デザイン表現としてのスケルトン化

私は「スケルトン化計画」の実行委員の文書担当なのですが、文書担当と言っても申込書用の文書ではなく、対外的な文書などが主でしたので、コンセプト説明をするために"スケルトンというもの自体"について考える機会が多かった様に思います。
 
ところで、ここしばらくは、私たちの進めているスケルトン化計画よりも、一般の方々にはマックのスケルトンというとiMacが想起されることと思います。
 
メーカーサイドのスケルトン(というか透明樹脂製の)筐体は、元々は試作モデルとして作られることが多かったものです。銀座のソニープラザには、ウォークマンやハンディカムといった代々のソニーの製品の透明筐体モデルが飾られていますが、これらはパーツの収納や配線の取り回しなどを検討するために作られるモデルです。マックにもモデルによってはメーカー製の透明筐体版が存在しますが、いずれにしてもiMacの様にデザインとしてのスケルトンとは全く別個の物として考えるべきと考えます。
 
例えば、単純に「透ける」という意味では、iMacの筐体はほとんど透けてはいません。これは、iMacの半透明の筐体は、チップやケーブルを露にするという、初心者ユーザーを対象としたiMacの製品コンセプトとは関係ない目的に用いられているのではないということの表われでもあります。スケルトンカラーの持つ"未来感"や拡がるデザイン表現(例えば裏面のモールドも表現になってくることとか)こそが、手法として"iMac的"な表現手段と言えると思います。そしてまた、「スケルトン化計画」もiMac的な(PBに対しての)アレンジでありたいと私個人は考えてきました。
 
これに比べれば、巷には意味なく透けている製品の何と多いことか!
 
これらの"何となくカワイイ透けたグッズ"とiMacを一緒くたに見てしまう意見も巷にはあるようで、これは非常に残念なことです。というよりは、その様な見方をすることは、いちユーザーのスタンスとしてはよくあることと言えても、あまりクリエイティビティの高い見方ではないと私は思うのです。残念なことに、ユーザーだけでなく、メーカー側がその意義を深く考えていない場合も多く、単に成形素材を透明の物に置き換えただけで、何のための透明なのかがわからない製品も少なくありません。
 
少なくともPBをスケルトン化するということに対して、「なぜそうするのか?」ということは、個々に考えていて欲しいと思います。テクノロジーを視覚的に確認するためでも、デザイン表現を拡げるためでもいいのですが、そういう思考をすることこそがクリエイティビティであり、私たちが進めている「スケルトン化計画」を極めてマックユーザー的なイベントたらしめるものと私個人は考えています。
'98年10月 島津 (「小隊司令部発」用の文章を10月29日転載。11月18日に加筆訂正)

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