随筆/日記
公文書

'08.8.30  随筆 

呪われた梨

 職場で梨を貰う。世話になっている税理士事務所から送られてきたのだが、中元には遅い気もするし何だったんだろう。山梨で梨を作っている親戚がいるとかそんな話を聞いたことがあった気もする。まあどうでも良いんだが。

 剥いて食う訳にもいかず、持ち帰ることにした。梱包をバラして3個用に作り直す。丁度手提げ袋に収まるが、提げると結構な重さだ。直帰が続いたせいもあるのだが、結局その梨は持ち帰るまで1週間近く放ったらかしになってしまった。重い伊勢丹の紙袋を提げて酒場に行くというのも格好の付かないことだし。

 ところがその梨の呪いだろうか、余裕のある時間に真っ直ぐ家に帰れる日は結構雨が降っていた。その上帰路に鞄に切れ目を発見してしまったので、替わりの鞄を下調べしようと、つい、何となく伊勢丹に足が向いてしまった。これは紙袋の呪いか。

 よりにもよって雨が降り重い荷物を持っている日にわざわざ鞄を見に行くこともないのだが、その上鞄を見終えると、ああそう言えば靴も駄目になってきているなと、隣の売り場でうっかり靴を買うところだった。何をやっているんだか。

 ツケを払いに寄る予定でいたので、いっそ梨はBBLに置いてきてしまおうかとも思うが、こういう手土産は酒場にとっては結構厄介なんだよな。以前、常連のK嬢が高級青果店に勤めていた頃は下げられた果物を珍しさも手伝って喜んで食べてはいたが、手間も掛かるし食器も汚れる。置いて行かれても、当人を知らぬ客に振る舞うのも躊躇するだろうし、そもそもが、酒場に食い物持って行くのはかなりバランスの微妙な行為であるし。

 そんなあれこれを考えつつBBLに着き、貰い物の梨が重くてねと話す。

「最近、梨をよく摂ってるんです」と、ふる君。
「これ、いる?」渡りに船とばかりに訊くが、
「いえ…冷蔵庫、梨で一杯なので」

 とうとう家まで持ち帰ることになったが、そこには母が買ってきたばかりの大量の梨があったというオチ付き。



'08.8.23  随筆 

映画「スカイ・クロラ」

 「思っていたより早く来たわね」
 「太陽が眩しかったから」
 「カミュ?(苦笑)」

 と、冒頭から押井節と思ったが、意外にもそれきりだった。伏線かと思いきや話もそれきり。実は『シジフォスの神話』でテーマ自体を仄めかしていたということらしいが。

 事前情報がないと不安になりそうだが、公開前特番を見ていたし、三鷹の森でも展示があったので世界観やらディティールは概ね把握していたつもりだった。しかし、わざとかも知れないが「ショーとしての戦争」とか「死なないキルドレ」の説明はある意味違っていて、逆にさらのまま観たかったという気もする。

 ネットの情報は遠ざけておこうと決め、そこで得ていたものは「草薙の銃はPPK/SではなくPPK(残念ながら戦後型)で、デスクの上でも弾を装填した状態」という枝葉末節のこと。そして「エンドロールは完全に終わってから退出」という2つだけ。

 CGも音響も凄いという話ばかり聞いていたので、残念ながら粗探しぽい見方になっていたかも。戦争に関係ないメカを区別のためか“手描き”にしていたが、ナローポルシェのパースが少し変で気になったとか。投げ捨てたマッチ棒の音まで再現しているくせに、ダンヒルらしき草薙のライターの音がジッポーだったこととか(隊員の官給品を借りるカットはなかったはず)。作品自体に関係ない。関係あるところでは、ショーではない実生活の中での拳銃発砲音がびくりと来る程だったのに対して、迫力満点の空中戦が意外にも腹に響かぬ音だったのはそういう意図だったのかなぁとか。劇場が悪かったかも。

 「繰り返される日常」は『ビューティフルドリーマー』以来だし、そこにまた念入りに『イノセンス』なオルゴールなどの小道具まで、と言い出したらきりがない。しかし原作がライトなライトノベルのためか(未読だが)押井キツさは少なく、むしろファンには物足りないかも。

『スカイ・クロラ』公式サイト 重くてへこたれる。


これはPPK/S。リアサイト後辺りに飛び出しているのがローディングインジケータ。弾が装填されているという表示になっている。

'08.8.21  随筆

自意識過剰ではないですか?

 わざわざ格好を付けて書くわけだが、一つの銘柄のフレグランスをずっと使い続けている。「ずっと」と言っても、実はどれ位かは思い出せないというところで格好を付けきっていないのだが。結婚するときにはもう使っていたから、少なくとも11年以上経っているということになる。長いなぁ。

 ジャン=ポール・ゴルチェの「ル・マル」というもの。「男」という意味なのだが、ボトルが引き締まったボディのトルソー風の造型の割には、逆に他の男性用フレグランスの様な精神的(社会的?)マッチョさがないのが気に入っている。ま、イメージの問題だが。

 きっかけは使い始め当時に好んで着ていたアパレルのブランドだった(つまり当時は痩せていたのだ)という程度のことだが、割合若いブランドだと、フレグランスなんか出しても長く続かなかったりしそうなものだが、これは随分と長く販売されているのが良い。※1

 不満が一つある。ボトルのスプレー部分に問題でもあるのか、ボタンの付け根辺りから漏れることがある。使い方が悪いのだろうか?

