告知
公文書

'11.12.16  告知 

アサブロ、コメント欄復活
 ASAHIネット技術サポートデスクより、アサブロのコメント書き込み不能について対策完了のお知らせが到着した。元より私の環境からは書き込めていたのだが、試しにいつもはやらない携帯からの書き込みをしてみたところちゃんとコメント書き込みができた。

それでも正常に書き込まれない場合は、以下の操作のお試しを。
・ブラウザのキャッシュ(一時ファイル)を削除する。
・ブラウザのCookieのうち、「asablo.jp」というドメインが付いた「クッキー(cookie)」を削除する。

FireFoxの場合の手順
・一時ファイルの削除方法〜メニュー「ツール」−「オプション」をクリックし、「詳細」タブを開く。「オフラインデータ」のグループに「今すぐ消去」ボタンがあるのでこれを押す。
・cookieの削除方法〜メニュー「ツール」−「オプション」をクリックし、「プライバシー」タブを開く。「Cookieを個別に削除」をクリックし、「検索」窓に「asablo.jp」と入力。ドメイン「asablo.jp」の cookie 一覧が表示されたら、全て選択し、「Cookieを削除」ボタンを押す。

 原因については確認中。判るものであれば教えて貰いたいとお伝えしている。


'11.12.15  告知 

頑張れASAHIネット、頑張れアサブロ!
 当栴檀林サイトのブログ「小隊司令部発BLOG版」は、本体と同様にASAHIネットのサービスを利用している。たまに文句も書くには書くが、実のところASAHIネットは悪くないと思っている。というかインターネットを始めてから、プロバイダをASAHIネット以外に移したことはない。J-COMはインフラの関係で併用しているだけである。

 ただ、正直なところASAHIネットのブログサービス「アサブロ」は名前がオヤジギャグ過ぎる。…じゃなくて、ネーミングセンス同様に垢抜けないシステムである。スパムコメント対策は致命的な程に遅れていた。長いこと、キーワードやIPを個別に弾き続けなければならなかった。しかし画像認証の代わりにクイズ認証が導入されて以来、スパムコメントは本当にぱったりと絶えた。

 ところが最近コメント自体が減ったのでどうしたものかと思っていたら、小心者らしく恐る恐る「お前らなんか文句あんのか!?」と馴染みの人に尋ねると、コメントの書き込みが出来なくなっているというのだった。

 以前は何度もできていたのと同じ環境からで、症状はエラーメッセージが出たり(たけしゃん、まつねこさん)「確認」を押しても先に進まなかったり(やすさん)と様々。環境もWinXPやiPhoneなど様々。ちなみに私自身は書き込める。また青鍛冶さんが書き込めるのは何処かから何かをしているので書き込めるのだろう(ブラックボックス扱いかよ)。

 症状再生しなくて個別の問題なんじゃないかなーと思いつつ、ひょっとしてレギュラーでコメントくれる人を間違って学習して弾いていないかASAHIネットのサポートにフォームで連絡したところ、以下の返答を頂いた。

弊社で確認させていただきましたところ、おっしゃっていただいた通り、記事に対してコメントを付けようとすると、正しく書き込めない状態でした。

このため、弊社で原因の調査を行い、対策を実施させていただきます。つきましては、解消までしばらくお時間をいただければと存じます。対策が完了いたしましたら、改めてメールでご案内させていただきます。

なお、多くのコメント書き込む人を学習して、自動的にコメントの書き込みができなくなることはございませんので、ご安心ください。

この度は、アサブロのご利用においてご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。

弊社から連絡を差し上げるまで、しばらくお待ちくださいますようお願い申し上げます。

 よし任せた! 大船に乗った気で対策お待ち申し上げます。個人的には某大陸系謀略通販サイトdenXXX.orgが怪しい気もいたしております。


'11.10.21  告知  bicycle

すべては恋愛の話?

 「物語というのは大抵が恋愛だ」と、ある作家が書いていた。世の小説を見渡せば、確かにそうなっている。ただ、その作家(誰だかは忘れた)は「恋愛」ではなく「男と女のこと」と書いていた。ご時世で「同性愛ではいけないのか?」等という批判が出てきそうな気もするが、自由な世の中である。好きな様にすればいい。

 恋愛は行為だが、愛は内面に在るもので違うのだが(ちなみにそう言ったのは私だが)、愛で支えられることによって通じ合えない恋愛も物語としては成立したりもする。そうでなければ片思いは恋愛ではなくなってしまうだろう。

 そういう意味で、ペット愛も恋愛と言って良いのかも。まあ当人(ヒトの方)にしてみれば通じ合っていると言うのだろうが。

 同じ意味では道具愛も変わらないのではないか。思い込みの激しい人や比喩の好きな人(私だ)は、これもやはり通じ合っていると言うのだろうが。

 例えば自転車の整備をしていて、初めは接し方すら分からず本を読んだり人に訊いたりして恐る恐る接する。しかしその内に「こういう時はこうしたいな」とか、「ここはこうではしっくり来ないんだが」という場合が必ず出てくる。勿論その結果は、上手く行くときもあるし、行かないときもある。しかし自分のしたい様にしないで何の恋愛だという様にも思う。

 自分の昔の整備記事などを読み返していて、そう思った。

 なぜ読み返していたかというと、自転車のコンテンツを更新したからである。趣味としては続いているのでブログは更新していたが、サイトの方をがそのままになってしまっていた。自己紹介代わりに載せるなら、自転車関係コンテンツ「ルイガノJEDIとRC20の記録」が適当なのだが、そこが更新されていないのは具合が悪い。尤もこのコンテンツのタイトル自体が、今の自分の自転車との関わりとずれているので改題した方が良いのだが、それはまた改めての機会に。

 要するに単なる更新告知なのだった。


'11.8.1  告知 

8月1日月曜日

 たまにハードディスク内の無数にあるフォルダを開いてみたりする。そこには書きかけのテキストファイルが山とあったりする。それらを書き終えようという気にはならないが、かと言って消す気にもならずそのまま閉じてしまう。何かの思い付きで書き記した文章というのは、大抵その様な運命を辿る。希に引っ張り出して完成させてしまうこともあるが、希である。

 何を思ったか昨年は掌編小説を書き続けていた。掲載は元々創作用のコンテンツ「出口、らしきもの」があったので良かったが、告知などをブログでやっている内に「これは“客層”が違うな」と思い始めて、わざわざ掌編小説発表用のブログを立ち上げたのだが、その途端にあまり書かなくなってしまい、今は開店休業状態である。

 ものを作るというのは、仕事でなく趣味であっても、それは作り上げる力があってこそ成り立つ。だから冒頭の私の様にメモを書き散らしてる様なのは、小説を書いているとは到底言えない。組み上がらないプラモの山を作っているような物だ。情けない。創作者に必要なのは、センスやら何やらの前に生産力だと思う。

 と、まあ、何をぐだぐだ書いているかというと、そうは言ってもちょっと前に書きかけていた2000字の掌編を仕上げたので、アップしたという告知なのである。向こうのブログはあまりに久しぶりの更新なので、トップにスポンサー広告が来ていてみっともない状態だった。こっちに告知書くくらいならこっちに載せれば良さそうなものだが。

 8月が、月曜日から始まる事に違和感の様なものを覚える出だしなのは私だけだろうか。なにか追い立てられる様な気すらしてしまう。確かにやらねばならないことが(相変わらずだが)山積しているのではあるが。

「出口、らしきもの」BLOG版 →出口、らしきもの