コロが死んだ。
今朝、起きて来たら死んでいた。
コロはオスの柴犬で、私が大学生になった年辺りにうちに来た。その時おそらく1歳位だったので、今年16歳程だっただろうという推測である。本当の歳は分からない。
下の妹のクラスメートの家で飼われていたのが、放し飼いのままうちに居着いて飼われることになった。何度かクサリが切れたりして脱走したが、飯時には帰ってくるという様な犬だった。のら犬みたいなもので、大して言う事を聞かなかったが、こちらもそう厳しく躾る気もなく、なんとなく庭に住み着いているという感じだったかも知れない。飼うことに一番乗り気だったのは父と下の妹だったので、この2人は多少ちゃんと躾ていたが。
父が亡くなり、祖父が亡くなり、下の妹が嫁ぎ、祖母も亡くなった。2年置きに家族が減っていったがコロは相変わらずだった。
後年の面倒のほとんどは上の妹がみていた。DIY屋でペット担当の期間も長く、うちの玄関にはよく試供品のペットフードが転がっていた。と言ってもコロに与えられるのは試供品や処分品の類以外のペットフードは大袋のドライフード位で、基本的には残飯だった。それが外犬だというのが家族の共通の感覚だった様な気もする。
去年の夏、脳血栓で倒れた。しかし犬は人間と違いそこそこ回復するものらしく、しばらくすると普通に過ごせるようになった。
今年の春先だったか腫瘍が発見されたが、歳が歳なので手術はやめた。夏からは老衰が進み、この数週間は100mの散歩もままならなかった。
2〜3日前、下半身が動かせなくなったので、妹が犬小屋からテラスに上げ、身体を乗せるキャスター付きの台を作った。翌日、前足だけでもがくために皮が剥げて血が出た。これも妹が処置して、翌日獣医に見せようということになっていた。私は翌朝、休みの土曜日にしては珍しく早く起き、様子を見に行ったら、コロは死んでいた。
よく小屋から上半身だけ出して寝こけていることがあり、あまりに不自然な格好なので心配して近寄ると腹がゆっくり動いていたということが結構あったが、それとは全然違った。
目が窪み、暗く落ち込み、眼球の中から光が消え失せていた。それはあのとぼけた馬鹿犬のポーカーフェイスではなく、何か、見知らぬ何処かの犬の骸にしか見えなかった。そしてそれが酷く無惨で汚らしく臭い物に感じられてしまったのだ。そんな自分と、その亡骸に集ろうとするハエに腹が立ったが、すぐにそこから自分がやらなければならないあれこれについて考えなければならなかった。
古い毛布を引っ張り出し、コロをくるんだ。虫だの烏だのが来ないように周りを片づけた。陽の当たるテラスから、比較的気温の上がらない裏へ運んだ。
自治体によって違うのかも知れないが、地元の多摩小平保健所は土日に動物の対応はしていなかった(後で分かったが、引き取りはしないそうだ)。市役所で対応するところもあると知り電話をしたが、小平市役所では土日の対応はしていなかった。窓口の男性は「月曜日にお持ち下さい」と言っていたが、この気温で、死んだ中型犬を2日もどうしておけというのだろうか。
職場に動物の焼却施設があるという希有な友人は全く連絡が付かず、掛かり付けの動物病院は昨日母が電話したときは週明けまで夏休みだという。ペットの葬儀社みたいなところに電話すればすぐにすっ飛んでくるような気もしたが、それは、我が家でのコロの在り方にそぐわない気がした。
犬好きのご近所さんに相談したら、近くの寺を紹介された。寺というのもどうだかなぁと思いつつ、ダメモトで動物病院に電話をすると家の人が出て、病院では引き受けられないが寺を紹介しているという。同じ寺だった。その電話で私が「長く一緒だった犬だが、人間のように弔うのは信条にそぐわないので、出来る限りシンプルに弔いたい」と告げると、「他に紹介できるところもあるが、そっちの方が商売商売しておりあまりお勧めではない。その寺であれば、合同祈もあるので大袈裟にせずにできるのではないか」と教えられた。
3通りの方法があり、<立ち会いで1体だけ火葬して骨は持ち帰ることが出来る>というものから、<預かって他のペットと合同で火葬し骨は持ち帰れない>まであり、後者でお願いすることにした。中型犬、2万円。お金の話はともかく、なんだかなという気もする。本当は庭に埋めてやりたい。しかし全長1mの中型犬を土葬するのは衛生上止めた方がよいと前出の友人にアドバイスされていた。
帰ってからテラスの掃除をした。小便の染みた毛布や食べかけの餌を捨て、タイルに水を撒いてデッキブラシでこすった。仕事から帰った時に妹に見せたくないと思ったからだ。臭いが全然とれない気がしたが、気がしただけかもしれない。犬小屋はしばらく手を付ける気にならないので放っておいた。

元気な頃のコロ。犬小屋の屋根に登る。