随筆/日記
公文書

'12.4.27  随筆 

ネガティブ

 内科で頭が痛いと言っても悪いところはありませんと言われることはあるが、精神科で不安なんですと言ったら気のせいですよとは言われない。要するに何であれ病気扱いとなるだろうと精神科に掛かっている知り合いが言っていた。尤も、将来の不安は心身の問題ではなく人生設計の問題なのだが。

 最近の記事を読み返すと何やらネガなものが多い様な気がすると以前にも本欄で書いたかツイートしていたのだが、時期的なものだと自分で納得していた。いやしかしそうでもないと、昨年の本欄を読み返して気付く。昨年は震災もあったし父母連の退役もあったのだが、特にナーバスだったりネガな感じの事は書いていない。Tバックの下着を貰って喜んだりしているくらいに脳天気である。

 建て替えた家が10年を過ぎ、住宅ローンの利率が高くなったからか。それもあるが急に老いが気になってきたりしているせいもある。老眼に気付いたのは2年くらい前だったが、今年は小便の切れが悪くなった気がする。そんなこんなが一緒くたになっている。

 髪型をやたら気にしてヘアアイロンをかけるくせにシャツにはアイロンも掛けない身長164cmの中2の娘は、休日は一日中パジャマでピグをやったり好きな歌手のPVをユーチューブか何かで観ている。ついこの間まで引っ越しの小さな段ボールに潜り込んで大喜びしていたなんて信じられない。そういうことでもそりゃ歳も食った実感は湧くわな。自分はこの子の歳に何をやっていた? 大したことなんか何も出来ていなかった気もするし、あの頃が土台になって今があるというほど大切な時期だった気もする。ところが今の自分ときた日には、この先の何かに役立つことなぞ何もしていないどころか消耗消費しているだけの様な気がする。

 そんな訳で連休だそうである。特に予定はないので、自転車に乗るか、庭を眺めながら昼からビールでも呑む予定である。連休計画は出来ていなくとも不安はない。


読書 嶽本野ばら/角田光代/唯野未歩子/井上荒野/江國香織
「彼の女たち」講談社文庫

一人のパンクロッカーの男に関わる5人の女の物語を5人の作家が書いている。自分にとっては、やはり井上荒野が一番心地良かった。角田光代、巧いな怖いな。江國香織、この話は好き。以上。小学生以下の読後感だ。


'12.4.26  随筆 

靴底

 週末が近づくと雨の日が続く。激しい雨でないので、先週末撒いた農薬が土に浸みていく様で都合が良い。特に根から吸収させるタイプには雨が必要だ。そしてもう一つ。滑らない様に補修した靴底を試す良い機会である。

 磨り減った物というのは失っているはずなのに、なぜだか靴底というのは、磨り減っていることそれ自体が実になっている…身体に馴染んでいる。そういう気がする。だから補修した分の靴底には、逆に何だか余分なごわごわとした感触を覚えるのだろう。

 靴底の仕上がりには満足は行っていない。塗りつけたパテ状の物が美しく仕上がるはずもないと、作業の後半では諦めていた。壁の漆喰を綺麗に仕上げるこて使いができる職人ならいざ知らず、にわかDIYで補修する靴底が一発で綺麗に仕上がる訳がないのだ。

 泡立てたばかりのメレンゲに立つ“角”の様な模様が、美しくもなく靴底を覆っている。目の粗いヤスリで均してしまうかとも思ったが、仕上がりがゴム状になる事を考えると、仕上げにヤスリは使えまい。カッターにしてもあるいは刃に粘り着かれて作業どころではないかも知れない。

 結局私はそのままの靴底でこの靴を履くことにした。他人に見られたらみっともないという様な事を言うと、「人の靴底なんて、気にする程には誰も見ませんよ」と言われた。確かに余程行儀の悪い立ち方をしていなければ、靴底は見えない。少なくとも凝視されることはないだろう。

 身の回りの大概のものが、靴底の様なものだという気がしてくる。自分にとても馴染んでいるのにそれは“あるべき形”ではなく、意識し始めるととても気になるのだが、他人は全くと言って良い程気にも留めていない。自分という人間そのものが、何か自分にとっての靴底の様でもある。

