随筆/日記
公文書

'07.8.29  随筆

キリン「ハートランド」を求めて・2007夏

 「一番好きなビールは?」と訊かれたら、私の場合はやはりキリン「ハートランド」と答えるだろう。このサイトを立ち上げたばかりの頃だから9年ほど前だが、その頃にも「ハートランド」の話を書いている。大樹がモールドされたグリーンのボトルを当時はケースで購入していた。建て替える前の家はテラスに小型冷蔵庫を置いていたが、その中は全部「ハートランド」だった。生前に祖父が書斎で使っていた籐椅子を庭に置き、そこでよく呑んだのだった。そういう諸々の記憶も含めて、私にとっては最も心地良いビールである。

 ちなみに「ハートランド」を酒屋の店頭で見掛けることはほとんどない。酒場への卸がメインなのだ。店頭で見掛けないのにこれだけ長く作られているビールというのは他にないのではないだろうか。

 ところで先日、ひょんなことから「ハートランド」を出している酒場を探すことになった。キリンはサイト上で取り扱い店を紹介しており、そこで行き当たったのが「No Kiddin'」だった。

 最寄り駅新橋でサーチしたが実際には虎ノ門駅の近く。オフィス街に隣接した、焼鳥屋ばかりが並ぶ一角の裏手にこじんまりとある。海外SFのフィギュアが並ぶラックを初めSF調の内装と相まってちょっとG街や恵比寿辺りのバーの様である。

 実はドラフトを期待していたのだが瓶で出てきた。訊くと「ハートランド」好きのお客は瓶を好むことが多いとか。ただし季節によって変えることもあるそうだ。しかしバックライトのテーブルに置かれた瓶は確かに綺麗で、これはこれでなかなかに良い。都合3杯とドラフトの「ブラウマイスター」1杯を頂く。

 ドラフトと較べて瓶は鮮度が落ちるのではないかという危惧もないではないが、いずれの瓶もケースではなく小口で仕入れているためこの店でそれは杞憂。ビール好きの店主、木戸さんの目がしっかり行き届いている。

 これでもう少し行動範囲に近ければ通うんだがなぁ…。長寿と繁栄を。


ハートランドビール
「キリンハートランド」(「出口らしきもの」コンテンツ内)
「No Kiddin'」(リンク先はキリンビールサイト内)
場所は東京メトロ銀座線虎ノ門駅1番出口を出た表通り(外堀通り)から2本奥。看板は目立たないが2階に上る白い階段に点滅するブルーLEDが目立つ。

'07.8.24  日記

風呂修理 夏休み番外編

 夏期休暇の初日に私がまずやったことは、多摩川へ走りに行くことでも庭でビールを呑むことでもなかった。まあどちらをするにしても暑過ぎたが。風呂修理をしたのである。風呂掃除ではなく、修理。

 バスタブ外周のパネルが内側に傾いてしまったのだ。以前よりぐらついていたのだが、寄っかかって子供達を洗っていたら「バクン」とめり込んでしまった。パネル固定の大まかな構造は知っていたのでとりあえず外す。するとパネル内側上端をバスタブ側から支える金属の爪が根こそぎ取れていた。と言ってもこれ、ステンレスの金具がFRP製のバスタブに接着されているだけ。金具も曲がっていたが、接着部が割れていた。いずれにしても場所をずらして付け直せば問題ないだろう。元の接着部には少し気泡があるのでポリパテかとも考えたが、FRPとの親和性からエポキシ系で付けるのが妥当だろうと考えた(後で画像見直し、この色はエポキシと納得)。ただ、組み付け時と違いバスタブの方は動かせないから、逆さまに固定しての作業効率も考えないとならない。結局エポキシ接着剤を付けて強力テープで固定し、硬化後周りにエポキシパテを盛って成形した。

 「それは業者呼ぶでしょう、普通」と妻に言われた。確かにそうだが、ひとつには、見る限り自分の技術と道具で何とかなりそうな物はなんとかしたい性格なのである。そしてもうひとつには、バラした風呂を見て思ったのだが、ここはあまり他人にいじらせたくないなぁと思ったのだ。バスタブの下回りは結構汚い。それでも家族の物だから私は良いのだが、これを業者とは言え他人には見せたくないなぁと。

 実用強度が出るまで数時間。やはりちょっと走ることにして、五日市街道から羽村堰を目指し、多摩サイで帰ってきた。帰宅後はビールを呑みながら組み立て。5連休も後は旅行や外出の予定が詰まっており、家のことをしたのも自転車に乗ったのもその日だけだった。ビールは毎日呑んでいたが。


