言い訳

'08.8.2

 「久米さん、そろそろ3時間だヨ」

 純菜の声で目が覚める。

 
薄目を開けると、アンバーの掛かった室内の光線の中に、下着を着け始める純菜の太股が白く浮かび上がり揺れて見える。ひどく艶めかしく、その分現実から遠いような感覚に陥る。

 
「帰るんでしょ。っても、もう朝だよぅ」

 
「わかってる」と口にしながらも、心の中では厭な感じの焦りが巨大な排水溝の様に口を開けて、濁った水をゆっくり吸い込んでいく。

 
「シャワー浴びて良いか?」

 
「どうぞー。急いだ方がいいけど」

 
シャワーから出ると、すっかり帰り支度を終えた純菜が、照明を落としたままの部屋で煙草を吸いながら携帯電話を弄っていた。いつだったか部屋を明るくして待っていた彼女に「帰り際にシャワーから上がってくる裸の男って間抜けに見えないか?」と、自嘲気味に言ったことがある。その後は、先に上がった彼女は照明を落としたまま待っている。彼女なりに気を遣っているのか、逆に本当にそう感じていたので自分でそのシーンを回避するためのことなのかはよく分からない。

 
ハンガーに掛かったジャケットを残すのみになると、ソファの上にまだ何か残っている。手に取り彼女に見せると「あ」と私の手から奪い「へへ」と笑う。そのままポケットに突っ込んだので、身に着けなくても良い物だったらしい。男には、そういうパーツはない。

 
「娼婦は汗をかかない」というのは誰の言葉だったか。最近は素人が多くてそれを実感することも少ないそうだ。純菜の匂いと汗の感触を一向に愛しく思えない自分が、むしろ何か間違っているのかとすら考えてしまう。

 
いや、そもそも純菜は娼婦じゃない。なぜまたわざわざ自分の「相手」を貶める様な言い方をするのか。しかしそれは同時に、共犯者である自分自身も貶めているのである。

 
彼女は何だろう。

 
時々逢う。逢う度に躰を絡める。俺は言い訳のように金を渡し、純菜は仕方なさそうにそれを財布に仕舞う。彼女の方から2人の関係を定義したことはない。意外にそういうのは男がしたがるものなのかもしれない。

 
「愛人みたいだな」

 
「“愛人”て、こういうものなの?」

 
「ん…。どうかな」

 
「“愛人”って、マンションとか買ってぇ、毎月お金渡してぇ、って感じじゃない?」

 
「それは2時間ドラマの中だけだろう」

 
そうは言ったが、実際のところ自分のイマジネーションだってそんなものだ。純菜の言うことを馬鹿にできたものじゃない。

 
「それに、今は“援交”って言うんじゃない?」

 
「それは厭だなぁ」

 
「なんでぇ? “愛人”は捕まらないけど、“援交”は罪になるから?」

 
どちらも罪と言えば罪だけどな。それにどっちも同じだろう。でも援助交際と言うと、字面の意味合いはビジネスライクなのに、関係はイーブンでない様に感じてしまう。そんなことを言えば、また「難しいこと言い出したぁ」と言われてしまいだという気がしたが、しかしつい口にしてしまうと、純菜の反応は意外なものだった。

 
「そうだね。で、“愛人”と言うと女の方が従ってる感じするよね。…純菜は“愛人”でいいよ。ふふっ」。

 
“ふふっ”と言っても笑ってはいない。しかし私はそんな彼女を見ると、なにか気の緩む思いがするのだった。

 
彼女のいろいろな言動が俺の気を緩ます。彼女の才能か、努力か、あるいは単に組み合わせの問題か。俺は彼女といると気が緩む。安らぐのではない。妙な感覚だ。しかしその結果、何かとても狡いことをしている様な気にもなり、彼女と逢っていない時に、そんな自分が厭になってくるのだった。

 
援助なんかしていないし、愛しているのとは違う。それでいて純菜のことは気に掛かってはいるが、訊かれたことがないのでそもそも好きかどうかを口にしたことはない。