 フレグランスは身に付けてから時間の経過で香りが変化するのを楽しむもの(なのだそう)だが、夏場だと早くに消し飛んでしまったりする※2。しかし会社にボトルを置くのも何だし、アトマイザー※3に移すのも面倒だなと思っていたら、引き出しから試供品が出てきた。

 しかしこれ、あくまで試供品なので器が継続的な使用には向かない。封を切ると割に早く蒸発してしまう。もう1本あったのを思い出すも、同ブランドの別製品※4だった。まあ良いかと付けてみるが、当然香りは違う。

 しかしいつもの自分と違う香りを身に纏っていると、何か、してもいない浮気を勘ぐられはしまいかと考えたり。いや、別に誰が気にしている訳でもないんだけど(苦笑)。

 



「こいつ、フランスの水兵だとよ」

注釈もしくは備忘録(笑)
※1 発売は1995年。
※2 香水は濃度によって呼称が異なり、持続時間が違う。
 パルファン 15〜20%、5〜7時間
 オードトワレ 5〜10%、3〜4時間
 オーデコロン 2〜5%、1〜2時間
これに合わせて付け足しをしたりするらしいが、トワレを使っているのに私は大抵付けっ放しだな(苦笑)。
※3 アトマイザー:移し替えのスプレー容器
※4 「ゴルチェ・トゥ・ザ・パワー・オブ・トゥ(ゴルチェの二乗)」。調香はル・マルと同じパフューマーとか。

'08.8.17  日記 

ネコバスとビール

 今回は普通の日記です。わざわざ断ることもないか。

 夏休みは4連休。仕事の都合はあまり関係ない時期だが、メーカー勤務の妻に日にちを合わせてとるのでお盆真っ直中である。しかし遠出はしないので帰省ラッシュや観光地の混雑とは無縁だった。というか観光地は混雑していたのだろうか。

 初日は「三鷹の森ジブリ美術館」。ついこの間行ったばかりだから企画展示はまだ変わっていないが、映像展示室の上映作品が変わっていたので、それを観ようというのが目的。しかし他をあまり見て回る気が起こらず。後半はデッキで「風の谷ビール」を呑みながら、展示ではなく来館客を眺めて過ごす。決してチケット代は高くないのだが日時指定の予約制というハードルのためか「どこでも良いけどとりあえず」という感じは薄くて、老若男女みな熱心に見て回っていた様に感じたのだが考え過ぎか。時期的なものか外国人率が随分高い。

 ところで先日、通っているカット屋で盆休みは三鷹の森に行くという話をしたら、店の女性が何度も通っていると言っていた。全然そういう風には見えないのだが、曰く「ネコバスに乗りたいんです」と。いや、それは無理だろう。小4の上の娘(145cm)でもう限界な感じである。館内は一切撮影禁止なのだが、特にこの場所はそれを適切に思う。そうでなければきっとあの狭い場所でギャラリーからの「こっち向いて」の連呼とフラッシュ連発でネコバスで遊ぶ感触や思い出どころではないだろうと想像する。

 ちなみに連休前週にわざわざ髪を切りに行ったのはなぜかと言うと、数えで七つになる下の娘の七五三の撮影があったから。しかし、前週に髪切っておいて良かったなと考えながらどのスーツにするか考えていると、一向に身支度に掛からない妻。「え? 撮るのは子供達だけだよ」との一言に一気に気が抜ける。言ってくれよ。

 最終日は雨で自転車も乗れず昼間からビール。でも暑くないと旨くないんだよな。


変な場所で羽化した奴。さてここはどこでしょう?


ツマミはクコの実でした(ウソ)。

'08.8.13  随筆 

喪失と発掘

 あまり親しくもない人に、名刺代わりに当サイトのアドレスを教えることはないが、親しいからと言って必ず教えるというものでもない。そういえばS女史には教えていなかった。しょっちゅう酒場で会うし、それなり色々話もするのだがなぜだったのだろう。変な人に思われても厭だというスケベ心でもあったか。いや、全くもって今更な話だ。というわけで先日URLをお伝えした。

 自身、ウェブや特にブログの類はあまり見ないとおっしゃりながらも、結構遡って見ていただいたらしい。素人の文章を時系列遡って読むのは難しいんじゃなかろうかと思いつつ。

 「世の中のブログがみんなあんなだったら、ブログも読めるなと思いました」

 と、お褒めのお言葉(実際はもっと礼儀正しい言い回しだった気が)。リアルに面と向かって自分の作った物を褒めて貰う機会など、大人になったらそうあるものではないので有り難い。

 しかし嬉しくも悩ましいのが、例によって私は自分で書いた話を忘れていることが結構あるということだ。そんな訳で、自分の過去を読み返している次第。

 そして、2月に歯医者に通い始めた話が書かれていたのを見つけた。実は歯医者、先週まで通っていたのである。子供の頃に折って根が悪くなっていた前歯を抜いてブリッヂ(両側の歯と繋いだ義歯)にするのだが、ブリッヂを架ける歯の根の炎症が全然治らなかったので長引いた。そして実に半年もの間、私は週1〜2回歯医者に通うことになった。

 基本的に医者は家の近くで通うことにしている。従って週1〜2回は必ず早く帰ることになる。勿論酒場には寄らずに、だ。そして思ったのは、意外に早く帰れるじゃないかということだ。特にこの季節、まだ陽のある内に帰るというのは気分が良い。

