↑小隊司令部前に敷設されたフィールドキッチン。
「雑草にゴミ箱、明るかったら絶対許せない感じよ」は妻の弁。迫撃砲班には関係ないかも。
↑上級曹長(右)と戦闘衛生兵
「今日、初めての食事だよ」
こいつと夜、飯を食うと、いつもこれだ。

上級曹長海外派遣壮行会

`99.7.17
20時頃〜
於 小隊司令部


今年から7月に何だかよくわからない休日が出来て、夏休みを今週に充ててくる人が結構いるようだ。昨日辺りは得意先を回ると、休みか暇そうにしてるかの"オール・オア・ナッシング"状態だった。

そんな中で友人が海外に行く。場所はコソボだ。

彼の「上級曹長」というハンドルネームや、時期が今週ということで、バケーションにからめてたちの悪い冗談を言っているのだろうと思われるかもしれないが、彼は間違いなく、冗談ではなく、医療ボランティアであのコソボにひと月行くのだ。

自分の友人ながらすごいと思う。"宇宙からの遠隔操作を受けてマッハで飛来する長距離誘導の兵器"だなんてTVの中だけの物が現実に飛び交う戦場のすぐそばに、他国の人命のために無報酬で行ってしまうのだ。私にはできない。誰かがやらなければならなくても、私はやろうと思えない。

彼の壮行会を先日うちでやった。例によって突然の話だったので、たまたま時間の空いていた僅かなメンバーだけの集まりだったが。

夜店の玩具の様なNGOのワッペンを嬉しそうに見せびらかしたり、イギリス軍のヘリでの移動に胸弾ませたりしてはいるが、彼にとっては初めてではない海外派遣であり、見た目ほど無邪気に臨んでいる訳ではないのだと思う(多分…笑)。誤射される可能性もあるので、トレードマークのジャングルブーツもズボンの裾を出しては履かなければならない。彼の勤め先の、彼をよく知るボスは「死んだら(マスコミに)コメントもできるが、殺したらコメントのしようもないからやめてくれよ」と冗談を言ったそうな。

とにかくきちんと生還する様に。これは小隊長命令ということで。

(`99.7.20「小隊司令部発」より)


上級曹長、コソボより帰還!

医療ボランティアでコソボに行っていた友人が帰ってきた。

連絡は見慣れぬ国の切手が貼られた手紙とか、そういうロマンチックな物ではなくて、いきなり仲間内の掲示板「連絡所」に帰ったという書き込みがあった。書き込みから15分程度で電話をかけた。

3週間コソボに行っていたという感じではない声の我らが「上級曹長」。


上級曹長

上級曹長


上級曹長

「変わったことはなかったか? 大丈夫か?」
「何もないよ。結構平和。ただ、夜になると銃撃戦の音が聞こえるとか…」
「そ、そう?」
「それからゴミ捨て場に地雷が沢山入っているとか、一歩道を外れると地雷だらけだから歩けないとか、その程度」
「そういう日常なの?」
「慣れちゃったよ」

何か楽しそうでもあり、淡々とした感じでもあり。
でも安心した。相変わらずのまま帰ってきているようだし。
そういう人ばかりが行っているならいいのだけれど…。
とりあえず、任務ご苦労!ということで。

ところで俺が大喜びするような土産って何だ? 空港通れたのか!?(爆)

(`99.8.12「小隊司令部発」より)


上級曹長は二度帰る

↑マケドニアからコソボ(赤い所)の首都プリシュナへ。

↑ノルウェーのNGOが持っていたというシール。極普通の紙のシールで、何に使う物かは不明。

もう先週のことになってしまうが、上級曹長がコソボから帰ってきた。冗談ではなく、去年のクリスマスから今月の9日まで、医療ボランティアで行った2度目のコソボから無事帰国した。

彼は、軍隊の階級である「上級曹長」をハンドルにしているし、この栴檀林サイト自体が半分ミリタリー系で、政治ジョークもどきも多かったせいもあってか、彼のコソボ行きは何かのジョークだと思っている人も多い。しかし彼は彼の思うところあって本当にあのコソボへ行った。

もっとも私にはそんな「思うところ」の話は大してしない。話の大半はどこの軍隊がどんなものを持っていただとか、どんな車両を使っていただとか、そんな土産話である。そんな話は周りの誰にも通じず、彼女にも話せないとか。勿論そういいうことで全く構わない。

冬のコソボはマイナス8度だそうである。何もなく、電気が通るのも日に3時間。対人地雷は身近にあり、この季節、コソボは対人地雷を炸裂させてしまう人が増えているそうだ。それも民間人ではなく、KFOR(国連平和維持軍)がかかったりするということだ。というのも、近くの住人は地雷の場所はわかっているので、「地雷有り」の看板をひっこぬいて蒔にして燃やしてしまうことがあるのだそうだ。やれやれ。

例年は我々と相模川の河原で年越しを迎える上級曹長だが、今年の年越しはマケドニアだった。それはもう大変なお祭り騒ぎで、幾つもの光の束が空を鮮やかに彩ったそうだが、繰り返し打ち上げられる花火を怪訝に思って見に行くと、何と対空銃架に連装された機銃から撃ち出される曳航弾だったそうな。そんな騒ぎなので、どさくさに紛れて"手持ちの拳銃"で祝砲をあげる人も周りにいたとか。調子に乗ってそのトカレフの様な拳銃を借りて彼が数発撃ったことは公式な記録には残っていない。

そう書くと、傍目には楽しんでいるところしか見えないわけだが、別に物見遊山で行っているわけではない。紛争地域に人の命を救いに無償で行っているのだから。それでいて肩ひじ張った風でもない。非日常的な集団(軍隊)や道具(兵器)にもまるでストレスを感じない。理由はどうあれ、そういう人間が必要なのだと思う。

「何もなければ」コソボに行くことはもうないそうだ。もっとも、「何かある」ところへは今後も行くつもりのようだが。

('00.1.21「小隊司令部発」より)

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