随筆/日記
公文書

'07.12.29  日記

まだクリスマスプレゼントの話。もうロウバイ開花。

 朝まどろんでいると耳元で妙な“声”がした。「朝だよぉ。起きて」。顔を上げると隣の娘の寝床に寝かせていたロボット犬が何やら喋っているらしい。

 喋ったのは上の娘に買ってやった玩具の犬。各種センサーが付いており、頭を撫でたり手を握ると反応する。学習型で、育て方によっていろいろ違う事を話すようになるそうだ。寝起きの時間は予めセットする。しかしこの時間だと、いつもの娘ならとうに起きていなければならないのではないか。その日は姉妹で義母の家にお泊まりだったが。

 そろそろサンタに懐疑的な9歳の娘は、結局直前まで希望のプレゼントを明かさなかった。それでも前々日辺りに紙にリストを書いていたので、「サンタにも締め切りがあるだろうから間に合わないかもよ」と言った。あまり残念そうでもないことにほっとして、「思いつかないけど貰ったら嬉しい物というのもあるんじゃないか」と言ったら首を傾げていた。

 友達と欲しい物の話をしているのを妻が横から聞いてして、元々は違うペット型玩具を買う予定でいた。しかしそれはあまり小3の女の子が喜ぶ物の様には見えなかったということもあり、この「ダッキー」にした。

 居間の片隅の床で時々妙な音を出している「たまごっち」と同種の物を増やしてしまったかと少し後悔もする。娘にとってはペットの代替というのではなく、あくまで可愛い人形という感覚のようだ。

 ところでそんな12月はまだ冬になったばかりなのに、庭のロウバイは既に大きな蕾を付けている。同じ事を去年の冬、いや今年の1月9日に書いていた。随分早いなぁと思っていたら、その時にロウバイの開花が始まっていることを知ったきっかけのつぴぃさんのブログに、やはりもう咲いてますと書かれていた。葉も落ちきっていない枝に、ロウバイの花はどうも不釣り合いに思う。

 やっと仕事納めをしたと思ったら、大晦日目前。娘達のいぬ間にまず大掃除である。


まぶたのサーボモーターが少し耳障りだわん。


砂糖漬けにしたら旨そうだな。

'07.12.26  日記

餅つき

 前回の記事に致命的誤りがあったのでお詫びして訂正する。誰からも指摘されていないが、私にはクリスマスに関して極端な誤認があったようだ。正直言って、自分の誕生日であることの他は、サンタがプレゼントを配る日ということしか頭になかった。クリスマスはキリスト教の救世主イエス・キリストの生誕日という極めて宗教的なイベントなのだった。そりゃムスリムは厭がるわな*。はっはっは。<ホントにどうでもいいらしい。

 さて話変わって、23日は義母の実家がある山梨で、恒例一族集っての餅つきがあり家族で出掛けた。片道約75kmの距離は自転車で多めに走った時よりやや遠い程度の距離だが、328iでは4人乗っても楽々だった中央高速の登りもラパンでは床までベタ踏みで80km/hを越えない。ましてや自転車はありえないな。そもそも山梨に入ると、既に浅くだが雪が積もっていた。

 義母の実家は末の弟である次男の叔父が継いでおり、一緒に暮らす曾祖母の下に親族が集まる。97歳の“おばあちゃん”には折々に会っておきたいと言う妻は子供たちを連れて年に2〜3回は山梨に行っている。

 両親が1人っ子と2人姉妹という私にとっては、大人数の親族の集まりは正直苦手である。会うのは二度目くらいのTさんも“おばあちゃん”から見れば関係は同じ孫。しかし、私は嫁に出た長女の、長女が嫁いだ先の婿。向こうは長男の息子。歳は近いが立場は全然違う。そして仕事分担も全然違う。とは言え曾祖母以外殆どが働き回る家の中で私は居場所がない。妻は「(こういう場所では)自分の分担見つけないと」と言うが、そりゃ子供の頃からバランス取ってる人とは違うわな。

 そんなわけで私は申し訳程度に雪掻きをしたり子供たちと遊んでいた。

* ちなみにイスラム教でも「主要な預言者」の生誕日としてクリスマスを祝うのだそうだが??