前面のパネルを外した状態。


金具の曲がりは金属台の上で叩いて修正。


手前茶色いのがもげた跡。奥が付け直した爪。


読書 吉村葉子「お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人」
講談社文庫

半年に1冊位は、読んでいる途中で「あれ? なんでこれ買ったのだっけ」と分からなくなる本がある。とりあえずこの本がそれ。あとがきで筆者が読者を「貴女」と書いている。私は対象読者層には含まれていなかったのだから当然だろう。唯一のシンパシーはブリコラージュ(日曜大工)だが、それとて「法外に高い人件費」を払わないための「趣味と実益を兼ねた」行動な訳だから私とは違う。う〜ん。つか敵性国家だしな。<おい


'07.8.22  日記

「モリオカ」はロシア語風か? 夏休み後編

 今回の夏休み小旅行、もう一つのテーマが「NHK朝ドラ『どんど晴れ』」である。NHK朝の連ドラの中でも空前のヒットという訳でもなく初回は過去最低の視聴率14.9%だったが、その後は順調に伸びて8月は週1回以上は20%を越えているとか。そのためか地元での観光キャンペーンもそれなりに盛り上がっているように感じた。

 それを一番実感したのは、劇中で主人公お勧めの名所として出てくる「岩手山と小岩井の一本桜」を見に行ったときのこと。うちは半日小岩井農場まきば園で遊んだ帰りについでに寄ったのだが、開花時期でも何でもないこの季節にわざわざクルマに乗って桜の木を見に行く理由などないだろうと考えていた。ところが薄曇りで小雨ぱらつく日だというのに近くの駐車場には次々と観光客が訪れていた。岩手山自体はそんな天気なので残念ながら見えなかった。ここは小岩井農場の私有地で、劇中の場所はもう少し奥であり同じ景色は望めないのだが、それでもみな柵の前で記念撮影をしていた。いや、うちもしたのだけれど。

 2泊の宿はそれぞれめりはりのあるもので、国民宿舎然とした1泊目と、2泊目の温泉旅館の料金は3倍差があったという。部屋の面積も4倍差以上あった。しかし夜中に共同トイレへ娘を抱えていくのもそれはそれで面白かった。温泉旅館の方は、実はベアレンの限定ビールを扱っているということでここにしたそうな(間違えて前回載せてしまった)。ブルワリーでも買うことが出来ないという。

 盛岡までの往復は新幹線。松任谷由美の歌った様に「モリオカ」がロシア語のように聞こえなかったのは、それが機内アナウンスでなかったためだろう。いずれにしても自分にはロシア語には聞こえんが「イーハトーブ」じゃ歌詞にならんしな、などと阿呆なことを帰路の新幹線車内、寝転ける娘の顔を見ながら考えたりした。

『どんど晴れ』公式サイト


向かいに駐車スペースが整備されているが、他には何も無し。

読書 エーリッヒ・ケストナー作 高橋健二訳
「ケストナー少年文学全集6 ふたりのロッテ」岩波書店

夏休み最終日に劇団四季の「ふたりのロッテ」を観に行ったのだが、ストーリーや設定をすっかり忘れており、観た後だが細部の確認のために図書館で借りた。しかしこれを読むとだいぶ違っていた。それにしてもこの本はあまり子供に読ませたくない。なにせ訳文が酷くて文学として成り立っているとは思えないのだ。1962年初版ということを差し引いても、首を傾げてしまう日本語が多い。いや、そんなに古くもないな。観る前に読まなくて良かった。


'07.8.20  日記

「モリオカ」はロシア語風か? 夏休み前編

 久しぶりに旅行をした。と言うより単なるお供に近い。こういう事に関して私はかなり役立たずである。旅行の日程や行程を決めたり実際に切符を手配したりという能力に関して、私には大人として致命的な欠陥があるように思う。ほとんど全ては妻任せで、私に出来ることは現地へ行ってからの荷物持ちか子供背負い程度のことである。

 雫石・盛岡に二泊三日。テーマは「ベアレン醸造所とNHK朝ドラ『どんど晴れ』撮影地巡りの旅」といったところか。

 「ベアレン醸造所」は妻が取り寄せを続けている地ビールメーカーで、盛岡駅からクルマで10分ほどの所にブルワリーがある。ブルワリー内に設置された100年前の仕込み釜やモルトミルなどのビンテージ設備の多くはドイツから移設したものだそうだ。これらを駆使し100年前の製法で本場のクラシックビールが造られている。旅行中はレンタカーでの移動となったが、この時はさすがに私がハンドルを握り、出来立てのビールの試飲は妻に譲った。「昼からビール飲むとこたえるね」というコメントは、休日の度に昼からビールを呑んでいる私への嫌味、とはとらない様にしておこう。