 酒量自体も減ったんじゃないか? いや、酒場へ寄った回数は覚えていないが。これも記録しておくべきか。

 そんなブログ、それこそ誰が読むんだか…。


読書 角田光代「おやすみ、こわい夢を見ないように」新潮文庫

本作は7作から成る短編集だが、表題作の題名が通しタイトルの様である。重松清によく見られる登場人物のだぶる形式の連作短編集ではないのだが、登場人物のいくつかは似てもいる。引き篭もりの太った女、浮浪者の女、呪いを掛ける女、等々。怖い夢を見なくて済むように、誰もが「おやすみ」と誰かに言って欲しいのだが、結局は唱えるように自分自身にそう言うしかない。


'08.8.8  日記 

カレンダー

 乗換駅のホームで、いつもの乗車位置近くの看板が変わっていることに気付く。前は、なにか雰囲気の悪い清涼飲料の広告だった気がするが、いつの間にか幼児向け雑誌の広告に変わっていた。

「おやこでたいけんカレンダー」。全面が8月のカレンダーとなっていて、毎日のコマには、キャラクターのイラスト入りでその日に「たいけん」することが書かれている。

「ほしをさがす」
「だいすきという」
「ほんきではしる」
「おおわらいをする」

 どれも最近やっていない気がするなぁ。

 そしてどれも幼児にとっては改めて目標とすれば新鮮で重要な体験になる様に思った。大人になると、そういうことはあまりない気がする。試しに自分の当面の予定を頭の中で書き出してみる。

「前月分の売上一覧に締め日時点の原価を入れて正確な原価率を出す」
「提出したカンプのフォローと、協力会社に現地調査を依頼」

 重要は重要かもしれないが、素敵な事とは言えないな。

「テラスに置く工具入れを考える」
「RC20の新しくなったチェーンにミッシングリンクを取り付ける」

 こちらはウキウキはするが重要ではないのかも。

 それ以前に、自分が手帳には明確な予定をあまり書き込んでいないことに改めて気付く。

「手帳にきちんと予定を書く」

  …子供並みだな。

  それならまだこのカレンダーの目標を実行してみた方が良いかもしれない。「ほんきではしる」だけは実行しているが。ただし自転車で、だけど。

 それにしてもJR、ポケモンラリーの親子が物凄い数。去年はこれほどではなかった記憶なのだが、やはり物価高で安近短ということか。もっとも人様のことは言えず、我が家は来週に今年2度目の“三鷹の森”を予定している次第。

余りの陽射しに、色の入ったオフ用眼鏡で一日過ごす。さすがに得意先では掛け替えたが。作ったばかりなのだが、もっと濃くすれば良かった。仕事も立て込みiBookは保冷剤を敷いていないと調子が悪くなる。熱いのにフリーズだなんて洒落にもならん。

'08.8.5  日記 

塗り物

 男性は化粧をしないから、基本的に女性に較べて肌に何かを塗ったままにすることに抵抗がある様に思う。顔に何か塗ったらおしぼりで拭けないのも厭だしな。

 背に腹は代えられないので日焼け止めは塗るが、あの変な臭いはどうにかならないのか。先日薬局であれこれ訊いてみたが、無臭の物はないとか。今使っているニベア製と同性能で香りのましな物を探す。会社で話すと「それ、化粧落としがないと落とせないって知ってました?」とH嬢に指摘される。そういうことは教えてくれ、店員さんよ。ペイントリムーバーやパーツクリーナーなら持っているが、化粧落としなんかない。

 このところ脚がだるい。自転車には乗り過ぎという程乗ってはいないが、夏バテなら脚だけがだるいということもないだろう。運動で傷ついた筋肉は回復に1日くらい必要とか。その道理では通勤で朝の疲れが夕までに回復しないのも仕方ないかもしれないが、そもそも少々飛ばし過ぎなのかもしれない。

 そんな調子で迎えた週末は好天。娘達は妻の実家にお泊まりでいないが、羽を伸ばしてテニス教室に行った妻が帰って来るまで久々の芝刈りをしながら待つことにした。

 一昨年辺りから手入れをサボり気味のため雑草が生え放題。芝の根切りも全然していなかったのでスパイクを持ち出すと、土の硬いこと硬いこと。これでは芝が育つわけもないな。

 テニスの帰路に妻は頼んでおいた虫除けスプレーと一緒にゲルタイプの鎮痛消炎剤を買ってきた。2日続けてのテニスでだいぶ身体が痛いらしい。効くのかね、インドメタシン1mgは? 借りて脹ら脛に塗り込むとしばらくして楽になる感じがしてきた。

 陽もやや翳ってきたので走るかどうか考えていると、芝が綺麗になったためか庭の木製フェンスの塗装がだいぶ傷んでいるのが目立つ。安いラッカースプレーで塗った部分はてきめんに酷くなっている。ちゃんとした塗料を買わないと…。

 塗り物のことばかり考えていた週末である。


コーセー「Facio」の日焼け止め。マツキヨの筋肉痛止め。運動の疲労にはクエン酸だよなと言っていたら妻が持ってきた不思議な飴。

多摩サイ沿いの適当な公園にて。なんだこのアングル(笑)。
RC20の記録(自転車ジャンルの記事ではないが)
8/1通勤往路 走行時間58.46min/走行距離25.55km/平均速度26.0km/h/最高速度46.3km/h
8/1通勤復路 走行時間63.31min/走行距離25.62km/平均速度24.2km/h/最高速度47.4km/h
8/2多摩湖、所沢 走行時間87.53min/走行距離34.88km/平均速度23.8km/h/最高速度55.5km/h
8/3多摩サイ 走行時間96.43min/走行距離39.55km/平均速度24.5km/h/最高速度57.8km/h
総走行距離3943.9km

