膝枕

'10.7.23

 並んで歩いていると、自然と彼女が手を出してくる。初めの頃は戸惑いがあり、それでもぎこちなく手を開くと、滑り込んでくる彼女の掌が僕の手をしっかりと捉える。ずっと握っていると汗をかく。でも汗はかきっ放しで、手を離すときにだけ拭けば良いのだということを学ぶ。

 昔は女の子と歩くと、よく「歩くの速いよ」と言われた。あまり言われるのも面倒だし、位置や速度を都度微調整しながら歩くのは酷く面倒なので、並んで歩く事自体あまりしなくなった。ところが有美子とは一緒に歩いてばかりいる。だから最近では革底はやめてクッション入りのラバーソウルを履く様になった。まあ、仕事は辞めたから革靴でなくても良いんだ。

「なに?」
「いや、よく歩くよね、僕らは」
「そう。散歩散歩」

 手を繋いでいると、当然速度差はない。障害物や段差があれば、互いに握った手で知らせる。歩道の自転車を避ける。段差を乗り越える。クルマが来るのを教える。経験はないが乗馬の手綱の様だなと思う。

「あたしがウマ?」
「お互いにウマなんだよ」
「なにそれ」と、前を見たままくすりと笑う。

 初めは歳の差なのだと考えていたが、これは多分そうでもないのだろう。だいたい僕自身が手を繋いで歩くという事自体があまりなく育ったのだと思う。今さら親の愛情が薄かったとかは思わない。むしろ自分同様に“愛情表現”の下手な親だったのだと考える。好きな相手の体躯に触れる。手に触れる。そんなことも満足に出来ないのだった。だからだろうか、自分の子供にも上手く触れられなかった気がする。今はもうその温もりも思い出せない。

 そんなだから腕枕とか膝枕というのも馴染みがない。いや、腕枕は自然な流れであるにはあるが、膝枕というのはそれに至る過程自体が想像できない。

「へぇ。智也さん膝枕して貰ったことないんだ。してあげようか?」
「どこで?」そこからがそもそも思い付かない。
「公園のベンチ。この先にあるし」
「いや、いい。いいよ。して欲しくて言っている訳じゃないんだ」
「遠慮なの? それ」と、また前を見たままくすりと笑う。

 遠慮なのだろうか。確かにずっと身を預けられるのは負担じゃないかと思う。腕枕の時は概ね自分も寝てしまったり、そもそも姿勢が同じ仰向けだから身を預ける預けられるという程のことは感じないが、膝枕は違う。

「それに、屋外で真上の空を見上げるのって不安にならないか?」
「あたしがいても? それに膝枕ってあまり真上を向かないものでしょ。ずっと向き合っているの?」
「あ、そうか」
「どれだけラブラブなのよ」
「ははは」
「…やっぱりしてあげようか。膝枕」
「今日はまだ暑いよ」

 昼下がり、と言っても太陽はまだまだ傾いている感じがしない。歩いていると心地良く当たる風も、立ち止まると扇子で喉元を扇ぎたくなる。真上を向かなくても、これじゃあ膝枕どころではないだろう。
「ほら、でもお誂え向きよ」

 公園の入り口から見えるところにベンチが1脚。最近流行の洒落たデザインを施した物ではなく、シンプルな、どこにでもある様なベンチだ。近寄ると、しかし意外に手入れが行き届いており、あるいは“きちんとした利用者”が多いのか、とても綺麗なベンチだった。なにより、大きな欅が自然の日傘になっているのが良い。

「映画のセットみたいじゃないか?」
「あら俳優のつもり?」

 戯けてハンカチを取り出して敷くと、有美子が軽く位置を直して座る。

「どうぞ」

 しかし、どれくらいの位置に座れば良いのかからが、わからない。いつの間にか自分のハンカチを膝に敷いた有美子は、「ほら、もう」と言って僕の肩に手を掛ける。

 不思議な感じだった。肉付きの良い有美子の膝の緩やかな弾力を頬に感じる。

「どう」
「良い感じだね」
「脚、太いから、クッションになるでしょ」
「柔らかくて良いよ」

 目の前に見える膝小僧に指先で軽く触れると、「こら」と軽く手の甲を叩かれる。

「重くない?」
「重いのが、良いのよ」

 同じ事を以前、有美子に訊かれたのを思い出す。初めて腕枕をした夜のことだ。女性に腕枕をするのなんて本当に久しぶりのことだった。亡くなった妻には、した覚えも求められた記憶もない。

 首をひねって上を見る。有美子もこちらを見ている。

「どれだけラブラブなのよ」

 有美子の上には欅の枝が、広く空を覆っている。

「十以上も歳上の男が膝枕されているのって、何か変な感じじゃないか」
「意識し過ぎでしょ。あたしだって二十三十じゃないんだし。これ位になったら歳の差なんてないも同然でしょ」
「公園でいちゃつくお年寄り、か」
「ひどい。あたしは還暦まだだからね」

 公園の外の通りには強い陽射しが照りつけているが、欅の木陰にあるベンチの周りだけは穏やかな風が流れている。それでも、時折葉の間からきらきらと零れる陽射しが眩しい。


少し書いてから、また不倫ものみたいになりそうだったし、ストレートに書くとちょっと照れ恥ずかしい展開になりそうで、こんなオチを付けた次第。でも丁度良いかも


この作品は、mixiの「お題に合わせて短編小説を書こう」コミュのお題「緑陰」に参加。字数はコミュの仮規定2000字に準拠。