 「ベアレン醸造所」のネット通販では地元の有名店の商品がいくつか紹介されており、その内珈琲専門店の「機屋」とレストラン「ボンズ」も巡ってきた。食の方にはあまり関心の向かない私なので、味そのものについては他の見識ある方のコメントを探されたし。「機屋」はいかにも珈琲マニアの店という感じだけれど、程良いクラシカルさが心地良い店。「ボンズ」は決して悪くないが、店員が“ファミ・コン言葉”(「よろしかったでしょうか」とか「〜になります」とか、あれ)全開なのが残念だった。そこを気にするのは職業病か。

 地方の店や企業が協力し合って情報を発信していくのは難しいが大切な事だと思う。うちの様な旅行客は珍しいだろうか。そうでなければ成功なのだが。

ベアレン醸造所
自家焙煎ねるどりっぷ珈琲・機屋


醸造所というより博物館という風情のベアレン醸造所。


鶯宿温泉限定の温泉ビール。「クラシック」に近いが、より苦みがある。

'07.8.10  随筆

オリジナル・カクテル

 一人でバーを呑み歩く奴はカクテルの蘊蓄でもつまみに呑んでいるのだろう、と揶揄されることがあるが、私はあまり面倒臭いレシピのものは頼まない。若い時は色々試したし、生意気盛りはレシピを覚えて面倒な物をわざわざ頼んでみたりもした。

 しかしここ十数年は、馴染みの店ではロックスタイルでウオツカを割る物の名前しか言わない。「ディタで」とか「イエガー(マイスター)で」とか。

 ちなみに「カルーアで」を頼むようなら、それには「ブラックルシアン」という名前が既にあるのでそう頼めば良いが、他の物には名前がない。しかし「イエガーで」で済むのでそれで頼んでしまう。実際ある店のバーテンと何か名前を考えたのだが結局定着しなかった。

 例外的に定着した物もあった。何かしら原型のある場合である。

 「アフターミッドナイト」はウオツカベースでクレームドカカオのホワイトとジェットのグリーンを使うカクテルだ。しかしwalk in bar MODでは数年前からカカオはブラウンしか置かなくなったので、これで作ると色が薄いグリーンではなくオリーブドラブの様になる。なのでこれは「迷彩色」と呼ぶことになった。確か命名はバーテンI君だった。

 最近は「ウオツカ・マティーニ」を無性に呑みたくなることが多かったのだが、オーセンティックバーでもない店でいちいちあの手間を掛けて貰うというのが、頼む側のくせに煩わしい。正確にはオリーブをつまみにウオツカを呑みたいだけなのだが。bar black lungではビルトでオリーブは別添えにして貰った。ウオツカマティーニが見た目別の物に偽装したようなカクテルなので「スコルツェニー」*にした。しかし響きが気取っており、自分で付けた名前だけに頼む時ついつい照れてしまう。

 この2種に関しては、私以外の方が注文しても店主がいれば、出てくるだろう。


「スコルツェニー」フリーザーから出したてのウオツカにベルモット。その後の杯数予定から、弾が何発かを概ね決める。

*オットー・スコルツェニー:第二次大戦「バルジの戦い」で米軍に偽装して後方攪乱を図った「グライフ作戦」で有名な独の武装親衛隊将校。

読書 重松清・渡辺考「最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙」 講談社文庫

<大きな言葉/小さな言葉>から始まる“言葉の旅”。大本営発表などの<大きな言葉>と、前線の日記の中で兵士がふと漏らす<小さな言葉>。歴史は<大きな言葉>に動かされるが、私達の心は<小さな言葉>で綴られている。私が子供の頃から聞かされていた戦争も、考えてみれば多くは<小さな言葉>であった様に思う。しかしこの本の後半、兵士達の日記を読んだ現代の若者が、肝心と思われる部分が「わからない」と言う。「『この地で苦しむことによってご恩返しをします』ってあるけど、どういう意味?」。<大きな言葉>の意味も知らなければ、戦争を知ったことにはならないという事だと思う。自分達の受けてきた教育は、やもすれば自虐的歴史観というバイアスの掛かったものであったり「正しさ」に欠けると常々考えてきたが、もっと大きいのはこの<大きな言葉>に対する理解の不足であるようにも思えた。大陸や半島からあれこれ言われようが、「なぜ(したか)」を学ぶ前に「なに(をしたか)」を認識はせんだろうと思う。それこそまず「教育勅語」について学ぶべきではないか?