'08.7.26  日記

映画「きみの友だち」

 今日は娘と映画に行った。過日の本欄でも書いているが、重松清原作の「きみの友だち」が公開された。

 東京でも2館という規模ではあるが、公開前にはあちこちのメディアで取り上げられていた。なぜか皆「重松清」に「直木賞作家の」と付けていたのが可笑しかった。世間ではこの方がしっくりくるのだろうか。いや、それ以前に重松のコメント自体、あまり気が乗っていない風だったのが気になった。

 図らずも初日のため舞台挨拶があった。と言っても監督とメイン3名の女優さん。重松清だったらなぁと思いつつ30分をやり過ごす。またイベントのプロットとして仕方ないだろうが、悪いけど私は女優さんの誕生日の話はどうでも良いんだがなぁ。

 そして上映。そこから2時間5分。 …長い。物理的な話ではなく、長いんじゃないか? 中身の割に。

 最近「西の魔女が死んだ」を劇場で観て大泣きしたという娘なので、私同様に原作を読んでいた妻は、ティッシュを山と持たせた。しかし上映時間の1/3が過ぎた頃に娘が「これは悲しいお話なの?」とキョトンとして訊いてきた。

 皆さんご存じのこの私なので、「泣ける」かどうかは作品評価の判断材料ではない。が、しかし、あの原作でこれなのか?

 引きの画角で長回し。山梨の風景の美しさが云々と公式サイトにも書かれていたのはこの手法を表現するための書き様なのだろうと醒めて見たくなるが、なのに絵自体は大して美しくない。

 ドキュメンタリー風なのか揺れる画面や不安定なパンが目に付くが、構成自体にドキュメンタリー的客観性は何もない。原作では第三者としての語り手(原作では最後に主人公の婚約者であるとわかる)の視点が重要だったが、映画ではそれもない。

 いや風景や構成以前にそもそも登場人物の心情が伝わってこない。原作を読んでいたから記憶と連想で少しうるっとは来たが、読んでいなくて心揺さぶられるものだったか? 小4の娘が退屈したのは、ストーリーを理解できなかったからではない。

 舞台挨拶の監督の言葉が引っ掛かっていた。(原作の)光の部分を見て欲しいと。しかしね、そもそもそういう話じゃないんだよ。「乙女の友情を描く」とでもいう安っぽい薄っぺらなコピーが似合ってしまう。なぜ、あの2人は、2人だけだったのか? そしてシニカルな恵美のバックボーンは“オンナノコのイジメスパイラル”の表現なくして説明つかないだろう。それに較べたら“オトコノコの嫉妬”の話はおまけみたいなもので、ましてや佐藤先輩のエピソードはいらないだろう。

 今回本欄はどう削っても字数オーバーにてご容赦を(これでも推敲したんだが)。ついでに謝っておくと、原作者世界に思い入れがあり過ぎるための酷評と思っていただければ。映画自体はひょっとしたらそう悪くはなかったのかもしれない。


'08.7.24  随筆 

ブラック・コーヒー

 昼食時、たまには音楽でも聴くかと、iBookにイヤホンを差し込んでiTunesを立ち上げる。リストを見ずにプレイボタンを押すと、1曲目は「Black Coffee」だった。ジャズの名曲である。名曲だなんてもっともらしく書いているが、ジャズに何の造詣もない私がなぜこの曲を入れていたかというと、以前に掌編小説のネタに使ったからだった。

 「Black Coffee」は、来るあてのない男を夜更けにブラック・コーヒーを飲みながら待つ女を歌っている。件の掌編では逆に男が来るあてのない女(というか呼び出してもいないが)を待つようにしてバーで呑んでいるとこの曲が掛かり、「厭味だ」と男が思うシーンがある。

 この曲のことは、知り合いが商業サイトに寄稿したエッセイで知った。作中出てくる蘊蓄は完全に彼の文章の受け売りだ。しかしさすがに聴いたこともない曲について書くのは気が引けて、彼の店〜お馴染みの銀座“ウラ”MODに聴きに行くかと考えていたら、その時呑んでいた店〜“オモテ”MODにはCDがあるという。で、iBookをゴトリと出して借りてきた訳だ。ただしこちらはペギー・リーではなくジャネット・サイデルの盤だったが。

 件の掌編は元々は、得意先の商業施設が自施設をテーマにした文章を募集した懸賞に、数合わせで出すためのダミーとして書いた物だった。作中の駅ビル内のバーは実在する。

 さて、そのモデルのバーだが、得意先のテナントなのでたまに寄ったりもする。ある日ウオツカトニックを呑んでいると、なんと「Black Coffee」が掛かった。掌編のことは当然誰も知らない。思わず私はニヤニヤ顔になってしまった。