並べ続けられる餅。


足跡付けるのが仕事。

読書 平 安寿子「愛の保存法」光文社文庫

結婚と離婚を繰り返す二人や、リストラと逆三行半の上に元教え子の家に居候する自称学者とか、実際に側にいられたら厭だろうなという人達の話。野次馬根性で面白いとは思いたくないが、そこは巧く描かれている様に思う。


'07.12.21  随筆

クリスマスおたのしみ会

 先日下の娘の保育園で「クリスマスおたのしみ会」があった。学芸会みたいなもので、子供たちの出し物がある。

 寺の経営する保育園だがクリスマス。しかし私はそれで良いと考えている。最近の幼稚園やら小学校では、あれは宗教行事だからそういう名を冠しては行わないというところが増えているそうだが、そんなのどうでも良い。「元はキリスト教の行事でしたが、今は広く一般に行われるようになりました」で良いじゃないか。勿論、教会行くとか賛美歌歌うとか、そういう様にやるなら話は別だが。ムスリムへの配慮だとも言うが、日本の一般的なクリスマスでか? 米国から輸入するのは地対空ミサイル程度にしておけということだ。

 上の娘と合わせたら何回目になるだろう。会の最後は白髭赤い服の理事長(住職)が、子供たちに「理事長先生だ、理事長先生だ〜」と叫ばれながら「サンタのおじさんから、みんなにプレゼントだよ」と、ノートやら小さいショートケーキやらを配る。中学高校とは違い、家族も全員爺婆までやって来るから、それなりに広いホールも保護者で溢れかえる。プログラムの順番は熟考され、小さい子供たちは中盤で終了となる。下の娘は年中組なので最後まで参加することになるが。

 上の娘も付いてきて、卒園児である同窓生達と園庭で遊んだりするし、こちらはこちらで親の活動に割合よく参加しているので知り合いも多く、見つけては挨拶を交わしたりする。

 この手の行事で私が一番ストレスなのがビデオ撮影である。離れて住む義母義父や義理の曾祖母らに見せるためなのだが、私はこれが大の苦手。スチルと違いずっと画面に納め続けないとならない。場所があればさっさと三脚を立ててしまうが、手で持つとなると、もう投げ出したくなる。拍手も出来ないじゃないか。あれだけは何とかしたい。


ご時世に合わせて顔を隠しているが、何か悪い事した人みたいで本当は厭なんだよな。それに顔を隠したら、全然可愛くないじゃないか。
去年は「3匹のやぎのがらがらどん」トロル役で鬼気迫る怪演をしたもんちゃんだが、今年の評は「大人になっちゃったのね」。

読書 杉山 亮「今ここに生きる子ども 子どものことを子どもにきく
〜八年間の親子インタビューから〜」岩波書店

内容は副題の通り。自分の息子へ3歳から10歳の間に年一回行ったインタビューをまとめている。こうして読むと、自分もやっておけば良かったなぁ位思うわけだが、話し手(子供)にはどの子もなれても、聞き手にはそれなり素養が必要だなと思う次第。ともあれ妻の薦めで読んでみて良かった。でもこんな重い本を、それでなくとも重い私の鞄に黙って詰め込んでおくのは勘弁して欲しい。


'07.12.13  随筆

ネット繋がり所感

 「随筆は随筆であり現実とは別」と考えている私としては、本欄で実生活をただ文章にしているつもりもないのだが、それでも実体として存在する私自身の事を書いていないかと言えばそういう訳でもない。まあ要するにだ、現実の知り合いに栴檀林サイトのことを話し、忘れた頃に現実でコメントを貰ったりすると焦ってしまうという話である。

 数ヶ月ぶりに得意先で某氏を見掛ける。今は業務上の付き合いはないが顔を見れば無駄話の一つもする。しかし何やら作業中の様だったので後ろから挨拶だけして通り過ぎると、「あ、Sさん、時々見てますよ〜」と声を掛けられる。何の事だかわからずにいると、「これは誰のことだな〜とか、花束の話とかなんかね」と言われる。彼にとっても近い会社の話だったのだ。下手なこと書けないなというか、実のところは大して気にしてはいないが。何せ職場の人間が本欄を読んでいるわけだし。ちなみに、逆にネット上の繋がりから拡がって仕事付き合いに至った例も極最近できたのだが、それはまた改めて。

 彼の軌跡を追うつもりもないが、しばらく放ったらかしにしていたアクセス解析を開いてみた。すると、長いこと150/日だったトップページのアクセスは、最近では70/日程に落ちていた模様。日々の更新をhtmlからブログに移していたので仕方ないか。しかし同じアサヒネットのサービスなのにアサブロはカウンターも付きゃしないし、そもそもアサヒネットサーバー上のオリジナルドメインと全く連動しない。

