随筆/日記
公文書

'12.8.20  日記  bicycle 

夏の、休日

 旅行に興味のない私には長めの休みを取って家族旅行という発想がない。旅行立案担当の妻は今年はどこに行く計画もないと言っていたが、義母がスポンサーとなると娘達と京都旅行に行ってしまった。しょうがなく留守番休みという事で1日だけ休みを取った。

 その程度なのでいつもの週末と変わらない休みだった。むしろ前週の方が充実していた位だ。充実と言っても、芝刈りしてナポリタン作った位だが。

 芝刈りは暫くしていなかった割にあまり伸びてないなと思ったが大間違い。いざ刈り始めようと庭の端でしゃがむと、これが酷い有様だった。生え方が疎らなので、今回は刈った後に根切り穴開けもした。芝刈り機には興味を示さなかった次女が、何故だかスパイクを踏みたいとやって来たが、細っこい小4女子程度では固まった芝に穴など開けられないのだった。仕方がないので抜いた土を拾い集める役をして貰ったが、終わったら泥団子にして遊んでいた。

 休みといえば自転車。と言ってもそう長距離は走れていない。

 水分補給にだけはとにかく気を付けるのだが、せっかくアイソトニック飲料を飲んでも、途中の公園とかで水飲んじゃうから結局濃度狂ってしまうんじゃないかと気付く。

 荒川の帰路、川口の辺りで環八への表示があったので環八経由で帰ることにした。何年ぶりかという位に久しぶりの環八を走って非常に困惑した。私にとっての環八は環八南田中交差点-練馬中央陸橋が未開通の頃の環八であり、北の方では笹目通りのイメージが強い。ところが今の環八は赤羽辺りから板橋区の地下を走るのが本線となっている。地下と高架の連続なので自転車は走れない。従って並行する側道で行くのだが、これが全く普通の住宅地の車道。信号が多く停められてばかり。全然前に進まない。

 結局2回の走りでやっと100kmだったが、出発が遅い割には夕方近くなるとビールが恋しくなるのが距離の伸びない原因かも知れない。


芝刈機の車輪が埋まる勢いの芝…

庭は蝉の抜け殻だらけ。水分は最近凝ってる手製アイソトニック飲料で補給。塩小1/2砂糖大4レモン果汁大1。色が着いてるのはブラウンシュガーだから。


穴開けをすると、芝が犬の糞みたいので 一杯になる。


1.9mm麺にタマネギ、ピーマン。スパム以外は台所で発掘。

スパム・ナポリタン旨い! しかし食材を勝手に使ったため厭味を言われる。

快晴の荒サイ。そうだ、せめて空くらい晴れてくれ!

RC20の記録
8/12多摩川 走行時間1h40min/走行距離45.19km/平均速度24.5km/h
8/18ローラー台 走行時間30min/走行距離18.13km/平均速度36.2km/h
8/19荒川、環八 走行時間2h21min/走行距離54.90km/平均速度23.3km/h/総走行距離10,345km

 


'12.8.5  随筆 

BBL閉店雑感
 お気に入りの楽しい遊び場でも、いつまでも遊び続けることは出来ない。何に付け、全てがいつまでもそのままということはないのだし。

 浮気性のくせに、通い始めるとついとことん通い詰めてしまうという傾向が私にはある。そんな風に通った酒場は、しかしそう多くはないが、最も通ったのは間違いなく歌舞伎町BAR BLACK LUNG(BBL)だろう。通い過ぎて「筆頭株主」の称号まで頂いた。

 だが、前々回の本欄で書いた通り、BBLは7月30日をもって閉店した。その前週末に行って最後としたつもりだったが、結局最終日にも立ち寄って定位置のカウンター奥の席に座り、馴染みの面々と共に呑んだ。更には寝転けて朝を迎えるという何とも締まりのない、だがしかしいつも通りの呑み方だった。格好良く最後を迎えることが出来ないのは恋愛事と同じだという気がする。けれん味たっぷりであるし、気障なくせに決め台詞がてんで決まらない。しかし、そんな私であっても快適に過ごせた酒場だという言い方も出来る。

 BBLはいずれどこか、多分そう遠くない場所で再開してくれるだろう。それが約束の地だ。それまでは跡地で開かれるヒナ君の店に寄っても良いし、何なら暫く歌舞伎町通いは止めても良い。いずれにしても別の店を躍起になって探すことはないだろう。どう考えても、BBL以上に快適で便利な店は見つからないだろうと思うし、これも転機かと思うのだ。まあ失恋直後に「もう恋人なんか要らない」と言っている様なものかも知れないが。

 「一人もお客が入らない日が1日でもあったら閉める」と決めていて、その日は結局6年間訪れなかったのだとつい先日聞いた。ということは、毎日待っている客がどこかしらにいるということである。

