小隊司令部、「浜」へ行く。
公文書

'06.8.23  随筆

小隊司令部、「浜」へ行く。


 休みを取って茅ヶ崎に行った。

 湘南、茅ヶ崎の話をすると私のイメージから遠い場所だと言われることがあるが、幼稚園に入る頃から小学4年までを私は茅ヶ崎で過ごした。浜から徒歩15分ほどの所に「浜見平団地」という公営団地があり、そこに住んでいたのだ。

 行くに当たって決めていたことは1つ。各所を見て回るのに自転車を使うということだ。妻とまだ結婚していない頃クルマで行ったことがあるが、一人で行ったとしても見たい場所を見て回るのは難しいなと思った。しかし徒歩では範囲が広すぎる。

 もっとも自宅から気安く自転車で行ける距離という訳ではないし、それに折り畳み自転車なのだからその特性は利用してみたい。初めはクルマのトランクに詰め込んでと考えたが、買い取りの査定を出した後なので長距離の移動は避けたいと考えた。こういう時に限ってトラブルは起きるものだからだ。

 自宅から近いJR駅である中央線武蔵小金井駅まで自転車で行き、そこから輪行する。八王子から横浜線。橋本で相模線に乗り替えて茅ヶ崎まで。駅から駅の所要時間は、乗り継ぎが上手く行って1時間50分前後だった。夏休み中の平日の昼間とはいえ、折り畳んでも全長120cmの自転車を輪行するのは面倒だった。

 茅ヶ崎駅到着。まずは駅前の変わり具合に驚く。引っ越し後も暫く夏休みの度に家族で訪れていたが電車で来ることはなく、駅前を見るのは数十年ぶりだった。そもそも私の知っている相模線はディーゼル路線だった。「さいかや」…はあるはずないが、「するが銀行」も単体のビルではなくなっている。

 駅から国道1号を下る。浜見平団地方面への曲がり角にはサムソナイトの工場だか倉庫があったはずが、なんだかよく分からない商業施設の駐車場になっている。しかし恐る恐るそこを曲がると、当時のままに宮田自転車の工場が見えてほっとした。

 工場正門のすぐ脇が東海道線のガード。ちょっと雨が降るとすぐ通行禁止になった。ここをくぐると、目の前に色褪せた団地群が広がる。イメージだけでなく本当に色褪せている。よく見ると窓が割れたままの空室が数軒見られた。かと言って公団住宅にありがちな「立て替え反対」の横断幕も一切見られないから立て替えの予定もないのだろう。大丈夫なのだろうか。


なぜだかハンドルが入りきらない。

駅ビルがあることだけは知っていたが…。

子供の頃は、客車から落ちるクーラーのドレン水を小便だと思っていた。

プールと言っても深さは20cm程度。

ここに住んでいた。

廃墟の様なダスターシュート。

馬入川ではなく小出川。

全体では増築部分は1/3程にもなる。

「何でも置いている玩具屋」としていまだに夢に出てくる店の原型がココ。
 暑いし、昼飯時だからか人影はあまりなく、とりわけ子供をほとんど見掛けない。昔、夏場は簡易プールとなっていた公園も水が溜められた形跡がない。となりのグラウンドで催されていた盆踊りも、もうやっていないのかも知れない。20代の母親が子供を乗せて自転車で通り過ぎてほっとする。改めて団地内を見て回ると、駐輪場には子供用の自転車が溢れていた。

 かつて住んでいた棟の周りを見て回る。中を見てみたいなぁと詮無いことを考える。抜けた歯を投げ入れた通風口や、女の子と2人きりでどきどきしながら入り込んだダスターシュートなどがまだ残っている。ということはその頃にはもう使われていなかったのだったか?

 通学路を辿り「柳島小学校」を目指す。団地との境にあった店は肉屋のままだったが、住宅街はすっかり変わってしまっており迷いかける。物売りが子供の帰路を待っていた畑の真ん中の坂道は、坂であることが変わっていないだけだった。

 小学校が見え始めると違和感を覚える。増築されている上に校舎の後に大きなアーチが掛かっている。後で調べて知ったことだが'95年に開通した新湘南バイパス茅ヶ崎海岸ICだった。裏手を流れる小出川はあまり変わっていなかったが、さすがに昔のように沈んだ違法繋留ボートで埋まってはいなかった。ちなみに今回の訪問まで私は小出川のことを馬入川と呼ぶのだと思い込んでいた。馬入川は相模川河口付近の俗称なのだそうな。

 正門は工事用車両で埋まっており、工程表によれば娘の学校と同じくアスベスト除去工事の最中だった。校庭側から入り職員室にいた教師に声を掛ける。久しぶりに近くまで来た卒業生だが外周だけでも見て回って良いかと訊ねる。正確には卒業まではいなかったが。自分より二十は年下の若い教師は「誰か、名前の分かる先生とか…」と言いかけ、私は「私がいたの、三十年ほど前ですからねぇ」と言い、二人で苦笑いした。

 他に二、三カ所見て回ると行くところもなくなる。意外に狭い地域だったんだなと確認する。それはそうだ。三十年ほども前だったのだ。同じなのは乗っている自転車の車輪の径くらいか。いや、20インチよりは大きかった気がする。

 実は今回の小旅行、もう1つ目的があった。知り合いが片瀬江ノ島海岸で海の家をやっており、そこへ顔を出すことにしていた。歌舞伎町のバーBLACK LUNGのオーナーふる君が西浜で「アポロ」という海の家の店長をしている。海岸沿いの自転車道を飛ばす。輪行時に断線してしまったらしくサイコンが作動しないが、あまり気にならなかった。

 「お互い、違和感ありますねっ」と彼が笑う。それはそうだ。昼間も昼間、真っ昼間の海岸沿いで顔を合わす二人ではないのだ。「お疲れ様ということで」1杯ご馳走になる。結局数杯飲んでアポロを後にする。「どこへ行っても呑むもの同じだな」と笑う。

 企画物の海の家で土産でも買うかと思っていたら、目的の店の情報は去年の物で、今年は何もない。どうしようかと考えていたら、もう帰りの電車の時間が近付いていた。

 家に帰り着くと疲れもあってつまらないことで娘を叱ってしまい、土産話も何もない。もとより知らない何もない土地の話なぞ誰も喜ばない。実は上の妹ですら物心つく前には茅ヶ崎を出てしまっていたので、話して分かるのは母だけだった。とたんに色々つまらなくなって、数本ビールを呷って寝てしまった。

 わざわざ休みを取って何しに行ってきたんだか。やれやれ。

 


海岸沿いの自転車道。江ノ島はそう近くはない。

浜の自転車の多くに付いていた妙な金具。サーフボードのキャリアである。

海の家アポロ。やきそばくらい食っておけば良かった。