 戯れに当サイトに辿り着く検索キーワードを見る。3ヶ月77個の内、上位4つがガン関係で、5位は全く更新していないパワーブック。一方自転車関係は10位の「ルイガノ jedi 改造」があっただけである。ここのところ栴檀林は自転車の話題ばかりだという指摘をよく受けるが、自転車の話題で見に来る方は僅少の模様。多少がっくり来た。


読書 重松 清「熱球」新潮文庫

新刊だったので買う。重松でも野球の話は苦手なんだよなと思いつつ読み始めるとさすがに面白く読み進む…と、ん? これ読んだことあるぞと巻末を見れば、何と徳間文庫で出ていたものと全く同じだった。勘弁してよ。というか中身見て買えって話か。そんな訳で実は再読が続いている。


読書 藤沢 周「箱崎ジャンクション」文春文庫

そしてこちらは本当に再読だよ、お客さん。藤沢周を再読するなんてのはな、あんた…まあいいや。


'07.12.5  随筆

歩き方

 混雑した街中の歩き方を、予めこうと決めて実践している。

 自分と異なる進行方向の人間に対しては20°以内の角度で避ける。それ以上にすると次の対象への対応が不正確になり、1人避けると結局は周り全員避けなければならなくなる。ぶつかるぶつからないの間合いは速度で調整する。どうしても駄目なようなら立ち止まって上半身を捻る。それでぶつかってくるようなら相手には完全にそのつもりがあるのだし、こちらがその体勢ならダメージは比較的少ない。まさか同じ体勢でこちらに向かってくる人がいたら、それはおかしな人なので横っ飛びで避けた方が良いだろう。

 同じ街中でも、昼の銀座と夕方の品川、夜の歌舞伎町では人の歩き方は当然全く異なる。

 夜の歌舞伎町なんて言うと怖そうだが、余程の酔客(前段の「おかしな人」だな)でもない限りは周りに関わらない様にしようという姿勢の人が多く、むやみに邪魔な歩き方はしていない(私が避けられているのではなく)。ただし客引きは邪魔。複数で歩けば居酒屋やカラオケ、一人だとキャバクラやら何やら。どれも行かない場所であるので丁重にパスする。

 むしろ質の悪いのが昼の銀座や夕方の品川のパターン。前者の場合は、周りの歩行者にはまるで関心が無く明後日の方向を見たまま全然違う方へ歩き出してぶつかってきたりする。後者では自分の目標のことしか頭になく導線表示を無視して突っ込んでくる。自分の目的が正義だからぶつかった相手に「危ないッ」とか平気で言う。まさか運転免許持っちゃいまいなと思う。

 勿論いつもそんな張りつめた神経で歩いているわけではなく、前を行くタイトなパンツスーツの女性の腰回りに気を取られて段差に蹴躓くことくらいはある(誰でもあるだろう)。それと、街中で知り合いを先に発見する確立が高い。つまり余所見はそれなりしているということである。


画像はイメージ。
だけど品川。

'07.12.3  随筆

何とか風

 ファッションに何とか風とか何とかルックいうのがある。例えばミリタリールックとか、バイカーズ風とか。その手の物はその趣味の者以外には物珍しさで受け入れられたりするが、趣味者からすれば蔑視されるのがほとんどだろう。

 ある時駅の階段を上っていると、目の前の若者が肩から下げているメッセンジャーバッグが目に入った。ノンブランドの、シンプルな、悪くない色のバッグだ。しかし同時に違和感を覚えた。なにがどうというのではないが、何かおかしいのだ。直感で、これは紛い物なのだろうと思った。残念ながらその確証を得る前に階段は終わり若者はどこかへ行ってしまった。そもそも私はそれを即断できるほどには自転車ファッションに詳しくはない。

 ミリタリーの場合それよりは確証を得やすい。例えば迷彩服というのは柄が国や年代で決まっており、地域警察のSWATが採用しているだとかは別として、一国の軍隊の物かどうかはまず分からないことはない。妙な柄だったり、柄と形が合っていないのは紛い物だ。

 勿論自分の知らない物というのは多数ある。それぞれを専門にするマニアが存在する位だから当然だが。現用でフランスの車両整備兵が着用するつなぎだとか、冷戦時代にソ連がアフリカで使っていた狙撃兵用の迷彩服だとか、そういうのをいちいち知っているわけはないが、そもそもそんな物を着て街を歩いている人はいない。