 補修した靴底は、グリップ感があってなかなかに具合が良い。だがやはり、あまり調子が良いというのも、それはそれでしっくり来ない。

5回分のツイートに加筆修正。段落がいちいち140W以内なのが妙な感じだ。
それにしても連日更新とは良い身分だな。暇なのか?(W


'12.4.25  随筆 

年寄り

 乗換駅で階段の下まで来ると、目の前に流れてきたのはよろよろと歩く年寄りだった。右側通行の階段だが左端の通路からが上り初めで、左側の端に1人分空けた辺りを上るのがいつもの私だが、年寄りは私の前を横切ると、左端の手すりに掴まった。手すりに縋るようにして階段を上っていく年寄りに「右側歩きなよ」と言う様な人間もいまい。私ですら言わない。問題は、その年寄りを避けて降りてくる奴が、私の目の前に来るということくらいか。まあ年寄りだから仕方がない。仕方なく更に1人分右へ寄ると、左に並んで来る奴がいて、やはり年寄りを避けて降りてくる人間と鉢合わせしていた。

 ふと見上げると奇妙なことに気付く。周りは皆、自分と同じか若い人間で、年寄りは斜め前にいるその老婆一人なのだった。奇妙? いや、奇妙だろうか。しかし一度奇妙に感じてしまうとそれが頭から離れなくて、プラットホームでも人混みの中に年寄りを探しながら歩いてしまうのだったが、果たしてそこには普通に年寄りがいた。

 午前中の中途半端な時間帯のために車内も人が疎らだったが、さすがに座席は一通り埋まった。私はあまり座った時には文庫を開かないのだが、ノートでやる事もないし、眠くもないのに目を瞑るのはあまり好きではない。読むともなしに読みかけの文庫を開き文字を追っていると、斜向かいに二人連れの女が立った。

 終電まで男と呑んだとか、その男が存外子供っぽいだとか、別の日にその男が連れてきた女が馬鹿な女だったとか、そんな話を延々している。要するに酷く下品である。しかもその二人、蓮っ葉なギャルではない。黙っていたならば席でも譲ろうかという様な歳の和装の女である。聞いていると、どうやらその男というのは店の客のことらしく、この二人は朝から客の陰口を叩いているのだった。

 歳は美しく取りたい。そんな事を漠然と考えている内にあっという間に年寄りなのだろう。やれやれ。

筆者注)ちなみに私は今年46。微妙。


'12.4.23  随筆  bicycle 

自分補修の週末

 「自分探し」とやらが笑われて久しいが、しかし実のところ、探さねば分からぬ自分や、見失ってしまった自分だらけだ。そして見つけて駄目になっていても自力で何とかしないとならない。さて取り敢えず目先の補修くらいはしておきますかというのがこの週末。終末でなくて良かった。

 今年、庭の芝はもう駄目だろうと思っていた。10年は貼り替え時だろう。しかし貸家の塀やら何やら直して庭の芝どころじゃない。取り敢えず雑草くらいは抑えておかないとと雑草抜きをして1週間だが、あの時には目立っていなかった雑草に週末覆われていた。生えてるときはベタベタ葉や茎がくっつき、枯れてからは実が引っ付いてくる厄介な奴。これは芝を枯らしてしまってでも薙ぎ倒しておくべき雑草だろう。目立つ部分は手で抜いておいた上でシバキープ粒剤投下。

 更にこれからの季節は梅に気を配る必要がある。アブラムシやカイガラムシはこの時季から浸食している。なので並行してオルトランDX粒剤を散布した。残留期間3ヶ月の後には同水和剤を散布する。でも、除草剤や殺虫剤ばかりでなく、肥料もちゃんとやらないといけない。いろんなものに。ていうか俺にくれ、そもそも。

 などと言ってる場合でなく、今の内に靴を補修しておかねばならない。底がすり減っており雨が降ると滑る。それ以前に見た目も劣悪。そんな訳で「セメダインシューズドクター」で補修することにした。いや、別に好き好んでなんかじゃないんだからね! ちなみに実はこの補修材、こんなもので荷重も大きい靴底なんか補修できるものかと信用していなかったがなかなかに強そうだ。しかも2液性でもないのに乾きが早くて(公称24時間だが)粘りもある。これは革の補修全般に使えるのではないか?