 そうは言っても今度出す店は、館の事情ですぐ閉めなくてはならなくなる場所ではない所にしたいということだ。慎重に探して、ついでだから少し休めば良いと思う。ついでにね。


'12.7.22  随筆

BAR BLACK LUNG、
 生意気盛りの頃の私は、初めて行く酒場へは挑む様な気持ちで入ったものだった。そもそも若かったのだし。当時ハードリカーはウオツカしか呑まなかったから、銘柄は何を置いているか、ショット向けはちゃんとフリーザーに入れているかというところから始まって、バラライカを振るのにシェイカーを何回振るかなんて辺りを見てからさて呑み始めるかというところがあった。

 さてそして、そういう拘りが生き様だと言う程に“洗練”されてもいないし、そして周りを見ない訳でもないのが、今の45歳の自分である。

 酒場同様にネットの軸足もあちこち移動するのだが、頻度は高いTwitterでは、プロフィールに「酒場の話から、趣味の自転車やら玩具やら、庭弄りやらについて書いています。(以下略)」と書いている。だがさてTwitter同様に本欄でもそんなに酒場の話を書いていただろうか。酒場の話というより酒場で思い付いた話か。看板に偽りありかといえば読み返すとそれなりに酒場の話を書いていた。

 本欄で初めてBAR BLACK LUNG(BBL)の事を書いたのは'06.7.2「歌舞伎町バー情報(但しかなりナロー)」だった。以来、この店の事やこの店で出会った人の事を、私は本当に頻繁に書いている。歌舞伎町の裏手の路地のかなり怪しい建て構えの古い雑居ビルで6年やっている。

 しかしこの7月で句点が付く。読点かどうかは分からない。店でなく器の方の事情である。他のフロアが軒並み区から[告]を貼られているという事はともかく、耐震検査もパスしないからということもあるんではなかろうか。オーナーのふる君が次の器を探すために、8月からは後輩格のヒナ君が受け継ぐ。本欄では肉汁うどん「かめ福」のH君で既出である。

 数年後「新宿で呑むなら締めは友達連れてここに行きなさい」と娘に言える店になって欲しいが、小娘にはハイブロー過ぎか…。


こんな場所と言っても説明にならない。

JEDIで寄ったことも。

ウイスキーを呑む様になる前はよくこんなのを呑んでいた。オリジナルカクテル「スコルツェニー」。


読書 井上荒野「静子の日常」中公文庫

何となく主人公の年齢が高くなっていくなと思っていたが、今回は老人であるとまで書くのは勿論こちらの勝手な思い込みである。


'12.7.9  日記 

弱り目に祟り目
 土曜日は起きると霧雨。時々上がりはしたが、恒例テニス送迎の間の1時間走はナシと思っていた。金曜深夜に起きていた仕事上のトラブルの対応を午前中にしたので余計に走りたかったし、前週は連日油そばを食べていたので消費もしたかったが、ローラー台で我慢するしかない。

 ところが暫く晴れ間が続くと外出中の妻から自転車で行けないかとメールが入る。帰ってきて買い物にでもクルマを使う予定なのだろう。JEDIなら走れそうな路面だし、まあ丁度都合が良いかと承諾した。

 しかし、次女を送り届けて幹線道路を走っていると空模様が怪しくなって降られてしまった。一度帰宅して、妻が出ていれば母のクルマで出直すしかないが、ともかく自宅に向かった。小型で重いもんちゃん車は、片手で曳いて走れないので置いてきた。

 最初の異変はその時。やけに目がピリピリ痛むのだ。整髪料も日焼け止めも付けていないから雨が沁みているとしか思えない。帰り着いてすぐ目を洗い、暫く痛んだが治まった。結局次女は家にいた妻が雨具を持って迎えに行き(私がずぶ濡れになったのは何のためだ??)、私はローラー台30分の後にお決まりの、ビール呑んでTV観てコースとなった。

 異変に気付いたのは夜中。目を覚ますと、両目の周りが腫れ上がっていた。雨だけでこうなるかな。点眼剤が変質していたとも考えにくいし、寝ている間に例によって目を擦ってばい菌が入ってしまったのか。日曜の市内休日診療に眼科はないので、結局月曜を待つことなった。最悪休むとして、段取りはメールで入れておこう。

 と、思ったらよりによって日曜深夜になりボスから、月曜はロケハン直行で終日撮影なので朝礼宜しくとメール有り。それ前週に判ってたでしょう。

 な訳で、通院後出社して諸々片すも、目はしぱしぱしてよく見えないので夕方には帰路に。明日こそ休みたいが施工立ち会い有り。

 総体では暇なんだから何とかさせて欲しい…。

RC20の記録 そろそろやっと1万キロ。骨折り損で休閑期稼ぎだったか。
7/7 ローラー台 走行時間30min/走行距離18km/平均速度35.8km/h
7/8 志木街道辺り 走行時間48min/走行距離19km/平均速度23.7km/h/総走行距離9981.2km

