お前らが、かよ

'07.9.5

 乗り込んだら右の奥。そう考えながら、車内でぼけっと立っている乗客の間を縫って歩く。なんでこいつらはぼけっと立っていられるのか疑問に思う。どう見ても車両の許容量一杯の乗客がホームに並んでいるのに、何の調整もなくそのままか。こいつら押し寄せる津波の前でもただぼけっと昼飯でも喰っているんだろうなと思う。

 流れに沿って辿り着いたスペースの前には、薄らデブが座っている。値の張りそうなでかいヘッドフォンを頭に乗せて、薄っぺらい女性ボーカルを聴いているのが漏れている音でわかる。お前の薄っぺらい音楽の趣味なんかに世界は興味を持たないんだとヘッドフォンの上から拡声器で怒鳴りつけてやりたいが、気の弱い自分にはとりあえず投げ出された邪魔な足を蹴ることくらいしかできない。無力だ。不服そうにすいませんとか言うくらいなら初めから連結部にでも立ってステップの鉄板曲げてろデブ。

 
ドアが閉まる直前に、デブの横に座っていた年寄りが飛び上がって俺にぶつかってきた。どうやら降りるつもりらしい。混んだ電車内で座席に座る乗客の9割以上は降りるときに目の前の人間に声を掛けない。動き始めたら察して退くのが日本人の美徳なのか? 「降ります」とか「失礼」とか一声掛けるだけで良いじゃねぇか。こういう輩には鞄を縦にして頭のてっぺんに固い角を喰らわしてやるのだが、斜め前で飛び上がったこの爺にはそれも間に合わない。そもそも今手には文庫一冊しか持っていないので、武器のレベルが低いのだと気付く。もう少しで舌打ちをするところだったが何とか思い留まる。

 
文庫を読みたいので座席に座るのもなぁと思っていたら、斜め横から無言で人を押し分けてくる女がいた。この暑いのに首の隠れるシャツ。こういう時は、せめて胸元のバンと開いた美女でも座ってくれたらよと思うんだが、あいにく薄い眉毛の薄らブス。空いた座席はさも自分専用であるかのように周りに何の合図もなく尻からドスンと座る。なんだよ薄らデブの隣に薄らブスかよと心の中で毒づきながら、自分の立ち位置を正す。

 
するとこのブス、薄い眉毛に厭な予感がしたんだがそれが的中して、趣味の悪い小さいバッグを取り出したかと思うとメイクを始めやがった。あっという間に眉を描き睫毛を作る。携帯でも化粧でも、狭い公共の場でこういうことを平然とやる奴の何に腹が立つかと言えば、要するに自分の(下らない)日常を持ち込んでも構わねぇやと思うくらいに周りの人間のことなんか考えてないという態度なんだ。マナーがどうとかじゃない。そういう人を馬鹿にした態度に腹が立つのだ。うはーっ。お前なんかは中国製の廃油か何かで作った化粧品で皮膚ガンにでもなっちまえ馬鹿。

 
「ンふっンふっ」と鬱陶しい息をしながら薄っぺらい女性ボーカルに聴き入っているデブと、不揃いで安っぽい化粧小道具を鞄の上に並べて安っぽい悪臭を放っているブスなんか見ていても面白くも何ともないので外の景色でも眺めようかと思うが、どこかの馬鹿がシェードを降ろしてやがる。そんな天気じゃねぇだろうがよ。チッと舌打ちをするとツンボデブとメクラブスがこちらを怪訝そうに一瞥した。

 「失礼」。デブの耳元に囁くと、奴の首のすぐ横のスペースに手を差し入れてシェードをカキンと手前に引く。溝から外れたシェードのバーが窓枠の上端まで飛び上がり派手な音を立てる。

 
車内に二三、こちらに非難がましい眼差しを向ける奴の気配がした。見回せばこちらが失敗を恥じて周囲の反応を伺っている体になり本意ではない。かと言って外は快晴で、窓に車内の様子は全く映らない。だが確実にこの車内に複数、俺に非難がましい感情を抱いた奴らがいるのだ。

 
しかし、お前らが、かよ。ふざけんじゃねぇ。