 そんなこんなの日曜、妻は勤務先のお偉いさん関係で告別式の手伝いへ。久々に喪服の妻を見た。私を見送る時はどんな表情でこれを着ているのだろうか。なんてな。


忌々しい雑草。雑草に名前はない。


週末の買い物。上段右からアブラムシ・カイガラムシ殺虫剤「オルトランDX」。芝生用除草剤「シバキープ」
。そして消防熊。下段は靴底補修材。そしてもんちゃん自転車のライトと反射板。


24時間で4mm。2液でもないのに優秀、てなところか


梅。今年は瓶1本分。

養生テープマウントでローラーライド。
RC20の記録 ローラー台
走行時間35.2m/走行距離19.3km/平均速度32.8km/h/総走行距離9438.3km

'12.4.20  随筆 

失われた知人友人関係

 私は本欄のバックナンバーをよく読み返すが、それに較べてコンテンツの方はあまり見ない。いずれも余程変な間違いでもしていない限りは直さないのだが、ここ暫くリンクページをどうしようか悩んでいる。

 昔のウェブサイトのリンクページというのはしばしば紹介記事の様になっていた。初めて閲覧に来た人にとっては他所との関係性が読み取れたりしてある種の参考になるだろう。

 '98年開始の当サイト、一時はMac専門誌で紹介されたり、銃関係のオフに頻繁に参加したりしていたが、今は趣味に関わりなくやりとりの続く一部の知人友人を除き、すっかり疎遠になってしまっている。

 あの時の“仲間”は今どうしているだろうか。リンクページをクリックすると…サイトがない。スラッシュを遡ってもプロバイダに辿り着くだけ。場合によってはプロバイダごと無くなっている。

 当時あれほど高かったネットアクティブ度はどうしてしまったんだろうという位にオンラインで見掛けなくなってしまった人が多数。10年全く変わらない私がむしろおかしいのか? 10年も経てば、亡くなった方や長期入院している方なども出てくる。趣味が変わったり生活が変わったとかで更新を止めたりサイトを引き払った人もいる。同じURLに違う物を載せている人は意外にいない。

 「GUN SMITH」平賀さんや「K's TOYGUN」Kさんなどは、本体不更新ながら他の趣味のサイトをいくつも立ち上げられている(ここでリンクはしないが)。その点私は複数のカテゴリーをまとめて栴檀林にしているので、全体ではどこかしら更新しているが、休止している部分もある。更に他にもいくつか別キャラでサイトを立てていたりする(ナイショ)。

 そういう繋がりの“仲間”の実生活を私は殆ど知らないし、彼らも知らないだろう。それで充分だし、それでも大切に思う。だからリンクページを整理する気になれないのだ。リンク切れであっても。

→リンクページ「戦友簿」(大半が放置とリンク切れ…)


リンク切れしていたサイトの一部。管理人の方の数人は今でもネット上でお会いする。

'12.4.18  随筆 

今更ながら卒業

 偶然に、隣市で学童保育父母会の運営に取り組んでいる人のツイッターアカウントに行き当たった。イベント運営について熱心に発信したり、活動のことをツイートされていた。面識がある訳ではない。

 考えてみればちょうど1年前までは、自分も同様の活動をしていた事を思い出す。今でも保護者同士で一部の人とはSNS上でのお付き合いもあるが、父母会との関わりは薄くなり、前回書いたように次女が4年生で学童クラブ卒所となり、父母会自体辞めることになった。

 父母会というのは善意のボランティア団体とは違う。半ば強制で、人によってはくじ引きで役員になったりもしている。意に沿わないこともあるという意味では仕事も変わらない気がするが、なくても生活は出来るという意味で違う。とは言え活動の中で、ぐずぐずと流されるだけだったり、うやむやにごまかしてばかりいるような人を見掛けると「大の大人が何やってるのだろう、本当に社会人なのか?」と訝しく思ってしまう。きっとこういう人は仕事でも逃げてばかりなのだろうと考えたりもする。