'12.6.23  随筆 

時期的なもの
 時期的なものと思っていた焦燥感は確かにいつの間にか軽くなり、しかし消え去ったわけでないことは分かる。消えない“シミ”の様な、そんなものなのだろう。歳を追う毎に消えにくくなるのではないかと思うのは、歳を取ったためだろうな、多分。

 朝に目が覚めると独り病室にいる。病室という場所は、父や祖父母の見舞いで何度も見ているから具体的に覚えているはずなのだが、いざ自分がそこにいるとなると、何か抽象的な感じがしてしまう。他に誰もいない6人部屋というのもそれらしい。尤も個室だったら「嘘だな」と、すぐ思うはずだ。現実の病室でも、外の風景は充分嘘臭いというのに。

 やはり寝ている間に妻が来ており、着替えやら、タオルやら、そういうものが交換されている。本人はもういないが、気配だけが残っている。自宅の様な、そういう感じだ。

 それもそのはず、ここは自宅の部屋で、家族の気配だけが残り、自分だけが家にいるのだ。「何で病室なんだ?」と、自分の見た夢に“自問”する。最近読んだ小説で見た舞台設定だったからだろう。

 それは違う作家の作品2本で、しかし2本共に入院しているのは中年の男だった。但しどっちの話も主人公はその不倫相手の女の方で、そして男はどちらも死んでしまうのだった。「入院した不倫相手の男は病死する」と、言葉を整理するとそうなる。何かの定理の様だ。定理だと厭だな。別に自分に置き換える必要はないんだけど。

 そんな事を考えている内にまた病室で目覚める。妻は気配すらなく、暫くするとこっそりと愛人が見舞いに(あるいは最期の別れに)来るのではないかと思ったらドアがノックされて、見舞いには非常識なほど丈の短いスカートから長い脚を出した女が入ってくるのが見えた。そんな愛人は(いやどんな愛人も)覚えがないがと、しかし夢だしそれ位あっても良いかと思ったら…長女だった。

  それもあまり心配してる風でなく、見舞いのアイスを一人で食べて帰って行った。


の(?)読書
嶽本野ばら/角田光代/唯野未歩子/井上荒野/江國香織「彼の女たち」講談社文庫

角田光代「それもまたちいさな光」文春文庫

'12.6.9  随筆 

無意識読書
 私は忘れっぽい。「最近」と打とうとしたが、最近のことではないということは辛うじて思い出した。忘れてしまってとても惜しい思いをすることもあれば、忘れられて良かったということもある。具体的にどんな事をと訊かれても、忘れているのだから挙げられない。凄くイイ女と一夜を共にしたのにその細部を覚えていないとか、ちょっと面倒な仕事をこなした時の達成感とか。…どっちも嘘だが。厭な事の方は挙げられるが、そっちは挙げたくないから挙げない(忘れてないじゃん)。

 しかし大概の場合は、忘れていた事に気付くときょとんとする。「唖然」では大袈裟だし「ビックリ」と言う程には動的でない。

 朝の通勤時に鞄から文庫本を取り出す。栞の所から読み始めるのだが、どうも話が繋がらない。少し遡って再度読み始めるのだが、読み覚えがない。結局、栞から読み覚えのある箇所まで1ミリ位もあった。どうやら呑んで帰路の電車内で読んだらしいのだが、全然覚えていないのである。

 何事かに囚われていて本の内容が頭に入らないとか読み進められないという事は、まああるだろうが、読み進んだのだが読んだ事自体覚えておらず、勿論内容も覚えていないのである。尤も内容だけ覚えていたらそれはそれで凄い事だがそれはない。

 これが例えば運動だったら身体を動かした分鍛えられたりするのかも知れないが(酔って運動をしてはいけない)、本を読んだけど内容を覚えていないのでは何の身にもなっていない。こういう無意識読書を私は月2回くらいはしてしまう。ひょっとしたらその時に感じたいろいろな思い位は、身になっていると思いたい。

 しかしこれはまだましである。何せ使ったのは時間だけで、しかも大抵は元々潰さねばならない時間だったのだから。時間も金も使っているのに忘れているというのはとんだ無駄である。そして私は月1回は、無意識酒場立ち寄りをしてしまうのである。

いや、木曜の遅くに寄ったことは覚えてるよ、ふる君。

'12.5.31  随筆 

3番目の男
 人が酒に求める要素は主に3つあるという。風味、雰囲気、そして薬理効果。それぞれの優先順位は人により違うものだし、上下もない。等しく下らない税金を支払っている。