 もちろん、私は誰のことも待ってはいないので、自棄になってペレツォフカを頼んだりはしなかったけれど。

出口、らしきもの「行儀良く」
日経トレンディネット「LPに針を落とす瞬間」


読書 大道珠貴「後ろ向きで歩こう」文春文庫

例によってちょっと変な男女の話。「変」な「男女の話」ではなくて、「変な男女」の「話」。スタイリッシュな恋愛物を読むと空々しく感じるのだが、大道の描く男女は、かと言って「リアル」とも言えない。言えないと思うんだがなぁ。あるいはそれは、自分が自分のリアルな変を認識していないからなんだろうか。自分の恋愛の変を自覚していないからなんだろうか。


'08.7.19  随筆 

映画

−ジーン・セバーグってとってもかわいいと思うし、あんなふうになりたいな、って憧れている私が、もうしそうなれたら、右京くんはそれをかわいいとは思わないわけで、私の憧れは、私の好きな人の嗜好と著しくかけ離れているわけで、それでこの先うまくいくものなんだろうか。

大島真寿美「三人姉妹」より

 この一節を読みながらふと考えた。自分は好きな誰かの嗜好に自分の方を合わせたことがあっただろうか。思い出せない。ひょっとしたらなかったかも知れない。

 相手がいつもカジュアルだからといって自分の服装をそれに合わすことはないし(場所には合わすが)。相手の好きだという音楽を試しに聴いてみるということもほとんどない。嫌煙者と逢う時は数時間前から喫煙しない、くらいのことはあったが、それはむしろマナーの問題だろう。しかも異性の場合に限ったことだったし。となるとマナーの話でもないか。

 話変わってこの夏、娘達は「崖の上のポニョ」を観に行きたいのだそうだ。どうせ半年後とかにはパッケージを買うのだと思うが。それより私は「スカイ・クロラ」を観たいのだが、娘達はあまり面白くはないだろう。というより自分も粗筋というか設定程度しか知らないのだった。しかも原作の森博嗣はエッセイしか読んだことがないという体たらく。なのに監督押井守というだけで観るというのも危険だろうか。主人公の名前「草薙」だし(関係ない)。そういうことでは原作をよく読んでいる「ジャージの2人」も興味が湧くのだが、こういうケースは大抵うまくいかない気がする。キャスティングはバッチリだと思うが。

 そもそも、私には誰も付き合ってくれないのに1人で映画館へ行く習慣はないのだった。格好良い理由はない。

「そうだ、今度2人で映画でも見に行かねぇか?」
「ありがとう。でも本当に観たい映画は1人で観に行くことにしてるから」
「じゃあ、それほど観たくない映画は?」
「観ないわ」

攻殻機動隊S.A.C 12話 より


'08.7.12  bicycle  随筆 

観戦

 いつになく早くに目が覚め横を見ると、上の娘の頭と、下の娘の足が見えるだけで妻の姿がない。前の晩私は風呂上がりの娘達を連れて寝室に入ったので、家事を済ませてから2階に上がる妻とは時間差があるのだが、もう時間差という時刻ではないようだった。階下は明かりが灯り、テレビの音が聞こえる。NHKをつけっ放しにして妻が横になっていた。起き上がった妻は「さっきまで試合が終わってなかったのに」と寝ぼけた様に言うが、それがウィンブルドンだと気付くのに少し掛かる

 そう言えばツールドフランスも始まっていたなと思い出したりするが、いつ放映されているかを私は全く知らない。というよりはなから観る気はないのではあるが。スポーツは自分でするからと言って、観戦をするとは限らない。ガンマニアだからと言って必ずビアンキカップのVTRを買う訳でもないだろう。例えがナロー過ぎるか。そういえば2、3年前の私にとって「ビアンキ」と言えばチェレステカラーのロードバイクではなくホルスターの「ビアンキ」であり「ビアンキカップ」だった。

 閑話休題。何にしても私はテニスを見ない。見ても分からないのである。元々興味がないから、分からないなりに楽しいわけでもない。そういうことで娘のテニススクールも正直な話つまらないので送迎だけして途中を見ない。親の姿勢としてはどんなものなのと言われるかも知れない。

 授業参観と同じつもりで見ればいいのかも知れないが、その感覚で毎週1時間はなぁと思う。水泳の時もそうだったが、後で「あそこはああだったんじゃないか」とも言えない。逆に、生半可な知識で親がとやかく言うのはマイナスである事も多いそうである。そんな訳でテニススクール送迎の間の約1時間、多摩湖自転車道を走る。

 ちなみに送迎時の私は、走りながらうるさいかもしれない。「やっぱサドルちょっと高くないかー?」とか「ペダルは親指の付け根で踏むんだよー」とか。


欄外は故障ネタ。RC20のサイコンの画面がおかしくなり(画像)、とうとう消えた。前回の電池交換からまだ半年。残量アラートも点かなかった。ブラケットとの間にガタがあったから、その振動のせいか? 総走行距離は推定約3,597km

読書 堀江敏幸「回送電車」中公文庫

自分が最も影響を受けた随筆家は、多分、山口瞳だと思う。そこに「こうあらねば」を見たのではなく、「こうであっても良いのか」という発見があったように思う。大家相手に生意気な。ま、誰も気にしないだろうから良いか。しかし随筆というものが堀江敏幸的でなければならなかったとしたら、私は自分で何かを書こうと考えなかったかも知れない。賞賛にしては書き方がおかしいか?