 ちなみに私は最終的に市連協の副会長を務めることにまでなったのだが、元々は学童児への深い愛情や学童クラブへの強い関心によって参加していた訳ではなかった。

 この手の活動は自分達に正義があると思うほど空回りしがちだ。見ていて痛々しいことすらある。そこには純粋に、こういう役割なら難なくこなせるから手伝ってあげたいという人材こそ必要であろうと思い、自分がそうだと思ったから参加したのだった。

 昨年度で引退職に就き参加を辞めたのは仕事やその他の私事に注力するためで、今年1年を振り返るとそれはそれで正解だった。とは言え、都合6年間に渡っての参加は貴重な体験だったし、自分なりには貢献できた様に思う。

 ここまでやることは、もうないだろうな。みなさんお世話になりました(あ、まだ連協の総会があった)。

体育館準備室を転用する学童クラブのクラブ室


'12.4.5  随筆 

スマート
 携帯で話をしながら乗り込んできた若い男が、切った携帯をポケットに突っ込んで優先席に座った。ストラップ部分には何だか良く分からない物がジャラジャラと付いている。小学生なら先生に取り上げられる様な状態だ。

 大体パンツのポケットなんかに携帯をそのまま突っ込んでいる様なのは、どうせ掛かってきたら横に座る人の脇を肘で押しながら取り出すに決まっている。すると予想した通りの動作で、しかし反対側のポケットからイヤホンとスマホ風の何かを取り出した。通話に使わないからといって音楽プレーヤーとは限らないが、音楽を聴いているからといってスマートホンでないとも限らない。「か田に靴を入れず李下に冠を正さず」なんて言っても分からんだろうな。

 そもそもスマホの何がスマートなのだろう。従来型の携帯電話に較べてゴツゴツもっさりとしていて重量もある。そのくせ耐久性は低くてすぐ壊れる。全然スマートじゃない。尤も私自身が世の何がスマートなのか分かっていないのではあるが。スマート・パトロール、スマート・ボム、皆何がどうスマートなのだろう。分からない。

 男のやることなすことは案の定で、座る姿勢も座席に浅く腰掛けたまま脚を投げ出す。電車では、脚を投げ出すのがスマートでクールなのだろうか。無性に蹴りたくなる。蹴りたい。あの脚を蹴りたい。ゆっくり近付いていって爪先をコンとやるのが良いだろうか。何なら車両の端から走ってきて思い切り蹴り上げるのも一興かも知れない。

 次の駅に着き、乗ってきたお年寄りに意外や席を譲るとか、逆に案の定無視するとか、さらに着メロ鳴らして掛かってきた電話に出るとか、いろんな事をぐるぐる考え始めたところで次の駅に着き、男はあっさり降りていった。

 何だおまえ、不快な上に無芸な奴だな! 初めから列車に乗って来るな馬鹿たれが!


読書 山崎ナオコーラ「男と点と線」新潮文庫

淡々と描かれた世界のあちらこちらでの男女の話6編。やけに淡々としてるな。しかも互いに何の関連もない。たまには良いか。それにしてもこれ世界中である必要ない気がするんだが、まあ作者の好きなようにすればいいか。


'12.3.27  随筆 

順風満帆と焦りの春
 順風満帆とか前途洋々という印象を、人から受ける事が最近多くなった様に思う。街中で見掛ける若い夫婦者とか、打ち合わせをしている得意先の新人とか、身近では自分の娘にそういう印象を受けたりする。そういう時は心の中で目を細めてしまう。歳なんだろうか。それを羨ましいだとか妬ましく感じているわけではなくて、むしろああ頑張ってくれと暖かく思う。特に自分の娘には強く思う。当たり前か。

 しかしそういうイメージは自分にはないな。ないから余計に人にそう感じるのだろう。年齢のせいもあるだろうし、日々の生活にもよるだろうし、心身の健康状態のためもあるだろうな。周りからはどう見えるだろうか。どちらかと言うと私はそういうネガティブなのがあまり表に出ないタイプらしいが、かと言って順風満帆とか前途洋々という印象も持たれはしまい。

 ただ焦りはあるかも知れない。いや、自分自身のそういうものの無さにという事にではなく、娘のその“順風満帆さ”を自分が守らねばならないんだという、そういう焦りが。翻り見れば父にもあっただろうか。母にもあるだろうかと今更考える。