 同じ酒呑みでも、一般に、外で呑む人は家では呑まず、家で呑む人というのはあまり酒場には行かないというケースが多いらしい。と言ってもそういう話は酒場でする訳だから、後者の方と話す訳ではない。言うまでもなく私は酒場に行くし家でも呑む。いや、ほんとに今更言うまでもないな。家でも沢山呑む私の様なタイプは冒頭の3番目がプライオリティな気もする。

 家と外で明らかに違うのは、呑むのがビールではなく発泡酒だということか。そもそもまともな酒場に発泡酒はないから呑めないのだが。若い頃に、テラスに小型の冷蔵庫を置いてハートランドの瓶を並べるなどという気障をしていた事を思い出すと隔世の感がある(言葉の使い方を間違えているか?)。

 ハードリカーはスコッチかウオツカ。但しこれも家と外では銘柄が違う。同じだったら、妻と似た女性とわざわざ浮気をしている様で妙だ(この例えもおかしいか)。家での普段呑みのスコッチは本欄でいつも書いている「消防熊」ことハディントンハウス(40°700ml)である。うちの近所では900円以下だが、実のところ黒だのトリスよりはマシ。ウイスキーは基本ストレートでしか呑まないが、まあ呑める。「スペイサイド+ハイランドのモルトにローランドのグレーンをブレンドした、ほのかに甘いリッチな味わいと深みのあるフレーバーを持つまろやかな味わい」なのだそうな。

 外でも呑む高めのモルトも一応家に置いているが、こちらは一口目とか、気分の良い時に呑む。グレンフィディックは並行輸入物の方が度数が高く、容量も大きい。正規が41°700mlで並行が43°750/1000mlである。旨くて上品な酒なのに、選ぶに当たっての心持ちが意地汚い。やはり私は3番目なのだ。

信濃屋の12年並行リッターボトル(2,980円)が品切れとなり、代わりに15年ソレラリザーブの並行リッターボトル(3,480円)が出ていたので購入。

夏にはつい買っちゃうんだよね。出来合いピニャコラーダ。グラス一杯のクラッシュアイスの上から注いで1杯。

読書 角田光代「それもまたちいさな光」文春文庫

構成に何かクセがあるなと思ったら、ラジオドラマにする前提で書かれた小説だった。「どうでも良いようなことで人生成り立ってるよなっていうか。いや、そういうことがあるから人生っておもしろいんだよな」(P.153)という雄大の台詞に集約されるようなされないような、そうドラマもないが色々なことがあって成り立っている身近な人生という感じだったかな。


'12.5.25  随筆 

足下を見る
 「足下を見る」というのは、履き物を見てその人の品定めをするというのが語源だと思っていたのだが、実は籠かきなどが旅人の足取りを見て疲れ具合を計り値段を決めたのが語源だそうだ。なんだ、良い靴履いてないと宿に泊まれないって話じゃなかったのか。お恥ずかしい限りで。

 というところで改めて自分の靴を眺め、磨き始めたりして。磨きながら、靴もそうだがベルトというのも同様に気を付けないとなと思う。

 やや混んだ電車の座席では、丁度目の高さには他人様の腰辺りが見える訳だが、スーツ姿のベルトのなんと様々な事か。

 まず、いかにもどうでも良さげな物の多いこと。ノベルティですらなさそうな自動車メーカーのロゴ入りや、明らかにライセンスの関係なさそうなブランドマークの付いた物。巧妙な感じも一切無く、メッキの色からしてユニクロメッキや安い金属モデルガン(昔はよくあった)の様な安っぽい色だったりする。多少身なりが良くても、ベルトが不釣り合いな人は意外に多い。

 それから手入れが悪い場合も結構ある。靴の手入れは何かの象徴らしくそれなりなされている事が多いが、ベルトは割合におざなりである。金具のメッキが曇っているとか、妙な模様だなとよくよく見ると黴びていたりすることもある。そこまで極端でなくとも、穴の位置が変わって、前の穴が酷く崩れているのはよく見掛ける。これはもう買い換え時だろうにという状態である。

 というのは、ある時目にした他人のベルトが気になってから気にして見ている…というのではなくて、自分のベルトが妙に捻れている事に気付き買い換えてから気になりだした。他のはどうかと見てみると、メッキが曇っていた。確かに安物ではあるが、これはみっともない。取り急ぎ古歯ブラシで擦り、後日ピカールで磨いた。

 几帳面なのではなく、ある日急に気になる。但しすぐ忘れてしまうのである。言ってみればこの記事自体が備忘録だとも言える。次にベルトの手入れをするのは来年だろうか。

'12.5.17  随筆 

路上の煙
 勤務先近くのビルが最近全面禁煙になったらしく、ビルの入口で煙草を吹かす人達を頻繁に見掛けるようになった。私自身は、自分はただ吸っていないだけで喫煙者には変わりないという姿勢を標榜しているのではあるが、群れて煙草を吸っている喫煙者の姿はあまり良いものではないなと思う。というか、なぜだか一人で吸っている人を滅多に見ない。連れ何とかみたいなものか。何にしても群れているのは怪訝である。

