冊入れている。

 それでなくとも重い鞄なので荷物は増やしたくないし、混んだ車内ではなるべくスペースを使いたくないから、基本的に本は文庫本しか持ち歩かない。

 常に未読本が手許にないと不安で鞄に4冊も(それも文庫とは限らず)詰めて通勤しているという御仁もおいでだが、未読本が何冊かあっても持ち歩くのは物理的に難しいので、会社と自宅に1冊ずつ“補給用”を確保する。

 自転車通勤をしない場合のドアトゥドア70分の通勤路中、私は50分以上を電車内で過ごす。座ってPCを開ける事はそれ程多くはないし、ゲームはやらないし音楽は聴かない。なので大概は本を読んで過ごすことになる。

 熱心な読書家というのとは違うし、しかし軽く読めれば何でも良いというのでもない。新書はほぼ読まないし、推理小説や時代小説とも縁はない。電車の中でしか読まないから、泣けたり笑ってしまったりするものは遠ざけることにしているが、そもそもその類で面白いと思える作品とはあまり巡り会わない(重松清だけ別)。続けて読んでいる特定の作家の本が切れたら、趣味の合う書店の平台や文芸誌で新しい作家を探す。

 気に入った作品は一気に読んでしまうかというと、むしろ逆で、なかなか読み終われない傾向が強い。なぜかと言えば、そういう作品には大抵何か触発されてしまい、その作品とは違うところにいろいろ創作の思いを馳せてしまって、全然読み進めなくなるのだ。

 ちなみにそれらの本と文体や内容が似るわけではない。勿論あまりに続けば話は違うが。所詮アマチュアだし真似て書く位の方が上達する気もするが、そういうことはあまりない気がする(そういう志向性がそもそもないが)。

 ところでそうして買う文庫本(私は買わないと読む気になれないのだ)は、困ったことに売ったり捨てたりがあまりできない。戯れに蔵書を積み重ねると摩天楼が出現してしまった。


続けて読む作家の文庫だけを積み上げてみる。

重松清…605mm
村上春樹…505mm
角田光代…220mm
藤沢周…170mm


村上2位は意外だったが、よく考えたら「世界の終わり…」や「ねじまき鳥…」など単行本だけで読んだ物も多いのだった。その他は以下の通り。

山口瞳、吉行淳之介…150mm
平安寿子…105mm
井上荒野、大道珠貴、田口ランディ、伊東たかみ…80mm
三浦しをん…75mm
山本夏彦…70mm
長島有…60mm

読書 重松 清「その日の前に」文春文庫

そして今読んでいるのがこれ。やはり電車で読むのは無理だなぁ。実は単行本も持っていたりするのだが、自宅で本を読む習慣がなく未読了なのだった。


'09.1.17  随筆 

祝3周年 BBLにおけるユーティリティとホスピタリティ

 カウンターには互いに見知った顔が並ぶ。何の拍子でか、店を出た後になんて言われているだろうかという話になる。歌舞伎町BAR BLACK LUNGでのことである。

 陰口が気になるという不安ではなく、私もどんな話題で名前が出るのだろうかというところに興味が湧く。

 「悪口はないですけど、Sさんはよく名前が出ますよ」

 「なに、どんな話題で?」

 「今日はいらっしゃいませんね、とか、昨日は見掛けましたとか」

 天気の話題か。要するにそれだけ通っているという話である。

 SNSで偶然にもこの店の顔見知りと繋がりがあることが分かったのが縁で最近通い始めた林檎屋君が、当初私と全く出会さないという話をしたところ、大して面識のない他のお客に「そんなのおかしい!」と言われた話は、笑って良いのかどうか迷うが、笑える。

 なぜそんなに通うのかというと、要するに居心地が良いからということなのだが、酒場通いが習慣の私のような人間にとっては、こういう通いやすい立地で、手頃な料金で、趣味に合った店というのはなかなかに得難い。

 カウンターの他にはウエイティング程度にソファと丸テーブルがある店内だが、私は大概カウンター一番奥の席に座る。そこが定位置なので、私が行くことが分かっている場合はそこを開けておいてくれる。満席で補助椅子が出されていてもそこが開いているときは、他のお客に申し訳ないと少しだけ思いながらも嬉しいものである。

 また、G街などを“巡回”する際も、駅に近いここに荷物だけ置かせて貰ったりする。何せ荷物が重い私なのでとても助かる。別に危ない店を回っている訳ではないですよ。

 “筆頭株主”故に効かせていただいている融通ではあるのだが(普通は駄目だろ)、とにかくこの店には今後も続いていただきたいと切に願う次第である、というお話で、今週迎えるBAR BLACK LUNG開店3周年の祝いの言葉に代えたい。パチパチパチ…


3周年記念タコ焼き喰い放題3daysの本格派タコ焼き!


関西レディーズ(但し大阪にあらず)によるタコ焼き捌き。私の持参した“萌えSuicaエプロン”姿のS女史。あ、正面撮ってないや。

'09.1.10  随筆 

3Kの法則?