 中一の長女は背丈も態度もでかくて、さすがに親相手だから微量なり畏怖はあるだろうが、一端(いっぱし)のつもりでいる。疑いもない様ですらある。勉強も運動も全然大したことはないがあまりに酷いという風でなく、我が娘ながら容姿も良く、更には外面も良いと聞く。小3の次女は、まだ子供子供しているが、やがて長女の様になるだろう。いや「様に」はならないな。

 庭の白梅は老いと重さで傾いていたため、いつもお願いしてる植木屋さんにこの冬に多くの枝を剪定して貰った。いま丁度、残りの少ない枝に満開の花を咲かせている。

 それはそうと、今年の梅の実は多くても一瓶程度だな。バケツ何杯も獲れた昨年を思い出すと、あれでは木も傾くかと納得する。

'12.3.22  随筆 

紙袋(手提袋/ショッパーズバッグ)

 鞄には大別すると2つの種類がある。床に置く鞄と、床に置かない鞄だ。それは鞄のデザインや構造といった物理的なことではなく、使い方によって分けられる。しかるに、私の仕事用鞄は床に置かない鞄だ。大体、外で床に置いた鞄を膝に載せたり棚に上げたりするのは不衛生ではないか。もっともそんなことを言う私にも例外があり、紙袋は割と床に置いてしまう。まあそんなに大切に使い続ける物でもないし、汚れたら棄てるまでの事だから良いのだ。我ながらよく分からない理屈だな。

 ところでその紙袋には何を入れているのかというと、弁当とストックのカップ麺を詰めて家から持っていく。何やらつましい勤め人風であるが、あからさまなのは嫌なので中は見えないよう二重に詰めている。見え張りなのであるが、いずれにせよ通勤時に紙袋を提げていたら弁当に決まっているのであまり意味はない。

 ところでこの紙袋、縦横の寸法が入れる物に微妙に合わず収まりが悪い。こういう物は規格が決まっている物と思いがちだが、封筒と同じで定格外は山とある。これも所謂定格からは縦横マチのそれぞれが数十ミリ違っている。なぜそんなことを知っているのか。わざわざ測ったのではなく、自分が作ったのだから知っているのである。寸法は得意先のリクエストにあれこれ応えている内にこうなった。当然だが自分の弁当運搬用に作ったわけではない。

 よく、紙袋を取っておく人種としてオタクが挙げられるが、私も紙袋を取っておくことが多い。いや、そもそも私もオタクだったな。と言ってもパンフ・チラシと同様にという意味で、ある種職業上のクセみたいなものかも知れない。繰り返し使うことを考えると、紐部分はアクリル紐やハッピータッグ(左右でパチンとロックできる物)が好都合だろう。ツイストの紙紐は最悪で、数回使い回すと掌が紙くずだらけになる。得意への提案からもつい除外してしまう。

 いや、別に自分のためではなくて。


紙袋は、売る程ある。

読書 長嶋有「 タンノイのエジンバラ」文春文庫

初読みは'06年2月で、当時本欄は一言コメントも表紙のサムネもなかった。お気に入りの1冊なのだが鞄のサイドポケットで雨が掛かってしまい下側が歪んでいる。そのためかあまり再読していなかった。とぼけて淡々としているようで微かな痛々しさに胸が詰まる話はこの時から変わらず。


'12.2.28  随筆 

始発列車
 始発列車に乗るというと、いつもの私なら焦燥混じりの罪悪感を覚えてしまうところだが、これから列車に乗るのは仕事に向かうためだった。

 家の前の通りから市道に出ると、辺りはアスファルトの匂いで一杯だった。その様に書くと夏の表現の様だが、アスファルトは年度末の道路工事で敷かれているもので、深夜の道路工事がまだ終わっていない事に違和感がない位にまだまだ暗く、全くの深夜の様であった。

 駅に着いて改札を抜けると、疎らにいる人々はポケットに両手を突っ込んだまま窓から外を見ていたり、あるいは携帯の画面を見ていたりしている。始発列車が来るまでまだ10分ほどあり、そうか始発慣れしてる人は寒いホームにはまだ降りないのだなと独り合点がいく。

