手を繋ぐ

'10.9.29

 手を、繋いで貰うのが好き。

 なぜだろう。とても安心する。だって好きな人と街中で並んで歩いても、直接に実感できる繋がりを持てるのは手と手を繋ぐことくらいだから。

 そういう気持ちを伝えられないほど内気な訳でもないから、好きな人には「手を繋いで」とは言う。でも男の人は、何故だかそういうのにすんなり応えてはくれない事が多い。あるいは、応えてくれない人を好きになってしまうことが、あたしには多かったのかも知れない。

 「そういうの、あまり好きじゃないんだよね」と、言われた事もある。とても傷ついた。手を繋ぐことが好きかどうかという事以前に、なぜそういう事を言う様な人を好きでいたんだろう。彼の気持ちも分からなければ、彼が好きだったというその時の自分の気持ちも分からない。

 今、あたしは、好きな人に手を握られて歩いている。

 よくある街並みによくある歩道。よくある目的で歩く、よくある関係の二人。でも、繋いだ手があれば、そういうことはどうでも良い。人がどう思ってもどうでも良い。

 何かが路面にあったり段差があれば、互いに握った手で知らせる。歩道に停めてある自転車を避ける。段差を乗り越える。クルマが来るのを教える。経験はないが乗馬の手綱の様だなと思う。

「手を繋いでるとさ、したことはないけど乗馬みたいだなって思うんだよね。なにか、手綱で伝えるみたいな」
「あたしがウマ?」
「お互いにウマなんだよ」
「なにそれ」と、前を見たままくすりと笑う。

 歳の差なのかな。初めはそう思っていた。あたし、十以上年下だし、多少子供っぽい我が儘言っても彼は「そうだね」と聞いてくれる。でもよく考えたら今まで付き合ってきた人には年上もいたけれど、皆、彼の様には接してくれなかったな。

 彼は彼で思うところもあるらしい。今までは、手を繋いで歩くなんてしたことないと言っていた。こんな人なのに何故だろうと思ったけれど、奥さんがそういう様にしたがらない人だったらしい。

 出逢って初めの頃、差し出す手が「おっかなびっくり」だったのをよく覚えている。何か、自分自身を見る様で哀しくて、「いいんだよ、もっとぎゅっとして」って手を握った。

 歩いている時の彼は、とても姿勢が良い。実はそれ程身長差はなくて、余所行きのヒールを履くと並んでしまう位なのだけど、見た目以上の背がある様に見える。顎を引き胸を張って歩く。やや大股だけれども、速度はあたしに合わせてくれるから一緒に歩いていてぎくしゃくはしない。

 こんな風に歩いてくれる人と、なぜ今まで巡り会わなかったんだろう。と思いながら彼を見ると、何故だか彼はじっとあたしを見ていた。

「なに?」
「いや、よく歩くよね、僕らは」
「そう。散歩散歩」

 なんだろ。焦るなぁ。

 少し前に彼は仕事を辞めた。このご時世にと思うけれど、大きな会社だったのか、保障で全く困らないのだそうだ。何をやっていた人なんだか。

 いろんな楽しい話をしてくれるけれど、一人で没頭する様な趣味はないらしい。

「じゃ、毎日あたしと逢うっていうのはどう?」
「それは、僕だけのために、君が時間を空けるという意味だよね?」
「もちろん。でも、暇つぶしに付き合うよって意味じゃないよ?」

 何と言うか、とても嬉しそうな顔をして、私の手を握り引き寄せて言う。 

「暇つぶしも、そうじゃないことも、もちろんいろんな事に付き合うよ」

 もちろんいろんなことに付き合って欲しいのだ、あたしは。

「いろんな事って、手を繋いで散歩をしたり、膝枕をして髪を撫でたりとか?」
「膝枕って、されたことないな」実はあたしもしたことがない。
「へぇ。智也さん膝枕して貰ったことないんだ。してあげようか?」
「どこで?」
「公園のベンチ。この先にあるし」そうだ。膝枕といえば公園のベンチじゃない?
「いや、いい。いいよ。して欲しくて言っている訳じゃないんだ」
「遠慮なの? それ」

 違う。したいの。あたしがしてあげたい。こういう所で上げ合った球をこぼしてしまう様なやりとりは今までにいくらでもあった。そういうのは、もう厭なのに。そう思った瞬間に彼が言った。

「いや。して貰おうかな。して欲しいかも。公園、どっち?」

 公園、どっちだっけ。この先とか適当に言って、どっち側か分かってないし。

 でもそんなことはどうでも良いんだ。彼の手を曳く。“こっち”に“公園”があって、そこにはベンチがある。最近流行の洒落たデザインを施した物ではなく、シンプルな、どこにでもある様なベンチ。でも意外に手入れが行き届いていて、まるで映画のセットみたいなベンチ。

 そしてあたしは、愛しい男の重みや温かさを膝で愉しんだり、髪を撫でたり、見つめてみたりするのだ。


この作品は、mixiの「お題に合わせて短編小説を書こう」コミュのお題「みちびき」に参加。字数制限はコミュの仮規定2000字に準拠。

この掌編を読まれた方には、こちらの掌編も併せてご一読いただきたく。→「膝枕」