'07.7.31  日記

怠惰な日曜日

 珍しく持ち帰った仕事が昼に終わらず、結局家族が寝てから続きを始めて陽が昇り始めるまでかかってしまった日曜の朝。これがなければ早起きして多摩川でも走るかと考えていたが、徹夜明けで酒も呑んでいて(後半単純作業だったんで…)さすがにそれはないなと一眠り。朝から降るはずだった雨はどこへ行ったのか、あまりの暑さに目を覚ました。

 2階で布団を干していた妻が「どこの空き地かと思った」と言うほど庭が荒れていた。なにせ週末毎に雨で、そうでなければ走りに出てしまうのだから無理もないか。そんなことで思い立って芝刈りをすることにした。

 土地の開発をしていて遺跡に突き当たると開発が停滞してしまうという話があるが、我が家の庭ではその遺跡にトマトやらシソがあたる。芝地に何かが芽吹くと、母から不可侵の指令が下るのである。いつぞやのノビルは、育っておりすぐ食に供せるということもあって強制退去とした。しかしプチトマトはそうもいかず、1畳半程の芝地が畑となってしまった。

 芝を刈る前に雑草を丁寧に抜かなければならないのは承知しているが、圧倒的な量の上に伸びきった芝に阻まれ、結局一緒くたに全部刈ってしまうことにした。45リッターが4袋満タン。汗だくで午前中を過ごす。

 午後は髪を切って、帰路に少し走るかとRC20で出掛けたが豪雨。完全にずぶ濡れとなったが、ヘルメットのバイザーがあると意外や視界が確保されることを発見。細いタイヤはとにかく滑ることを確認。

 帰り着き、テラスでビールを呑みながら自転車を拭いているうちに晴れてきた。途端に辺りは蚊だらけになり、数カ所あっという間に刺される。

 その後は娘が座布団を並べて作った“お城”を占領して居眠り。何か楽しげな夢を見たはずなのだがまるで思い出せず。いや、実際は見なかったのかも知れない。

今回は全くただの日記。日記と言っても一昨日の話だが。


管理外ドメイン(農水省[母]管轄)のプチトマトを前に停まってしまった国交省[私]管轄のサッチー


濡れたので物干しで乾かす。ではなくてメンテスタンド替わりで、この後に後輪外した。当たり前だが使いづらい。

'07.7.26  随筆

朝の道

 すっかり夏休みの時期となったが、学童クラブに通う小3の我が娘は、クラブ室のある学校へ毎朝通う。開所時間の都合でいつもより30分遅く家を出るが、家族を送り出してから自分の用意をすることの多い私にとってはなんとも調子が狂う。うちと駅と小学校は三角形の点の位置関係にあるのだが、それでなくとも数の少ない学童クラブの子供達が登所する姿は街中他に見当たらないので、私は娘をクラブまで送ってから駅に向かうことが多い。

 意外に歩くの速いなと思うこともあれば、たらんたらんと前に進まないこともある。身長は130を越えており、かつてはぷっくりしていたのが、いまやすっかりすらっと手脚の長い今様小学生である。

 私の都合で通学路をショートカットするためにガードレールのないところも通る。その部分は手を繋いで歩くのだが、この気温なのですぐに汗ばむ。車道から離れたところで鞄を持ち直すために「ちょっとごめん」と手を離すと、娘は掌を鞄で拭った。しかし表情はあくまで「汗かいちゃったよ」という程度で、厭そうな感じではない。しかしこれもずっと先までということもないだろう。こちらも「へへへ」と鞄で手を拭くまねをする。またガードレールのない歩道になり、手を差し出すと自然に躊躇いなく握ってきた。

 クラブ室に送り届けて指導員の人に挨拶をする。「行って来ます」と私が声を掛けても応えない娘に指導員の人が注意をすると、「行ってらっしゃい」と口だけ動かして、舌を出したかと思うとクラブ室に入ってしまった。

 家にいる時には何かというと「挨拶を返さない」などと叱りつけてしまうが、こちらに余裕があるときには“返さないなりに返している”ことに気付くこともあり、そういう時はこちらもとやかく言わないのが殆どではある。しかし全て必ずその様に出来るわけでもなく、その辺は子供相手だが申し訳ないと思っている。


'07.7.20  随筆

尤も(もっとも)