 こういう場合も私はさっさとホームに降りて、乗車位置に立ってしまうのだが、なるほど寒い。しかも退屈だ。文庫は読み切った直後だし、携帯は昨日、故障修理に出しており、操作の慣れない代替機ではあれこれする気にもならない。ホームから見える駅前のロータリーに人影は多少あるものの、街自体はまだ始動していない。正面のマンションは数軒明かりが灯っており、こんな時間に通常動き始めている家もあるのだなと思ったりする。うちはせいぜい6時半。朝の支度を始める妻にくっついて起きてきた次女が、居間でテレビを見始める時間だ。

 始発列車の座席は8割方埋まっていた。朝帰りの始発とは随分感じが違う。ターミナル駅ではラッシュ時ほどでないにしても結構な量の人の流れがある。始発に乗るというと、それだけで面倒を背負っている様な、背負わされている様な気になってしまうが、かと言って連帯感を覚えるわけでもない。あからさまに背を丸め肩をすくめて歩く人が私にはとても見窄らしく見えて、努めて胸を張り背筋を伸ばして歩いたりする。

 朝っぱらから余計なことばかりが気になる性分である。

'12.2.12  随筆 

革コートの補修
 冬の初めにコートを補修していた。補修というと大層な言い方だが、要するに色の剥げているところを直したという程度のことである。

 私は何かというとそういう事を自分でやりがちだが、上手くいく時もあれば、勿論上手くいかない時もある。何かの技能に特に秀でている訳でもないし、実用はともかく仕上がりは褒められた物でない事も多い様に思うが、コートに関してはまあまあだった。

 私の革のコートは、陽のたっぷり差し込む居間で見ると随分とくたびれて見えた。ポケットの周りや脇の部分など、擦る事の多い部分がおしなべて色落ちしている。色落ちした革は場合によっては“味が出る”と言ったりもするが、私にはあまりそういう感覚がない。古さを売りにする一部の物を除けば、普通の服飾品ではただ見窄らしいのではないか。そんな風に厭になってしまうと何となく袖を通さなくなり、クローゼットに仕舞ったまま黴びさせてしまうこともあったりする。しかし当面新しい革のコートを買う様な余裕もなく、さてどうしたものかと思案していた。

 革の着色は塗装ではなく染色なので、色落ちの補修も染めて直す。問題はそう簡単に出来るのかということだ。この手の作業だと「染めQ」が話題に上りがちで、実際私も木材に使ってとてもいい仕上がりだったのだが、いかんせんあの製品は高い。それに平滑でない物をスプレーで塗るのは意外に骨が折れる。

 私は根がずぼらなので、靴墨みたいに塗って直せればなと考えていたが、手順自体は同じで行けて、価格もそこそこという物があった。本来その製品は革製品の色補修材としては服には向かないらしいのだが、服向けを謳う製品は価格が十倍程した。仕上がりががびがびになってしまったりする訳でもない様なので使ってみることにしたのだった。安くて量が多く作業もし易い。コートの様な物には適していると思う。

 三月程経っても色落ちなど不具合は特にないが、あくまで自己責任でどうぞ。

コロンブス「アドカラー」20g 315円 13色あるが、クロ/グレー/チャ/コイチャ/キャメル/キイロ/ライトベージュ/アイボリー/レッド/ブルー/スカーレット/ライトブルー/ウスチャという様に、ミドリがない!! 絵の具の様に混ぜ合わせられ、水で滑らかにも出来るのだが、いちいち作るしかないのだった。


'12.2.7  随筆 

墓標の更新
 最近山手線のドア脇には、花粉症対策の医療品類の広告が貼られている。そんな季節か。記録によると、昨年の今頃は既に花粉対策の眼鏡が使われていた。記録というのはまあ本欄の事で、眼鏡は長女の話だが。私自身はもっと遅い時期の3月後半辺りに症状が出る。これも本欄での確認。