 ただし、軍用品には安いサープラス物なんかがあって、ストリートファッションに流用されることはある。米軍物は分かりやすいが、たまに妙な物を見掛けることもある。そういえば旧東独軍の装備が大量に出回った時期があったが、あれはもう10年ほど前だろうか。自分も何着か買ったが。大戦独軍の物に転用・改造するためである。つい先日、どう見てもマニアとは違う若者が、東独軍国境警備隊制服の上着を着ていた。物持ちが良いのか、まさかまた出回っているのではないだろうな。


'07.11.13  随筆

取りあえず花と、気の利いた菓子

 妻の誕生日なので花を買った。正確には買ったのは前日なのだが、どこかで呑んで日付を越えたら丁度良いくらいだし、ふと思ったんだが、誕生日当日に「花を貰った」と自慢するには、前日に貰っている必要がある。…普通に会社行くのに自慢する必要があるかどうかは知らないが。

 つい最近、得意先が便利なところに洒落た店の入った商業施設をオープンしたので、そこで買う。今まではわざわざ6駅も先の駅ビルまで買いに行っていたが(勿論、そこも得意先だから)、今度は隣の駅である。それに、ゼリー入りの瓶に挿した花も悪くはないが、果物っぽいものと合わせたブーケというのも可愛い感じがして良い。

 誕生日やら何やらには取りあえず花を買う。それから何か気の利いた菓子。私があまり高価な物など買うと心配されてしまうだろう。ちなみにある時「自転車、いらない? 軽くて速くてお洒落なやつ」と訊いたら、「それより電動の、もっとちゃんとして」(当時うちの「パス」は不調だった)と言われた。自分が欲しいだけなこともわかっているらしい。

 今回の菓子はかりんとう。細くてあまり甘くない日本橋 錦豊琳という店のもの。件の得意が「お前ならビールのつまみに合うんじゃないかと思うよ」と言っていたが、それにしてはちょっと甘い。甘党に「つまみに合う」と言われても信用してはいかん。

 少し困った問題は、花を下げたまま酒場に寄るのは難しいということ。「早く帰らないといけないんじゃないですか」などと余計なことを言う店主はまさかいるまいが、見知った客には言われそうな気もする。そんなこんなで結局まっすぐ帰ってしまい、日付が変わる前に花を渡すことになる。まあそれはいいか。

 「毎日花を買えば早く帰れるんじゃないの」と言われそうだが、私はせいぜいがその花代くらいしか呑んでいないので、節約にはならない。そういう問題ではないか。


'07.11.8  随筆

酒と自転車(だけでもない)の日々

 今日は全然駄目だなと思う時は早く切り上げるしかない。早く切り上げて遅く帰るのは諸々あまり宜しくないので、歌舞伎に寄らずに済む様に神田でさっと呑んで帰る訳である。82に寄るが、枝里姉店長は研修で渡英中。小腹が空いているのを思い出し、いつの間にか新しくなっていたピンチョスをビールと一緒に頼む。オリーブとサーモンのが、しょっぱさ具合がなかなか良い。

 10〜11月は、仕事では得意先の新規施設オープンラッシュなのは前にも書いた気がするが、プライベートでも学童クラブ「父母連」行事ラッシュとなっている。データ処理物は担当関係なく私に振られる。ボランティアの寄り集まりなのだが、エクセルでの名簿整理やアンケート集計だなんて私より適任の人が多くいるはずなのに。更に小学校の先生との面談やら貸屋のガレージ補修計画やら、何にしても私は働き者じゃないのだから皆さんご勘弁いただきたい。

 そんな中で10月は結局とうとう4回も自転車通勤をした(別の機会に書くが「ジテツウ」と表記するのはやめた)。よくやるものだなぁと我ながらある種感心する次第。バーに寄ることより優先される唯一の帰路行事である。

 ところで、経緯失念だが随分前に珍しく現実の知り合い〜父母連繋がりの方に自サイトをお教えしていたところ、実際に見ていただいていたとの話を聞く。ありがたいやらお恥ずかしいやら。ちなみにその内一人は障がいのあるお子さんを抱えながらそれに無理解な周囲と戦うお母さんで、ご自身のブログもある。ここでリンクはできないが。

 安心して働きながら子育てできる環境がないのでは、誰も子供は作らないだろうと実感する。しかもマイノリティだから発言権拡大のためにより多く活動をしなくてはならない矛盾。国のために子供育てしてんじゃないよというのが本音だが、同様に国民の生活のために政治やってんじゃないよ、とでも? いやそれは冗談じゃないが。