 しかもそのビル、入口で煙草を吹かしているのはおしなべて女性なのだ。何の会社かは分からない。彼女達は営業職には見えないが、事務服を着ている訳でもない。年齢層は30代以上が多い様だ。中にはおっと思うような美女もいたりする。まあそれはいい。

 神田を含む千代田区は路上喫煙禁止である。ビルの外は敷地内であっても明らかにほぼ路上なんだが、あれは良いんだろうか。

 まだビルの住人というのはともかく、路面店の中にはサービスの一環として店頭で一服できるように灰皿を設置して喫煙スペースを設けているところがあったりする。病的喫煙者にはありがたいことだろうが、そうでもない人や嫌煙家にとっては迷惑なこと甚だしいだろう。店頭に煙草の自販機を設置している店はそれでもまだ分かるが、事務用中古家具の店がなぜだか喫煙コーナーを広げていて、意味も分からないし、あまり良い感じはしない。

 駅前では、路上喫煙禁止を謳うジャンパーを着た区の職員だかを見掛ける事もある。あれは効果はあるのだろうか。いや、効果のある人達に対しては、あるのだろうな。吸ってはいけないと決められた場所で平然と煙草を吸うような人は、電車内では通話するだろうし、化粧もするだろう。信号無視は日常的だろうし、道端にゴミも捨てれば小便もする。言っても無駄だろう。

 ビルを追い出され入口で煙草を吸っている人は、まあ止むに止まれずなんだろうが。

'12.5.14  随筆 

歳上の美女とお近づきになる設定
 久しぶりにPePeのセガフレドに寄る。随分前に、すぐ真向かいにある同じテナントの花屋が釣銭不足の時に両替を頼んだら断られたことがあり、心証が悪くて少し遠ざかっていた。あの店員ももういない様だった。

  それなりの時間なのでビールを頼む。いや、そのために入ったのだったか。

 丁度斜向かいの辺りに、空いているオーバルテーブルの一画に座っている女性がいた。小柄で細身の、ちょっと年齢が分からない女性。分からないと言っても私より十は歳上だろう。しかし綺麗で上品で艶やかなのである。身なりも結構良い。ブランド名の入った紙袋が幾つか見えるので買い物帰りだろうか。しかし奥様という感じでもない。第一、買い物帰りのマダムは白ワインを飲みながら手帳を繰っていたりしないだろう。とは言え水商売風でもなく、なにか商売をしている人なのだろうと想像したりする。

 私は割に、こういう雰囲気の女性がタイプらしい。まあ、好きになってしまってもまず上手くいくものでもないが。学生の頃からそうだった気がする。初めは気にされるのだが、実のところ私自体がそういう女性の好むタイプとは違うらしいと後から向こうが気付く。大概上手くフェードアウトされてしまう。追うのはスマートではないし、スマートでない接し方自体が彼女達には合わない。上手くできている。

 そんなことをあれこれ考えていたら、突然こちらの方を見て満面の笑み。なんだどうしたと思ったら、私の隣の男性に向かってだった。彼女と同じ歳位で年齢相応の極めて普通の人。但し身なりは良い。知り合いらしかった。そういえば、こんな感じの人達は銀座によくいるな。いずれにしても世界が違うという感じか。

 しかし何にせよ、身なりの良い艶やかでいて上品で十は歳上の美女とお近づきになる機会というのは、ちょっと想像が付かない。あれこれと妄想を膨らませながら、もとい小説の設定を考えながら、難しい顔をしてビールを呑むのだった。

'12.5.12  随筆 

今年の日焼け止め
 昨年の夏に買った日焼け止めは娘が部活用に奪って行ったので、先日ドラッグストアへ寄った際に買おうとした。ところがメーカーもブランドも何だったのかまるで思い出せず、後日改めることになった。ボトルの色さえうろ覚えでは見つかるはずもない。

 日焼け止めは、意外にどれでも良い訳ではない。どれ位陽に焼けないかはSPFの値で分かるが、どれ位落ちないかはセールスコピーに頼るしかなく、情緒的なコピーでは全然分からない。尤も私が求めるスポーツ向けの製品は比較的直裁的で、「海でも山でもOK」「水でも汗でも流れない」などと謳われているが、それでも明確な判断基準にはならない。落とす時のクレンジングの要不要も気を付けないと見落としがちだ。

