市境の県道沿いには半端な規模のホテルが1棟建っている。潰れずそこにあるということは、利用客はそれなりにいるのだろう。
いや、今でも本当にあるのだろうか。最近はそこの近くを通ることもなかったし、通っていたとしても気にしていないので記憶には残っていない。
何の用事もなくただ外に出た俺は、何となくそれが気になり、市境に向かうことにした。
月に一度跨るかどうかという具合で放ったらかしにしている自転車のシートをぼろ布で拭い、タイヤを摘むとそれなりの弾力があったので、そのまま漕ぎ出す。毎日暮らしている街も、視点の高さと速度が違うだけでどこか別の街の様に感じる。しかししばらく走ると、それはもっと違う種類の違和感に感じられ、学生の頃から長く住んでいる街だが余所余所しささえ覚える。
平凡な低層住宅が並ぶ街を抜けると、荒れた畑だか空き地だかがしばらく続く。その先には、誰が何を買いに来ているのか良く分からない様なディスカウントストアや閉まったままの並行輸入車ディーラーが並ぶ県道が見える。
果たして、件のホテルは記憶の通り県道の向こう側にあった。
俺は歩道の自販機で缶コーヒーを買い、それを飲みながら自転車に跨ったままホテルを眺めた。
築年数はそれ程でもなさそうだが、いつからそこにあったかは、まるで記憶にない。筆記体の屋号が縦型のサインに流れる。初めから人に聞く気を失わせる冗談の様なこのサインのせいで、ホテルの名前は分からない。
ビジネスホテルの様に殺風景な態をしているが、「ビジネスホテル」とはどこにも書かれていない。こんなホテルに泊まって、何が嬉しいのだろう? 近くに観光地があるでなし、駅やインターチェンジが近いわけでもなし、“便利な場所”のラブホテルですらない。
駐車場にはくたびれた感じの国産車が疎らに駐まっている。エンブレムを見てもどれが何だか分からない様な、そういう種類のクルマばかりだ。地方で地主が片手間でやっている中古車屋でももう少しましなクルマを並べるだろう。轢き逃げや尾行に最適だ。
あるいはこいつら全員探偵や興信所の調査員の類かもしれない。そういう連中は、最大公約数的なできるだけ目立たない格好をしているからだ。正面から目視されても印象に残らない、という様な格好だ。これ程難しいコーディネートもないだろう。
興信所の研修か何かで定期的に使っているのなら潰れない、か? 大方、俺の様に職にあぶれた連中が残り少ない手持ちの金を貪られながら、何の実益も生み出さない講義やら何やらを毎日受けて消耗しているのだろう。
馬鹿らしい想像をあれこれしながら、飲み終えた缶コーヒーを自販機横のゴミ箱に捨てる。飲料がこびり付いて縁が黒くなったゴミ箱になるべく手を近づけぬ様、中指と親指で摘んで人差し指で弾く。ゴミ箱の中で空き缶が音を立てるのに一拍開く。そう頻繁にメンテされているとも思えないし、利用する奴が少ないのだろう。爪先でゴツゴツと蹴ってみると、ガラガラと疎らな空き缶の音がした。
ふと、久しぶりに1本吸いてぇなぁと思う。もっともこういう県道沿いに煙草の自販機などあるはずもないし、そもそも俺は自販機用のカードを持っていない。
目の前のホテルに行けば煙草くらい売ってるだろうとは考えなかった。あったとしても、興信所の調査員が好む銘柄なんざ吸っても旨い訳がないだろう。
市境の県道沿いに建つ無味乾燥なつまらないホテル。黒ずんで褪せた色のカーペットが重苦しいロビーには辛気臭い面をした興信所調査員の“研修生”の男達。奥には仰々しい造作の割にはお座なりな印象のフロントがある。フロントのくせに清掃員の様な面をした中年女がいて、彼女に煙草はないかと訊ねると、無言でカウンター下から疎らに煙草の入った籠を取り出される。
俺は何と言えば良い?
「ぱっとしねぇな」
口に出してみるが、なんだか自分自身の事を言っている様な気がして厭な気分になる。
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