 10年超それなりの更新頻度で続けていると、ブログが特別な記録の様になってくる。但し時系列で読み返す場合はブログではなく同じ内容をhtmlで保存している「公文書」の方だが。以前はリモートサイトにgoogle検索を掛けていたが、OSXのspotlightになってからはローカルサイトでも充分探せる。まあ、便利ではあるが本欄はあくまで随筆であるから、必ずしも全てが現実の記録という訳ではない。自分自身をまず疑う。

 ところで、調べ物をしていると残骸のようなウェブサイトに出会す事がままある。そういう所は更新状況の記録も曖昧な事が多い。ブログである場合は長期更新がないとトップにでかでかと入る広告がまず目に付く。つまりはフリーのスペースである場合がほとんどなのだ。有料で借りている場所を放置する人は希であろう。

 しかしだ、私が急死したとして、栴檀林のサイトとブログは共に有料のアサヒネット上にあるので放置しようがない。妻がこのドメイン管理ごとプロバイダーを維持するとは考えられないから、暫くすれば消失することになる。

 随分前に、亡くなった父の遺品を整理する内、学生時代に撮ったらしい大量の写真が出てきたことがあった。私は躊躇したが、母は「見る人がいなくなった物を取っておいてもしょうがないでしょ」と言って処分した。父と学生の時から一緒だった母が言うのだから納得せざるを得ない。

 私のサイトは、私がいなくなったら誰も読まないだろうか。多少は何かの資料になる記事もあると思うのだが。誰か魚拓でも取っておいてくれたらとは思う。


'12.1.23  随筆 

ツイッターまとめブログ(但し自分の)
sendanrin(小隊長)ブログよりはツイートの方が本人の印象に近いと言われた事があるのだが、私の場合は結構複雑な気分である。文語と口語の違いじゃないのか? …そうでもないな。ブログは日常のことを書いていても記事として言葉を精査しているが、ツイートは思い付いた事ほぼそのままという違いはある。

だからと言ってその調子で日頃喋っているわけでもないと思う。私はそんなにお喋りではないのだ。ただ、言葉を交わしていると相手の反応を見ながら修正が出来るのは良い。スカイプはやらないが、ネットでは他にチャットにもそういう面はあるし、ツイートで近いやりとりが出来る場合もある。

ツイートには基本的にカテゴリー分けがない。まあブログも[随筆]であれば何でもありなのだけれど。[自転車]とか[銃]で読みに来る人の興味の対象は私個人ではないのだから、まずそちらを立てて書く。それにBグルや家族の話やそれから酒場の話を絡めたりはする事は多々あるのだけれど。

カテゴリーもいろいろあるが、正直なところ私はよくある“起業系”の話題が苦手だ。祖父の代からサラリーマン家系の身としては、「人に雇われて起業もできない様な人間は駄目だ」という風な息巻き具合を感じてしまう事が多いし、ツイッターのそれ系アカは侍商法やマルチまがいのイメージもある。

尤も最近偶然フォローした方は全然厭な感じではなかった。家族や健康のことも書かれていて、そういうのは何となく読んでしまう。結局は人柄か。大体稼いだとか忙しいとかいう話は、親密な相手の話であってもあまり楽しめるものでないことが多い。そこをエンターテイナーにできたら大した文才だ。

私が書いてる事も日常の些細な話が殆どだが、それを採って来ては天ぷらやコロッケにして並べる。衣は薄過ぎても厚過ぎても駄目なんだけど、それは素材への思い入れ具合でも違ってくる。その意味で自分にとってのツイッターはサラダに近いのかも。


昼休みに随筆をブログ用(原稿用紙2枚)で書いてたら1段落140W以内でまとまりそうだったから、ツイート6回無編集でブログ記事になるという型式の文章に挑戦してみた次第。ちゃんとご飯も食べずに何やってんだか。結局本欄に上げたが、さすがにちょっと手直しした。このコメントも140W以内。

'12.1.12  随筆 

のど飴
 乾燥したこの季節に多くの人がコートのポケットに忍ばせている物、それはのど飴だろう。喉の奥が張り付く様に乾燥し、病原菌に対して不用意に脆くなった粘膜を晒している。一方で周りでは常に誰かが咳き込んでいる。自衛のため、あるいは自ら咳き込むことがない様にという予防策として、簡便にして効果的なのがのど飴だ。

