'01.9.20

夏休みの家

 

夏休みの家

〜自分の家について書くためのメモ

、私が住んでいるこの家は、父が大学生の頃に祖父が建てたものだ。私が3歳の時に一家が茅ヶ崎に越してからは、ずっと祖父母だけで住んでいた。茅ヶ崎に住んでいる間は、夏休みになると私は泊まりに来て、毎日祖父に勉強を教わったり、庭で遊んだりして何週間かを過ごした。その庭に小学校5年の時、父が家を建て、再び越してくることになった。そして私は27歳に結婚するまで、父の建てた家の方に住んでいた。その間も祖父母はずっと隣のこの家に住んでいたのだが、なぜか、私にとってのこの家は、いつまでも"夏休みの家"という感覚がある。

 父が亡くなり、祖父母が入院生活を送るようになったとき、私たち夫婦は、改築してこの家に住むことになった。祖父母が亡くなってからは登記上も私の家になったが、それでも私にとっては"夏休みの家"という感覚が抜けない。懐かしいが、それでいて距離のある、そういう感覚である。実のところ、ここで生活をするようになってもう4年は経っているのだが、この感覚は抜けていない。なぜだろう。長いこと祖父母の家だったからということもあるが、それだけではない。

 私はこの家に移り住んでから1年近く失業していた。ちょうど娘が生まれる前だったので、半分は出産休暇くらいのつもりで家にいた。身重の妻を気遣いながらも(自分なりにだけど)、多くの時間を好きなことをして過ごし、娘が生まれてからは毎日娘の顔を眺めながら過ごした。小遣い程度の仕事らしきものを探してきて、日常に無理のない範囲でこなし、新しい友人達と新しい遊びを見つけたりしていた(その間にこのホームページを立ち上げたり、マックの専門誌に執筆させてもらったりした)。庭に面したテラスに友人から貰った小さな冷蔵庫を置いて瓶ビールを冷やし、車を運転しない日は夕方まで庭でビールを呑んだりしていた。それは私の人生の中で、まさしく夏休みの時間そのものという感じだったのである。



造2階建て6LDK。築約45年。祖父が、金持ちの別荘をよく手がける建築屋に建てさせたというだけあってそれなりに変わった部分が多い。スレート葺きの洋風の本体に、瓦葺きの和室が繋がっている。和室の先に祖父の書斎が飛び出すような形で造られており、間は雪見障子になっている。木建ての窓はいずれも規格外で巨大な正方形だったり短冊状だったり。勝手口には御用聞き用の小窓があり、改築前はトイレが男女用それぞれあったりした。特に高級な仕上げとなっているわけではなく、場所によっては合板が飾りのないリベットで止められていたりする。木製の鎧戸(よろいど)は、言葉の通り鎧のようであり、挺身の力を込めてガラガラガラッと開け閉めしなければならない。家の中は、今でも雨の降る日には埃臭い"昔の臭い"がしたりする。

 古いなりにいろいろ手を入れた家を取り壊し、建て替えをするということになるまでの経緯については、私個人ではなく家族に関わる極めてプライベートなことなのでここには書かないが、半月後にはこの場所にこの家が無いのかと思うと不思議な感じがする。それも寂しいとか、哀しいとか、それだけとも違う。

 

 それはまるで終わってしまう夏休みのような、そんな感じなのである。


 年内に建て替えをする。そのために、今週末には近所の仮住まいに引っ越す。自分の家として住んだのは5年足らずだが、生まれたときから"自分の家"だった家である。いろいろな想いがあるのだが、実のところ今はそれを上手く文章に出来ないでいる。