'08.7.9  随筆 

エコとテロ

 「なべてこの世はラブとジョブ」と書いたのは今をときめく長嶋有だが、この半月ばかりの日本は「なべて日本はエコとテロ」というムードになっている。

 言い間違えて「エロとテコ」なんてニヤニヤしてる場合ではない。そんな奴は酔っぱらった私くらいか。

 いやしかし、エロはともかくエコへのテコ入れの方は相当なもので、ラジオもネットもメディアはおしなべてエコエコと、何やら黒魔術の呪術の様に唱えている。私はテレビと言えば子供のアニメとNHK朝ドラ以外はニュースしか見ないのであるが、どこも「ナショナルジオグラフィックチャンネル」かと思う様な番組ばかり。まあこれも祭りという訳か。その方が番組の企画書書きやすいものね。

 私の様に色眼鏡で(実際掛けているが)物事を斜めから見ている(あるいは斜め読みしている)ひねくれ者は、まあ聞き流してしまうのだけれど。

 だもので、余計に「今、テロ支援国家解除かよ!」と違うニュースに突っ込んでみたりするのだが、ニュースの順番はその次が増税で次が産地偽装ウナギだから、なんかどれもニュルニュルと曖昧に逃げられてしまいそうで厭な気分になる。

 そもそも私は正義ほど怪訝なものはないと考えているので、こうも大上段で、こうも大合唱だと、自分くらいは違う方向を向いていなければなどと考えてしまう。正義に支えられた悲劇ほど笑えないものはない。

 もっとも、世界一正義の好きな某国は人様の正義はお好みでないらしく、エコにはエゴに応える姿勢らしい。テロ支援国家解除の話にしても、鯨肉略奪テロ団体の話にしても、実は一線上にあるんじゃないかと思えたり。

 話変わって、健康だしエコだし増税だしが一線上でたばこ税も増税。まったく一息も付けんのかね。その上タスポで利権だし。もっとも自販機は全く利用しない私なので、人様の利権のために苦労させられることもないのだが。

 後段「利権」と「正義」は入れ替え可能なので各位でどうぞ。


'08.6.28  随筆 

借金

 「若い頃はいくら借金してもいいんだ。あとでいくらでも返せる」。というのは、私が学生の頃に働いていたバイト先の店長の台詞だった。そこは有名ホテル系列の喫茶店だったし、時はバブル経済絶頂期であった。それにしてもあの人は当時いくつだったんだろう。えらいギャンブル好きで、時間が空くと近所のパチスロ屋に入り浸っていた。背も低いが腰も低く、それでいて目つきは悪くてどこか狡賢そうな人だった。しかしそれよりも恋人が長身で非常に美人だったことの方をなぜか印象深く覚えている。

 「借りてまで使うな」という様な金言を居酒屋のトイレなどで見掛けたりするが、まったくもって耳が痛い。倹約家だった祖父が今の私を知ったらお小言では済まないだろう。

 借金と言えば内田百けんだが、あれは結局清算できたのだろうか。余計なお世話か。多くは若い人を集めては振る舞いをしたためという話が「恋日記」の後段、長女によって書かれている。ちなみに私は、仲間と集まっての自宅庭での焼き肉をするにしても、会費制だからそれで借金まではしないな。そういう話じゃないか。そういえば今年は久しぶりにと考えてはいるが、その前に庭正面の居間とDKの整理かと思うと面倒臭くなる。その話もまあいいか。

 「何でもお金を使う方にものを考えないで」という金言(小言?)は妻のものである。小さい割に妙に密度の高い手製弁当を食べながら思い出す次第である。

 世間はボーナスの時期であった。私もありがたくも一応いただいたが、とりあえず借金を返し、ツケを払いに酒場へ行き、そしてまた酒を呑む。高い店で高い酒を呑んでいるわけではないが、なにせ量と回数があり過ぎるのである。

 ところで冒頭の話に繋ぐのだが、借金は確かにそのうち返せるかもしれないが、あまり呑み過ぎると、違う勘定書が回ってくる。これは支払えないことも多いらしいので、できれば回ってこないでくれればと切に願う次第である。


過日出た健康診断の結果。ここ4年ばかり続けて健康なのである。2年前に始めた自転車のおかげという訳でもないという辺りが何とも。

'08.6.24  随筆 

酒助平とガールズバー

 「行きましたか? ガールズバー」と話題を振られることが、なぜかこの一月ほどの間に2、3回あった。

 最近流行の「ガールズバー」と言えば、単に「バーテンダーが女性のショットバー」ではなくて、「女性がカウンターの中からお客を“往々にしてセクシーにもてなす”バー」のことで元々守備範囲外である。

 「隣に座らないだけのキャバクラ」という言い方をする人もいる。大概タイムチャージも付く。しかし法律上は明確に違い、隣に座る「接待」は「深夜酒類提供飲食店」として届け出ているガールズバーには認められない。

 それだけ書くと普通のスナックやパブの類と違わない様でもある。地元の“H”もカウンターの中に女性が立ち、話をしたり、お酒を作って貰ったりする。態度はともかく格好はややセクシーかもしれない。また単に「バーテンダーが女性のショットバー」というのは、新宿3丁目によくあり、以前たまに名前の出ていたHENRY'S BARなどがそれである。そういう店はバーテン目的で行って店が忙しくても適当に映画とかが流れていて場がもつ様になっているのだとか。

 そんな事を教えてくれた某メイドバーマスターによれば「キャバクラもそうだけど、ガールズバーとかああいう店は行き慣れてる人の勝ちですよ」とか。「女の子が面白がりそうな話題とか巧いし、男の店員とかも呑ませてやったりして店の対応も違う」のだとか。いや、だから勝ちも何も行くなんて言ってないじゃん。