 とは言え、のど飴の薬理効果自体は実のところよく分からない。100円そこそこの物と400円近い物が同じ訳はなかろう位には考えるが、科学的な根拠を把握している訳ではないし、そもそも実感をもって認識したこともない。

 薬理効果の差よりも気になることは他にも沢山ある。包み紙と溶け具合の関係だ。あるメーカーの製品は、ずっと温かいコートのポケットに入れられていたにも関わらず、常に「ペリッ」と包み紙が剥がれる。かと思えばあるメーカーの物は鞄の外ポケットに入れていても飴を取り出す時には、ベタベタの包み紙から引き剥がし、ベタベタの部分が内側に入るように細かく折り畳み、ともすればばい菌だらけかも知れない指を舐めるというリスクを、買った翌日には背負わなければならなくなる。

 それから口に入れる物であるから、言うまでもなく味覚的な関心も高い。昭和四十年代生まれの私といえども、飴と言えばオレンヂかイチゴという世代ではないのだ。だからといって何かと言えばカリンだ薬草だというのも鼻白む。成分としては謳う程も入っちゃいなかろうに。

 そんなに飴ばかり舐めていては糖分の過剰摂取だろうという声も聞かれるが、頭脳労働のために朝珈琲に入れる一杯の砂糖の分を控えれば大差はあるまい。むしろ糖分より気になるのは、虫歯である。いい歳した大人が、そう年中虫歯で歯医者へ行くわけにもいくまい。

'12.1.3  随筆  bicycle  car

煩悩だらけなるも無欲
 「あと2日ある」というのは、夏休みが終わる前のあの感覚に似ているのかも。尤も、夏休み然とした夏休みの様な連休を過ごせたのは学生時代までなので、失われて久しい感覚ではある。勤務先は29日〜4日の休み。主な得意先は商業施設なので年末年始もそれなりに営業しているのだが、この時期には出て行かねばならない程の仕事はないため、例年勤務日通りとなっている。

 2012年というのは自分にとって特に節目でもないが、新たな年となり、自分の歳と娘達の歳とそれから母の歳を考えたりする。この位になると時間は無闇に流れてしまい、若い頃よりむしろ先が見えない。いや、若い頃には思い描く何かしらのために、先に何かしらを見ていただけかも知れないが。一緒に過ごしていても、中1と小3の娘には過ごしている時間の密度が違うのかと思うと不思議な感じがする。いや、10歳違うだけでも密度や価値は違うだろう。

 まあそんなことを考えるのも日中にビールを呑みながら庭を眺めている時か、真夜中に目が覚めて眠れない時(大概はすぐ寝てしまうが)くらいで、あとはだらだらと過ごしている訳だが。

 大晦日にミルが除夜の鐘を突きに行きたいと言うので、誰と一緒かちゃんと言っておきなさいと言うと、一緒に行く人なんて誰もいませんってと言う。連れて行けということらしかった。徒歩10分の寺であっても夜中に子供同士で外出して良い歳ではなかったか。結局は近所の幼馴染みの子(前はそれ程親しくはなかったはずだが)も一緒に連れて行くことになり、3人で近所の寺へ行った。近隣では最も大きい寺だが11時半で10人程度しかいなかった。娘達の通った保育園の「理事長先生」が読教していた。煩悩だらけで鐘を撞いた割には、賽銭投げて願うのは子供のことだけだった。

 元旦は一日中呑んでいたが例年通り。休みの間中に2回、走りに出られればそれで良しかな。

年末、がら空きの都心部をC3で走る。

除夜の鐘を撞くミル。

冷たい強風の多摩サイ。

恒例の羽田。神社ではないので、柏手を打つか毎度悩む。

RC20の記録 スカスカの多摩サイで羽田。帰路は環八。往路のアベは27km/hだったのだがこの落差。
走行時間3h16m33s/走行距離77.03km/平均速度23.5km/h/総走行距離9045.6km

読書 角田光代「くまちゃん」集英社文庫

登場人物と時期が少しずつ重なる7編の物語。こういうのは最後まで併行したり最後に繋がったりするが、本編についてはどうもいただけない。ふられ話集なのだが、最後恋愛相談会みたいな形になって締めるのがどうもと思うし、角田らしい感じもしない。