「物語というのは大抵が恋愛だ」と、ある作家が書いていた。世の小説を見渡せば、確かにそうなっている。ただ、その作家(誰だかは忘れた)は「恋愛」ではなく「男と女のこと」と書いていた。ご時世で「同性愛ではいけないのか?」等という批判が出てきそうな気もするが、自由な世の中である。好きな様にすればいい。
恋愛は行為だが、愛は内面に在るもので違うのだが(ちなみにそう言ったのは私だが)、愛で支えられることによって通じ合えない恋愛も物語としては成立したりもする。そうでなければ片思いは恋愛ではなくなってしまうだろう。
そういう意味で、ペット愛も恋愛と言って良いのかも。まあ当人(ヒトの方)にしてみれば通じ合っていると言うのだろうが。
同じ意味では道具愛も変わらないのではないか。思い込みの激しい人や比喩の好きな人(私だ)は、これもやはり通じ合っていると言うのだろうが。
例えば自転車の整備をしていて、初めは接し方すら分からず本を読んだり人に訊いたりして恐る恐る接する。しかしその内に「こういう時はこうしたいな」とか、「ここはこうではしっくり来ないんだが」という場合が必ず出てくる。勿論その結果は、上手く行くときもあるし、行かないときもある。しかし自分のしたい様にしないで何の恋愛だという様にも思う。
自分の昔の整備記事などを読み返していて、そう思った。
なぜ読み返していたかというと、自転車のコンテンツを更新したからである。趣味としては続いているのでブログは更新していたが、サイトの方をがそのままになってしまっていた。自己紹介代わりに載せるなら、自転車関係コンテンツ「ルイガノJEDIとRC20の記録」が適当なのだが、そこが更新されていないのは具合が悪い。尤もこのコンテンツのタイトル自体が、今の自分の自転車との関わりとずれているので改題した方が良いのだが、それはまた改めての機会に。
要するに単なる更新告知なのだった。

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