行事の参加証を送るだけなのに記入事項が多いので、不要な属性を省略して集めることにした。このご時世に百数十名の個人情報を気安く集めてはいかんよ(拡大はできないので念のため)。しかも当初手書きで集めようとしていたので、慌ててフリーのウェブフォーム(携帯電話対応のため)を借りた。危ない危ない。


事務所のベランダのRC20。軽く洗ったシャツなどを乾かす。カーボンモノコック構造の物干し竿とは贅沢な。


'07.10.31  随筆

小悪魔とセーラー服、ルチア、サッチー

 「82」の枝里姉店長からメールが来る。ハロウィンで仮装をするそうな。忙しい時期ではあるが何やらふと気が向いたので寄ってみる。真紅の小悪魔スタイルがお似合い。写メを撮らせて貰うと良いネタなのだが、気が引けて諦める。すると陽気な他の客がアイリッシュウイスキーのロゴが入った販促用シルクハットを被り一緒に記念撮影を始める。やはり自分にはできんな。しかもバイト嬢はセーラー服だし。可愛い娘だけに微妙。コスプレと言ってもハロウィンに? 一見の客は店を間違ったかと思うのでは。とか思いつつセーラー服嬢を横目に最近「82」で扱いだした地ビールを飲るが、悪酔いしそうなので河岸を変える(苦笑)。

 で、久しぶりの「クリシュナ」。そういえば南口の2号店「ドゥースラー」にはまだ行っていなかったな。珍しくノリちゃんが愛犬ルチアを連れてきていたので、お相手していただく。小さい犬も可愛いが、やはりぬいぐるみみたいだ。手入れが行き届いてフワフワの毛並みが余計に作り物ぽい。生き物の感触を確かめるように足裏やお腹ばかりさする。

 ところで話変わって我が家で最近流行っているのが「サッチーごっこ」というやつ。「サッチー」というのはNHKのアニメ「電脳コイル」のキャラクター(?)である。電脳世界(仮想空間)の番人役で、バグ(障害)を探して攻撃(除去)する。それの真似で、胸の高さに両手で三本指を突き出して「ボク、サッチー」と言いながら近づいて、瞬きしながら「カチカチカチカチ」と言ってくすぐる。知らない人には何だか全く分からない。まあ当然か。上の娘は対抗手段に「待て」「お手」を出したりするが、「強制終了」はまだない(本当に見ている人にしかわからんな)。下の娘が通う保育園で流行りだしているらしい。

 そんな訳で帰宅時には既に全員就寝。娘の寝顔を見ながら、無性に「サッチーごっこ」やりたかったなと考えたりする。


全然まともに撮れてないが、膝の上のルチア。



ちなみに前回の更新で出てきたコレがサッチー。右のポチのキューちゃんは偵察中。


読書 長嶋 有「泣かない女はいない」河出文庫

登場人物がよく知る人と同じ名前というのは他にないではないが、好きな音楽とそのタイトルの解釈まで同じだった。その人曰く「そいつ(長嶋有)はMODの客の一人じゃねぇのか?」と。私も、ちょっとそう思った。


'07.10.21  随筆

「炭火で焼き肉が食べたい」

 薄曇りの午前中、人も疎らな郊外の私鉄駅のホームに立ち、ふと感じた違和感に顔を上げると、目の前のビルの壁面横幅一杯に「炭火で焼き肉が食べたい」という言葉が1文字1文字切り抜き文字のように掲げられている。

 「平日の午前中、これから仕事に行こうという時に、果たして“炭火で焼き肉が食べたい”だろうか?」

 声に出して言っていたら結構怪しい人であるが、さすがに心の中だけに留める。そして、まあ確かに宣伝文句なんていうのはそんなものだろうと、これも心の中で一人ごちる。

 それを批判しているわけでは毛頭ない。いや、あるいはしているかも知れないが、だとしたらそれはそういうものを書いている自分自身に対してという気がする。

 ここのところ、いわゆる広告コピーを書くことがしばしばあった。と言っても何も華々しいものではなくて、新しい商業施設に出店するチェーン店の新業態店の説明とか、駅の待ち合わせ場所の由来とか、そういう類の物である。

 「コピー」と聞いて華々しい物を連想する人はいるだろうけれど、実のところ“華々しいコピー”が仕事になることはあまりない。広告屋をずっとやっているけれど、「コピーライター」という名刺を受け取ることは滅多にない。フリーでやっている人は大半が「ライター」だし、勤め人は余程大きなところでなければ「コピーライー」だなんて名刺を持つ人は社内にはいない。

