民族的一杯

'98.10.7

 これは、まあ、少し前の話なんだが…

 その日のその店は結構繁盛していて(と言っても10人入れば一杯の、カウンターだけのスタンドバーだが)、私は見慣れない四十位の紳士の横に通された。というより、そこが本来の私の指定位置なのだ。カウンターの向こう端には知った顔が居たが、まあ、とりあえず一人で呑むことにした。

 紳士の向こうは彼と同年代くらいの韓国系らしい二人連れ(夫婦らしかった)で、お国のバー事情などを割と流ちょうな日本語でバーテンと話していた。

 人の動きもなくなり杯が進むと、カウンターの何人かは何となく言葉を交わすようになっていた。件の紳士もかなり上機嫌になり、韓国人の紳士に日本のプロ野球の誰とかいう監督に似ていると言う話をしていた。

 しかしふと話題が途切れたときだ。バーテンは迂闊にも、丁度その頃起きた韓国への北朝鮮武装兵士潜入の話題(ということは、これは'96年末頃の話か)を出したのだ。更に、上機嫌の日本紳士は迂闊にも「北朝鮮ってのは恐くないですか」などと言い出したのだ。私がバーテンに「おいこらっ」という視線を送るのと同時の発言だった。

 そこからは、夫婦の日本語は一挙にたどたどしくなり、逆に口調は強く「私たちは一つの民族なんだ」と話し始めた。それはあたかも"日本人全体"に話しているようだった。

 私は話に割って入って「誤解があってはならないが、"私たち"は、"北と南"は一つの民族だと認識している。それは"私たち"の共通認識だ」という主旨のことをしつこいほど繰り返して話した。

 先ほどの紳士は適当なタイミングで退席し、私はといえば、延々とその夫婦が韓国でどんなに高いソサエティかという話を聞かされる羽目になった。言葉でこそ言わなかったが"日本でもこんなに裕福な人はそうそういないでしょう?"という言い様だった。まあ、私はどう見ても二人よりは十近く年下だったので、自慢されるのは構わないんだが、とにかくうんざりした。何よりついさっきまで当たり障りのない話をしていたはずが一気に「日本人なんかには」という話になってしまったことが、腹立たしいし、哀しかった。

 翌日、バーテンの奴は苦笑いで私を迎えた。その日の払いは当然1杯分ただだった。全然割に合わないけどね。

 大統領が来る度に「五十数年前は悪かった」なんて謝る気は、私にはさらさらない。バーで愚痴られる程度なら、一杯分くらいつきあって差し上げても良いけどね。わかります?