 つまりまあ、キャバクラやガールズバーと、単に女性の接客する酒場というのの違いは、客の目的が擬似的に店の女性を口説く事であるかどうかであって、届出や格好の問題ではないということらしい。

 では検証のために現地へ…という気は起きない。擬似的に女性を口説くというのはひたすら消耗するだけという気がするし、そもそもあまり旨くない酒にわざわざ高い金を払う気にならないのである。

  単なる「酒助平」なのか。


父の日のことだが、娘達からカードを貰った。5歳のもんちゃんはうまく「ゃ」が書けなかったらしく「おとうさん かんし してます」と書いてありドッキリした(笑)。

'08.6.20  随筆 

夕暮れにバーへ向かう

 得意先での打ち合わせが6時半に終わったので直帰にする。ホームに降りて山手線に乗り、棚に上げた鞄から文庫を取り出そうと顔を上げると、車窓を流れる風景がまだ明るい。ビル街の景色を眺めながら、陽の差し具合だけを自宅近くの情景に置き換えてみる。

 いいな、こんな具合で家の近くにいられたら。かなり本気で思うのだが、ここから自宅までは1時間半。帰り着く頃にこのままということはありえないだろうし、実際山手を1/3周するうちに段々暗くなってくる。混んでぐしゃぐしゃの車内で揺られながら、このまま帰ってもこの明るさじゃないと思うと、そこでうんざりしてくる。

 で、今何時何分だろうと、ベルトに付けた携帯電話を取り外して時間を見る。すると自分と並んで立っている乗客がみな同様に携帯電話を手にしており、何やらとても間抜けに感じて、時間の確認もそこそこに元に戻してしまう。

 そういえば腕時計をする習慣がなくなってから随分と経つ。時間を見るだけなら携帯電話で充分だし、携帯電話は必ず持つので、それでなくとも鞄の重い私なので機能の兼用できる物はなるべく持ちたくない。デジカメも持たなくなったし、モバイルSuicaがあるので財布すら持たないこともある。私の財布は中身が軽い割に物理的重量がある困ったアイテムだ。

 ところで、知り合いに「ビジネスマンたる者、腕時計を必ず腕に填め、中身がなくても鞄を持たねばならない」という信念の男がいる。一つ違いなのだが、新入社員の時に尊敬する上司から言われたことなのだそうだ。それがダンディズムというところか。わからないではない。そして彼は多分、部下にも同じ事を言っているだろう。

 iBookが2kg以下だったら私も腕時計とシステム手帳くらい持ち歩けただろう。だなんて考え方がちっともダンディではないな。


余談。過日のバッテリー紛失未遂の時に分かったことだが、携帯電話が壊れた場合にモバイルSuicaのチャージ済み分の扱いは恐ろしく面倒なので覚悟されたし。記録をサーバに一時預けるのだが、既登録端末からでないと行えないのだ。つまり壊れたら直すしかない。酷いな。

'08.5.28  随筆

学校公開日

 先週末は娘の通う小学校の学校公開日だった。「授業参観」や「公開授業」ではない。調べても厳密な言葉の定義を見つけられなかったが、我が市では字面の意味通りに授業を親に見せるだけではなく地域の人も含め広く学校全体を見せる行事になっている。

 私は娘の小学校の卒業生でもあるので当初は色々懐かしさや珍しさがあったが、保護者会や個人面談やら年に2回は何かと学校に行く機会があり既に色々見ている。なので教室以外の施設はあまり見なかった。そんな次第で、他の父親の様に担任から「失礼ですが、どちらのお父さまですか?」と訊かれもしなかった。結局2コマをフルに見て、給食当番兼日直の娘の活躍を見てから退出した。

 途中、今回の目的の一つである、いちいち娘に喧嘩を売る娘というのを探す。名札はないが、屋外観察では自由グループ毎にまとまるので、その子の仲良しグループを見つける。しばらく見ているとその中の見知った子が「あ、ミルのお父さん」と声を掛けるので全員に「こんにちは」と声を掛ける。その子だけそっぽを向いて無視。親がいれば話しかけようと思うが不在。でも、こういうところからだなと心に思う。

 ま、それは一部で、大半は娘に同行する仲良しグループの方にくっついて諸々話をしながら1コマを過ごす。なんとなく娘の立ち位置を確認する。

 最後が「セーフティー教室」という授業で、ゲストに地域での安全な生活について話して貰うというもの。元婦警の駄菓子屋さんが万引きについて話したがこれがちょっと…。障がいのある子が無邪気に発した質問「わかりにくいなぁ。万引きは何が悪いんですか?」に本質で答えていなかった。窃盗罪とか鑑別所とかの結果はリアルではないし悪いことの説明にはならない。店にあってもそれは「みんなの物」ではなく、誰かの物を盗むことが許されては、私たちはちゃんとした生活ができないのよ、位は言って欲しかったがボランティアの限界か。残念。


読書 和田 竜「のぼうの城」小学館

歴史小説の類はもっと齢を重ねてからで良いと考えていたし、そもそも興味が湧かない。しかしこれ、面白いな。何かの書評で興味を持っていたのだが、妻が図書館で借りてきたので速攻読んだ。冒頭十数ページの伏線というか予備知識の章では読む気を挫かれるが…。あとでこの作品が元はシナリオであったと聞けば、この部分はモノローグ(それもイラスト)かと合点がいく。読めば、気高きでくのぼうという主人公だけでなく、周りの重臣がいちいちマンガチックな程に個性的でドラマ向き。NHKの特番で希望。ジャニーズ抜きで。<無理か(苦笑)

