ハイネケン・ビール

'09.9.5

 僕はその年の初め、恋人と運転免許を失くしてしまったので、独りでお酒を飲んでいる事が極端に多くなった。

 店は多少洒落ていて独りで飲めればどこでもよかったのだけれど、僕が注文する飲み物は2種類しかなかった。ロックのウオッカかビールだ。

 ウオッカの銘柄を指定できるほどウオッカの事は知らなかったから、取り合えずズブロッカで、無ければ何でも良かったけれど、ビールはとにかくハイネケンを注文していた。と言っても実際オーダーしてみると意外にハイネケンを置いている店は少なくて、今風の洒落たカフェバーでもサントリーモルツしかないとか、外国ビールがあってもバドワイザーだけとかそんな事も結構あり、気分の乗らない時はそれだけで店を出たりした。

 大体ビール飲みはビールであれば何でもいいというのが本来で、いちいち銘柄にこだわる程の飲み物ではないというのが大方の考え方であるように思う。第一、ビールの味というのは飲み始めの一杯目にしかないから別に細かい違いを気にする程の事もないんじゃないかという気もする。

 にもかかわらず僕がハイネケンを飲むには、やっぱりそれなりの理由がある。

 まず僕はグリーンが好きだからだ。ハイネケンは缶もビンも綺麗な緑色をしている。大体ビールの缶やビンなんて、そこにあるだけでうっとおしいデザインのものが多いけれど、僕はハイネケンのなら許せる気がした。まあ自分がグリーンをワードローブとかのメインカラーにしているから、服や小物と一緒にハイネケンの缶やビンがあっても色彩としてはそれ程汚らしくは見えないというのもある。

 それからハイネケンの昔の広告にこういうのがあった。それは確かエグゼクティブサラリーマン向けの雑誌に、見開きカラーで載っていた広告だったと思う。ちょっと趣味の良いシックな部屋の中にアンティックなテーブルとスツールがあって、スツールにはジャケットが掛けてあり、テーブルには一本のハイネケンとグラス。そしてコピーが確かこうだった。

「ハイネケンを飲むと、明日からまた、背筋を伸ばして生きていける気がする」

 そんな訳で僕は緑色のスーツを着て飲み屋に行き、緑色のビンのビールを注文した。勿論、背筋を伸ばして帰れる程度しか飲まない。

この随筆は'89年に発行した個人誌に収録したものを、文体と用字用語をそのままに打ち起こした。酒の好みが若干変わっただけで、書いていることは20年後の今と変わらない様に見えるのが可笑しい。