 ワープロの普及によって文字の書き間違いはなくなったものの、使い間違いが激増したという話は言われて久しいことだが、確かに知りもしない漢字が勝手に出てくるのだから仕方がない面もあるだろう。あるいは思いがけず出てきた漢字を、それと気付かずに使ってしまうこともあるのかもしれない。

 もっとも、「もっとも」を「尤も」と打っている人には滅多にお目に掛からない。字面が馴染みのない物だからだろうか。ちなみに私は学生の頃に好んで使っていた。まだ学校のレポートをワープロで出すことの可否すら定まっていなかった様な昔の話で、当然それは手書きだった。大抵は読めないのだが、通じなければならないのに通じなくても良く、むしろ通じないくらいが格好良いのだというつまらない美意識がとても青臭く、そしてとてもその年頃らしかったという気がする。

 もっとも、では実際に人の目に触れなくて良いと考えて文章を書いていたかというと、当然そんなわけはない。それどころか同人活動なんかをしていたので、書いた物が人目に触れる機会もあった。「尤も」という書き方をすることに対して、「それなりに文章を書いていこうとする人の書き方ね」というコメントを年上の女性から貰い、まだ高校生だった私は浮かれた気持ちになったものだった。

 もっとも、今はさすがにそんな書き方はしない。「尤も」の字面の唐突さが使いにくいということもあるが、言うまでもなく自分の青臭さに対峙する気持ちになってしまったりするからである。

 もっとも、私の文章には言葉として表出する以上に今も「尤も」が多く、私はものを考える順序自体に「尤も」を多く抱いているようで、文字の問題ではなく、その辺からして実はとても青臭い感じがする。


読書 重松 清「くちぶえ番長」新潮文庫

今は作家となった「ツヨシ」が小学四年生の時に分かれたきりの思い出の少女マコトについて綴る。まいったなぁ“直球・重松”である。この話なら、小3の娘でも読めそうだし、夏休みに読まないかなぁと思う。ところが最後に初出を見たら『小学四年生』だった(笑)。


'07.7.10  随筆

所作

 「所作」というのはそれに合った立ち居振る舞いのこと。という様なのが少し前の携帯電話の広告コピーにあった。強調のためか辞書風で、そんな風に説明するようなことかと思えど、ひょっとしたら既に死語なのか。平生使われているのを耳にしない。

 その広告では携帯電話を扱う際の所作について書かれていた訳だが、梅雨も本格的となったこのシーズン、そろそろ目に付くようになる扇子については所作自体が死に絶えているかもしれない。というよりあれか、洋服に合う扇子の所作というもの自体が確立されないまま現在に至っているのではとも思う。

 まずは扇ぎ方。着物であれば片手を少し上げて袖口から中を扇ぐのが所作であろうが、洋服でそれは当然できない。袖の釦を外したところで中を風が通るでなし。それにしても顔面を正面から扇ぐのはみっともないと思うのだが何とかしようはないものか。

 そして仕舞い方。袂に入れるか帯に刺すのが正しい気がするが、洋服ではどうしたものか。無造作に尻のポケットに刺すのも良いが、座席に座って落とすくらいはまだしも、下手をすれば折ってしまいかねない。私は帯に刺すのに倣い腹の辺りに差し込んでいたのだが、どうもね、絵にならない。試しに背中の辺りに刺してみると、意外に収まりが良い。もっとも気を付けていないと椅子に座る時に腰で潰してしまうのは尻ポケットと変わらない。いずれにしても洋服向きの寸法ではないのだ。持ってみれば分かる。いちいち持て余す。メーカーはなぜ洋服にフィットした寸法の扇子を作らないのだろう。

 この季節、扇子以上に所作の気になる小道具が傘であるが、これは私もさんざん書いており、腹立ち紛れにろくでもないことを書いてしまいそうなので控えておこう。振り回しながら歩く愚行に歳は関係なく年輩者でもマナー最低の人は多い。こういうお馬鹿は戦争へ行っても銃口を振り回して仲間のケツを撃つことであろう(非現実的な例え話)。


'07.7.6  随筆

忘れっぽい人はよく恋をする

 今夏仕立てたスーツが上がってきた。「ドーメル」のカーキ色の生地で、ざらっとした肌触りが夏っぽくて良い。もう少し緑寄りの色が欲しかったのは、今着ているモスグリーンの「セルッティ」のスーツが多分今年で駄目になるからだが仕方ない。スラックスのポケット脇が擦れていてみっともなくなっている。正価9万くらいのスーツというのは私にとっては高い方であるが、高いのと保ち具合とは残念ながら関係がない。

