MAC&OTHER
公文書

'09.2.13  mac&other

CS4、ハードなければただの板

 先月CS4が届いた。社の所有バージョンからのアップグレード扱いが最後となるため、年末に売れ残りのCS3を購入し、CS4発売発表後の無償アップグレード期間でそのまま申し込んだ。実は当面どちらもメインで使用する予定ではない。そもそもCS4の動作環境自体が当社にはない。

 MacOS 9.2上で、Photoshopが7でIllustratorは8または10というのが主に使用しているアプリである。フォントはモリサワパスポートでNewCID。マシンはOS9ブートが可能なAGP GraphicとMDDの混成。変な話だがスペック上は私の私物PB G4 ALが一番速い位だ。

 しかしそれでは先行き不安なので、取りあえず私がMacOS X+クラシック環境を導入してこの2年ばかり勉強・検証を続けている。H嬢もクラシック環境に移行中。しかし全て移行できるのはまだ先だ。

 うちより大きな制作会社でも、直接手を動かさないディレクター職は二線級環境をあてがわれる場合もあると、同業者ちぇすさんのブログで読むが、営業職の私が社内最新環境なのは理由がある。システム管理担当なのだ。と言っても常勤3名+αであるから大したものではない。社内にある5台のマックを整備するのである。

 昔は、BBSで人間関係を築いた上で情報交換をしたり、専門書を片っ端から引っ張ったりしたものだが、いま、少なくともコンピューターに関する情報はネットで大方賄えてしまう(他の情報は金を払わない物は大概が信用できない)。それでもたまに困るのが、質問サイトに投げ掛けられたまま答えがとっ散らかって終わっていたり、その二次情報にしばしば当たることか。

 最後に、ネット上の情報に救われた礼代わりに(いや、備忘録か)、かき集めて何とかなったトラブル対応事例を2つだけだが挙げておこうと思う。


歴代…。
■延々と繰り返される「接続に失敗しました」
classic環境(Xは10.4)でIllustratorなどAFPを呼び出すアプリを立ち上げると、延々(10回以上)このアラートが出て先に進まなくなる。
原因:Xと別パーテーションにした9で単独起動をしたこと(推奨は同一パーテ)。
対処:最終的には9の再インストール。
リンク:Apple サポート

■エイリアスにドロップしたファイルが消える
OS9.xでPhotoshop7やIllustrator10を使用する際、ファイルをアプリのエイリアスにドロップすると希に飲み込まれたように消えることがあり、sharlockでも見つからない。
原因 これらアプリの「アプリケーションアイコン」はアプリそのものではなく、実は「アプリケーションパッケージ」というフォルダになっており、この中にドロップしたことになる場合があるため。
対処 [情報を見る]から「パッケージの内容を表示する」にしてファイルを取り出す。パッケージ中の「アプリケーションファイル」で作ったエイリアスにドロップする。
リンク アドビ サポートデータベース

'09.1.19  mac&other

昔の女

 邪魔だなという気持ちはあったが、放っておくのは惜しいという狡い思いもうっすらとではあるが常にあった。

 やめた原因は、結局は自身に不都合があったからではなかったので、余計に何か“残念な気持ち”が残ってしまったのではないかと考えた。

 交換したPowerBookのバッテリは袖机の上に他の物と重ねてあり、平生は忘れているのだが、何かを探し出そうとすると妙に密度を感じる質感でもってその存在を主張するのだった。

 ちょっと使ってみようかと思い立ったのは、特にきっかけもない事だったが、私は古い方のバッテリを装着して使ってみた。

 なんだ、やっぱり何の問題もないじゃないか。今までと全く変わらずーいや、その言い方は正しくないー以前と全く変わらず快適ではないか。しばらくはそう思えた。

 しかし、いつになく立て込んだ作業を出先で行う必要が生じた時、それは突然起きた。

 [現在予備電力で動作しています]

 ほとんど残量を意識せず使ってはいたが、そこはクルマのメーター類と同様に視界の片隅では常にバッテリ残量の確認をしていた。だから四十数パーセントの残量があったはずのPowerBookのそのアラートは本当に突然の事だった。

 すぐに開いている書類を保存してPowerBookを閉じたが、しばらくの間、私は「なぜなんだ?」という思いで頭が一杯になった。

 冷静に考えれば、中古で購入した数年落ちのノートパソコンに付属していたバッテリなどそういうものなのではあるが、しばらく私はそういう事に遭遇しておらず、そういう事への耐性というものが全く失われていた様だった。

 大概のものは少し離れてしまうと美しく見えるのだとよく言うが、使いかけのバッテリは使いかけのバッテリである。何やってんだか、もっとしっかりしないと。

 何かの例え話ではないかというのは勘ぐり過ぎと普通は言われるかも知れないが、今回は、いや本欄ではそうでもないのであった。


読書 吉田秋生「櫻の園」白泉社文庫

昨年末にS女史より誕生日プレゼントとしていただく。初めて読んだのは高校生の頃だったか。捜せば単行本がどこかにあるはずである。当時の私は女の子というのはこういうものだと、この本から教わったような気がするが、そういえばこの本は女子校に通っていた彼女から薦められて読んだのだった。