 よく知る得意先の人が、年末に身体の具合を悪くして検査入院・手術となった。腎臓の障害だそうだ。それがなくても20種ほどもの薬を常用している人なので、たまたまそれが先に出てきたということなのだと思うが。

 歳は私より十は上だと思うが、下のお子さんはまだ小3である。もっとも年収は多分私の3倍位あるので諸々の保証は万全にしているのだろうが、難儀だなとは思う。そもそも金の問題じゃないし。

 金と健康と子供のことをいちいち結びつけて考えるのはおっさんになった証拠だ。語呂が良いので「おっさんの思考で連鎖するファクター・3Kの法則」とでも命名しよう。本厄終えた歳の奴が今更という気もするが。

 同業氏が広告制作業は労働内容の割に給料が少ないと嘆いていたが、確かに私も少ないなと思っている。いつぞや酒場の馴染みにうっかり年収の話をしたことがあったが、もの凄く意外そうな顔をされた。迂闊に人様に話すもんじゃないな。妻にも話さないのに。

 ウェブ広告で年中「SEで年収アップ」なんてバナーを見掛ければあほらしいとは感じるが、上がってくれんことにはなぁとも思う。この歳で怪しげなSEとやら(何やらされんだか)に転職するなんて、ホストになるというのと大差ないイメージだけど。そのSEもやはり派遣やバイトなんだろうか。どうでも良いが。

 話変わって、小4の娘が中高一貫の都立校を目指してみるということになったそうな。都立と言っても地域トップの名門校なので、真面目にやるとしたらかなり大変だし、真面目にやらないと無理だろうなと思う。勿論、そういう学校でなければわざわざ目指す意味もないしな。

 でも私が娘にしたのはこういう話だ。可愛い女の子は可愛いだけでは駄目だよ。何もない子は何もないまま誰も気にしないが、可愛ければ可愛いからって何もやらなくて良いと思ってるんだろうって妬まれるんだよと。

 ま、キョトンとして聞いてたんだけど。親馬鹿もおっさんの特権だよな。


読書 大道珠貴「ハナとウミ」双葉文庫

相変わらず野太いなぁ。こんな脳髄反射的に生きられる訳もないよなぁ。でもちょっとステキ。


'09.1.7  随筆 

エーピー

 神田界隈にはなぜかampmが多い。会社に近いコンビニもampmだ。

 朝から夜中までどの時間帯でも利用しているために、私はこの店舗に勤務する店員全ての顔を知っている。そして半ば確信しているのだが、この店は都心部のコンビニには珍しく家族経営の様なのだ。

 店長と思しき30後半の男性と、同年代の女性。一時同じ名前の名札をしていたので「ああ夫婦なのだな」と思った。最近なぜか名札をしていない。服務規定上問題はないのかと心配してしまうが、全員同じ名字だと返って紛らわしいかも知れない。

 忙しい時間帯だけ入る60代の2人は、おそらく店長の両親である。“奥さん”の連れてくる年長位の歳の女の子と店の前で遊んでいることがある。

 あと2人、男性店員がいるのだが、ちょっとやんちゃをしていた風の20代後半の男性はおそらく奥さんの弟ではないかと思われる。客の居ない時の2人の遠慮のない話しぶりからして、少なくともバイトではない。あるいは義弟ということも考えられる。

 残る1人は深夜番がメインで違う名字の名札をしている。この人だけひょっとしたら赤の他人かも知れないが、店長の従兄弟という線もあるかも知れない。

 ある日買い物を終えると、通りの反対辺りの軽自動車がパーキングメーターの時間切れで調査員にチェックされていた。少し迷ったが店内に戻り、“弟”に「表に停めてる黒のライフ、この店の奥さんのだよね。“来てる”よ」と教えた。“弟”は礼を言い慌てて出て行った。

 翌日に立ち寄ると、“奥さん”に「昨日は知らせてくださってありがとうございました」と礼を言われた。社でその話をすると、し終えるなりH嬢は私が訊きたかったことを逆に訊いてきた。

 「何て言って伝えたんでしょう!?」。当然私の名前なぞ知るはずもない。

 「きっと『緑の人』ですよ」。その日の私は、ネクタイこそグリーンのストライブだが、シャツもスーツも黒だったのだが。

 やはり血族故の緊密な連絡体系が…あるわけないか。


読書 宮沢章夫「アップルの人」新潮文庫

しまった。この人の本は随分前に買って読了できなかったのを忘れていた。Mac専門誌の連載ということで斜め読みだけで買ってしまった。20P程読み進んだときには後悔というか諦念の域に達し、30Pではしかし怒りに変わっていた。酷くつまらなくてうんざりする。文章が笑いっ放しで付き合う気になれない。この劇作家の作る劇は面白いのだろうか? 別に確かめたくもない。オビには「危険 電車の一人読み ぶわははと笑い大爆発」と書かれているが、私はむすっとしてしまった。こんなものに520円払う位なら、チェーンの居酒屋に行きその金で薄いリンゴサワーでも啜った方がましだ。


'09.1.1  日記 

年始

 明けましておめでとうございます。年始のご挨拶なんで、とりあえず文体は無視です(笑)。

 20年超続けていた小隊の越年耐寒演習(単に河原で年越し蕎麦&鍋を喰う)を休止してまで小官は何をしていたかというと、昨年から娘と2人で除夜の鐘を突きに行っておりました。妻は連日の掃除が祟って寝入ってしまいました。下の娘は勿論寝てます。ちなみに件の寺は娘達の通った保育園を経営している寺なので「あっ理事長先生〜」とか言いながらの参拝でした。

 ところで昨年末のクリスマスが42の誕生日ですので、本厄が明けたことになります。何かあったかというと、まあ、皮膚科のHIV疑惑が最大か。あとはうちのボスの骨折が面倒くさかったかな(笑)。

 そんな訳で、今年も宜しく。