 シーズン3着ほどで回しており、古い物は残っていない。スーツは大概5年前後で着潰してしまうからだ。毎日着ると言ってももう少し何とかしようもあろうが、私にはそういう意味のお洒落に対する繊細さが足りないのだろう。たまたま写真なんかに写って残っていたりすると、ああこれは良いスーツだったなぁ、惜しいことをしたなぁ位は思うのだが、ローテーションの数を増やして延命するのは面倒臭いのである。それにほら、シーズンの切り替えに掛かるクリーニング代も馬鹿にならないだろう。

 服のことを書きながら我ながらおかしいんだが、お得意の例え話を書いている気になってきた。やれやれ。

 そういえば昔「これ以上付き合い続けると、お気に入りの服を着潰してしまうみたいに駄目になってしまう様で厭なの」と言って別れ話を切り出されたことがあったのを思い出した。その台詞だけ思い返してみると厭な女だなぁ(苦笑)。いや待てよ、服じゃなくて靴だった。ますます厭な女だ。

 話を元に戻して新しいスーツであるが、折角出来上がってきたのにこう暑くてはさすがに上着は肩に引っかけて持ち歩くのみである。そして今更ながら夏場はスラックスだけありゃいいじゃないかと改めて思う訳である。

 となれば既製品で良いのだしと考えていると、クローゼットに投げ込まれていた安物の黒いスラックスを思い出した。礼服からはぐれた物と思っていたが、どうやら一昨年辺りも同じ事を考えていたらしい。


読書 長嶋 有「パラレル」文春文庫

個の中では過去も現在もパラレルに走っている時間。と思うときもあるし違うときもある。何せ私は記憶力が低いので。「なべてこの世はラブとジョブ」とはけだし名言だが、も一つシュミもあるわなと思ってみたり。いやむしろ…言わぬが花か。


'07.6.28  随筆

ウオツカと焼き鳥

 居間のテーブルを片付けていた妻がズブロッカの小瓶をゴトンと動かし、「これ何?」と訊く。「うん、まあ、貰い物」とだけ答えるが、何やら含んで「ふうん」と言いながらも慌ただしい夕食の用意に戻り、会話はそこで途切れる。「誰から/どうして」はちょっと言えない。

 別段色っぽい話でも何でもない。バーの1週間皆勤賞だからなのだ。と言っても賞品がそれになったのはたまたまその週だけで、他の時は「1杯」だったりする。「(酒屋で見て)こんな小瓶もあるんだと思っちゃいましてね」と店長は言う。ちょっと面白がって買ってきてくれた様だった。確かにこれ、自分では買わないかという意味で賞品向きかもしれない。なぜ買わないかと言うと、どうせすぐなくなるから(笑)。

 こういう事はあまり他言(ブログで書いたり)しない方がいいかなと言うと、「でも他にそういうお客様自体が、いらっしゃいませんから」とオーナーに言われる。まあそうだろうな。交代で店に入る二人よりも店に来ている計算になる。

 話変わって、うちの近所には安くて旨い焼き鳥屋があるのだが、親父さんが引退してしまうことになった。惜しむ声が多かったからか、近くのパブのママが跡を継ぐことになった。たまに話に出てくる地元の馴染み店“H”である。しょっちゅう前を通るということもありついつい買ってしまい、休日は夕食前のつまみが大概焼き鳥となる。人が変わって値段もほんのちょっとだけ上がったが人気は衰えず、夕方はいつも列が出来ている。

 そろそろ一月も経とうかというある日の昼、娘と散歩をしているとママが鶏だんごを手に店を出てきた。帰宅後「焼き鳥屋さんで貰ったんだよ〜」という娘の報告を受けた妻は、「ふうん」と言って私の顔を見るのであった。焼き鳥をいつも買うから、と思っている目つきでないと思うのは、こちらにやましいところがあるからでは断じてない。


読書 井上荒野「森の中のママ」集英社文庫

ある種エキセントリックで魅力的な中年女性の登場人物は、筆者自身を連想させるのだが、主人公は別であるため彼女自身の心情は客観的にしか描かれない。書き手としてそれは難しいことの様にも思うのだが(大概の物書きは“書きたがり”だから)、その書き様はいかにも素人臭いか。ともあれ井上荒野にはもっと多作になって欲しい。もっと読みたいので。