 日焼け止め選びは、ちょっと接着剤選びに似ている。強力さや着きの速さの謳い文句は、数値が出ていても胡散臭い。

 しかし一番迷うのは実は香りである。残念なことに無臭の日焼け止めはない。化粧品寄りの製品では香料が強過ぎる。しかし香料が少ないと日焼け止め独特の薬品臭がする。それに全ての製品に店頭でテスターが出ているわけでもないし、出ていても全部を嗅いで回るわけにはいかない。

 そもそもシーズン中の日焼け止めの棚は大変なことになっていて、各社クリームだか乳液だかローションだか、何が何だか分からない。何だか分からないのに似たようなサイズで500円台から3000円台まである。

 こういうのはもう店員に訊くのが一番である。「スポーツに向いていて、薬品臭はなるべくしなくて、香料のきつくない物」でいくつか候補を挙げて貰う。

 そうして選んでも、翌年また悩む。日焼け止めはシリーズ名でなくそれ単体の名前が付いており、大抵覚えにくい。パッケージも毎年変わったりする。一夏で使い切ったり、使わない冬の間に無くしたりするので、翌年には何の手がかりもなくまた探すことになるのだ。

今年買ったのはこれ。デザインはいかにも女性向けっぽいが仕方ない。

'12.5.11  随筆 

5月11日10時10分
 もう1杯コーヒーをと思ったが、それで間に合わなくなるのも厭なので家を出る。“間に合う列車”に乗った。朝なのに、その次がなぜだか10分も開く。

 相変わらず楽しくもない車内。当たり前か。大声で馬鹿話をする娘達がいて、今までに負った大怪我を挙げ合っているが、酷く痛々しいのはともかく、話が酷くつまらなくて痛々しい。何より喋り方が妙で耳障り。なんだろと聞いてると漫研だそうな。改めて見ると、なるほどと腑に落ちたり。

 山手に乗り換えてすぐに向かいのホームを走る内回りが止まった。ああこれは来るなと思っていたら、案の定乗っていた外回りも止まる。幸い日暮里には達していたので京浜東北に乗り換えるが、これがもう酷い車内。しかも上野でホームに降りると車内には戻れず2本も見送った。会社に電話をするとH嬢は出社していたので、上野から歩く旨を告げ駅を出た。

 「こんな電車には乗れない」というのは理屈が通らないかも知れないが、「こんな電車に乗ってまで出社しないとならない程の仕事はない」とまで言うのは宜しくない。尤も結局誰にも訊かれなかったが。

 上野〜神田の3駅は考えていたより時間がかかり、30分必要だった。朝から汗をかくのは厭だったので早足の私にしてはゆっくりだったかも知れない。

 自転車で走るのと違うのは、いろいろ観察しながら移動できること。まあ大抵女性を見てるのだが。

 薄手の超ミニを穿いた娘が、ビル風が吹き上げる坂に差し掛かったが、堂々と闊歩して案の定吹き上げられたらTバックだった。反射的に口笛を吹くところだった。

 秋葉ではとても珍しい電動車椅子を見掛けた。キャタピラなのである。乗っているのは自分と同世代くらいの男性で、あまり障害者ぽい雰囲気ではないし笑顔だったから単なる乗り物なのかと思ってしまった。うっかり「格好良いですね」と声を掛けたくなった。不謹慎か。

 40分遅刻。まあ、こういうスタートの1日だ。


読書 水木悦子・赤塚りえ子・手塚るみ子「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」
文春文庫

話に興味はあったけれどわざわざ買ってまではと思っていたものの、わざわざ買ってしまった。母も読むかなと思って。結局は天才の私生活覗いてもさと思っていたのだけれど、夫人ではなく子供、それも異性の子供によって書かれる天才像というのは、なかなかに面白い物だった。

 


'12.5.8  随筆 

パンダ

 最寄り駅のロータリーに面して大きなマンションが建っているが、隣地との境に、いかにも辻褄合わせの様な小さい公園がある。大規模開発にはそれに相応な公園などの公共スペースを設けるとかいった類の法律にでも則った物なのだろう。

 舗装された三角形のその場所は、駅ビルに入っているネイルサロン程度の広さしかなく、空間を埋める様に、コンクリ製らしいツキノワグマとパンダの像が設置されている(外殻はFRPか?)。子供が丁度跨がれる位のそのサイズが、この場所を「公園」たらしめているのだが、こんな物があるからといって子供達はどうやって遊ぶというのだろう。いや、子供の遊びのイマジネーションは私の想像を超えて広いのだろう。

 この公園はブロック敷きなのだが、周りは土や木で一杯である。そのため、強い雨が降ると地面に積もっている泥が跳ね上げられ、パンダ達に掛かる。この泥が、四つん這いのパンダの白い顔を下から覆い、一見頬がこけてアゴ髭が生えている様に見える。それがコミカルと言うより結構不気味なのだ。髭面のパンダである。ある日駅前で遊歩道を行こうとする母親に幼稚園児くらいの子供が「パンダがいるからイヤー」と言っていた。大人が不気味に思うのだから、それは子供なら怖がるだろう。