→公式サイト


'08.5.19  随筆

週末

 勤務先の正面のビルが長いこと解体中なのだが、既に更地となっている場所の上空を、この数日2羽のツバメが旋回しているのをよく見掛ける。「(解体したビルに)巣でもあったかねぇ」と会社のM嶋さんと話す。勤務先は4階にあり、ツバメ達の飛んでいるのは眼下となる。本当にいつまでも同じ場所を旋回しているので、いつの間にか無くなった巣を探しているにしては長過ぎやしないかと思うのだが、焦って探しているというよりは、茫然自失でただ旋回している様に見えてきて、ここしばらく続く天災で家を失った人々のことを思ったりする。

 いや、仕事に戻らないと。

 で、仕事が終わり、久しぶりに82 Ale houseに寄るが、時間が早いためか枝里姉店長は不在。いつものバイト嬢(いまだにハロウィンのセーラー服仮装姿が印象に残る…)にいつもの地ビールを頼もうとしたが、サーバーは違うビールに切り替え中だった。「会津ビール ベートーベン」は人気メニューだったはずだが、やはりローテーションはあるのだなと思っていると、訊けばそうではなくてメーカーが潰れてもう入ってこないのだという。82は大きなグループ企業の店だからそう簡単に潰れるメーカーとは取引しないものだと思うが、そこは地ビールだしな。ベアレンの様に事故があっても復興するメーカーもあれば、いろいろだなと思う。

 で、何とか快晴の週末を迎える。

 もんちゃんの保育園の親子遠足で井の頭自然文化園へ。通勤時には自転車でも15分で着く吉祥寺だが、一家ではさすがに40分掛かる。予定外の開園記念日で入園無料のため結構な人出となっていた。卒園児である上の娘は会う人ごとに「大きくなって」「可愛くなって」と言われる。

 その大きくて可愛い娘のためだから続けられた父母連役員、とまで言う気はなく、実際のところ栴檀林にせよ何にせよ、私はサークル活動が好きなのである。そしてその任期も先週末で終わった。


リアルエールで献杯?


もんちゃんを見つめるもんちゃん。

お疲れ様でした。ここに書いても見ている人もいないか(笑)。

読書 高千穂遥「自転車三昧」NHK生活人新書

少し前だがつぴぃさんのところで取り上げられていたのでまた(笑)。「ロードに乗るには(目標ではなく)思想が必要」は、「悟りのための座禅は座禅にあらず」ということか。物寄りの話題では「パパチャリに懐疑的」に同意。駅前の無料駐車場に5万円の自転車なんて停めないし、駅前に乗って行けない自転車は生活に使えない。「走りながらの給水」はしてしまうんだよな。自転車レースを全く見ない私なので憧憬ではないし、周りに人がいない時に限るとはいえ確かに危ないと言えば危ないか。感覚がクルマなのかもしれない。バイク乗りは飲み食いしながら走らないものな。ところでジャンルによって名前を使い分ける事はあるものだが、同じ場所で同じ方向の事を書いてもハンドルネールが違うのはどういう使い分けなんだろう、とこれは高千穂氏のことではないが。


'08.5.8  随筆 

「公立中学校の裏側-世にも奇妙な教育業界最前線物語」
読書 為我井道夫「公立中学校の裏側-世にも奇妙な教育業界最前線物語」飛鳥新社
 小4の娘の保護者会は役員が抽選ではなく立候補で決まる。美談やモチベーションが高いというのではなく、ご当人は「中学受験をさせるから役は今の内に」とか言っていた。じゃあ高学年になったら親子して行事は欠席して協力もしないんだろうなぁとか想像したり、いかにもそういう感じの親だよなぁとしげしげ眺めてみたり。そもそも保護者会中私語が絶えない様では推して知るべし。まあいいや。

 話変わって私が中学生だった30年近く前の話、「金八先生」やら「ツッパリ」やらが流行していた。実体があったから流行ったのか、流行っていたから真似ていたのかは知らない。しまいには「悪そうに見える奴ほど実は良い奴」みたいな風潮になって、私のような典型的優等生にはえらく迷惑な話だった(半分嘘です)。それでも私学なら快適だったろうなとは考えなかった。中学校というのはこういうものだと思っていた。

 さて本書。現役中学校教師による内部告発風。何やらもっともらしいタイトルだし、オビの「こんな現実を知ってもなお、子供を公立中学に預ける度胸がありますか?」を見て、私なぞは「バー通いをやめれば、あと3年で入学金は何とかなるだろうか」と考えてみたりするが、内容はタイトルほどには下世話なものではなかった。

 義務教育は“ちゃんと”やって下さい。と、教師と親を含む全ての大人に言っている。脅すのではなく時には可笑しくさらりと読ませて考えさせる。義務教育は大人の義務。その事について考える人とその子供は、その先も、そうでない人とは違うのだろう。

 ところで、マイナーだが最近よく見かける出版社だと思ったら「夢をかなえるゾウ」の出版社だ。この手の本というのは実際の執筆はライターが行うのが大半だと思うが、知り合いの中の人によればこの本は為我井氏ご本人が執筆しているそうだ。中学校の理科教師がこんなに文章が上手くてどうするのだろう。余計なお世話だが。