'07.6.21  随筆

愛人の女が男に逢えず無為に過ごす一日

 本欄に載っている文章は、ものによってはストックから持ってくることもある。書き貯めてあるメモから書き起こしたり、書きかけをリライトしたりもするのである。日常の知り合いから「この話、随分前のことじゃなかったでしたっけ?」とか言われることもあるが、そういう事情である。だから本欄は「日記」ではなく「随筆」なのである。「日記」の時はその旨書いてある。

 先日これをと思っていたものを引っ張り出してリライトし始めたところ、まるで書き進められない。何だろうと思ったら、今の自分とは大分違う心持ちで書かれた文章だったのだ。たかが1、2年の間の話である。

 ところで私のiBookのハードディスクは私の机よろしく整然と散らかっている。文章ファイルはまずデスクトップに。次はデスクトップのオフタイム用ファイルをまとめた[DESK_OFF]フォルダ。そして全体のオフタイム用ファイルをまとめたフォルダ[STOCK]へと移っていく。

 この[STOCK]、たまに覗くと面白い。大概は書き散らしてどうにもならず、それでも捨てられずに取ってあるものなのだが、たまに名作(笑)を発掘したりする。

 掌編にするつもりでいながらモチベーションが続かず原稿用紙4枚程度で停まってしまっているものなど、どうしていいのやら分からない。しかし中にはこれは完成させて欲しいなぁというものもある。だなんて書き手が自分であることをすっかり忘れている。自作を名作とか言うのはこのためである。

 愛人の女が男に逢えず無為に過ごす一日だとか、このディティールどういう取材で組み上げたんだっけと自分自身を訝しく思ってしまう。ところが書き始めると自然に入って行けた(気がした)。そういうこともたまにある。

 そんなわけで久しぶりに書いてみている。私から急に呑みに行こうよなどと連絡が入っても、ご婦人の場合は取材である可能性大なのでご注意を(というか誰だそれ)。その前に、この文章自体が半分ストックでした。


人並みな近況。オンタイム用眼鏡を新調。店員が私の緑色好きを随分気にするなと思ったら、彼女自身がカラーコーディネイトの人だった。眼鏡と、ピアスの石と、ツマゲが同じ赤。そりゃ話も合うよな。

'07.6.15  随筆

乳房

 三鬼という昔の俳人の句にこういうのがある。

 おそるべき君等の乳房夏来る

 艶めかしいような、しかしちょっと大胆な感じがしてしまうのは、現代風に想像してしまうからだろうか。ちなみに私が昔の名句なぞ覚えているわけもなく、これはたまたま読んでいた丸谷才一の本に出てきたものである。

 さて夏は女性が薄着になるから良いという主旨のことを言う人がよくいるが、私はあまりそうも思わない。習性上なんとなく見てしまうが、見せられてしまうのはしゃくである。そしていちいちそんなことを考えながら外を歩くと疲れてしまう。外を歩くくらいなら良いが、電車は鬱陶しくさえある。

 ところで以前に、打ち合わせに同席した知り合いの女性があまりにすかすかの服を着ていた事があった。何せちょっと動くだけで胸元やら脇やら背中やらがぱらりと開くのである。真っ正面にそんな格好で座られては落ち着いて仕事の話なんかできない。半ば嫌味を言うくらいのつもりで「"涼しそう"で良いですね」と言うと「女性の特権ですからね」と返された。意味は通じていた様であるし、それはそれで小気味の良い答えである。

 ちなみに、仕事中は厭だが、自分に見せてくれているなら文句はない。普通、ないだろう? というか、そういうことはそんなにないのだが。普通、ないだろう?

 それはともかく男性の方は、いくら涼しげな格好をしても何と言われることもない。クールビズやらのおかげで、ノータイで得意に行ける様になったのはありがたいが。しかしノータイで襟元から白いアンダーシャツが覗くのはなんともみっともないものだ。

 夏用に衿の開きが狭いシャツが欲しいと思っていたところ、得意近くの百貨店の催事がオーダーシャツセール。そこで珍しくリーフグリーンの麻混生地を発見。大して面白くもない額ながら出たボーナスを借金返済と呑み代で潰す前にと、ボタンダウンでボットーニという流行のスタイルで2着作ることにした。催事とは言えシーズン最中に慌ただしいことである。


読書 井原西鶴 著 吉行淳之介/丹羽文雄 訳「現代語訳 好色五人女」河出文庫

これがまあ長い。「好色五人女」「好色一代女」「西鶴置土産」の3編から成るが、ことに「好色一代女」は延々と遊女や大尽の落ちぶれ具合が描かれ、気持ちの暗くなること暗くなること。ところで、いつもなら読んでいる本に文体が影響されることはあまりないのだが、長かったせいか、最近の文章が何やら古文現代語訳調に読めるのも面白いことであった。


