「いま、どこ?」
「海の上を走っている」
耳に差したハンズフリーフォンから彼女の「ふん」という返事が聞こえてくる。
「溺れないようにね」
「誰に?」溜息の後、切れた。
併走車がいないのを確認して車線を二度変えてみるが、カーナビの画面では、相変わらず僕は数百メートル東の海の上を走っている。そんなに古いタイプでもないのだが。
ところで、これは僕の悪い癖だが、プライベートの予定を立てるというのが苦手なのだ。1週間くらいならまだしも、半月先に予定を入れてしまうと気になって苛々してくる。もっとも、あまりに決めずにいると今度は相手の方が苛々してくるらしい。そんな付き合い方をしているからか、ときどき凉子は痺れを切らしたように人を呼び出す。呼び出すと言うからには「明日来て」ではなく「今から来て」となる。明日だったら呼び出しじゃなくて約束だものな。
でも僕は、元々彼女は人を呼び出すのが好きなんじゃないかと密かに確信している。しかしまあ別にそういうタイプも悪くない。ある意味僕には合っているとも言えるし。
かくして僕は、休日の昼下がりに海沿いの高速を、初めて呼ばれた彼女の家に向かってクルマを走らせている。クルマで走るのは好きなのだ。特に混んでいない高速を飛ばす休日なんて悪くないじゃないか。
なんて事を考えながらも、相変わらずカーナビのLCD画面では、僕のクルマは海上を走っている。この辺りは何か特殊な磁場に囲まれているのではないかとも思ったが、あるいはこのクルマのオイルパンの裏辺りにECM装置か何かを仕掛けられていて、カーナビのGPSが妨害されているのかも知れない。なんてな。政府や企業の要人でもない僕にそんなことを仕掛ける必要なんてある訳がない。
しかし、政府や企業の要人にそういうろくでもないことを仕掛けかねない女なら知っている。友香。探偵事務所に勤めると言っていた。
「なんだそれ。探偵って金が良いの?」
「違うよ。人間の、裏にあるいろんな事を知りたいの。そんなのどこかで教えて貰えるってものじゃないでしょ」
「なんでそんなこと知りたいの?」
「もう。忘れたの? あたし、小説家志望だよ?」
そうだった。友香は完全に文系の女だった。ステロタイプな表現をするまでもなく、本当にDVDデッキの配線が出来ない。それどころかPCからiPodへのデータ移動すらよく失敗していた。彼女のスキルでGPS機器にジャミングを掛けられる様だったら国交省もたまったもんじゃない。
いや、そうか、国交省か。いたいた。素子は国交省関連の研究施設に勤めていた。彼女ならひょっとしたら特定エリアのGPS情報をリアルタイムに書き換えることも可能かも知れない。
「例えば、どの辺りで雨が降っているかっていうのも分かるんです」
「それって気象庁の管轄じゃないの?」
「タクシーにですね、センサー付けるんですよ。で、雨が降ってワイパー動かすと分かるという」
「なるほどね。そんな研究もしてるんだ」
しかし…いち研究員が衛星の情報を書き換えるだなんてできるものだろうか。
僕の脳裏には、ある構図が浮かんだ。
いつまでも適当な遊び相手というスタンスを変えない僕を不満に思っていた友香が、逢う度に変なことばかり教え込もうとする僕に段々戸惑いを覚え始めていた素子と組んで、僕に灸を据えるため凉子との仲を妨害しようとしているのではないか。そして、素子の組んだECM装置を、友香がこっそり僕のクルマのオイルパン裏に…いや単にパッセンジャーシートの下に滑り込ませていたのかも知れない。
「コノ先5km。出口デス」
ほら来た。こんなところで降りないだろう。しかしその様にして、僕のクルマをどこへ誘導する気なのだろうか。その先に何かあるのか。あるいはただ情報を攪乱し、僕を惑わすことだけが目的なのだろうか。でももしそうだとすると…彼女達が僕と付き合った意味というのは何だろう。
情報攪乱されたカーナビに従い「目的地」に辿り着くと、友香と素子がそこにいる。どんな表情で僕のことを迎えるだろう。
「で、高速を降りちゃったのね?」
凉子の声にかなり険のある事が、安物のハンズフリーフォンでもよく分かる。
「そういう訳でカーナビが使い物にならなくてさ」
「ただ逢いたくないだけなんでしょっ。もういい、来てくれなくて」切れた。
なんだよ、これ位の冗談、付き合ってくれても良いじゃないか。半日待っていた彼女は、さすがに気分転換で部屋を出るだろうな。
ほら来た。
「なによ!? ここからだったの?」
「結局ここに着いたんだよ」
冗談が過ぎたのか、泣かせてしまった。
この作品は、mixiの「お題に合わせて短編小説を書こう」コミュのお題「みちびき」に参加。字数制限はコミュの仮規定2000字に準拠。
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