宿題

'10.9.7

「山岸さんは本とかよく読むの?」

「ええ。通勤時間、長いですから」あと、人をよく待たす得意先もいるしな。

「本屋のさ、最近店頭でよく見掛けない?」よく見掛けるベストセラー小説のタイトルを挙げる。その作品に限らず作家自体あまり読みたいと思う作家ではなかった。「あれ面白いよ。絶対お薦め」余程趣味の合う相手でなければ、本の「お薦め」は百害あって一利なしだ。何のあてにもならないし、時間も無駄になる。しかし相手が得意先では話を合わせないとならないか。

「今読んでいるのが終わったら、読んでみますよ」
「おっ。じゃあ宿題だな」

 読後感までレポートしなければならない感じだ。やれやれ。学生時代以来だ。

「まあ、のんびり本を読んでばかりもいられないんですけどね。特に今月」
「なに不景気な話? せっかくだから山岸さんに何かお願いしたいところだけど、今、何もないんだよね」
「いやぁ、お願いも何も、こちらがお願いですよ。以前おっしゃっていたインナーの教育マニュアル、あれどうですかね…」
「上に上げるための物から作らないと動かないねぇ」
「もちろん内部用のプレゼン資料からご用意しますので」

 この場合はいわゆるプレゼンテーションではなくて、その場を設けるための内部向けの文書という意味だ。書式も回し方の問題もあり、本来は外部の人間が作る物ではないのだが、その手間ごとの持ち込みというわけだ。

「でも内部プレゼンじゃお金出ないよ」
「出していただける所まで頑張らせていただきます」
「そうか。じゃあ、宿題ね」

 宿題の好きな人だな。まあ、話を聞いてくれるだけありがたいか。私は2つの宿題を得意先から貰って帰ることになった。

 宿題と言うからにはつまり持ち帰ってやる仕事という訳だ。後の方はもちろん夜に社内でやるのだが、読書はそれこそ通勤時間だな。義務というか、半ば仕事で読むんじゃ気分転換にもならない。

 読書と言えば、彼女もよく人を待たせる。

「お待たせー」
「少しね」
「挨拶なんだから意味で返さなくて良いのよ。早くなくても『お早う』、ジャンクフードでも『ご馳走様』でしょ」
「それ、この間、僕が言った」
「そうそう、『お疲れ様』に『疲れてないよ』って私が言ったらね。待たせてゴメンね」
「いや、いいよ」この間合いが心地良い。

 彼女はよくぽんぽんと喋るのだが、あまりずけずけとした感じではない。歳が少し離れているからだろうか。いや違うな。気分が上手く切り替わらずにいて相手に気を遣わせてしまうのは、むしろ年上の僕の方だ。年が近い相手だと、こちらは相手の気の遣い方が気に入らなかったり、相手はそんな僕を狭量で情けなく思ったりする様だが、僕たちの場合は上手くバランスが取れている。少なくとも今は、だが。

「なあに?」
「ん?」
「じっと見てたから」
「意識せず、じっと見てた」

 軽く酒を呑み、店を出て次の所に入ってから不意に彼女が言った。

「そういえば、宿題は?」
「…宿題?」昼間のことを引きずっていたのだろうか。怪訝な顔をしてしまう。
「怖い顔。何? 何かあった?」
「いや、ごめん何でもない。なんだっけ」
「く、つ、し、た」

 そう、靴下だ。前に逢った時の帰り際、僕が彼女の下着を褒めた時の事だ。

「男の人って、女のストッキングのこととかをあれこれ言う割には、自分の靴下に気を配る人って少ないんだよねぇ」
「穴なんか開いてないよ」と足を上げると、かかとの所が薄くなっていて笑われた。
「私と逢う時は、靴下くらい格好良いの穿いてきてね」

 そうだ。それが宿題だった。

「ちゃんと覚えているよ。でも、靴下に格好良いも何もないだろ」と言ってパンツの裾を上げて見せた。
「ちゃんとしてれば良いのよ」満足げな笑顔。
「なんかいちいちチェックされるの厭だな」
「私の事はいちいちチェックして?」と言うと、彼女は数歩離れて、足許にワンピースをストンと落とした。中から現れたのは、何とも表現し難い、海外ドラマでしか見ない様な下着だった。
「…宿題にはしてないよ」
「褒められると自発的にしてくるものなの。こういう宿題は」

 ベッドの周りで軽くポーズをとる彼女を、暫く眺める。

「どう? 気に入った?」
「うん。セクシーで良いね」
「そういうの、今は『エロいね』って言うのよ」
「それは褒め言葉になるのか?」
「相手によるよ」
「しかしこれは…」いざとなると戸惑う。
「こういうのは自分で脱ぐものなの。変な所を外されたら着るの面倒になるもん」

 そしてまあ、脱いでしまえば良くも悪くも他はいつもと何ら変わりはないのだが。

「また次も、宿題忘れないでね」

 やれやれ、宿題は続くのか。というより、どうも彼女が一方的にやりたがっている様にしか思えないのだが。まあそれは良いだろう。次はどんな宿題なのだろう。自分の靴下のことはとうに忘れている。

 忘れていると言えば、宿題の資料をまとめないとならないのだった。余計なことを思い出してしまい、彼女と逢った余韻どころではなくなってしまった。


この作品は、mixiの「お題に合わせて短編小説を書こう」コミュのお題「宿題」に参加。字数制限はコミュの仮規定2000字に準拠。