'07.6.4  随筆

再会

 終電を諦める時間に馴染みの街に辿り着くのが毎度のパターン。取り敢えずいつもの店を目指しコマ前を歩いていると、自分の前を横切りそうになり立ち止まった相手が顔見知りであることに気付き、反射的につい「お久しぶり」と声を掛けてしまう。相手は一瞬戸惑ってからこちらの顔を見て、表情をやや緩め「あっ? ああ! お久しぶりです」と返してくる。その顔を見ながら、ああそういえばあまり親しい相手ではなかったなと後悔をする。実はそういうことはよくある。忘れっぽいのだろうか。相手は前の勤務先の部署違いの同僚だった。

「あ、なんか分からなかったですよ」と彼。敬語だったか、あんた?
「最近どうしてますか。今もI社ですか」と私。
「ええ、まあ、そんな感じでやってますよ」。

 会話になっているのだかどうだか。何か虚しい気持ちにすらなってくる。深夜の繁華街で会社員トークかという気もする。しかし自分自身も、そういえば彼の今や今までに大した興味を抱いていないことに気付き心の中で苦笑する。要するに話すことはまあそんなものなのだ。つまり、声を掛けた自分が悪い。

「なんか歌舞伎町に馴染んでいて分からなかったですよ」と別れ際言われる。

 馴染んでいると言われればそうだし、そうでないと言えばそうでもないだろう。以前顔見知りに面と向かって言われたこともあるが、「チョイワル」などと言われるとチョイ気分がワルい。意識して装っている気はさらさらなく、歌舞伎町でばかり呑んでいたらこうなったんではとか思うと、そうか馴染んでいるのかとも思う。

 知り合いが街角で“番”をしていたので少し話し込む。するとそれを見ていたらしい“DVD屋”が直後に「DVDのお客さんですか?」と話しかけてきて苦笑して通り過ぎた。いつもパスしてバーに入るところを見ているだろうに。いや、意外に忘れっぽい人が多いのかも知れない。自分も含めてだが。


'07.5.18  随筆

新宿回避

 暫くご無沙汰していた神田で呑んだ。なので早い時間だし、寄る所は決まっている。82Ale HouseからBar Alleyに行き、そして立ち喰い蕎麦を喰って山手線を半周して帰る。要するに新宿回避の方策であるのだが。

 銀座で呑んでも帰路は丸の内線に乗ってしまうので、下手をすると三丁目→G街→歌舞伎町などというフルコースになってしまう。そこへいくと、勤務先から徒歩数分の神田で締めの蕎麦まで喰ってしまったらどこへも行けまい。そうまで考えて帰るくらいなら、はなから呑まなきゃいいだろうという意見もあろうが、まあそんなことは分かる人には言うまでもないし、わからん人にはロジカルに語ろうが感情的に訴えようが伝わるものではない。

 それはまあいいんだ。書いていて楽しい話でもないし。

 しばらく寄らずにいる間に82Ale Houseは随分変わっていた。メニューは整理されておりハウスエールがなくなっていた。そしてN店長が異動し、例の「ハキハキ」E嬢が店長になっていた。これはこれはとお祝い代わりに呑んだものの例によって3杯ほどで退出。

 Bar Alleyもメンバーが変わっており、新しい女性バーテンが入っていた。例によって“日比谷OG”かと思ったが違うのだそうだ。

 女性の付く店に行くでなく、他の客に絡むでなくむしろ絡まれ、女を口説いて浮気するでもなく、こんな善良な呑み方も他になかろうがと思うが、それすらもまぁ酔っ払いの戯れ言な訳でして。

 ちなみに締めの立ち喰いというと諸兄はどんな店を選ばれるだろうか。私なぞは結構チェーン店でも良い方なんだが。立ち喰い蕎麦に限っては「地元店>チェーン店」ということはない様に思うし。もっとも私の場合、善し悪しは蕎麦よりは汁、汁よりは天麩羅で判断するたちなので、あるいは本末転倒なのかも知れない。


読書 開高健/吉行淳之介「対談 美酒についてー人はなぜ酒を語るかー」新潮文庫

当たり前だが、酒場で呑む男がなにも開高健や吉行淳之介の様に呑めるわけではない。そうありたいと思うことは、せいぜい自分だけのつまみの様なものであると考えるのだが、それだからやはり他人にはまるで理解されないものなんだろうなぁ。例えば妻とかにはな。