 子供のためと思った訳でもなかろうが、たまにパンダの泥は拭われていたりする。放ったらかしの様な公園だが清掃くらいは入るらしい。しかし私は実のところ、それはそれで残念に思うのだった。

 パンダ好きの知人に写メでも送りたいところだが、朝の通勤時にそんな余裕もなく、そもそもそんなことしていたらおかしいし、帰宅時はもう暗い。休日にわざわざ撮りに来るのもちょっとと思ってしまう。

 これ、石の肌の方がむしろ可愛かったのになぁと思うのは、私だけだろうか。いや待て、そしたらパンダか何か判らんか。


読書 平安寿子「さよならの扉」中公文庫

ガンで亡くなった夫の不倫相手に「友達になって」と接触し続ける妻。末期ガンの闘病があったからではなく不思議に夫に恋しい感情を覚えないが、その愛人との関係の中で存在を確かめていくという様な、大雑把にはそういう筋。しかし、主人公のいささかエキセントリックな性格(自分にとって)の方が鼻についてしまい、どうも共感を覚えるに至らない。また夫の同僚のエリート男がちょっかいを出す様な魅力は感じられない。


'12.5.4  随筆 

イクラとウオツカ

 4月後半、母は北海道へ行っていた。母の実家がある八雲町は、木彫り熊発祥の地でありバター飴の元祖なのだそうだ。調べて初めて知った(笑)。北海道全体の名物なのだと思っていたよ。実家と言っても、今は叔母と従姉妹が住んでいるだけだ。6年前に亡くなった祖母の看病をずっとしていたが、今度は叔母が動けなくなっているのだった。向こうに親戚はいると言っても固まって住んでいる訳でもない。母にとってはたった一人の姉である。

 5日ほど滞在した母が帰ってくると、向こうから発送した物や持ってきた物で我が家は北海道物産展状態となった。業務用の様なイクラ、どうするだそれ。1キロあるそうだ。全部喰ったら病気になるんじゃないだろうか。何にしても1キロ喰ってはいかんか。

 最近年のせいか、呑む時に何かつまむ事が多い。ズブロッカのアテにイクラが丁度良い。でもウオツカならばキャビアではないかと何か違う気がしつつ、これはこれで旨い。偽物のあれとは違い物凄くプリプリしている。

 そんなことをツイートしていたら、イクラはロシア語だと教えられる。икра イクラー;ikra…。目からイクラでした。ありがとうございます。

 そんな話題もつまみにしながらウオツカが進む。居間でこくこくこくこく呑み続ける。家だったらズブロッカ1本空けても千円程度だからなぁ。新鮮なイクラも茶碗一杯が無料。

 外で呑む時はやれハートランドだアウグスだなんて言うけれど、家じゃ麦とホップ。いいんだよ、それで。フィディックもモーレンジもあるけど、家の普段呑みはハディントンハウスだ。ただ、ウオツカだけは安いのは呑めない。元々安いのだが。

 どうせ一人で呑むなら、家で呑めば良いじゃないとよく妻には言われた。最近はそう言いもしないが。まあしかし、こうして“会話”してくれる人がいて、安くて旨い酒が呑めるならそれはそれでも良いか。あくまで「それはそれでも」だが。

ツイッター用→ブログ用キャンペーン2(笑)


'12.5.3  随筆 

フェイスブックを放り出す

 知り合いの中にはどうもフェイスブック(以下FB)に流れている人が多い様な気がする。あるいは単にネットアクティブ度が落ちているだけなのかも知れないが。こういうのはあまり自分基準で考えてはいけない。

 ちなみに私は長いことFBを敬して遠ざけていた。ネット上のコミュニケーションの大半を“ネット住人”としてのキャラクターで成り立たせている私としては、FBに参加すると、もう一つキャラを作らないとならない様な物なので面倒で効率が悪いのだ。

 それともあれか、あれやるとビジネスチャンス増えるのか? そんな訳ないな。ただ、ことによるとmixiより昔の知り合いに偶然出会すなんて事があるかも知れない。現実の自分専用で、ネット上の繋がりと離れたところで試してみようか。ふとそんなことを考えて登録してみた。

 しかし、普段は転送先専用にしている携帯アドレスでのやりとりで検索されたからか、物凄くアンバランスな相関が浮かび上がる。うちの社長と部下、得意先、同じ大学の出身というだけで世代も何もバラバラの人達。誰も昔の知り合いなんていない。全然驚きがない。高校美術部のK君とかT君とか、卒業後「栴檀林小隊」としての付き合いがない連中に全然行き当たらない。