 「心に届くか」ということよりも、「伝わるか・収まるか」が多くの場合優先事項であるからして、華々しいわけもない。そういう意味では「炭火で焼き肉が食べたい」の方が心に届いてはいるだろう。

 そんなことをぐだぐだ考えていたからか、ランチだったら焼き肉でもいいかな、などと考え始める。いやいや昨夜は呑み過ぎたので身体の方はそういう具合ではないのだった。


'07.9.17  随筆

鞄の修理

 修理に出していた鞄が戻ってきた。ファスナーが壊れたのでその修理と、革の縁もばらけてきていたのでついでにその処理も頼んでいた。

 バスタブは自分で修理するが、鞄は専業者に任せることにした。革鞄のファスナー付け替えは素人には無理だろう(バスタブはどうなんだ?)。革細工が多少出来る位では手を出せる作業ではないだろうし、そもそも私は革細工など全くしたことがない。

 縁の処理に関しては「革マニキュア」を買って補修したという話をだいぶ前に書いたが、これはやはり対処療法に過ぎずあまり効果的ではなかったので、ここも併せて依頼することにした。コバ塗りという作業だそうで、これはコバ塗り剤というのを専用の道具を使って塗る様である。

 ファスナーのタブ部分がブランドのロゴ入りなのだが、色形が気に入っており違う物に替えられては厭なので、購入した百貨店経由でメーカー修理に出した。そのためか結構時間が掛かってしまった。その上に当初の予定より1週間ほど遅れたものの、上がりの方には不満がない。さすがに綺麗なものである。お恥ずかしながら結構煙草の臭いが染みついていたのだが、全体にクリーニングもされており、これが消されていた。

 修理費税込15,750円。5万円ほどの鞄本体の価格からすれば、これ位は掛けても許せるかという、まあ妥当なラインであろうか。本欄によれば鞄は05年7月後半に買ったとあり、約2年使っていたことになる。今まではそれが買い換えサイクルだった。もっとも、これでまた2年使えるという訳でもないんだろうが。しかし同じ物を買い直すことはできない。「アクアスキュータム」は去年辺りに定番商品のラインナップから緑色を外してしまったそうなのだ。何のためにこんなブランド品(と言ってもライセンスだが)買ったんだかと。それにまた一から探すかと思うと、まだ暫く先の話なのに面倒臭くなる。


手前のは外されたファスナー。

'07.9.15  随筆

半ケツですよ、お嬢さん

 「背中が出てイヤー」。下の娘が朝食にも手を付けずに騒いでいる。幼児の服までヒップハングかと思ったが、見れば何のことはない、つんつるてんになったシャツにゴムの伸びたズボンを穿いていたのだった。自分で選んだ上にいつもは半ケツでも気にしないくせに。

 いつの頃からか、しゃがんだ女性はほとんどが背中を出すようになっている。大半はアンダーウェアまで丸見えである。そういうもんなんだと慣れてくると、だらしないとかしどけないとか、そんな風には考えなくはなるが、それにしたって目の前にあれば見てしまうだろう。

 知り合いの女性が、そういうのは見られていれば分かるものだと言っていたが、こちらは男性だからかわからない。彼女は時々上司が結構凝視しているのに気付き戸惑うことがあるそうだ。若い男性であれば気取りもあってわざわざ見ていない風にするということもあろうが、ある程度の年齢だとそういうことは気にしなくなるらしく仕方ないとも言っていたが。私はまだ「その年齢」ではないらしく、なるべく見ないようにしているつもりなわけだがさて。

 見ながらそれを気付かれても何か気の利いたことでも言えれば良いが、言える間柄だったらそもそも相手もそれ位で気分を害したりはしていないだろう。「今日ちょっと派手かしら」「いや結構可愛くて良いね」なんて言っているのはソレである。

 なんて事を考えながら会社への道を歩いていると、見れば確かにローライズだらけ。ふと見覚えのある後ろ姿だと思えば何のことはないH嬢だった。で、そんな話をしたところ、「でもトレンドはハイウエストに移ってるんですよ」とな。神田にトレンドは関係ないわな。

 知り合いに「Sさん、一人でバーで呑んで何してるんですか」と訊かれていつぞや即答したのは「女の尻を眺めてるに決まってるだろう」。しかしハイウエストじゃ味気ないよな。

 良いですよ、みなさん半ケツで。もんちゃん(娘)もね。