 いろいろ操作してみると、私から見るとFBは別にmixiと何も変わらない。“しつこいmixi”程度。しかもガイジンだからか何言ってるかわからん。リストから選んでるんだから出身校を英語表記に直すなよお前。FBに喜んでるのってシアーズのカタログで通販するみたいなものじゃないの? などと思う。

 挙げ句にツイッターで女友達がなんで見つけてくれないのよと言うから、あちこちで彼女の本名(しかも今の名字忘れてる)で検索を掛けるが見つからない。ストーカー気分満喫。なんか情弱というか低ネットリテラシーというか、駄目な人になった気分になったので放り出してしまった。

ツイッター用→ブログ用キャンペーン(笑)


'12.5.2-2  随筆 

ツイッター用→ブログ用

 twilogによれば、私のツイート頻度は1日に15.5件なのだそうだ。なかなかに多いと言えば多い。全てを140Wで書いているわけでは勿論ないが、原稿用紙2枚分をワクに更新している自分のブログ記事に直すと、約7ツイート程度で1回分となる。1日2回も更新できるではないか。と、まあ、あまりに馬鹿な試算である。くだらん客寄せパンダの経済波及効果が何億とか、ああいうのと同類か。

 それはそれとして、読み返すと、大半は本当にくだらないことを書いている。まったくのつぶやきをつぶやいたり、枯れ始めた雑草のアップ画像をあげたり。ツイッターのサーバーもやってられねぇよと思っているだろうな。しかし、ある程度流れになっている話や、繰り返し書いていることは、編集すればそれなりに読める読み物にできるのではないか? 読み返す内にそう思えてきた。どれだけ自分好きなんだ。

 そして、試しに4月後半2週間分程度のツイートから随筆(ブログ記事)を書き起こしてみようかと思い立った。前回の、ブログ記事をツイートに分けるというのと逆である(それをさらにブログで残した訳だが)。

 ブログとツイート両方読んでおいでの方も、試しにお付き合いを。多少既視感はあるだろうけれど、リライトはプロみたいなものだから。なんて。

 ところで既視感(デジャヴ)といえば、私はその逆の感じを覚えることも多いのだが、ちゃんと用語が存在しているのをツイッターで教えて貰った。見慣れているはずの光景、物事が何故か未体験のように感じられるのをジャメヴ(既視感に対して未視感)と言うのだそうだ。

 トーキング・ヘッズの「ワンス・イン・ア・ライフタイム」はジャメヴの歌だったのだろうか。「俺の家はこんなに素晴らしくない! 俺の奥さんはこんな綺麗じゃない!」。自分の今在る此処が何か不確かな場所に感じる。この半月ばかりは、何かいろんな不安感に捕らわれていた期間でもあった。

予告 5/3 フェイスブックを放り出す
   5/4 イクラとウオツカ


'12.5.2  随筆 

ブログ用→ツイッター用

 いつも持ち歩いているPowerBook。たまにデスクトップの1/4位がテキストファイルで埋まっていることがある。それも「携帯電話には」とか「乗り換えで3」とか、半端なタイトルであるものが多い。ブログ記事のネタメモな訳だが、ツイッターを始めてからはこれが更に多くなった。

 以前は800Wは書けなさそうだとか、自分のブログ記事としては内容も文体も砕け過ぎているかというものは、すぐに処分していたのだが、ツイッターなら別にいいやと思って残し、使うわけである。たまにオン書きにしてはまとまったツイートを見掛けると思うが、それである。

 いくら調子が良くても、140W-10%の文章を2分置きに数回アップとかできる訳がない。ブログ用をツイッター用に直したものを見ると、140Wずつ区切れていてなにか面白い。編集の練習になるとまで言うと言い過ぎか。長文ツイートを連投されて、フォロワー諸氏はいい迷惑かも知れない。

 文章打ちに使っているJeditが今のバージョンになり、保存時タイトルのデフォルトが「名称未設定」ではなく冒頭の抜粋になってからは、そのまま残すと自分でも全く意図しないタイトルになるので、後々何度も中身を確認する羽目になる。そもそも自分で付けていても大概忘れている。

 どっちつかずで貯めっ放しにしてしまう事も多く、それもフォルダに移してしまったりすると、数ヶ月数年後に「なんだこりゃ」となる訳である。大概の物は書き出した意図や落とし所を忘れているから使い物にならないが、たまにそこから何か芽が出て来ることがあるから気安く棄てられない。

 アマチュアの私にこんな手間が必要なのだから、プロはさぞかし大変なのだろう。そんな苦労もなく書き綴れる文章的体力がなければプロにはなれないか。そんなことを気にしている内に800Wの9割になるが、最期を140Wにするのは難しい。文筆ではなく小論文のテストみたいだな。やれやれ。

意味ありそげに無意味なことをしてる?(W